010806  岩田道雄『考える力を育てる日本語文法』(新日本出版社)からの学び         TOPへ戻る

 岩田道雄氏の『考える力を育てる日本語文法』は、教科書文法の問題点を指摘しつつ、岩田氏が日本語文法の学習によって国語の学習を豊かにすることにつながるという視点で、日本語文法を解説した本です。この本から学んだことを、どのように授業にいかしていったらよいのか、まとめてみました。みなさんからのご意見をお待ちしています。


1 動詞の活用の種類の見分け方
2 動詞の活用形について
3 古典の学習に生かす文法とは
4 時を表す表現について
  上下のタイトルをクリックすると、そのところへ移動できます。
○『考える力を育てる日本語文法』の目次紹介○


1 動詞の活用の種類の見分け方    日本人にとって何のためにこの学習が必要なのだろうか?

『考える力を育てる日本語文法』P47〜49

動詞の活用種類の見分け方

 口語の動詞の活用の種類は、五段、上一段、下一段、カ行変格、サ行変格の五つです。カ変とサ変は「来る」と「する」の一つずつですが、五段と上一段、下一段はいろいろありますので、その違いが、教科書などでも詳しく書かれています。そしてその見分け方としては、次のような操作があげられています。

@ 「ない」のついた形(未然形)を考え、その時の上の字を伸ばしてみる(母音にしてみる)
   食べる―食べない  行く―行かない  起きる―起きない
A そして  行か―ア―ない   五十音図のア段ならば、五段活用
         起き―イ―ない   イ段ならば上一段活用
         食べ―エ―ない   エ段ならば下一段活用

 しかし、こういう操作は、なかなか子どもの頭には、焼きつかないのです。「ない」をつけるんだっけ、「ます」をつけるんだっけ、とか、「アイウエオ」だから「ア」は一番上だよなあ、などといって、ア段とイ段をうっかり混同し、五段活用と上一段活用が混乱したりするのです。しかし、受験学力の世界では、そういう操作だけを強調して、その必然性はあまり説明していません。しかも、いくらその違いを見抜いても、それは読み書きに少しも生きてこない能力です。ですから、塾で何回聞いても、忘れてしまうのです。
 私が中学校の教師をしている時は、次のように話して、活用の種類を一発で見分ける超能力(?)を生徒たちにつけてやりました。

@ その動詞の基本形を考えた時、語尾に「る」のないのはすべて五段活用だ。
A 語尾に「る」があったら、その上を見て、その上の語が
   「アイウエオ」の「イ段」だったら、上一段
   「エ段」だったら、下一段 である。
    例  五段     打つ、泣く、飛ぶ、読む
        上一段   伸びる、生きる、落ちる、降りる
        下一段   解ける、投げる、考える、助ける
B ただし、例外として、五段でも語尾が「ラ」行のものは「る」がつく。
    登る(ノボル)、助かる(タスカル)
  でも、「る」の上は、イ段にもエ段にもならないから混乱する心配はない。

 日本語を母語として育った子は、どんな表現の動詞を見ても、その基本形は、すぐわかるわけです。ですから、この一言で、生徒たちは活用の種類の見分け術を身につけてしまいました。

 岩田氏の終止形から動詞の活用の種類を見分ける方法を初めて見たとき、こういう見分け方があるんだと驚いたが、岩田氏の見分け方では、処理できない五段活用の動詞があることに気づいた。(岩田氏の見分け方の問題点)

 Bの例外として、
 /五段でも語尾が「ラ」行のものは「る」がつく。    登る(ノボル)、助かる(タスカル) /
と説明があり、登る(のボる)…語尾「る」の上は「ボ」でオ段、助かる(たかカる)…語尾「る」の上は「カ」でア段、なので「五段活用」となる。この場合は、岩田氏の言うとおり、五段活用で問題はない。

ところが、Aの見分け方に従うと、五段活用なのに「上一段活用」「下一段活用」の動詞となってしまう動詞があることに気づいた。

五段活用なのにAの見分け方に従うと「上一段活用」となる動詞…散る(チる)、切る(キる)、走る(はシる)
五段活用なのにAの見分け方に従うと「下一段活用」となる動詞…蹴る(ケる)、

