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07010102     阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する
                          にいがた国語の会&にいがた高校国語サークル 著   1998年8月  より
   
 はじめに                                                                                                        TOPへ戻る

  以下の原稿は、「にいがた国語の会&にいがた高校国語サークル」が編集した「阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する」サークル誌に掲載されているものです。このサークル誌には、説明的文章の読みの授業を考える上で重要な問題提起が、阿部昇氏の著書に対してなされていると、私はとらえています。ただ、サークル誌ということで、多くの方の目にふれることなく埋もれてしまうのは、とても残念です。そこで、私のホームページ上で原稿を紹介させていただけないかとお願いして、ここに紹介できる運びとなりました。原稿の掲載を快諾していただいた丸山義昭さんに感謝いたします。


阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する  丸山義昭(長岡高校)

以下、丸山さんの原稿を掲載しますが、大変長い原稿なので、目次をつけます。目次をクリックすると、その節に飛びます。

◎目次◎
一 「ジャンル」という用語の問題
ニ   阿部氏の分類の問題点
三   大西氏が百も承知の「事実」という用語の意味
四   記録文教材の指導は本当に必要ないか
五  「構造よみ」ではどこまでやるか
六  「従属」から「補足」へ ―― 内容主義の拡大――
七  「魚の感覚」の「論理よみ」批判
八   〈問い〉を柱とする読み方指導の再提唱
九   阿部氏の「反論」「再反論」に反論する 
十  「吟味よみ」は独立させるべきではない(「はじめに指標ありき」の弊害)

一 「ジャンル」という用語の問題       目次に戻る

 まず、阿部氏の使っている「ジャンル」という用語が気になった。大西忠治氏も『大西忠治「教育技術」著作集 第13巻』を読むと、雑誌論文の文章の中などで「ジャンル」という用語を無造作に使っている。
 これがさらに、阿部氏になると「第一章 説明的文章のジャンル」と、まず大きな見出しで「ジャンル」という用語を使い、第二部の各教材の「構造よみ・論理よみ  分析と総合」の、最初の項目が「ジャンル」となっていて、それこそ各教材の「ジャンル」が考察されている。ところが、「ジャンル」は『文芸用語の基礎知識』(至文堂)には、

 Genre (仏・英)、Genre,Gattung (独)。ラテン語の Genus (種類)に由来。文芸研究・観察上の概念としては文芸の種類を意味する。(略)抒情詩、叙事文学、劇の三つに分けるのがふつうである。

とある。『文学教育基本用語辞典』(明治図書)にも同様の記述があり、

 genre (仏・英) 芸術作品の型、種類。表現方法から見た文学作品の区分の意味に用いられることが多い。その場合には、抒情詩、叙事詩、劇の三つに分けるのがアリストテレス以来一般的である(以下、略)

とある。説明的文章の、さらにその中の文章の種類に「ジャンル」という用語が当てはまるような記述は、右の二つの専門の書物にはなかったのである。それでは、私たちの身近にある、日常使う国語辞書ではどうだろうか。三省堂の『新明解国語辞典』では、

 芸術、特に文芸作品の形態上の区分。詩・小説・劇・日  記・物語・紀行・説話などの区別。

とあるだけで、やはり文学性のある文章の区別を指している。
 もちろん、通俗的な意味で、たとえば、「君はクイズが好きらしいが、君の得意なジャンルは何?」「そうだね。歴史かな。」というように、「分野」というような意味で使うことはあり得る。しかし、国語教育の専門書の見出し・項目において、そのような使い方をするのは軽率と言わざるを得ない。
 百歩譲って、通俗的な意味で使うことが許されるとしても、「ジャンル」という用語は、もっと上位のレベルで使う用語ではないのか。説明的文章の細かな区分に使うべき言葉でないのは誰の目にも明らかであろう。
 もう一つ、私が「ジャンル」という用語に反対する大事な理由がある。こちらが主要な理由である。
 〈記録文・説明文・論説文〉という種類には、文章の部分のレベルでの種類と、文章全体の呼称レベルでの種類と、二つある。だから、大西氏が一九九一年夏の「読み研」運営委員会の講座で記録文として取り上げた「みつばちのダンス」(光村図書刊『国語3上 わかば』昭和五五年版)のように、ある部分は説明文だが、本質的部分が記録文だから、文章全体としては、つまり、教材としては記録文として規定する、などということが可能になるのである(注1)。私は、その二重の意味をこめて、教室では〈記録文・説明文・論説文〉を「文種」と呼んでいる。
 ところが、「ジャンル」という用語では、文章全体の種類しか表せない。その結果、阿部氏の鑑識眼は、文章全体の区分の方に傾斜することになる。
 阿部氏が「むしろ『記録文』的要素は、『説明文』や『論説文』の一部分に位置づいていかざるをえない」(二一頁 傍線・丸山)と書くときの「『記録文』的要素」という用語、そして「第一章 説明的文章のジャンル」の結論として述べている「だから、私は『説明的文章』を『説明文』と『論説文』の二つに分類していきたい」という文を読むと、いかに阿部氏が文章全体の区分、教材全体の区分の方に比重をかけているかが分かろうというものである。(注2)
 阿部氏の「見出し」は「説明的文章の種類」とするべきであった。

(注1)大西氏が『説明的文章の読み方指導』(明治図書 一九八一年)の中で取り上げていた「畑から盛り上がった山 ―― 昭和新山  ――」(諏訪彰)も同様に、中核的部分が記録文であるために、大西氏は記録文教材と規定した。
(注2)これに対して大西氏の場合は、「私の述べた三つの(記録文・説明文・論説文)類別は、文章を構成する基本的な要素を述べたのであって、一つ一つの文章のそのままの種類を述べたのではない」と明言している。

  二 阿部氏の分類の問題点       目次に戻る

 阿部氏は、本書一七頁で、

 言うまでもなく、何のために分類するのかによってその区分の適否が決まってくる。少なくとも、ここでは「国語教育」としての「読み方指導」という観点から、その適否を考えていきたい。

と述べているが、これで良いのだろうか。文章の現にある姿によって、分類するのではないか。そこから教材の分類を考えていくべきであって、阿部氏の論は、転倒した考え方であると言わざるを得ない。「はじめに教材としての分類ありき」なのである。前述のように、阿部氏の鑑識眼は、文章全体の区分の方に傾斜している。
 右のような考え方が前提にあるから、記録文の典型的なものがあまりないこと、つまり文章全体の区分(教材としての分類)で見た場合に記録文があまりないことを、記録文教材の読み方指導を省き、教材の分類からも除外する理由の一つに挙げることが可能になるのである。
 その点、大西氏は説明的文章を

「(1)記録するタイプの文章(記録文)、(2)説明するタイプの文章(説明文)、(3)論述するタイプの文章(論説文)の三つだと考え」、「多くは、主要な文章の構成要素としては、記録するタイプ(説明文)の文章として書かれているが、その文章を成立させる副次的要素として、説明するタイプの文章が複合されていたり、混在したりするのである。とくに、『論述するタイプの文章(論説文)』は、単独で文章となることがすくないのである。つまり、私の述べた三つの(記録文・説明文・論説文)類別は、文章を構成する基本的な要素を述べたのであって、一つ一つの文章のそのままの種類を述べたのではない」

と述べ(『説明的文章の読み方指導』四九頁)、

「こういう、文章の性格を規定するような基本的な要素となる文章タイプをとり出し、できるだけ、それが単一な要素として内在するような文章から、その文章の性格にみあった、読みの指導をしていくことによって、はじめて文章が読めるという能力をやしなうことができる」

