0205 思考ユニットメーリングリスト                               TOPへ戻る

020503  思考ユニットをどのように文章分析に生かし、どのように教材の価値を見出すか
                  『握手』中3教材   『日本語のかたち考え方のしくみ』(P246〜249)より
はじめに
  このページは、湯澤正範氏の『日本語のかたち考え方のしくみ』の第10章  文章分析と教材性の見出し  の第2節 『握手』の原稿を、湯澤先生にお願いしてここに掲載させていただくことができました。私が「思考ユニット」による文章分析が国語教育に有効だと強く感じた部分です。というのは、思考ユニットによる文章分析は、どのような国語力をつけることになるのか明快にとらえることができるからです。湯澤先生の分析をお読みいただければ、そのことがよくわかります。ただ、湯澤先生のような分析ができることが前提となります。
  思考ユニットメーリングリストを私が開設したのは、授業に生きる教材分析の情報交換を多くの方と共有したいと思ったからです。思考ユニットによる教材分析の目指す方向性がよくわかる原稿ですから、ぜひお読みいただき、思考ユニットによる教材分析を始めませんか。


第10章  文章分析と教材性の見だし

第2節 『握手』
   先日見た授業の範囲を文番号をつけて示す。

   @「先生の左のひとさし指は、相変わらず不思議なかっこうをしていますね。」
   Aフォークをもつ手のひとさし指がぴんと伸びている。B指の先の爪はつぶれており、鼻くそを丸めたようなものがこびり付いている。C正常な爪はもう生えてこないのである。Dあのころ、ルロイ修道士の奇妙な爪について、天使園にはこんなうわさが流れていた。E日本にやって来て二年もしないうちに戦争が始まり、ルロイ修道士たちは横浜から出帆する最後の交換船でカナダに帰ることになった。Fところが日本側の都合で、交換船は出帆中止になってしまったのである。Gそして、連れていかれたところは丹沢の山の中。戦争が終わるまで、ルロイ修道士たちはここで荒れ地を開墾し、みかんと足柄茶を作らされた。Hそこまではいいのだが、カトリック者は日曜日の労働を戒律で禁じられているので、ルロイ修道士が代表となって監督官に、「日曜日は休ませてほしい。その埋め合わせは、ほかの曜日にきっとする。」と申し入れた。Iすると監督官は、「大日本帝国の七曜表は月月火水木金金。この国には土曜も日曜もありゃせんのだ。」としかりつけ、見せしめに、ルロイ修道士の左のひとさし指を木づちで思い切りたたきつぶしたのだ。Jだから気をつけろ。Kルロイ先生はいい人にはちがいないが、心の底では日本人を憎んでいる。Lいつかは爆発するぞ。M……しかし、ルロイ先生はいつまでたっても優しかった。Nそればかりかルロイ先生は、戦勝国の白人であるにもかかわらず敗戦国の子供のために、泥だらけになって野菜を作り鶏を育てている。Oこれはどういうことだろう。P「ここの子供をちゃんと育ててから、アメリカのサーカスに売るんだ。だから、こんなに親切なんだぞ。あとでどっと元をとる気なんだ。」といううわさも立ったが、すぐ立ち消えになった。Qおひたしや汁の実になった野菜がわたしたちの口に入るところを、あんなにうれしそうに眺めているルロイ先生を、ほんの少しでも疑っては罰が当たる。Rみんながそう思い始めたからである。
   S「日本人は先生に対して、ずいぶんひどいことをしましたね。交換船の中止にしても国際法無視ですし、木づちで、指をたたきつぶすに至っては、もうなんて言っていいか。申しわけありません。」

   この一段を国語力を付ける教材として見たとき、私は次の幾つかの点にまず着目する。

T.@〜CとD〜Rの関係に気づく。

   @〜Cは、ルロイ先生と〈私〉の対面の描叙場面であり、D〜Rは、〈私〉の回想の部分である。したがって、CはSにつながる。この一段の文章理解の基盤的なところである。思考ユニットで言うと、「事―想展開」への気付きである。

