010106 読み研通信からの学び
TOPへ戻る
はじめに
読み研通信の原稿に対する私の質問や意見をここに公開して、執筆者にお答いただいたり、このホームページをお読みの方から私と同じようにお寄せいただいた質問や意見を掲載させていただくことによって、みんなで考える読み研方式の情報交換の場にしようと思います。また、読み研通信という原稿スペースでは書ききれなかった部分も、執筆者の方にお願いして補足原稿を投稿していただき、掲載できればと思い、『読み研通信からの学び』コーナーを設置します。
01010601 高橋順子『ジーンズ』で詩の読み方を教える
児玉健太郎氏への質問
『読み研通信からの学び』のスタートとして児玉健太郎氏の原稿「高橋順子『ジーンズ』で詩の読み方を教える」を取り上げさせていただきます。まず、児玉さんの原稿をご紹介して、次に私の質問・意見を掲載する形にします。そして、児玉さんからの回答・補足説明を掲載させていただく予定になっています。児玉さんには、原稿の公開のご快諾をいただき、感謝いたします。
読み研通信第77号(2004.10.15)掲載原稿
高橋順子『ジーンズ』で詩の読み方を教える
児玉 健太郎氏(大阪府豊中市立第八中学校)
一、はじめに
本教材は、平成14(2002)年度版三省堂『現代の国語2』(一三四〜一三五頁)に掲載されている詩教材である。まず教材本文を掲げる。(行番号は筆者による。)
ジーンズ 高橋順子 1 ジーンズを洗って干した 2 遊びが好きな物っていいな 3 主なんか放っといて歩いていってしまいそう 4 元気をおだしってジーンズのお尻が言ってるよ 5 このジーンズは 6 川のほとりに立っていたこともあるし 7 明けがたの石段に坐っていたこともある 8 瑠璃色が好きなジーンズだ 9 だから乾いたら 10 また遊びにつれてってくれるさ 11 あいつが じゃなくて 12 ジーンズがさ 13 海にだって 大草原にだって 14 きっと |
本教材は若い男女間の恋愛感情を背景にしていると読め、中学生には共感しやすい。生徒達が一読しただけでも大体の意味は分かるであろうし、何らかの感覚に訴えてくるものがあろう。そうしたぼんやりとした生徒の読みを、もっと意識化させ、言葉として表現させることが必要である。
こうしたことをふまえて、この詩教材の分析と授業で指導すべき言語技術とについて述べる。
ニ、教材分析
以下、構成読み・技法読み・主題読みの順で分析する。なお、読み研では一般に、読みの第一段階は 「構造読み」と呼ばれているが、筆者は「構成読み」としている。
【T 構成読み】
この詩の構成は次のように読める。
起 1〜4行目
承 5〜8行目
転 9〜12行目
結 13〜14行目
《起》では、ジーンズを洗って干した語り手が、その干されているジーンズの様子について語っている。ジーンズは擬人化されて語られ、時間は現在である。
《承》ではそのジーンズについて過去の回想が述べられている。引き続きジーンズは擬人化されているが、現在から過去へという時間的な変化が読める。
《転》からは、語り手が未来への希望を語ることになる。過去の回想から未来への希望という変化が読める。また、語り手が初めて「あいつ」という人物について言及する。さらに、ここでもジーンズは擬人化されているが、表現技法としては新たに倒置法が表われる。すなわち、時間・人物・表現技法の三点において変化を読むことができる。これは大変化と読むべきである。
そして、《結》で未来への希望を誇張して示すことによって前向きな姿勢を強調する。と同時に省略法によって余韻を残しつつ詩全体を結んでいる。
この詩においては、時間・人物といった「本文の意味・内容の変化」と、表現技法を中心とした「文体・表現の変化」とが、詩の構成、特に《転》を読む観点となる。
【U 技法読み】
紙幅の都合で全文の詳細な分析を示すことはできない。そこで生徒に身につけさせるべき読みの方法(言語技術)と関わる部分にしぼって述べる。
第一に、詩全体にわたって「ジーンズ」が擬人化されている。そこでまず「ジーンズ」を読む。
例えば教師のスラックスや生徒の制服のズボンなどと対比させて読むとよい。行動的・活動的で、一般に若者がはく普段着と読める。さらに、丈夫で破れにくく、そうたびたび洗うものではない。
また、「ジーパン」という呼び方と対比させると、少ししゃれた、おしやれな感じもする。例えばビンテージ物と呼ばれるような希少価値のある値段の高いものには、「ジーパン」よりも「ジーンズ」という呼び方の方がふさわしいだろう。
これらのことから、次のようなことが読める。
@語り手や「あいつ」が若く行動的・活動的な性格であること。
A「ジーンズ」を洗うという行為に何か特別な意味があること。
B「あいつ」は語り手にとって普段着で会うような気心の知れた相手であったこと。
Cしかし一方で、少ししゃれた「ジーンズ」をはいて会うべき相手でもあったこと。
第二に、6・7行目の対句的表現である。この部分は擬人法も使われている。「川のほとりに立っていた」り、「明けがたの石段に坐っていた」りしたのはジーンズをはいた語り手自身である。対句による強調で、「川のほとり」「明けがたの石段」だけでなく、そのほか様々な場所に行ったことがあると読める。つまり、様々な場所で自分とジーンズが一緒だったこと(いつもジーンズをはいていたこと)を示し、一体感を強調している。
またこの部分には普段見慣れぬ「坐」という漢字が使われている。一般的な「座」という書き方と対比すると、あまり使わない特別な文字で強調されると共に、絵画的印象も強まる。つまり、二人で石段に「坐って」いるイメージが視覚的に強められ、その時の様子が語り手の思い出に強く残っていること、語り手にとってそれは何か特別な行為であったことが読める。