と、指導の順序性を提示する。
 つまり、現実にある文章の構成要素に着目し、それを三つに分け、あくまでも、まず、それら三つの構成要素の読みとり能力をつけていく方向で指導を考えているのである。
 阿部氏も「『記録文』的要素」と言う以上、構成要素としての記録文の存在は認めているのだろう。だとすれば、「要約よみ・要旨よみ」と「吟味よみ」とを分けて訓練する指導過程を提唱するような阿部氏が、「『記録文』的要素」を分けて、取り立てて指導することを主張しないのはなにゆえか。
 それは、一つには、阿部氏が「『記録文』的要素」を軽少に見ているからである。
 阿部氏は二一頁で、大西氏の文章を引用しながら、

 大西氏の説明だと、「記録文」を主要な分類の一つとして定位させていく根拠は、逆に失われていくことになる。「文章の統一性、内容の明確さのためには 〜『説明』や『解説』の要素の助けを借らざるを得ない」ということは、むしろ「記録文」的要素は、「説明文」や「論説文」の一部分に位置づいていかざるをえない。(傍線・丸山)

 と述べている。この辺り、何度読んでも、どうして「逆に失われていくことになる」のか全く分からなかった。「むしろ……いかざるをえない」と言える根拠はどこにあるのか理解不能であった。しかも、教材を挙げての具体的な例証は何もない。
 逆に、「説明文」的要素や「論説文」的要素が「記録文」の一部分に位置づいている教材が散見されるのである。たとえば、前文や後文が「説明文」であっても本文(の大部分)が記録文からなる文章である。そうした文章を前にしても阿部氏は、「『記録文』的要素は、『説明文』や『論説文』の一部分に位置づいて」いる、などと言うのだろう。「説明」や「解説」の要素の助けを借りれば、記録文は「一部分」になってしまうという不思議な論理を阿部氏は持っているのだから。
 「説明文」的要素があっても、中核的部分が記録文だから、教材としては記録文であると言えるものを求めていくと、前述の「畑から盛り上がった山 ―― 昭和新山 ――」や「みつばちのダンス」などが記録文教材として挙げられるし、現行の教科書にも、記録文教材は載っているのである。
 たとえば、小学校教材では、いくつかの教科書にあたってみただけでも、
 *「さけが大きくなるまで」 (教育出版・二年) (注1)
 *「虫のゆりかご」     (岡島秀治:光村図書・三年)(注2)
 *「ヤドカリのすみかえ」  (今福道夫:光村図書・三年)(注3)
 *「守る、みんなの尾瀬を」 (後藤允:光村図書・六年)
 *「波にたわむれる貝」   (森主一:東京書籍・六年)
 *「宮沢賢治」       (西本鶏介:東京書籍・六年)
 *「田中正造」       (来栖良夫:教育出版・六年)(注4)
などが、記録文教材として挙げられる。(ただし、「虫のゆりかご」と「守る、みんなの尾瀬を」は「読書教材」として載せられている。)勿論、これらも全文が記録文から成っているわけではない。しかし、主要部分は、記録文から成っていて、記録文教材と呼べるものばかりである。記録文教材が現に目の前にある以上、その指導を避けてとおることはできない。

(注1)さけが大きくなるまで」には「じゅんじょをおって」という単元名がついており、学習の手引きには「『さけが大きくなるまで』には、さけの大きくなるようすが、じゅんじょよく書かれています。/時やばしょをあらわすことばに気をつけて、さけの大きくなるようすを、つぎのようにまとめてみましょう。」とある。
(注2)読書教材ではあるが、「虫のゆりかご」は、ほとんどの文が「みたまま記録」から成っている。
(注3)「ヤドカリのすみかえ」は「記録文教材」とは言いにくいかも知れない。説明文である前文が少し長く、やはり説明文である後文と合わせると全体の半分になるためである。しかし、本文の大部分は記録文であるので、「記録文教材」とした。
(注4)「宮沢賢治」と「田中正造」は伝記教材である。

 三 大西氏が百も承知の「事実」という用語の意味       目次に戻る

 阿部氏は、記録文教材およびその読み方指導を除外する理由の一つとして、大西氏の「事実」のとらえ方を問題にする。阿部氏は、二二頁で、

 大西氏は、「現実を現象のままにとらえ、現象するとおりに記録するということこそ、文章化された『事実』の  こと」つまり「記録文」ととらえているようである。が、「現実を現象のままにとらえ、現象するとおりに記録する」などということが、一般的な意味で、本当に可能なのであろうか。「事実」として「記録」するということは、混沌とした曖昧で多様な現実から、筆者=記録者の視点で、ある特定の限定・選択・捨象・抽象化をしたものなのではないのか。だから、同じ現象でも、記録者によっては、全く違った「事実」となってくるのである。

 と述べ、本多勝一氏の言を引いているが、その程度のことを大西氏が分からなかったと言うのだろうか?
 大西氏は、『説明的文章の読み方指導』(明治図書・一九八一年)の三六頁から、児言研の小松善之助氏の批判(これは阿部氏と全く同様の批判なのだが)を扱っている。小松氏は、大西氏のあげた説明的文章の二つの要素の内の一つである「事実」について、

 言語化を受けた対象は、書き手の意図、判断などの対極におくべき「事実」なのではなくて、まさに書き手の認識やかれの、読み手(説明の受け手)に対する配慮によって対象から発見され、切り取られ、選び出され、そして一定の評価を担って文章の中に登場させられたデータなのである。

と言うが、これに対して大西氏は、次のように述べている。

 小松氏が、私たちがいう「事実」は「事実」ではなく「データ」だと批判することも、教科書の中に書かれた「事実」を、「事実」とすることで、無批判に受けとらせようとする「教科書教材に対する信仰」が現実に教師のなかに存在するということを考えた上では正しいのである。私たちもまた、教科書教材として提出されている「事実」は、そのまま現実の「事実」ではない。吟味を要するものであることは当然であると思っているのである。

さらに、大西氏は、

 文章化された事実は、書き手の意図判断に強く支配されているけれども、現実からも規定され支配を受けているのである。つまり、書き手は自分にとって都合のよいようなものを「事実」として、都合のように「事実」をゆがめるかもしれないが、同時に、読み手多数の目にも「事実」だと判断されるようなものを選ばざるを得ないし、読み手に「事実」というとられないほどゆがめることをできないのである。つまり、「読み手」からの支配、それは、客観的にそれが通用するかどうかという、現実からの規定、支配だと言ってもよいものを受けるのである。

として、このことを根拠にして、

「読み手自身の経験や読み手自身の現実を書かれている事実に対置してみることによって、その正当性、事実性を吟味してみることもできるはず」だと述べるのである。逆に、小松氏の立場では、「データ」の吟味は「読み手も、書き手が対象とした事実・現象についての認識活動を行うとき可能となる」のであって、これでは、「すでに生徒か、あるいは教師が知っていることを書いてあるような説明的文章しか読めないことになる」

と大西氏は言い、

「こんな奇妙なことになるのは、小松氏が文章中に提示されている事実(=文章化された事実)と『書き手の意図判断』とを直接に等しいと考える、いわゆる主観主義におちいっているからである」

と批判する。
 阿部氏の言説は、結局は小松氏と同じような「主観主義」に陥る危険性をはらんでしまった。「主観主義」に立ってしまったら、大西氏が提示する「読み手自身の経験や読み手自身の現実を書かれている事実に対置してみることによって、その正当性、事実性を吟味してみること」などはできない。記録文で「事実」の吟味ができないのなら、「事実」を含んでいる説明文・論説文においても同様に「事実」の吟味はできないことになるが、阿部氏はこの本の中でそれを行っている。つまり、阿部氏は実際のところ、「主観主義」者でも何でもない。「現実を現象のままにとらえ、現象するとおりに記録する」ことは、実は可能だと思っていることになる。こんな不思議なことが起こるのは、阿部氏が大西氏の使っている「事実」という用語を極端に解釈した上で、そこに批判を加えるからである。大西氏の「事実」は、「読み手自身の経験や読み手自身の現実を書かれている事実に対置してみることによって、その正当性、事実性を吟味してみる」必要のある「事実」なのである。大西氏は三九頁で「私たちもまた、教科書教材として提出されている『事実』は、そのまま現実の『事実』ではない。吟味を要するものであることは当然であると思っている」と述べている。それで十分であろう。そうした記述や、小松氏への批判を検討の埒外に置いて、なぜ阿部氏は大西氏の「事実」のとらえ方を批判できるのだろうか?