これでは、岩田氏の見分け方では見分けられないことになる。そこで、井上がAの見分け方の修正案を考えてみた。

井上修正案

「○○る」の語形から、五段活用か、上一段活用・下一段活用かを見分ける方法。
例えば、「伸びる」は、丁寧な言い方にすると「伸びマス」となる。「伸ビ(イ段)」…イ段なら「上一段活用」。
例えば、「解ける」は、丁寧な言い方にすると「解けマス」となる。「解ケ(エ段)」…エ段なら「下一段活用」。
 上一段活用・下一段活用の動詞は、基本形の語尾「る」を取り去った「伸び」「解け」に「マス」をつけると丁寧な言い方にできる。つまり、一段活用の動詞の丁寧な言い方は、基本形の末尾「る」を「ます」に変えればいいだけである。

ところが、五段活用の動詞は、例えば「散る」の「る」をとった「散(ち)」に「マス」をつけると「散(ち)ます」では、丁寧な言い方にはならない。「散(ち)」「り」「ます」のように「り」を「散(ち)」と「ます」の間に入れると、丁寧な言い方になる。
つまり、五段活用の動詞の丁寧な言い方は、基本形の末尾「る」を「り」に変えて「ます」をつなげた形である。

この見分け方によると、同じ基本形を持つ「切る」と「着る」との動詞の活用の種類の見分け方が可能になる。
「切る」…「切(き)」「ます」→「切ます」×語形  →「切(き)」「り」「ます」○語形 …「切る」は五段活用。
「着る」…「着(き)」「ます」→「着ます」○語形  …一段活用 ・「る」の上が「き(イ段)」なので上一段活用。

ここまでを整理して、動詞の種類を見分け方を提示すると

☆基本形が語尾「る」でない動詞→五段活用
☆基本形が語尾「る」である動詞は、上一段活用か下一段活用か五段活用
○語尾「る」を消して「マス」をつけると丁寧な言い方になる動詞→一段活用(「る」の上がイ段なら上一段、エ段なら下一段)
○語尾「る」を「り」に変身させて「マス」をつけると丁寧な言い方になる動詞→五段活用

この修正案なら、岩田氏の例外Bは必要なくなる。
 登る(ノボル)…「登(のボ)」「ます」=「登(のボ)ます」×語形  →「登(のボ)」「り」「ます」○語形…「登る」は五段活用。
 助かる(タスカル)…「助か」「ます」=「助か(たすカ)ます」×語形  →「助か」「り」「ます」○語形…「助かる」は五段活用。

 さて、日本人なら動詞の基本形や丁寧な言い方がどんな語形なのかは、何の苦労もなくわかる。ところが、日本語を学ぶ外国人は、そうはいかない。したがって、上の見分け方の丁寧な言い方(ます)判別法は、実際には日本語を学び始めたばかりの外国人には使えない。例えば、「切る」の丁寧な言い方は「切ります」なのか「切ます」なのかは、覚えていない場合判別できない。

外国人に日本語を教える場合、この動詞の活用の種類をどう教えているのか、ネットで検索したところ、市川保子氏のホームページが大変参考になった。

日本語レッスン  3.2002年12月1日   (4)動詞の活用
http://homepage3.nifty.com/i-yasu/Lesson3.htm

b-2 学習者にとって難しいのは、どの動詞が五段/Tグループで、どの動詞がUグループ・一段かという動詞の分類の仕方です。次は辞書形からグループ分けを見い出だす方法です。

1.その動詞が「来る・する」([持ってくる/連れてくる][勉強する・テニスする]などを含む)であれば、その動詞の「不規則動詞/Vグループ」に入る。

2.[来る・する]以外の動詞で、辞書形が「-ru/る」をとらなければ、五段/Tグループに入る。

3.「ru/る」をとる動詞で、「ru/る」の前が「-e」か五十音の「え段」(「えけせてね・・」)であれば「一段/Uグループ」に入る。それ以外は五段/Tグループに入る。ただし、「帰る」「練る」などは例外で「五段/Tグループ」に入る。

4. 「-ru/る」をとる動詞で、「-ru/る」の前が「-i」か「い段」(「い、き、し、ち、に・・」)であれば、一段/Uグループ」に入る。ただし、次の動詞は例外で、五段/Tグループに入る。例外「切る」「入る」「要る」「知る」「散る」など