次の行(8行目)では、この思い出が「瑠璃色」と美化されている。川の水の色や明け方の空の色が 「瑠璃色」であると同時に、語り手にとってそれらの思い出は「瑠璃色」のように美しく懐かしく思い出されるもの、宝石のように貴重なもの、しかしガラス(「瑠璃」はガラスの古語)のように壊れやすくもあるもの、ということが読める。
第三に、10・11・12行目の倒置法である。擬人法・余白空けも使われている。余白空けの効果もあって、後半が強調される。
「あいつが」という表現は、その後の余白空けによって特に強調される。「あいつ」に対する語り手の特別な思いが読める。「あいつ」は、肯定的に読めば非常に親しい人物、否定的に読めばよく思っていない嫌いな人物と読める。いままでは「あいつが」「遊びにつれてってくれ」た。ジーンズをはいて様々な場所に行ったように、「あいつ」と一緒に様々な場所に行ったと読める。しかし今は「あいつ」が連れて行ってはくれない状態なのである。
とするとジーンズを洗うという一行目の行為は、「あいつ」との思い出・記憶を忘れようとする象徴的な意味があると読める。汚れがジーンズから洗い流されることが比喩だとすると、汚れは語り手が忘れたい思い出・記憶である。ではジーンズそのものは何の比喩か。それは語り手の心・精神・意志そのものである。
つまり、「ジーンズが」「つれてってくれる」とは、語り手が自分の意志で行くという、自立の宣言であると読める。
【V 主題読み】
以上の読みから、次のような主題が読める。
○精神的に落ち込んだ状態でも、未来へ向かって積極的な姿勢を持ち続ける健気な語り手の姿。
○ジーンズは行動的な服装で、生地も破れにくくしなやかで強い。行動的・積極的で強靭な、つまりジーンズのような精神・意志を持って生きていくことの大切さ。
○精神的な自立を遂げようとする語り手の成長する姿。
三、指導すべき言語技術
本教材では次のような言語技術を指導すべきである。
@その詩に即した観点で、詩全体を起承転結にわけ、構成を読みとる技術。
A表現技法を中心に、その詩の言葉に即して形象を読みとる技術。
形象を読みとるさらに具体的な技術としては、次の五つを指導すべきである。
(1)語句の一部を、類似する他の語句に置き換えた表現と対比させ、その差異を読み取る技術。
(2)一般的な表現と対比させ、その差異を読み取る技術。
(3)語句や文字の音感や形から、多様な意味を読み取る技術。
(4)表現されたことがらについて、その肯定的価値と否定的価値との両面を読み取る技術。
(5)比喩において、「たとえるもの」の属性から「たとえられるもの」の性格を読み取る技術。
四 終わりに
第一学年時より、国語の授業では言語技術を学ぶと宣言し、読みの方法についても学習を積み重ねてきた。生徒ひとりひとりが、他の詩を読むときにも使える言語技術として詩の読み方を身につけなければならない。そして言葉を根拠に読みとったことを自分の論理でまとめ、それぞれの主題を創っていくことが大切である。
児玉健太郎氏への質問とお願い (井上)
構造よみについての疑問@
児玉氏は、9〜12行目を「転」、13〜14行目を「結」としているが、9・10行の「主語」が11・12行、9・10行の「連用修飾語」が、13・14行である。私が疑問に思ったのは、上のような文脈のつながりのある部分を「転」「結」として二つに分けることがいいのかということである。児玉氏は、13〜14行目を「結」としてとらえる理由として、省略法が使われていると述べている。たぶん、「また遊びにつれてってくれるさ」という述語が省略されていると児玉氏はとらえていると思うのだが、やはり転とのつながりはある。もしそうなら、あえて「転」「結」と区切るよりも、9〜14行目を「転結」としてとらえたらいかがかというのが、一つ目の疑問点である。
構造よみについての疑問A
私は、児玉氏の「構成よみ」以外に、構造よみの可能性がないのか、考えてみた。その結果、以下のようにもう一つの「構造よみ案」が思いついた。9行目の「だから」という接続詞が、1〜8行目までの内容を受けると考えると、9〜12行目が《結》としてとらえることが可能ではないかと思った。井上の「構造よみ案」については、以下のとおりである。
|
|
児玉氏へのお願い@ 構造よみではなく「構成よみ」とするのはなぜか
児玉氏は「なお、読み研では一般に、読みの第一段階は 「構造読み」と呼ばれているが、筆者は「構成読み」としている。」とことわってご自身の「構成読み」を提案している。なぜ「構成読み」とするのか、その理由を教えていただけないでしょうか。読み研の研究紀要で、鶴田清司氏も確か「構成読み」としているのを読んだ覚えがあるのだが、児玉氏の理由をお聞きできればありがたいです。
児玉氏へのお願いA 全文の詳細な分析をご提示いただけないか。
読み研通信という限られた紙面では「全文の詳細な分析」を示すことはできないという制約がありますが、私のホームページではそういう制約はありません。ぜひ、読み研通信では書ききれなかった分析等をご寄稿いただけれれば、大変うれしいです。私のホームページで公開させていただければと思います。
児玉氏へのお願いB 私の構造よみについての疑問@Aへの回答を、公開させていただきたい。
私のホームページで「高橋順子『ジーンズ』で詩の読み方を教える」の原稿を掲載させていただき、さらに児玉さんからいただいたご回答も同じように掲載させていただければと思います。
人目のご訪問、ありがとうございます。 | カウンター設置 2004.11.16 |