 四 記録文教材の指導は本当に必要ないか      目次に戻る

 大西氏は、記録文の指導の目的について、『説明的文章の読み方指導』の中で、「事実」の読みとりを中心に挙げている。勿論、ここには「事実」の吟味も含んでいる。記録文において、「事実」の読みとりを指導しておけば、次の説明文の指導では、「論理」の読みとりを中心にできる。というような指導の順序性を大西氏は考えている。これは、「文章の性格を規定するような基本的な要素となる文章タイプをとり出し、できるだけ、それが単一な要素として内在するような文章から、その文章の性格にみあった、読みの指導をしていくことによって、はじめて文章が読めるという能力をやしなうことができる」(四九・五〇頁)という考え方に導かれた、すぐれて科学的な読み方指導である。
 そうした「事実よみ」については、実践と研究を重ねた上で、別の機会に述べたい。本稿では、記録文教材の「論理よみ」のうちの、「時間的順序のたしかめ」の意義について、触れておきたい。
 時間的順序で書かれているかどうかを読みとることは、そのまま、段落関係・文関係を読みとる力の形成につながる。ある部分は時間的順序だが、ある部分はそうでないといった読みとりのできることが、〈柱と柱の関係〉なのか、〈柱と柱以外の関係〉なのか、〈柱と柱以外の関係〉ならどのような関係なのかを把握していく基礎になるということである。
 それでは、具体的に教材を挙げて説明してみよう。前述の「さけが大きくなるまで」では、子どもたちに段落番号を打たせて、「どこからどこまでが順序を追って書かれているところですか」と発問すれば、子どもたちは第2段落から最後の第10段落までと答えるだろう。だから、第2段落から最後の第10段落までは〈柱と柱の関係〉であり、第1段落と他の段落は、〈柱と柱以外の関係〉であると教えることができる。ここで言う「他の段落」は、8段落までになるか10段落までになるか揺れるだろうが、10段落までとした場合、第2段落から第10段落までは、第1段落の「どこで生まれ、どのようにして大きくなったのでしょう」(傍線・丸山)を詳しく説明している関係であると、次に教えることもできる。
 「ヤドカリのすみかえ」では、たとえば第3段落「(1)このヤドカリは、もう一ぴきのヤドカリに出会いました。(2)相手は、貝がらの中にかくれました。(3)相手のからは、体よりも少し大きめです。」の読みとりで、時間の順序で書かれているかどうか子どもたちに考えさせれば、第(1)文と第(2)文は、時間の順序で書かれているが、第(3)文は違うと答えるだろう。この場合、(1)と(2)は〈柱と柱の関係〉であり、(3)は他の文と〈柱と柱以外の関係〉であると教えることができる。
 次に、(3)は(2)の「貝がら」を詳しく説明している関係であると教えることができる。
 以上のように、時間的順序で書かれているかどうかの読みとりは、段落関係・文関係の読みとりに直結する。最初に記録文教材を与えることによって、こうした訓練を子どもたちに分かりやすく課すことができる。
 さらに、「みたまま記録」を「まとめ記録」にして要約するという作業もまた、〈柱と柱以外の関係〉を読みぬく力の養成になるのではないか。つまり、要約する前の「みたまま記録」は〈柱以外〉であり、それに対して、要約された「まとめ記録」は〈柱〉となるからである。〈柱〉を作る作業を通して〈柱と柱以外の関係〉を理解していくことになるからである。

 五 「構造よみ」ではどこまでやるか        目次に戻る

 大西忠治氏は『国語教育評論』第8号の巻頭論文「説明的文章のよみの指導をどうするか」において、説明文・論説文の構造よみでは、「〈柱の段落〉と〈柱でない段落〉との関係をよみとることで、三部構造をよみとっていくのである」と述べ、構造のモデルを挙げた上で、

 この柱と柱以外の段落との関係をよみとることは、要約よみの前提となる重要なよみであるが、あまり深よみするのはよくない。ここでは、あらあらの構造を把握すればよいのであるから、いくらか疑問があっても、全体構造をおおづかみにすればよいのである。そして要約よみにおいて、もう一度、たしかめなおしをすればよい。
 それよりも重要なのは、先のモデルのようにたかだか九段落くらいの短文ならこれで構造よみは終ってよいのだが、三十以上も段落があるという場合である。本文が四から二十七までなどという場合、本文中の柱の段落を中心にして、更にいくつかにまとめる必要がある。

と述べている。(傍線・丸山)
 つまり、大西氏の読み方指導では、構造よみ段階で、段落同士の関係を大方において把握した上で、次の要約よみに進んでいることが分かるのである。
 これに対して、阿部氏の構造よみでは、そこまでは行わない。段落同士の関係の把握はすべて、「論理よみ」にまわされている。問題となるのは、長い本文をいくつかにまとめる際に、〈柱の段落〉と〈柱でない段落〉との関係を読みとりながらまとめていくのか、そうしないのかということだが、阿部氏は次のようにしか述べていない。

 短い単一の内容の「本文」ならば、特に必要はないが、多くの「本文」は、大きな文章の流れにそいつつも、いくつかの内容に分けて述べられている。だから、「本文」をいくつかの大きなかたまりに分けていくという過程がこの構造よみの段階で必要になってくる。
 具体的には「本文1」「本文2」「本文3」……といったかたちで、いくつかの段落のかたまりに分けていく。

 内容上の相違によって分けていくと述べているのである。ここでは、〈柱の段落〉と〈柱でない段落〉との関係を読みとりながら「本文1」「本文2」「本文3」にわけるなどとは言っていない。(注)
 しかし、本文をいくつかのまとまりとして把握する際に、〈柱の段落〉と〈柱でない段落〉との関係を読みとらせることは、実践上、必要な場合が多いと考えられる。つまり、それを行わないと、いくつかにまとめることができない場合である。
 と同時に、説明的文章教材の授業で、〈柱の段落〉と〈柱でない段落〉との関係を一度以上習った子どもたちなら、自然と段落同士の関係を意識しながら(つまり、読みとりながら)、構造よみの授業に参加するだろう。また、教材を重ねれば重ねるほどその傾向は強まるはずである。
 それならば、最初から指導過程として、段落同士の関係の(大方の)把握を構造よみ段階に位置づけ、自覚的に、子どもたちに追究させていったら良いのではないだろうか。訓練としては、その方が合理的である。ただ、教師は、この段階で、段落同士の関係をきっちりと決めておこうと考えない方が良いことは勿論である。
 (注)それにしても、書き方として、「本文1」「本文2」「本文3」というふうに、算用数字を使うのは、やめた方が良い。段落番号、文番号でも算用数字を使っているから、紛らわしいのである。大西氏のようにローマ数字で良いだろう。ローマ数字は小学生にも教えても良いと思う。