 以上が一応のルールですが、次の動詞は辞書形が同じですが、グループが違うので、例外として覚えてください。

  五段/Tグループ      一段/Uグループ
       切る             着る
       帰る              変える
       要る              いる(exist, stay)
       練る              寝る

 外国人に日本語を教える場合、動詞の基本形(辞書形…辞書に載っている語形)から、動詞の活用の種類を判別する方法があれば、大変便利です。なぜなら、例えば、日本人なら「ない」をつける否定形は簡単に言えますが、外国人はそうはいきません。そういう意味でいうと、この日本語教育で教えている動詞の種類の判別法の方が優れています。しかし、中学・高校で学ぶ国文法では、まったくこういうことは学ばないのです。(ですので、外国人にわかりやすく動詞の活用のしかたについて、日本人の多くは説明できないのです。)
 ただし、上のルール3の「それ以外は五段/Tグループに入る。」という記述は、本来はルール3の中に入れるのではなく、ルール3・4の後にあるべきです。なぜなら、ルール4に該当する動詞も、「五段/Tグループに入る。」ことになってしまうからです。
 ルール3の例外(「帰る」「練る」など) と ルール4の例外(「切る」「入る」「要る」「知る」「散る」など) と 同一辞書形をもつ動詞例(切る・着る /帰る・変える/要る・いる(exist, stay)/練る・寝る)
 とを覚えておけば、よいことになります。


練習問題  次の―線部の動詞の活用の種類を、井上修正案を使って、答えなさい。

@ 両親にぼくの悩みを話した。
A そんなおそろしいことはできないよ。
B 哺乳類は親が子を育てる
C 四時に野球場に来い
D 安心して眠りなさい。
E そのCDを私にも貸してください。
F 赤組には絶対に勝とう。
G もう九時を過ぎましたよ。
H きみも来ればいいのに。
I 捨てるものはありませんか。
J 生活態度を改める
K 自分の足で立ったよ。
L 大きさを比べましょう。
M 自転車がパンクした。

解法
まず、傍線の動詞を基本形(辞書形)にしてみる。
@話す  Aできる B育てる C来る D安心する E貸す F勝つ G過ぎる H来る I捨てる ある 
J改める K立つ L比べる Mパンクする

次に、「来る」「○○する」があるかチェックする。
  CHが「来る」=カ行変格活用。Dが「安心する」=サ行変格活用。

次に、「○○る」と、語尾が「る」でない動詞は、すべて五段活用。
  @「話す」E「貸す」F「勝つ」K「立つ」=五段活用。

最後が、「○○る」という形の動詞は、「上一段活用」「下一段活用」「五段活用」のどれかとなる。
A「できる」G「過ぎる」I「捨てる」「ある」J「改める」L「比べる」を次の二つのどちらか、考える。

○語尾「る」を消して「マス」をつけると丁寧な言い方になる動詞→一段活用(「る」の上がイ段なら上一段、エ段なら下一段)
  A「できマス」G「過ぎマス」…イ段なので「上一段活用」
  H「捨てマス」J「改めマス」L「比べマス」…エ段なので「下一段活用」
○語尾「る」を「り」に変身させて「マス」をつけると丁寧な言い方になる動詞→五段活用
  I「ありマス」…「る」を「り」に変身させて「マス」なので「五段活用」


補説  五段活用と一段活用の見分け方
杉本芳之助氏のホームページに、次のような見分け方が紹介されていました。その部分を引用紹介します。

d74  動詞の活用ーー復習(1)
http://www12.plala.or.jp/nihongo73/iriguti/d74/d74.htm

 学習者にとって難しいことの一つは、五段動詞と一段動詞とを見分けることでしょう。ある学習書にその見分け方が載っていたので、下に記載しておきます。但し、これは参考とするにとどめ、実際に動詞に出会った時、どちらの活用をする動詞であるかを意識して覚えることを勧めます。日本語を母語としている人は、小さいときからの言語生活の中で自然に身に付けているので、その動詞が五段動詞か一段動詞かということなど、全く意識しないで使っているのですから。
 