U.H「そこまではいいのだが」の一句に着目する。

  「そこ」はD〜Gを指す。「それは本当にいいと言えることなのか。」当時の国際法などの知識のいることなのだが、「日本側の都合で」とあり、またSに「国際法無視ですし」とある。Hの一句の意味は、「決してよくはないのだが、そこまではまだいい。もっとひどいことがあった。」の意であることの理解をさせたい。思考ユニットで言うと、「前置き的対比」の応用である。

V.「HするとI」の関係から、監督官のものの考え方、人間像を読みとる。

   Hカトリック者は日曜日の労働を戒律で禁じられているので、ルロイ修道士が代表となって監督官に、「日曜日は休ませてほしい。その埋め合わせは、ほかの曜日にきっとする。」と申し入れた。
   Iすると監督官は、「大日本帝国の七曜表は月月火水木金金。この国には土曜も日曜もありゃせんのだ。」としかりつけ、見せしめに、ルロイ修道士の左のひとさし指を木づちで思い切りたたきつぶしたのだ。

   このルロイ修道士の行為に対する監督官の反応を追究するのが、人間追究、文学的追究の核心的なところである。
      ・相手を人間として見ていない。ルロイの言っていることを頭から聞こうとしていない。
      ・「見せしめ」とは、「悪いことをした人を罰して、他の人に見せ、同じ事させないようにすること」と辞書にあるが、ルロイは何も悪いことをしていない。敵国人のくせに、生意気なことを言うなという、感情的差別感から出ている行動である。
      ・国際的な視野がない。狭い自己中心的視野しか持っていない。
      ・時の権力者にこびた行動。上の人に認められたいがための行動。
   様々な考えが出されることがのぞましい。監督官的人間は当時の日本人の典型的な姿であったかもしれないし、今の日本人の姿でもあるのかもしれない。この追究は思考ユニットで言えば、スルト型展開(認知―反射)による追究である。国語力を付けることは、同時に人間について考える力を付け、優れた感性を育てることでもある。

W.J「だから気をつけろ。」の出てくる論理に気づく。今度は「ソコデ型展開」の思考訓練である。

「だから」の論理は三段論法から出てくる。

大前提    ?
小前提  ルロイ修道士は戦時中、日本人からひどい目にあわされた。
結論    ルロイ修道士は、日本人を憎んでいる。いつか爆発して、仕返しをする。

   この結論が出てくる大前提を考えることも、大事な人間追究である。大前提は、ひどい目にあったら、仕返しをするのが当然だという思想である。そこから、復讐の論理、仇討ちの論理、目には目をの論理が出てくる。

X.Mの「しかし」ソコデ型展開逆接の論理を知る。

   「だから」の論理がWで述べた大前提→小前提→結論の論理である。この論理の筋道を「順接」と言う。ところがこの論理から予想される順当な結論と反対の、予想外の結果が出た時を「逆接」と言うのである。通常の予想に反する結果が出たのは、その結果が出てくる大前提が通常とはちがっているのである。

大前提       ?
小前提  ルロイ修道士は戦時中、日本人からひどい目にあわされた。
結 論   しかし、ルロイ修道士は、敗戦国の日本の子どもたちのために、泥だらけになって野菜を作り、鶏を育てた。

   ここから大前提を探ることは、ルロイ修道士の人格、思想を探ることである。楽しくて意義深い学習になる。生涯カトリックの修道士として過ごしたルロイ先生を知り、作品『握手』の根底を理解する学習になる。
   このような授業がなされて、国語力が付き、人間性を深め、個性を確立させる教科指導になる。近頃、教科教育を知識の詰め込みだと決めつけ、ゆとりの教育、生きる力を付ける教育は、学社融合教育だ、総合教育だと幻想をふりまき、教科教育をないがしろにする論議が盛んであるが、こんなことになったのも、何の力を付けているのか分からない、今までの国語教育にその責任がないとはいえない。まずは国語教育をきちっとしたものにして見せることがなにより大切なことだと私は考えている。

人目のご訪問、ありがとうございました。    カウンター設置  2004.11.16