 六 「従属」から「補足」へ ―― 内容主義の拡大 ――             目次に戻る

 阿部氏は「包含」よりも広い意味を持ち、適用範囲の広い「従属」という用語を第一部・第三章の「段落相互・文相互の論理関係」の節以降で使っている。この「従属」という用語を使うことによって、柱に対して「補足」という関係を設定することが可能になったと私は見ている。四八頁で阿部氏が示している「補足」の例文に対する批判は、本小冊子の中で五十嵐淳氏が書いているので、私は述べないが、「補足」を安易に用いることが、段落同士の関係の読み誤りを導くだけでなく、間違った「吟味よみ」をもさせてしまう要因にもなることを「日本の夏、ヨーロッパの夏」で見てみよう。
 阿部氏は「日本の夏、ヨーロッパの夏」の第18段落は第17段落に対して「補足」であると言う。阿部氏は、

 その次の第18段落では「近年」の日本の「れいだんぼうの技術」の発達によるつくり方の変化を述べる。ただし、この段落「近年」が第17段落で述べた日本の家と気候との関係を否定しているわけではない。「厚いかべ、小さなまどなどの家が増えてきています。」(第18段落第2文)といった程度である。むしろ第17段落で述べた日本の家のつくり方と気候との関係を、より丁寧にし補っているかたちと読めよう。(傍線・丸山)

と書いているが、傍線部分の阿部氏の読みは不可解である。17で「昔から」の暮らしを述べ、18で「近年」の暮らしの変化を述べているのだから、別のことを述べているわけで、「否定しているわけではない」ことは明白であるが、阿部氏には「第17段落で述べた日本の家のつくり方と気候との関係」の方が内容的に大事であるという思い込みがあるため、その17の内容を「否定しているわけではない」という押さえ方をする。「増えてきています」といった程度なら、「第17段落で述べた日本の家のつくり方と気候との関係」は、今でも一般的だと言えるというわけなのであろう。しかし、そうであっても、18の言う「近年」の新しい傾向、つまり、技術の発達が「昔から」の暮らしを変えつつあるという内容は、あくまでも別の事柄である。「より丁寧にし補っているかたちと読めよう」は、阿部氏に都合のよい読み方でしかない。「より丁寧にし」は全く理解不能である。「補っている」は、見方によればそう言えなくもないが、17に包含されているわけではない。
 24段落の扱いも同様である。阿部氏は「それ以前の段落をより丁寧に『(2)補足』している」と述べているが、「近年」の暮らし方の変化、新しい傾向について述べているのだから、「それ以前の段落」に包含されはしない。
 さて、以上のように阿部氏は第18段落と第24段落を「補足」の段落とした上で、後文の第25段落の読みとりに入っている。本小冊子で高山千恵子氏が批判しているので、詳しくはそちらを読んでいただきたいのだが、第25段落は全文のまとめになっている。阿部氏は「この段落の後半『そのえいきょうの仕方は、時代とともに変わってきましたし、これからも変わっていくものと思われます。』については、それぞれの『本文3』の第18段落や第28段落でのみ補足的に述べられてきたに過ぎないことである。決して、全体のまとめ・結論としての位置はもっていない」と書いているが、御都合主義の帰結がこれである。
 以上のような第18段落と第24段落の軽視が、以下に述べるような阿部氏の間違った「吟味よみ」を引き起こしたと考えられる。阿部氏は23段落の1文「日本が稲作の国であったから」について、

 近代(明治)以降、日本は急速に国の政策として工業化を進めていく。当然、農業より工業が優先されてくる。労働者も、農村から多量に都市に流れ、工場労働者となっていく。この過程で大資本が形成され、資本家と労働者という新しい社会階層の分化が生まれてくる。日本の「夏休み」は、そういう中で生まれてきたはずである。

云々と述べ(一六三頁)、

「そのとおり農家の人たちは大変だったのかもしれない。しかし、だからと言って、農業とはかかわりのない大部分の労働者は夏休みをとれたはずである」(一六四頁)

とも述べる。つまり、日本は明治以降急速に工業国に移行していき、「農業とはかかわりのない大部分の労働者」(傍線・丸山)が生じたというのが阿部氏の認識である。ところが、「日本の夏、ヨーロッパの夏」の著者・倉嶋厚氏の認識は阿部氏とは少し違う。阿部氏ほどには大雑把ではないのである。
 17段落第1文で「日本では、昔から、家は夏にくらしやすいようにつくられてきました」と述べ、次の18段落第1文で「しかし、近年、れいだんぼうの技術が発達したため、家の中をすずしくすることもあたたかくすることも容易になりました」と述べる。(傍線・丸山 以下同じ)
 同じように、23段落第1文では「わたしは、日本が稲作の国であったからだと思います」と述べ、次の24段落で第1文で「しかし、近年は、米を作る技術も進歩して、機械を使うようになったことなどから、夏の農作業も昔のようにはいそがしくなくなりました。また、自動車やテレビやコンピュータなどのような新しい製品の外国への輸出がさかんになり、日本は世界でも指折りの工業国になりました」と述べている。
 倉嶋氏の使う「近年」とは、「れいだんぼうの技術が発達した」や「米を作る技術も進歩して、機械を使うようになった」などという文言から、ここ三十年くらいを指すと考えるのが妥当である。「近年」の日本と、「近年」の前までの日本と、分けて倉嶋氏は記述しているのである。従って、「近年」の前までの日本を「稲作の国であった」と倉嶋氏は表現していることになるわけだが、それは第一次産業の従事者の割合などから言えば、十分成り立つ表現なのである。(詳しくは本小冊子の高山論文を参照のこと。)「農業とはかかわりのない大部分の労働者」ではなく、「農業とかかわりのある大部分の労働者」は「近年」の前までは、実際問題、夏休みはとれなかったのである。
 以上のような事実認識の誤りだけが、阿部氏に見当違いの「吟味よみ」をさせたのではないだろう。阿部氏は、18段落と24段落を「補足」として軽視し、前の段落に「従属」させてしまった結果、「近年」の日本と、「近年」の前までの日本と、分けて記述している倉嶋氏の事実認識を考慮に入れることができなかったのだろう。阿部氏は、24段落について、一六四頁から一六五頁にかけて、

筆者は、今直前の段落で「日本が稲作の国であった」ということを根拠に「夏休み」の少なさを分析したばかりである。もちろん、農業以外の根拠などには一言も触れていない。とすると、この第24段落の後半の「世界でも指折りの工業国」という記述は、そのことと一体どういう関係をもっているというのか。理解に苦しむのである。

と述べているが、右の傍線部分こそ理解に苦しむのである。
 とにかく、阿部氏は、〈柱に対して従属〉、さらに〈柱に対して補足〉という読み手の主観に左右されやすい概念を導入することによって、(本人の意図とは別なのであろうが、結果的には)ここでも内容主義というパンドラの箱をあけてしまった。

 七 「魚の感覚」の「論理よみ」批判           目次に戻る

 阿部氏の「魚の感覚」の「論理よみ」には不可解な読みが多い。本文T(第2段落〜第6段落)の問題提示の段落は、第2段落だとすぐ分かる。第2段落の第1文に「いったい、魚には、色がわかるのでしょうか」とあり、この問題提示が第3段落以降を支配していくからである。それを阿部氏は、第3段落の実験を導き出す第2段落は、第3段落に「まとめられ」、その第3段落は第4段落に「まとめられ」と読んでいる。3は実験の詳しい内容について書いているのである。それが、なぜ2が3に「まとめられ」なのか、理解に苦しむ。
 そして、阿部氏は、第6段落については次のように述べる。