 五段動詞と一段動詞の見分け方。

 先ず、下記の方法で一段動詞を見分ける。
一段動詞  辞書形が「――iる」「――eる」で終わる動詞
例 起きる(okiru)、見る(miru)、着る(kiru)、食べる(taberu)、寝る(neru)、受ける(ukeru)
  但し、次の語は例外で、五段動詞である。
  帰る、入る、知る、走る、切る、要る、すべる、照る、練る、散る、蹴る、あせる、かじる、混じる、しゃべる、せびる。

一段動詞以外は五段動詞である。五段動詞の語尾は、次のとおり。
1.辞書形が「る」以外で終わるもの。(例)書く、歩く、飲む、読む、待つ、打つ、話す、返す、買う、歌う、急ぐ、泳ぐ、学ぶ、遊ぶ、死ぬ
2.辞書形が「――aる」「――uる」「――oる」で終わるもの。
  「――aる」 ある、刈る、去る、足る、鳴る、張る、やる、割る
  「――uる」 売る、吊る、釣る、塗る、降る、振る
  「――oる」 折る、織る、凝る、剃る、取る、乗る、掘る、盛る、寄る

 この見分け方によると、辞書形が「――iる」「――eる」で終わる動詞で、五段活用の例外を知っていれば、辞書形から一段活用・五段活用かを判別できる。
   「――iる」で五段活用。 …入る、知る、走る、切る、要る、散る、かじる、混じる、せびる。
   「――eる」で五段活用。…帰る、すべる、照る、練る、蹴る、あせる、しゃべる。

(2009.8.10 記)


日本人にとって何のためにこの学習が必要なのだろうか?

 高校入試や実力テストで、動詞の活用の種類を問う問題が出題されている。その問題に答えるためには、上のような見分け方を理解しておくことが必要となる。(高校入試で得点をとるためには、「動詞の活用の種類」を見分けることができるようにしておかなければならない。)しかし、現代語を話すことができる私たち日本人にとって、動詞の活用の種類を見分けることにどんな意味(意義)があるのだろうか。
 よく言われる意義として、高校で古典文法を学ぶときに中学で文法を学んでおくと理解がしやすいということがある。そういうメリットはないとはいえないが、そのために「動詞の活用の種類」を見分けられることが重要なのだろうか。
 私は、岩田氏の「しかし、こういう操作は、なかなか子どもの頭には、焼きつかないのです。「ない」をつけるんだっけ、「ます」をつけるんだっけ、とか、「アイウエオ」だから「ア」は一番上だよなあ、などといって、ア段とイ段をうっかり混同し、五段活用と上一段活用が混乱したりするのです。しかし、受験学力の世界では、そういう操作だけを強調して、その必然性はあまり説明していません。しかも、いくらその違いを見抜いても、それは読み書きに少しも生きてこない能力です。ですから、塾で何回聞いても、忘れてしまうのです。」という問題点の指摘に大賛成である。こういうことを文法で学ぶくらいだったら、説明的文章でも小説でもよいので読みの学習をするか、作文の学習をしたほうがよいということになる。
 日本人だったら、「家に(帰る)て、洗濯をした。」「絵本を(読む)で、食事の支度をした。」の文で、(帰る)(読む)がどんな語形をとるか、簡単に答えることができる。「家に(帰っ)て、洗濯をした。」「絵本を(読ん)で、食事の支度をした。」となるわけだが、連用形の一つの用法に「て(で)」につながる形というのがある。動詞によって「て」になるか「で」になるか決まっている。日本人なら、この「て」になるか「で」になるかも簡単に答えることができる。では、どういう動詞の場合、「て」になるか「で」になるか説明しなさいという質問には、なかなか答えられないのではないだろうか。こういう基本的ともいえる日本語のルール(文法)を学ばないのが、中学校で学ぶ国文法なのである。外国人に、日本語のルールを説明できることができない国文法を学ぶことにどんな意義があるのだろうか。

 さて、外国人に日本語を教える時に教えているのが「日本語文法」なのであるが、上の「て」になるか「で」になるかという問題にどうしているかを見てみよう。次の掲示板に、次の質問が掲載されていた。引用する。
街で拾ったことばの話題−掲示板1−
http://nihongo-online.jp/tree01/treebbs.cgi?kako=1&log=252

