人目のご訪問、ありがとうございます。 カウンタ設置 2004.8.23

07010102     阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する
                          にいがた国語の会&にいがた高校国語サークル 著   1998年8月  より
   
 はじめに                                                             TOPへ戻る  
  以下の原稿は、「にいがた国語の会&にいがた高校国語サークル」が編集した「阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を徹底批判する」サークル誌に掲載されているものです。このサークル誌には、説明的文章の読みの授業を考える上で重要な問題提起が、阿部昇氏の著書に対してなされていると、私はとらえています。ただ、サークル誌ということで、多くの方の目にふれることなく埋もれてしまうのは、とても残念です。そこで、私のホームページ上で原稿を紹介させていただけないかとお願いして、ここに紹介できる運びとなりました。原稿の掲載を快諾していただいた長畑龍介さんに感謝いたします。
   なお、長畑龍介さんから「魚の感覚」の要約よみの部分の原稿を書き換えていただけました。またまた感謝です。2004.5.5改訂


  「記録文」の読みは文章のよみの基本である    長畑龍介(元・新潟公立中学校教諭) (P32〜46)
 
説明的文章を、

 @記録文(時間的順序で書かれているもの)
 A説明文(時間的順序以外の順序によって書かれていて、「仮説」が入ってないもの)
 B論説文(説明文のなかで、特に「仮説」を含んでいるもの)

の三つの種類に分類したのは、大西忠治氏であった。

 それまでのさまざまな分類のしかたと比べて、氏の説の特徴は、

 (1) 客観的な基準によって分類したこと
 (2) その基準を子どもたちに納得させ、理解させ得るものにしたこと
 (3) それぞれの種類に応じた教材分析の方法と読み方の指導法を確立したこと
 (4) 三つの種類が、指導の段階性、順序性に対応していることを明らかにしたこと

である。

 特に、氏は、(4)について、つぎのように述べている。

・・・「説明的文章」は「説明文」だけでも「論説文」だけでも「読み」のちからがつくというわけではない。記録文をよむちからがなければ説明文も読めないか、あるいは読みによじれが出てくる。記録文・説明文がよめねば、論説文の読みも、論理をなぞるだけのものになってしまう。
 だから、小学校教師には「記録文」と、そして、その上にたって「説明文」の読みを指導してもらいたいのである。
 中学校の教師にも、「記録文」と「説明文」と、そして「解説的説明文」と、できれば「論説文」の読みを指導してもらいたいのである。
 そして高校の教師にもまた、「記録文」と「説明文」を指導し、その上に立って、「論説文」を指導してもらいたいのである。
(「大西忠治教育技術著作集十三」より)

   ここでは、記録文の読みが、説明的文章の読みの基本にあることが強調されている。

「記録文」は説明的文章の要素でもある

 これに対して、阿部氏は、「『説明的文章教材』の徹底批判」において、説明的文章の分類から「記録文」を除いて、「説明文」と「論説文」の二分類にするという異説を発表した。
 その理由を氏は四つ挙げている。第一の理由の部分を抜粋する。

   大西氏が言うとおり「記録文」と言える文章が存在することは、事実であると思われる。また、その「記録」の書かれ方そのものも、ある種の「論理」ととらえ、「まとめ記録」と「みたまま記録」というかたちで、「読み方」を教えていくという主張にも納得するものである。
 が、問題は、だからと言って「説明的文章」の三つの下位分類の一つに含むべきものなのかどうかということである。大西氏自身も、「記録文の典型的なものが現実にはあまり存在しない」と述べている。
 大西氏は、その理由を「文章というものの複合的な性質」に求める。そして「『事実』を記録していく」際に「『現象』の多様さ、複雑さが、文章内容の統一のために困難になってくる(『現象』の多様さ、複雑さのために、文章内容の統一が困難になってくる―ということであろう・阿部注)。文章の統一性、内容の明確さのためには、『現象』の再現である〈事実の記録〉だけでは足りなくなってくる。そのためには、いきおい、「説明」や「解説」の要素の助けを借らざるを得ないということになる。」と述べる(以上『説明的文章の読み方指導』一九八一年)。
 が、大西氏の説明だと、「記録文」を主要な分類の一つとして定位させていく根拠は、逆に失われていくことになる。「文章の統一性、内容の明確さのためには、〜「説明」や「解説」の要素の助けを借らざるを得ない」ということは、むしろ「記録文」的要素は、「説明文」や「論説文」の一部分に位置づいていかぎるをえないということでもある。