第6段落は「大小、形のちがいなども区別できる」と、第5段落の「色」を「(2)補足」している。この「本文1」の主要な対象は「色」であるから、それとの関係では「大小、形」は付属的なことがらなのである。

この「補足」という概念については、前述した通り、段落同士・文同士の関係の読みを、内容主義・主観主義に陥れる危険性がある。ここでも、包括概念で考える限り、「大小、形」は「色」には包括されない。別の事柄である。従って、第6段落も本文・の柱の段落となるのである。
 つまり、第2段落の問題提示は、本文・全体を支配しきっていないことになる。筆者が少しずらしてしまったのである。実は、すでに第2段落の最後の文で、「魚が実際に物を見分け、色に感じることができるかどうかを調べるために、科学者たちは、次のような実験をしました」(傍線・丸山)とずらしているのである。この流れの先に第6段落がある。従って、第2段落の問題提示の文は、「いったい、魚には、色や形がわかるのでしょうか」とでもするべきだったのである。
 阿部氏の「論理よみ」は、結果的には、一度読みとった本文Tの問題提示を絶対なものとし、後続の段落同士の関係をねじまげてしまっている。つまり、第6段落を「補足」にすることによって、第2段落の問題提示を守ったことになるのである。なぜ、そのようにする必要があるのだろうか? なぜ、ここで阿部氏の「吟味」のシステムは働かないのか?
 さて、阿部氏は、本文Tの柱の段落を第5段落とし、第5段落の要約に移る。その際、阿部氏は、「柱の言葉」について説明している。「柱の言葉」という用語を使い出したのは大西忠治氏で(『説明的文章の読み方指導』)、それも阿部氏とは違い、「述語」は「柱の言葉」にはしていない。大西氏は「述語」は「重要なことば」と呼んでいる。

「柱のことば」は、かならずしも「重要なことば」ではない。文にとって文句なく「重要なことば」は述語である。柱のことばは、要約のために必要であり、述語だけでは内容が語りつくせないために補説し、他の文との関係をとり結んでいく、文章の骨格になることばなのである。(『説明的文章の読み方指導』一二七頁)

傍線部を読むと、大西氏が、柱の段落や柱の文と同じ発想で「柱のことば」と述べていることが分かる。「家は柱によって支えられているが、家の大切な部分はむしろ柱と柱の間、空間の強さである」「しかし、柱の配置で、家の形態、規模、おおよその姿がわかるものなのである」と、なぜ「柱」という語を使うのかを大西氏は説明している。
 阿部氏は、「一文の中にもある種の『従属↓被従属』関係はあるのである」と述べているが(六一頁)、この見方には賛成する。ただし、前にも述べたように、私たちは形式論理で関係をとらえているのだから、「従属→被従属」は「包括→被包括」に換えなければならない。ともあれ、阿部氏は、

日本語の場合、何よりもその文を「支え支配」するのは「述語」のはずである。「述語」が文のすべてを支配し、「修飾語」はもちろんのこと、「主語」もその述語を支えるといった位置にあると言える。だから、「主語」なしの文は存在しえても、「述語」なしの文は、原則としては存在しえないのである。

として、「『被従属』の要素がより文の下方にくることが多い」と述べているが、包括概念で考えれば、逆に「述語」は「主語」に包括されるのである。それを命題文(「……は……である」)的な文で見てみよう。

 (A)鈴木君は(B)数学の因数分解を得意にしている。
 (A)犯人は(B)ここに集まっている人たちの中にいる。
 (A)今年の七夕は(B)本当は八月二十八日のはずだ。
 (A)今日学校に行かない理由は(B)発熱と腹痛だ。

右の例では、いずれも(B)は(A)を「詳しく説明する」という関係になっている。
 「柱」は、他を包括するもの(語・文・段落)をいう語であったはずである。右の例を見ても分かるように、包括しているのは「主語」で、包括されているのは「述語(述部)」の方である。
 「述語」を「柱の言葉」と呼ぶ阿部氏だからこそ、〈問い〉と〈答え〉の関係では、〈答え〉の方を柱にするのである。そういう意味では首尾一貫しているのであり、ここでも阿部氏は、内容主義に陥っていると言わざるを得ないのである。
 次に、本文Uの段落関係を見てみよう。阿部氏は柱の段落を第12段落にしているが、柱の段落は第7段落である。7の問題提示「それでは、音はどうでしょうか」は本文U全体を支配しているからである。ところが、阿部氏は、第7段落は第8〜11段落に「まとめられ」としている。これも不可解である。本文Vの柱の段落は、第14段落であり、これは阿部氏と同じである。

八 〈問い〉を柱とする読み方指導の再提唱       目次へ戻る

 ここで「再提唱」としたのは、もともと、〈問い〉を柱とする読み方指導は、大西忠治氏が提唱していたものだからである。証拠はあとに述べる。また、あえて「再提唱」としたのは、大西氏が言っていたから、そうなのだ、ということではなく、私なりに根拠・理由をそこに見つけているからにほかならない。〈問い〉を柱にすることは、『読み研通信』第四九号で佐藤建男氏が述べたように、「形式」や「論理関係」から考えれば、当然なのである。
 ところが、形式論理(包括概念)だけで柱を決定することに疑問を提出し、内容にも重きをおいたのが、阿部昇氏である。つまり、阿部氏は「阿部方式」とも言うべき独自の提案をしたのである。その新しい提案を含んでいるのが、『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』なのである。 一方、読み研方式(大西方式)では、形式論理(包括概念)だけで柱を決定する。早速、大西氏自身の教材研究を見てみよう。『読み研通信』五〇号の、氏の「みつばちのダンス」の教材研究では、2の(2)「そして、次のようにして、みつばちをかんさつしました」は、3と4を含み込む文であるとしている。そしてまた、3と4は、5の(1)「この二つのかんさつから、みつばちは、ダンスでえさのある場所をなかまに教えるのだということが分かりました」の「この二つのかんさつ」に含み込まれるとしている。2の(2)と5の(1)は34に対して柱ということになる。関係としては、34が、柱(ここでは柱の一部)を詳しく説明する関係となる。(ちなみに、2と5はプラスの関係となる。)あくまでも形式論理で段落同士の関係を把握しているのである。
 また、大西氏が、亡くなる前年の読み研・大阪大会で、取り上げた「フシダカバチの秘密」(アンリ・ファーブル、古川晴男・訳)の教材研究では、明確に〈問い〉を柱に据えている。「フシダカバチの秘密」の前文は、次のようになっている。

1 フシダカバチには、全く不思議な力がある。
2 一つは、幼虫の食物にするゾウムシを、実に見事な方法でいつまでも保存しておくことである。もう一つは、似たような形や大きさの昆虫がいくらでもいるのに、それらには目もくれず、ゾウムシだけをつかまえてくることである。
3 そこには、どのような秘密がかくされているのだろうか。