No.252  「て」と「で」について
発言者: ルル
発言日: 2001 2001/09/05 14:53
 皆さんこんにちは、またまた質問箱のようなルルです。
 今回の質問は「て」と「で」の付け方です。難しくて分かりません。
 動詞の辞書形をて形にする時、どうやって「て」が付くのか、それとも「で」が付くのかが分かりますか?
 私はいつも自分が正しいと思ったて形をいっせいに入力してスペースキーを押して試しています。例えば「書く」の場合、「かいて」、「かいって」、「かいで」のどれが正しいのか分からないとき、入力してスペースキーを押すと正しい方だけ「書いて」となって変化します。大変面倒です。だれか「て」と「で」の付けたか分かる人いらっしゃいましたら、私を救ってください。

それに対して、次のような回答が記載されていた。引用する。
街で拾ったことばの話題−掲示板1−
http://nihongo-online.jp/tree01/treebbs.cgi?kako=1&log=258

No.258  Re[4]:「て」と「で」について
発言者: わからん
発言日: 2001 2001/09/06 20:23
ルルさん、こんばんは。よく勉強しておられますね。テ形の前に学習するべきことは「動詞の分類」です。日本語の動詞が3つのグループに分類される事はご存知だと思います。2グループは一番簡単です。「起きる・食べる・寝る」などで、テ形は「ます」を取って「て」を付けます。3グループは「する・来る」の2つだけですから、覚えてください。テ形は「して・来て」となります。1グループが先のコメントで書いたように、「読む・飛ぶ・死ぬ」のテ形は「読んで・飛んで・死んで」となります。他の1グループは「会う・立つ・取る」は「会って・立って・取って」になり、「書く」は「書いて」、「泳ぐ」は「泳いで」、「話す」は「話して」となります。「行く」は例外で「行って」となります。つまり、1グループは、最後の音が「う・つ・る」⇒「って」、「む・ぶ・ぬ」⇒「んで」、「く」⇒「いて」、「ぐ」⇒「いで」、「す」⇒「して」となるわけです。例外が「行く」⇒「行って」です。テ形の歌があります。「ロンドン橋落ちた」の旋律で、最後の音の変化を歌うそうです。♪「うつるって、むぶぬんで、きいて、ぎいで、すして、例外行く行って」♪「2グループ簡単、ます取ってテを付ける、3グループ覚える、して、来て」と歌うそうですよ。

 この「わからん」さんの回答を見てみると、動詞の活用の種類と結びつけて「て」になるか「で」になるかを説明しているし、どんな語形でつながるかの説明もある。井上が、整理してみると次のようになる。
 上一段活用・下一段活用の動詞(日本語文法では2グループ)は「て」、語形は「マス形」につながる形と同じ。
 カ変・サ変の動詞(日本語文法では3グループ)は「て」、語形は「して」「来て」となる。
 五段活用の動詞(日本語文法では1グループ)は「て」か「で」につながる。最後の音が「う・つ・る」⇒「って」、「む・ぶ・ぬ」⇒「んで」、「く」⇒「いて」、「ぐ」⇒「いで」、「す」⇒「して」となる。ただし、「行く」は例外で「行って」。
 つまり、動詞の活用の種類が分かれば、「て」につくか「で」につくか判別でき、どんな語形になるか、上のルールを知っていれば分かるのである。外国人に日本語を教えるという立場に立つと、動詞の活用の種類を見分けることはとても重要なことなのである。

(2009.8.14 記事追加)


2 動詞の活用形について

 動詞の活用の種類と一緒に学習するのが、動詞の活用形なのだが、この活用形についても中学生にしっかりと理解させようとするとかなりの指導時間が必要となる。また、この活用形が分からないので、文法は難しいという生徒も多い。中学生にとって、かなり難しい内容なのである。(しかし、高校入試にも出題されることがあるので、指導する側としては悩みの種である。)
 さて、『考える力を育てる日本語文法』では、この活用形についてどのように扱っているかというと、活用形については何も言及がない。そのことに関係する一節を引用する。