 氏は、「記録文」の存在を事実として認め、他の文章とは違う「記録文」の読み方を教えることにも納得するという。それならば、当然、「記録文」を一つの文種として位置づけるというのが論理的帰結であるべきなのに、そうはならないようなのだ。
 その理由として、氏は、大西氏の文章を引用して、「記録文」の典型的なものがあまり存在せず、「説明」や「解説」の要素の助けを借らざるを得ないなら、「説明文」や「論説文」の一部分として位置づければよいというのである。
 この「論理」は、そっくりそのまま阿部氏への反論として有効である。
 昨年の冬の研究会で「論説文」を教材にしようと、運営委員全員で小・中の教科書をあたったが、結局、一つも見つからなかった。高校でも似たようなもので、典型的なものはあまり存在しない。氏の著書で分析している「シンデレラの時計」や「日常性の壁」も非常に随筆的であり、「幻の錦」は論説文というより、性格としては記録文である。
 しかも、「論説文」は、「説明文」の一種であり、「説明文」の要素の助けなしには、一行も書けない文章である。もちろん「記録文」の要素の助けも借りている。
 「記録文」を分別しないなら、「論説文」も分けられないことになる。結局、「説明文」が残るだけで、「分類」の名に値しなくなってしまう。
 典型的な「記録文」がないことをもって、「記録文」を分類しない理由にすることはできない。そのことを、大西氏はつぎのように述べている。

 なぜなら説明文そのものの中に記録文は重要な構成要素として含まれていて、それは、記録文の「事実部分を支えていることが多いのである。また、説明文は、論説文のほとんどすべてをおおう構成要素であり、記録文もまた、説明文の要素をまったくもっていない純粋な記録文としては、実際にありにくいのである。
 この三つのジャンル、種類は、説明的文章の構成要素であるともいえる面をもっているからである。
 こういうわけで、どんな教師も、国語のよみを指導しようとするなら、記録文、説明文、論説文の三つの文章を教材分析できないとだめなのである。
                                                                       (前掲書より)

時間的順序は自然の論理である

阿部氏の理由の第二はこうである。

 また、大西氏の言う「文章のもっとも単純な論理構造は、時間的順序によって統一されている−ものである。」「時間的順序は、事象のつまり『ことがら』と『ことがら』の関係のもっとも自然にそくした論理関係である。」(以上「説明的文章と読みの能力」一九七九年)という主張にも、疑問がある。「論理」というものは、もともとは見えにくい現実・わかりにくい現実を、ある形式・法則によってわかりやすく把握していくためのものである。しかし、「記録」そのものというものは、現実そのもの物理的時間の在り様に近いだけに、それだけではその「記録」の意味が、かえって読み手にはわかりにくいものなのである。「記録」だけが提出されても、何の目的で何のためにその「記録」が存在するのか、そして、そのことから何が明らかになるのか− などは、かなりの先行知識をもったものにしかわからないのである。また、「記録」は、一見現実そのものを「あるがままに」写したかのようなかたちを含んでいるために、かえって読み手には、その「記録」のされかたの背後に隠れている筆者の「ものの見方・考え方」「思想性」といったものは、読みとりにくいという傾向がある。いずれにしても、「文章のもっとも単純な論理構造は、時間的順序」「時間的順序は、〜自然にそくした論理関係」ということには、説得カがないと言わざるをえない。

  「時間的順序は、もっとも単純な、自然にそくした論理関係である」という大西氏の命題に、疑問があるという阿部氏は、「論理」についての自説を展開する。
 氏によると、「論理」とは、現実をわかりやすくするための「形式・法則」であり、「何の目的で何のために存在するのか、何が明らかになるのか」わかるものであり、「背後に隠れている筆者の『ものの見方・考え』『思想性』」も読みとれるものなのである。
 この「論理」の概念は、余りに飛躍しすぎている。
 例を挙げよう。時間的順序書かれれた記録文である。

@昨夜から東京に大雪が降った。A朝、交通機関は完全にストップした。Bそのため、ほとんどの学校が休校になった。

 論理関係は、@が原因でAが結果、さらにAを原因にしてBが結果という関係である。これが、筆者がとらえた「ことがら」(事実)と「ことがら」(事実)との間の論理である。
 では阿部氏は、この文関係をど説明するのであろうか。「目的」も「ものの見方・考え方」も「思想性」も読み取りにくいから、「論理関係はない」と答えるのであろうか。
  「論理関係」ありとすれば、記録文に論理関係を認めない自らの主張に反することになる。
 といって、「因果関係は論理関係ではない」と言うほどの勇気は持ち合わせていないだろう。
 「説得力がないと言わぎるをえない」のは、阿部氏の立論の方だったのである。