 以上の前文に対して、大西氏は、「1と3が柱の段落である。その関係は、2は1を詳しく言い換えている。3は新しい問題が提示されている。そして、3はまた、本文全体を含み込む柱となっている」(傍線・丸山)と述べているのである。「フシダカバチの秘密」の本文を紹介するスペースはないが、3で言うところの「秘密」の詳しい内容が本文に書かれていることは勿論である。
 また、杉山明信氏は、『通信』四三号で、「問いと答えの関係は、文中の主部と述部の関係に似てはいまいか」と述べているが、これは似ているというより、対応しているのである。なぜなら、〈答え〉は要約文の述部をつくるからである。そして、すでに長畑龍介氏も『通信』四四号で、少し触れているように、大西氏は述語を「重要なことば」として、「柱のことば」とは呼んでいない。「柱のことば」については、「他の文との関係をとり結んでいく、文章の骨格になることば」(『説明的文章の読み方指導』一二七頁)であるとして、主部などを挙げている。「重要なことば」は要約文には不可欠である。ちょうど〈答え〉が要約文には欠かせないように。しかし、柱は〈問い〉の方であり、〈問い〉の文の枠組みの中に、述部として〈答え〉を入れこんでいけば要約文ができるのである。(注)
 柱(柱の段落・柱の文)と柱以外(柱以外の段落・柱以外の文)が、イコールの関係の場合、つまり、柱に対して詳しい説明や例・事実の場合、当然、柱以外は具体的であり、柱の方は抽象度が高く、包括範囲が広い。〈問い〉と〈答え〉の関係では、〈答え〉は〈問い〉に対して詳しい説明という関係であるから、〈答え〉の方は具体的であり、〈問い〉の方は抽象度が高く、包括範囲が広い。
 そのことを「魚の感覚」で見てみよう。「魚の感覚」の本文T(2〜6)では、阿部氏は〈答え〉の5を柱にしているが、私は〈問い〉である2と、2が包括しきれない6が、柱の段落となると考える。〈問い〉の文は、2の(1)「いったい、魚には、色がわかるのでしょうか」である。これに対して、〈答え〉の文である5の(1)「このようにして、いろいろな魚に、いろいろな色を見せてためしてみますと、結局、魚は、にじの七色−−赤・だいだい・黄・緑・青・あい・むらさきをよく区別するばかりでなく、わたしたち人間が肉眼では色として感じない紫外線までも、色として感じるということがわかりました」は、非常に具体的である。「色がわかるのか」という〈問い〉に対して、詳しく具体的に(具体的な色を挙げながら)「色がわかる」と説明しているからである。また、「このようにして、いろいろな魚に、いろいろな色を見せてためしてみますと、結局、……ということがわかりました」という傍線部分は、この文があくまでも実験結果として述べられていることを示していて、2の(1)の〈問い〉に厳密な意味では対応していないことが分かろう。34の実験(の叙述)からの流れで書かれているので、抽象化の足りない文となったのである。〈答え〉を柱とし、〈答え〉を要約する阿部氏も、さすがに、「小見出し」の抽出では、「わかりました」という述語は省いている。抽象化には邪魔だからである。
 さて、〈問い〉を柱とする読み方指導では、2の(1)を枠組みにして要約文をつくる。短くつくるなら、「魚には色がわかる」でよいし、少し長めにするなら、「魚には、にじの七色や紫外線がわかる」でよい。ただし、6も柱の段落であるから、本文・の要約文は(最終的には)「魚には色や形がわかる」となるし、長めにつくるなら「魚には、にじの七色や紫外線、物の大小や形のちがいもわかる」でよいだろう。
 一方、5の(1)を柱とする阿部氏の本文・の要約文は、「魚は、にじの七色を区別し、紫外線までも感じることがわかった」(傍線・丸山)となっている。述語を「柱の言葉」として真っ先に挙げ、要約に不可欠とする以上、傍線部分は省けなかったのである。しかし、この要約文だけ眺めるならば、「……ことがわかった」などという文が、奇異なものであることはすぐ分かろう。誰が、どういうことでわかったのか、それこそ「柱の言葉」が不足しているからである。
 次の本文Uでは、7の「それでは、音はどうでしょうか」が〈問い〉である。この〈問い〉を枠組みにして要約文をつくれば「魚は音がわかる」となる。阿部氏は12の(4)を柱とする。しかし、この12の(4)「これで、魚が音を聞き分けるということが、はっきりわかったわけです」も、前後の「ドイツのある養魚場」であった観察(の叙述)の中にある文であり、やはり〈問い〉の文より抽象度は低い。阿部氏も同じことの繰り返しで、要約文は「魚は、音を聞き分けることがわかった」とし、「小見出し」は「魚は音がわかる」としている。 それにしても、阿部氏の本文・の段落関係図(六四頁)は分かりにくい。7が(8+9+10+11)に「まとめられ」、(8+9+10+11)が12に「まとめられ」、13が12を「補足」とあるが、これは、{8+9+(10→11)+12+13}が7を詳しく説明する関係ととるべきだろう。
 「小見出し」にも直結する〈問い〉を柱とする読み方指導、〈問い〉の文を枠組みにして要約文をつくる読み方指導の方が、子どもたちにとっても明快である。

 (注) 長沼行太郎氏は『思考のための文章読本』(ちくま新書)の中で、

「思考の言葉の最小単位としての文には、問いが含まれている」とした上で、「たとえば『SはPである』というとき、『Sはどうかというと、それはPである』というように、文は、話題・問題を提起する部分と、それに答える部分とから成り立っている。つまり、文はそれ自身の中で問答をしているわけだ。(略)この話題・問題を提起する部分を、伝統的な論理学では、文=命題の主語というのだけれど、それについて述べる述語は、その主語の持っている属性の一部なのだ。だから、主語に含まれている属性を吟味すれば、述語が可能になってくるわけだ」

と述べている。

 九 阿部氏の「反論」「再反論」に反論する。     目次に戻る

 本稿の第八節は、今回少し加筆したところがあるが、『読み研通信』五一号に掲載されたものである。これに対する阿部氏の反論、それについての私の反論、さらに阿部氏の再反論という形で、三本の原稿が『通信』五二号に載せられた。
 最初に、阿部氏の反論に対する私の反論をここに再録する。

 まず、「阿部方式」という用語について。「読み研方式」が「大西方式」であることは『国語教育評論』(明治図書)の各号を読めば分かる。この「読み研方式(大西方式)」に対して、「新しい提案」(阿部氏前掲書・「はじめに」より)をしたのだから「阿部方式」である。その分かれ道は、指導過程と「柱」概念の違い等である。
 阿部氏は、大西氏の方法論を「対象化」「批判」するあまり、大西氏の「柱」概念の精髄までずらしてしまった。つまり、内容の重要度という主観的な指標ではなく、形式論理(包括概念)だけで、誰でもが客観的に決めることのできる柱の概念を、著書の中で、大西氏と同じように主張しながらも、実際にはずらしてしまった。だから、大西氏が述べた「フシダカバチの秘密」の前文の柱を誤りとするのも、阿部氏にしてみれば、当然のことである。
 阿部氏は、「この方法で文章を分析していくと、説明的文章では問題提示の前文に本文や後文がすべて含まれてしまう」と言うが(これは本文や後文が〈答え〉の範疇を出ていない場合に限られるのだが)、私の所論に対して、理論的に応えた反論になっていない。次の、「丸山氏の主張だと常に『入れこ』むということをしない限り、要約は得られない」も同様である。
 「『問い』は省いても文章は成立しうるが、『答え』は省いたら文章は成り立ち得ない」は、不可解な反論である。なぜなら、〈問い〉と〈答え〉と両方がある文章において、どちらが柱かを問題にしているのだから。さらに、「『問い』は、『答え』をより明快にするためにレトリカルに位置づけられている場合が多い」と述べるが、これも結局、内容にも重きをおいて柱を決定する阿部氏らしい言説である。重要で不可欠な「内実」は〈答え〉に書いてあると言いたいだけである。
 阿部氏は、「魚の感覚」に関する部分では、「『問い』の方が比較的に抽象度が高くなるのは」と、私の指摘を認めた上で、「ただその時点ではまだ何も内実が語られていないからだけである」と述べるが、これはそのままこちら側の論拠となる。なぜなら、「内実」を詳しく説明するのが〈答え〉であるのだから。
 〈答え〉を〈問い〉の文に入れこむことによって要約文ができる。〈答え〉が〈問い〉の詳しい説明になることは、よの要約文を見ればよく分かる。「魚には色がわかる」「魚は音がわかる」などは、「魚」の属性の一部を「色がわかる」「音がわかる」と詳しく説明しているからである。つまり、「色がわかる」「音がわかる」は「魚」に包括される、言い換えることができる。
 阿部氏の再反論を待ちたい。