文法はなぜ子どもたちに嫌われるのか  『考える力を育てる日本語文法』P8・9

 中学生や高校生、大学生に文法が好きかと聞いてみると、好きと答えるものはほとんどいません。なぜかといいますと、学校における文法の指導内容は、品詞論と活用論に限られているからです。一つ一つの細かな違いを言い立てて分類し、その名づけと機能を暗記させられるだけだからです。子どもたちはたまったものではありません。日本語として初めて聞く文法用語も無数にあるし、中には概念のはっきりしない用語もかなりあって、なかなか覚えきれないし、すぐごちゃごちゃになるのです。
 (中略)
 しかも、問題は、こういった細かい差異の知識(操作の方法など)をいくら暗記しても、実際の文章の読み・書き、思考の展開、音声表現の話し・聞きにとって、ほぼ何の役にも立たないのです。これらは、テストのためだけの知識に過ぎません。それに、こんな文法なら習わなくても生きていけるわけです。それこそ、三歳の子でも、推量・丁寧・否定・伝聞などの助動詞を自然に使いこなしているのです。動詞の活用形も、意識しなくても自然に出てきます。それは母国語だからです。(後略)

上のような問題意識をもつ岩田氏なので、活用形について扱わない(本の中で取り上げない)のは当然である。

学校文法では、どのように活用形を教えているか。

@未然形…「ナイ」「ウ」「ヨウ」などに続く形。   例 話さ―ない  話そ―う  見―よう
      ※形容詞・形容動詞は動詞と異なり、「ナイ」に続く形は連用形となる。
A連用形…「マス」「タ」「テ」「、」などに続く形   例 話し―ます  話し―た  話し―て
B終止形…「。」「ト」「ガ」などに続く形       例 話す。  話す―と  話す―が
C連体形…「コト」「モノ」などの名詞や「ノデ」「ノニ」などに続く形    例 話す―こと  話す―人  話す―ので
D仮定形…「バ」に続く形   例 話せ―ば
E命令形…命令の意味で言い切る形    例 話せ。

基本的には、上のようにどういう言葉に続くかを押さえておけば、活用形を見分けることが可能なのだが、実際のテストでは、ここに上げた続く言葉だけでは、判断できない場合があるので、次のように、続く言葉を暗記しておくことが必要となる。

@未然形…「ナイ」「ウ」「ヨウ」などに続く形。   +「セル」「サセル」「レル」「ラレル」「ヌ」
A連用形…「マス」「タ」「テ」「、」などに続く形。  +「タイ」「タガル」「テモ(デモ)」「タリ」「用言」
B終止形…「。」「ト」「ガ」などに続く形。      +「ケレド(モ)」「カ」「カラ」「ラシイ」
C連体形…「コト」「モノ」などの名詞や「ノデ」「ノニ」などに続く形。  +「ヨウダ(ヨウデス)」「ノ」
D仮定形…「バ」に続く形。
E命令形…命令の意味で言い切る形。

このような知識は、暗記するしか手がない。例えば、「ナイ」につながるから未然形だと指摘できたとして、そのことに何の意味も見出せない。

(2009.8.14  記)

 実際には、動詞の活用形を考えるとき、「動詞+助動詞一つ」という接続型だけではないのが、生徒の混乱をさらに引き出す。例えば「た」に続く形が「連用形」という知識は、生徒にとって「過去形は連用形」というとらえ方をさせやすくなる。「笑わなかった」の「笑わ」は、しなかったという過去形なので「連用形」という間違いを起こす。また、「そういうように間違えやすいので、動詞の直後の助動詞で活用形は考えるのです。この場合「笑わなかった」の「なかっ」は「ない」の形を変えたものだから、「ない」に続くので「笑わ」は「未然形」なのです。」という説明をしたとしても、生徒には難しい。つづく言葉から、活用形を判断するとして、続く言葉はこのように「ない」という基本形だけではなく「なかっ」「なく」「なかろ」「なけれ」という形も含まれることになり、覚える知識の量は膨らんでいく。
 日本語文法では、「動詞+助動詞」の形で動詞を意味をもつ単位として整理している。

普通の言い方 丁寧な言い方
非過去 過去 非過去 過去
肯定 笑う 笑った 笑います 笑いました
否定 笑わない 笑わなかった 笑いません 笑いませんでした

日本語文法では、未然形・連用形…などという活用形ではなく、「動詞+助動詞」のひと塊がどのような意味を表すのかという形で整理している。

(2009.8.15 記)