記録文の「事実」とは

さて、氏の第三の理由は

 大西氏は、「現実を現象のままにとらえ、現象するとおりに記録するということこそ、文章化された『事実』のこと」つまり「記録文」ととらえているようである。が、「現実を現象のままにとらえ、現象するとおりに記録する」などということが、一般的な意味で、本当に可能なのであろうか。「事実」として「記録」するということは、混沌とした曖昧で多様な現実から、筆者=記録者の視点で、ある特定の限定・選択・捨象・抽象化をしたものなのではないのか。だから、同じ現象でも、記録者によっては、全く違った「事実」となってくるのである。

 「記録文」の「論理」(形式)を否定した阿部氏は、勢いに乗じて、さらに「記録文」に書かれた「事実」(内容)までも無意味化しようとしている。
 最初に、「『記録文』の存在は事実」「『読み方』を教えていくという主張にも納得」と言いながら、実際は、何としても「記録文」を排除したいという意欲があからさまに読みとれる。
 氏は、前掲の文に続けて、「本田(ママ)勝一」「森田信義」の文章を引用して、事実とは主観のこと、客観的な事実などというものはない、と主張する。
 「事実」と「事実」の間の論理関係を否定する「論理」は結局のところ、「事実」そのものの存在を否定するところまで行きつかないと、「論理」が完結しないということを示していて興味深いことではある。
 さらに愉快なのは、この主張がバラドックスになっていることである。「客観的な事実はない」というのは、ホントのこと(客観的な事実)なのか?と聞かれたら氏はどう答えるのであろうか。
 「そうだ」と答えれば、「客観的事実」の存在を認めたことになり、「違う」と言えば、自分の説を自ら否定することなってしまう。
 さらに、氏の論理を分析してみよう。
 氏は、文章に記録された「事実」というのは、「筆者の視点で、ある特定の限定・選択・捨象・抽象化をしたもの」だという。当然である。そのことを否定する者はいない。
 しかし、この事実を前提にして、「だから、同じ現象でも記録者によっては、全く違った『事実』となってくる」という結論は、余りな飛躍である。現実とはかけ離れている。
 例えば、同じ現象を見て、Aは「電車が走っている」と言い、Bは「電車は停止している」と言い、Cは「クジラが泳いでいる」と言ったとしよう。すると、そばでそれを聞いていた阿部氏は「それは、みんなそれぞれの『事実』なのだ。一つの客観的事実などはないのだよ」とでも解説するのであろうか。しかし、そんな解説よりも、その電車の前に立ってみせればよい。「客観的事実」というものがあることを、身をもって体験するであろう。ただし、命の保証は出来ない。
 もっとも、世間一般の人は、「事実」の吟味をいちいち命がけでやったりはしない。
 同じ場所にいれば、どれが最も現象を正しくとらえて言っているか、直ぐ判断できるし、「ゆっくりなので、停止しているように見えたのだ」と目の錯覚も指摘できるし、「クジラの絵が描かれている電車が走っている」と正確な表現を教えることも出来る。
 それは、今、自分が見ている現象(まぎれもない事実)を規準にして判断しているからである。

 では、自分が実際に見たことも聞いたこともない現象について書かれた文章を読むときは、何を基準に吟味するのか。
大西氏はつぎのように述べている。

 認識活動が行えないときにも読み手自身の経験や読み手自身の現実を書かれている事実に対置してみることによって、その正当性、事実性を吟味してみることもできるはずである。われわれは書かれた「南極」に対して吟味するときは、南極そのものを直接認識することによってそれとくらべることはできない。しかし、われわれの(読み手の)現実にある南極的なものの体験をふまえてそれを文章に対置させながら、吟味していくことができるのである。そうして、そういう吟味を通して、書かれている「南極」の真実性をかなりの程度に判断していくことができるのである。(もっとも、いくら深くよんでも書き手の認識し対象とした南極のすべてを、そのまま読み手のものにすることはできない。かなりな程度に判断できれば、読み得たことになると私は思う)。それでなければ、「読む」という行為そのものが成立しなくなる。
 ところで、その場合でも、読み手の経験の浅さ狭さ、読み手の現実認識の低さ弱さにかかわって、書かれている「事実」の把握において、その真実性の判断を一時保留しながら読む必要がある場合もある。つまり、ここまでは理解し納得できるが、ここは、ここからは、そうであるかどうか判断しきれない――という判断、判断の保留が必要なのである。あるいは、ここは真実らしいがどうもわからない。ここは真実とはうけとれないが、自分の判断は、どうもまだ確信がもてない――という保留である。そしてその保留した部分は経験と現実認識とが深められてくるに従って、つまり、また後に読みかえしてみたときに、もっと深く正しい判断、読みとりへ迫っていくことができるという余地を残しておくことである。
 こういう読めるところと、読めない部分とをはっきりとさせることもまた読む行為の、とくに説明的文章の読みとりの基本的な性格の一つではないだろうか。
(「説明的文章の読み方指導」より)