 以上の私の反論に対して、まず阿部氏は「『国語教育評論』をどう読めば、『読み研方式』イコール『大西方式』になるのか」と言う。阿部氏の場合、指導過程と「柱」概念という基本的要素が違うのだから、今までの方式とは違う別の方式を提案したことになる。それでは「今までの方式」とは何か。
 『国語教育評論』第八号は特集が「こうやれば説明的文章は教えられる」であり、大西氏は巻頭論文「説明的文章のよみの指導をどうするか」で大西方式の読み方指導を提案されている。加藤辰雄氏以下の実践も基本的に大西方式である。『国語教育評論』第十号は特集が「『読み研』方式による授業入門」であり(傍線・丸山 以下同じ)、「説明的文章の構造よみ入門」「説明的文章の要約よみ入門」という見出しのもとで、阿部氏も含めた、それぞれ三人の執筆者が書いている。阿部氏も原稿の中で「要約よみ」という語を使っている。
 『国語教育評論』の最終号である第十二号は特集が「『読み研』方式のモデルと授業マニュアル」であり、記録文も扱われていて、「記録文の授業マニュアル」は小林信次氏が、「説明文の授業マニュアル」は日浦成夫氏が、「論説文の授業マニュアル」は薄井道正氏が書いている。読めば分かるがいずれも基本的要素は大西方式である。
 従って、誰が見ても、公認された「読み研方式」とは「大西方式」なのだが、阿部氏のためには、もっと正確に「読み研方式」とは「大西方式」であった、とか、「大西方式」が「読み研方式」だった、とかいうように過去形で書くべきであったかも知れない。阿部氏が大西方式とは違う新しい提案をして、それが、読み研に集まっている一定程度のメンバーに影響を与えていることは事実なのだから。大西方式が、まさに「ゆさぶり」を受けているわけだから。しかし、「阿部方式」が、まだ「読み研方式」でないことも事実である。
 だから、何が「読み研方式」なのかより、阿部氏の提案した方式が、従来大西氏が提唱してきた方式とは基幹に関わる部分で違う、従ってそれは「阿部方式」と呼ぶべきものであるという点さえ確認されれば良いと、現在の私は考えている。
 次に、阿部氏は、

大西氏の残した遺産は尊重しつつも、その土台の再構築をも含め、それを批判的に検討し継承していくのが、読み研という研究会の在り方であるはずである。丸山氏が言うように読み研が「大西方式」の精髄を広めるための研究会ならば、読み研は今すぐに解散した方がいい。

と、ややヒステリックに言う。なぜ、傍線部のようにすぐに問題を極端に一般化するのだろうか。私は「大西氏の『柱』概念の精髄」について言ったのである。しかも見落としてほしくないのだが「誰でもが客観的に決めることのできる柱の概念を、著書の中で、大西氏と同じように主張しながらも、実際にはずらしてしまった」と述べているのである。阿部氏自身が認め(自著にとり入れ)主張している「『柱』概念の精髄」なのである。それを結果的には、ずらしてしまったところに問題があると述べているのである。「従属」や「補足」「まとめられ」といった用語のもとに柱の読みとりを誤り、あるいは、〈答え〉を柱にする考え方とともに、内容主義に陥った阿部氏の「柱」概念は、大西氏の「柱」概念とは似て非なるものとして実際には提示されているのである。(詳しい論証はこの小冊子のいたるところで述べられている。)
 さらに、阿部氏は、

文章を読む際に、内容を全く検討せずにその論理を把握することなど、本当にできるのか。(略)私の理解では、大西氏も内容を無視し「形式」だけで論理を読めとは言っていないはずである。が、丸山氏の言うように[内容でなく形式だけ]が、仮に大西氏の主張の「精髄」ならば、それには私は賛成できない。(傍線・丸山)

と述べているが、内容を無視した「形式論理(包括概念)」があるわけがない。「形式論理(包括概念)」というとき、そこには既に内容の読みとりを含んでいることは自明のことである。傍線部は、例によって、人の論を極論にしてから批判する阿部氏の論法である。「内容を全く検討せずにその論理を把握する」などとは、私はどこでも言っていない。私が言うのは、形式論理よりも内容の重要度を優先させる内容主義への危惧であり、〈答え〉を柱にすることで、阿部氏がそこに陥ってしまっているということなのである。
 さて、結局、この『通信』五二号に載った阿部氏の再反論を読んでも、〈問い〉を柱にすることそのものへの理論的反論は見られなかった。代わりに書かれているのは「『答え』が『問い』を詳しく説明しているとすることは、どう考えても奇異である」という阿部氏の印象だけであった。

 十 「吟味よみ」は独立させるべきではない(「はじめに指標ありき」の弊害)      目次に戻る

 まず、最初に『読み研通信』第四四号に載せられた、「前号掲載・阿部昇氏の『説明的文章の「吟味よみ」――「花を見つける手がかり」を例に  ――』の批判的検討」という私の文章の前半部分を左に再掲する。