3 古典の学習に生かす文法とは

 岩田氏の本の中に「古典の学習にどのように文法の学習を生かしていくか」という視点で書かれた部分がある。ただ、高校で学ぶ古典文法を取り入れて古典の文章を読むということではない。主語述語を意識して、古典を読むことによって「古典がより理解しやすくなる」という指摘である。そういう意味で、ぜひお読みになっていただきたい部分である。その部分を引用する。

古典の文章の特徴(古典文法)          『考える力を育てる日本語文法』P135・136

 構文論からいくと、まず古典の文章の特徴は、文意識が乏しいということです。そもそも原文に句読点がありません。一つ一つの文をはっきり切らないで、あいまいな形でつなげて、余情を豊かにしようとしたのではないでしょうか。よく日本の文章は、論理性に乏しいなどといわれるのも、このためです。簡潔な分かりやすい文というのは、軽視されてきたのです。日本人の文意識がはっきりするのは、やはり明治以降です。
 ですから、古典の文章は、だらだらと続いて、なかなか切れない部分がよくあります。『源氏物語』など特にそうです。そういう場合、直訳したら、よけいわかりにくくなります。また、敬語の問題もありますので、直訳は本当に難しいです。ですから、古典の文章を読む時は、まず、主・述の対応に気を付けて、省略された主語を補いながら、文単位に切って考えることです。そうすることによって、人物の行動がはっきりしてきますから、その場面もイメージしやすくなります。そして、そのイメージをもとに、自分の言葉で物語をつくるのです。そういう場面づくりを、私はイメージ訳と名づけています。敬語は、主語の人物を確認するときだけ利用して、自分のイメージ訳では使わず、常体表現で言い切ります。また、だらだら文が続くところでは、よく主語が入れ替わったりしていますから、行為者を確認しながら、省略された主語を補って、その場面のイメージをつくるのです。これらが古典を読む力の基本でもあります。

ころころ変わる主語(古典文法)          『考える力を育てる日本語文法』P136〜138

 たとえば、「徒然草」の百九段「高名の木のぼり」では、ほとんどその段の八・九割がたった一文で続いているのです。

ア 高名の木のぼりといひしをのこ(が)人を、おきてて、
  (その人を)高き木に のぼせて、
  (その人に)こずゑを 切らせしに、 ※
    ※( )内が省略を補った言葉です。訳すときは、※印のところで切って考えるようにします。
イ (その人が)、いと危ふく見えしほどは、
  (高名の木のぼりといひしをのこは)、いふこともなくて、※
ウ (その人が)、降るる時に、
  (高さが、)軒長ばかりになりて、
  「あやまちすな。心して降りよ。」と
  (木のぼりが)、言葉をかけはべりしを、※
エ 「かばかりになりては、飛び降りるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」と(私=筆者が)、申しはべりしかば、※
オ 「そのことに候。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば、申さず。あやふきは、やすき所になりて、必ず仕ることに候」と(高名の木のぼりが)いふ。※

 まず、アでは、有名な植木職人(親方)が、子分に命じて、樹に登らせ、梢を切らせているところです。そして、筆者もその親方と一緒に下で、子分の仕事ぶりを見ているという場面です。
 そして、イでは、その子分が、高い樹の上で苦労して枝を切っている時は、親方は何も言わずに、見ているわけです。
 ところが、ウでは、梢の枝を降ろし終わって、樹を降り始めて、軒の高さぐらいまで降りてきた時に、親方は、初めて「注意しろよ」と声を掛けているのです。そこで、エでは、筆者が、変に思って、親方に聞くわけです。「一番危険な時には、黙っていて、もう飛び降りたって、怪我はしないようなところで、なぜ注意するのか」と。
エ、オは、二人の会話なのです。
 そして、親方の道理ある言葉に、筆者は、感動するわけです。人間の深い心理にふれる本質的な問題だからです。
 このように文は切れていないのに、主語はころころと入れ替わっています。しかも、場面の描写は、非常に言葉足らずです。ですから、直訳するだけでは、イメージがわいてきません。

 主語をしっかりととらえることが、古典を読む上で大事であるということが、よくわかります。「徒然草」の百九段「高名の木のぼり」を、岩田氏が分析したように、他の古典を分析していくとよいでしょう。

(2009.8.14 記)