 一方、文章の書き手の方も、阿部氏の言うように、書き手の主観だけで書くわけではない。

 文章化された事実は、書き手の意図判断に強く支配されているけれども、現実からも規定され支配を受けているのである。つまり、書き手は自分にとって都合のよいようなものを「事実」として、都合のよいように「事実」をゆがめるかもしれないが、同時に、読み手多数の目にも「事実」だと判断されるようなものを選ばざるを得ないし、読み手に「事実」とはとられないほどゆがめることもできないのである。つまり、「読み手」からの支配、それは、客観的にそれが通用するかどうかという、現実からの規定、支配だと言ってもよいものを受けるのである。
(大西忠治前掲書より)

 このことを、また、「現実を現実のままにとらえ、現象するとおりに記録するということこそ、文章化された『事実』のことなのだ」とも説明しているのである。
 補足すれば、人類の歴史は、現象をより正確に精密に記録するための方法や技術や能力を進歩、発達させ、無限に「客観的事実・絶対的真実」に接近しているといえるのである。
 自然現象の原因を神のせいにしていた原始の時代から、人間による真理の追求は、認識の発達・発達を促し、観念論を克服してきたのである。
 現象をありのままにとらえ、記録することに、根本的な疑いを持つ阿部氏は、いったい説明的文章の「事実」をなにを基準に吟味しようというのであろうか。
 氏の著書の「吟味よみ」の章をみてみると、なんと「ことがらが、現実と対応しているか」という見出しのもとに、ちゃんと「現実」を対応させて、書かれている「事実」の事実誤認を指摘しているのである。(P.79)
 この阿部氏の「思想」「理論」と「実践」との矛盾を、氏はどう説明するのであろうか。
 矛盾してはいないと強弁するなら、氏が「事実」を吟味するためにもち出す「現実」とは、氏自身の「主観的な事実」に過ぎないことになる。
 そうなれば、もう、読みのための共通の「ものさし」などは不要となり、おのおの勝手に自分だけの「ものさし」で読めばよいということになり、客観的・科学的な読みは空中分解を免れないであろう。

「記録文」が読めなければ「説明文」も「論説文」も読めない

阿部氏が最後に持ち出している理由をみてみよう。

 以上のこととも関係して、もう一つ付け加えるならは、大西氏が青う「記録文が、すべての文章の基礎になる」「記録文をよむちからがなければ説明文も読めないか、あるいは読みにねじれが出てくる。」「記録文の教材分析ができない人は、説明文の分析はできないし、説明文の分析ができない人は、論説文の分析を完全にやりきることはできないのである。」ということについても、疑問がある。実践的にも、「記録文」の読み方指導をしなくとも、十分に「説明文」「論説文」の指導が成り立つ。また、「記録文」の分析方法を身につけないと、教師は「説明文」「論説文」の分析をできえないかというと、そんなことはない。
 だからと言って、私は大西氏が言う「記録文」の指導を否定しょうとしているのではない。さきほども述べたとおり、「記録」の書かれ方そのものも、ある種の「論理」ととらえ、「まとめ記録」と「みたまま記録」というかたちで、「読み方」を教えていくという主張は支持する。が、それは「説明文」「論説文」の読み方指導の中で、必要に応じておこなっていけばいいことであって、あえて「記録文」という分類を設定しなければならないということとは、別のことである。

 氏は、「記録文」の分析方法を身につけなくても、読み方指導を知らなくても、説明的文章の分析も指導も可能だという。ここまでくれば、氏が、「記録文」の意義を全く認めていないことは明日であろう。最初に「『読み方』を教えていくという主張にも納得」と言ったのは、単なる儀礼的な前置きだったのか。
 ところが、最後にまた「だからと言って、私は大西氏が言う『記録文』の指導を否定しようとしているのではない。」とくるのである。こうなれば、賢明なる読者は、かの有名な弁舌を想定するまでもなく、巧みなレトリックであることを見抜くであろう。
 しかも、「『説明文』『論説文』の読み方指導の中で、必要に応じておこなっていけばいい」というのである。
 なんだか、煙に巻かれるような気分である。つい数行前に「『記録文』の指導をしなくても、『説明文』『論説文』の指導はできる」と青い切ったばかりなのである。「必要が出てくる」と変わったのであろうか。「記録文」独自の読みの指導が必要というなら、分析と指導の方法を明らかにしておかなければならない。ところが、「まとめ記録」だ「見たまま記録」だと言いながち、この「説明的文章教材の徹底分析」で具体的な言及は全くなく、「次の機会に言及」と後書きしているのである。もはや、批判をかわすための予防線を張りめぐらしているとしか言いようがない。