 阿部氏は、大西氏が提唱し、読み研方式として位置づけられていた〈構造よみ↓要約よみ↓要旨よみ〉という指導過程に代えて、〈構造よみ↓論理よみ↓吟味よみ〉という指導過程を提案している。「『事実よみ』『論理よみ』などと言いながら『要約よみ』『要旨よみ』の中で必要に応じて部分的に行われてきた『吟味』の要素を独立した指導過程として位置づけていこうというものである」と阿部氏は述べている。 私(丸山)は、実践的には、「吟味」の要素を独立した指導過程として位置づけることがあっても良いと考えている。それは、読み研方式での説明的文章の読みとりを習い始めた初期の生徒たちに対して、「事実の吟味よみ」「論理の吟味よみ」とはこうすることだよと、分かりやすく教える場合に、取り立て指導が有効だからである。
 しかし、それはあくまでも入門期の実践的工夫であって、やはり基本・原則は「要約よみ」「要旨よみ」の中で(場合によっては「構造よみ」の中でも)「吟味よみ」をおこなう形であるから、「吟味よみ」の取り立て指導が終わり次第、この基本的な指導過程に移行するのが当然である。
 では、なぜ私が右のように基本・原則をとらえているのかと言うと、理由は四つある。左の通りである。
(1)大西氏は、「説明的文章は、例外なく『誤り』『不正確』『不明』『同意できない』ところをもっている」「それが全くない文章などはない」と述べている(著作集・第十三巻)。この見方に異論を唱える者はいないだろう。構造よみをやっていても、要約よみをやっていても、要旨よみをやっていても、たとえば、段落同士の関係を考えて、柱の段落を把握しようとするときや、文同士の関係を考えて、柱の文を把握しようとするときに、A案かB案かでゆれ、つらつら考えてみても、このようにゆれるのは自分たちの読みの力が不足しているためではなく、この文章のこれこれこういう不備にあるのだと、ひとまず結論づけるしかなくなるといったように、文章に対する批判は多かれ少なかれ必然的に出て来る。そして、いま扱っている教材の、文章としての性質を考察することになる。(生徒が問題にしなければ教師が示唆し、問題として取り上げざるを得ないのである。簡単なものであっても、生徒が問題にしないようであったら、入門期の指導が不十分だったのであり、目の前の生徒はまだ実質的には入門期にとどまっていたということになる。)問題として取り上げざるを得ない、必然的に出て来るものを、その場で扱うことなく、段落同士の関係や文同士の関係を把握し、各部分の要約をおこない、全文の要旨をつくりあげるなど、本来、可能なのだろうか?
(2)私たちは、授業を読みの訓練の場として、日常の読みではほとんど同時におこなう読みのレベルや対象を、三つに分けて指導している。まず表層の読みと深層の読みに分け、文学作品では、さらに構造よみと形象・主題のよみの二次に分け、説明的文章でも構造よみと要約・要旨のよみの二次に分けて実践している。阿部氏の提案では、実質的には過程が一つ増え、その分、日常の読みから離れているのである。日常の読みから離して指導はするが、離れ過ぎていくことには警戒をしようと私は考える。
(3)「『吟味』の要素を独立した指導過程として位置づけてい」くことが、「吟味よみ主義」というか「吟味のための吟味よみ」というか、肥大化した、自己目的化したものになりはしないかという危惧がある。阿部氏の指標に従えば、確かに多くの箇所が出て来るに違いない。一つ一つ取り上げ検討していくことは面白い作業になるだろうし、文章というものを鵜呑みにしない態度を養うには良いのである。しかし、多く出て来たそれら文章の不備・不明の内には、重大なもの、重大というほどではないが取り上げる値打ちのあるもの、反対に、取り上げる必要性に乏しいものといった差異があることも間違いなく、どれを取り上げ、追究するべきなのか、学習者におのずと見えて来るのは、あくまでも構造よみや要約・要旨のよみの中で吟味が展開されていった場合なのではなかろうか。
(4)阿部氏の提案では、「論理よみ」と呼ぶ要約・要旨のよみの過程が、「吟味よみ」を抜かれてしまったがために、それこそ無味乾燥なものになってしまうのではないかという危惧がある。

 以上の、私の批判に対して、阿部氏は『通信』四六号で、

「読み」というものは、もともとは一つの連続した過程なのである。だから、どの指導段階でもすでにそれ以外の要素は「必然的に」出て来るのである。だから、「構造よみ」段階でも、すでにことがらや論理の読みとりの要素は、一部先取りせざるをえないこともある。「論理よみ」(「要約よみ」「要旨よみ」)段階でも、すでにことがらや論理についての吟味を、一部先取りせざるをえないこともある。
 ただし、だからといって、先取りの要素を強調しすぎると、元来多読法がもっている指導上のメリットが失われていくのである。

と反論する。つまり、丸山の言うのは、構造よみ段階で要約よみを行うようなもので、「先取り」の強調だと批判するのである。阿部氏には、「要約・要旨のよみ」と「吟味よみ」を、読みの要素として「段階」や「過程」に分けることができるというとらえ方が最初からあるから、「先取り」という用語が使えるわけである。しかし、私の言うのは、本当に「先取り」なのだろうか。基本・原則として、「段階」や「過程」に分けることができるというとらえ方は自然なのだろうか。そのことを次に、「魚の感覚」で見ていきたい。
 「魚の感覚」の第1段落は確かに前文であり、1は問題提示の役割を持っている段落であるが、問題提示としては少し難がある。「金魚は、赤えびの赤い色に目をひかれたのでしょうか。それとも、投げこんだときの、かすかな音を聞きつけたのでしょうか。それとも、えびのにおいをかぎ分けたのでしょうか」が、問題提示の文としては、「金魚は……」と述べていて、具体的だからである。阿部氏は「これは、明らかにこの文章全体にかかわる『問題提示』の役割を担っている」(傍線・丸山)としか述べていないが、当然、ここでは子どもたちは、問題提示の文では、「金魚」のことを言っているのに、題名や本文では、「魚」のことを言っている、と指摘するだろう。その指摘に対して、授業者はどう応えるのか。「吟味よみ」まで待て、と言うのだろうか。
 阿部氏は、1の論理よみのところで、「要約をするとすると、『金魚は色にひかれたのか、音を聞きつけたのか、においをかぎ分けたのか。』となる。このままでもよいが、もしも『問題提示』としての役割を強調するとすると、『魚は、色がわかるのか、音が聞こえるのか、においをかぎわけるのか。』という要約も考えられる」(傍線・丸山)と述べているだけで、「吟味よみ」のところでは、このことについては何も触れていない。問題提示の文なら、本文の内容と対応した、抽象化された表現にするべきである ―― という批判が構造よみの段階で即座になされるのが自然であろう。また、この第1段落では、導入の役割もあわせて持つがゆえに、こうした(金魚に即した)表現になっていることも、その場で押さえておく必要があろう。
 また、本文Tでも次のようなことがある。第2段落の(2)に「いったい、魚には、色がわかるのでしょうか」という〈本文Tの問題提示〉があるのに、2の最後の文では「魚が実際に物を見分け、色に感じることができるかどうかを調べるために、科学者たちは、次のような実験をしました」(傍線・丸山)と、〈本文Tの問題提示〉から、はみでるようなことが書かれてあり、そして、それが第6段落の「また、……大小、形のちがいなども区別できることがわかりました」につながっていくのである。6は、2の〈本文・の問題提示〉では包括できないので、2とともに本文Tの柱の段落となるが、2の〈本文Tの問題提示〉が、「いったい、魚には、色や形がわかるのでしょうか」となっていれば、6を包括できたわけなのである。以上のようなことも、授業で、本文Tの段落関係を把握する際には、必ず問題として指摘されるはずなのである。それを「吟味よみ」まで待て、と言うのだろうか。 ここのところ、阿部氏は六一頁で、

第6段落は「大小、形のちがいなども区別できる」と、第5段落の「色」を「(2)補足」している。この「本文1」の主要な対象は「色」であるから、それとの関係では「大小、形」は付属的なことがらなのである。
 そうすると、「本文1」の「柱の段落」は、第5段落となる。

と述べている。「吟味」に強い阿部氏なのに、ここでは「補足」や「付属」などという語でかたづけていて、〈本文Tの問題提示〉と〈本文Tの内容〉の不整合については何も言及していない。
 それにしても、こうしたことに言及がないのも、「論理よみ」と「吟味よみ」とに分けたことの弊害ではないのか。つまり、「論理よみ」は「論理よみ」で展開し、「吟味よみ」は「吟味よみ」で展開するために、「論理よみ」を、できるだけ問題が出ない形で、スムーズに済まそうとする心理が働いてしまうせいではないかと考えられるのである。
 大西忠治氏は『説明的文章の読み方指導』(明治図書)の第U章の「二 説明文の指導」の内の、「5 要約・要旨……の読みもけっして、たいくつな授業にはならない」という小見出しで始まる文章の中で、要約の作業が必然的に吟味と結びつく授業例を提出している。そこでは、文同士の関係の読みとり、および要約文づくりが「吟味」と(実に自然に)一体化していて、知的興奮をさそう授業が展開されている。「吟味」の結果によっては要約文が変わってくるのである。要約文がすっかり先に出来上がっていて、細かい「吟味」があとになされる授業は、要約文づくりを本当の意味で大切にした授業と言うことはできないだろう。
 こうしたことも、これからは私たちの実践でその正しさを証明していく段階に来ている。決意を新たにして、説明的文章の実践と研究に仲間とともに取り組んでいきたい。