4 時を表す表現について

文末表現と助動詞        『考える力を育てる日本語文法』P49〜51

 それから時を表す場合には、次のように区別します。
 あしたは、雨が 降るだろう。(未来・推量)
 きょうは、雨が 降っている(現在・進行中・状態)
 きのうは、雨が 降っ。(過去)  降っていた(過去進行)

 時を表す表現で、未来のことを表すとき「だろう」をつけるというとらえ方をしやすい。しかし、日本語の場合、「だろう」をつけなくても未来を表すことができるということを、国文法では教えない。(生徒は、日本語の時を表す表現について学ばない)
 岩田氏が、時を表す場合の文末表現として、「降るだろう」「降っている」「降っ」「降っていた」の四つの語形をあげているが、そう単純に一般化できるものではない。例えば、未来を表す言い方として「あしたは 雨が 降る(未来・断定)」という形もある。例えば、未来を表す言い方として「あしたも、雨が 降っている(未来・進行中・状態)」という形もある。
 動詞の基本形の表す意味について、国文法ではまったく勉強しない。(例えば、次の本の内容は国文法の中では全く取り上げられていない。)『新版 日本語学の常識』(数学教育研究会)での記述を引用する。

動詞の現在形の用法    『新版 日本語学の常識』P60・61

  次に、動作や変化を意味する動詞の場合を考えてみる。動作や変化を意味する動詞の場合、現在形は、そのままでは、現在のことを言い表さない。つまり、動作や変化を意味する動詞の現在形には、「@現在の事がらを示す」という働きがなく、ABの用法だけである。(ちなみに、「いま食べる。」といっても、本当の意味での現在のことではない。ごく近い未来のことで、「すぐに」の意味である。)

A未来の事がらを示す。
 いま ごはんを 食べる食べます)。    あした 手がみを 書く書きます)。
 来年には 貯金も ふえるふえます)。  まもなく 風船が 割れる割れます)。
B習慣的なこと、恒久的なことを示す。
 父は いつも あさ パンを 食べる食べます)。  姉は 週に 一回 手紙を 書く書きます)。
 キリギリスは 毎年 いまごろ 死ぬ死にます)。
 春になると ダムの 水が ふえるふえます)。

 動作や変化を意味する動詞で、現在のことをさし示すためには、「〜している」の言い方を使う。この言い方は、アスペクトの一つ(継続相)であって、テンスにおける性格のうえでは、一種の状態を意味する動詞と言える。状態を意味しているので、「いる」「ある」や「大きすぎる」「長すぎる」などの動詞と同じように、その現在形には、@ABの用法があって、結果として、現在の事がらを示すことができるのである。

@現在の事がらを示す。
 弟は いま ごはんを 食べている食べています)。
 父は へやで 手がみを 書いている書いています)。
 キリギリスが 庭で 死んでいる死んでいます)。
A未来の事がらを示す。
 あと 30分ぐらいは 走っている走っています)。
 あしたも 6時ごろには ごはんを 食べている食べています)。
B習慣的なこと、恒久的なことを示す。
 ぼくは まいにち パンを 食べている食べています)。
 地球は まわっているまわっています)。

英語の学習に生きる日本語文法  と 英語の学習に役立たない国文法

 『新版 日本語学の常識』(数学教育研究会)の文法体系は、現在の国語教育で教えられていない内容である。こういった日本語文法を学んだ場合は、英語の学習に生きる。例えば、一般動詞の現在形の意味をどれだけの中学生が理解しているかというと心もとない。「B習慣的なこと、恒久的なことを示す」用法が、一般動詞の現在形の意味である。したがって、日本語では違う文末の「父は いつも あさ パンを 食べる食べます)」と「ぼくは まいにち パンを 食べている食べています)」とは、英語では同じ一般動詞の現在形で表現できる。
 また、「僕は ごはんを 食べる食べます)」という日本語を英語に直すときは、@未来の事がらを示しているのか、B習慣的なこと、恒久的なことを示しているのか、が分からないと英語に直すことができない。つまり、日本語での時の表わし方が分からないと、英語に直すこともできない。
 国語の授業で教える文法が、英語の授業にも使えるような内容になっていないという点も、国文法の大きな問題点である。

(2009.8.16 記)


補足  岩田道雄氏『考える力を育てる日本語文法』(新日本出版社)の紹介

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(追加 2009.8.15)


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