「幻の錦」の構造読み

 それでは、阿部氏がプラグマチズム的に主張する「『記録文』の指導をしなくても、『説明文』『論説文』の指導はできる」というのはほんとうか、事実か、という問題に話をすすめよう。
 そのことを、氏が分析している教材で具体的に検証する。

 「幻の錦」(只野哲)の構造よみ(P.226)を読んでみると、氏がたいへん困惑していることがわかる。複雑な構造を、生徒と共に試行錯誤しながら(させながら)読み解くことによって読みのカを鍛える授業は楽しいものだが、氏の場合はそういうものではない。
 「ひっかかることがある」「という気さえしてくる」「という疑いさえ出てくる」「どう考えたらいいのであろうか」「正直なところ、これについては、正確な答えが出せない」「筆者に確かめるしかない」という句でも察せられるように混乱をくりかえした末に、「題名」が悪いときめつけるのである。
 なぜ、これほど混迷したのか。答は明瞭である。記録文である「幻の錦」を「論説文」にし、論説文の構造よみのものさしで分析してしまったからである。
 具体的に批判する前に、私の読みを提案する。
 「幻の錦」は、織物研究家龍村平蔵が、二つの錦のなぞを解いていく過程を、時間的順序でドラマチックに描いた記録文である。
 記録文の構造は、時間の異同(遅速)、内容の異同を基準に読むのがセオリーである。(構造に説明文要素を持つ記録文では、もちろん 説明文の基準も使う)
 では、「幻の錦」の構造を節単位で分析してみる。まず、時間を基準に。
   一節では、「七世紀の初め」と法隆寺夢殿建立から筆を起こす。「千二百年の間」つまり、十九世紀に「獅狩文錦」の発見。(何年頃か、さらに正稚な年を調べさせてみる)。ここまでは「時」は直ぐわかる。
 龍村平蔵が、「獅狩文錦」のなぞを解くことを課題にしたのは何年頃からなのか。「長い間」だ。経歴をみると、一九二九年大学の美術史科を卒業している。この前後と考えてよかろう。古代錦復元という仕事に取り組み始めたのはいつ頃か。「半生をかけて」とある。ミイラの仮面の錦を復元したのが一九六五年(六節より)、六十歳の時である。だとすると、一九三五年頃と推理できる。末文の「月日が流れて」とはどのくらいか。二節の推定年代から、およそ三十年ぐらいであろう。つまり、一節は、約一三〇〇年間の記述である。
 二節以下は、次ページの構造図を見てほしい。なお、この「記録文」の「時」の読みは、文学作品の導入部の形象よみの「時」の読みにもつながるものである。
 構造よみの中で問題となるのが、第四節の「時」のよみである。「ある日」がいつのある日なのか、なぜ筆者は明記しなかったのか。生徒はおそらく、「筆者が知らないから」とか「前節と同じ年だから」などと言うだろう。しかし、この龍村にとって重大な発見のあった年を、筆者が龍村に聞かずにすませたり、龍村が「覚えていない」などということはありえない。また、新しい内容に入る節では、どの節も年代がわかるように記述している。五節の「ある日」は、一九六一年であるとわかる。
 おそらく、この「ある日」は、二節以前のことではあるまいか。それを文章の展開のおもしろさをねらって四節に置いたのではないか。しかし、年代を記したのでは時間的順序が狂うし、といって整合する年に変えればもはや記録文ではなくなり、創作になってしまう。そこで、「ある日」とだけ記述したのではないかと思う。

「幻の錦」の構造 「時」を示す語 構   造
一  法隆寺 ― 錦のなぞ 7世紀の初め、聖徳太子、法隆寺、1200年の間、
岡倉天心、フェノロサ、龍村平蔵、半生をかけて、
月日が流れて
7世紀から
1300年
の間のこと
龍村平蔵の2つの課題
・「獅狩文錦」のなぞとき
・古代錦の復元
ニ  シルクロードの記憶 橘瑞超、50年前、70歳を超えた、今世紀の初頭、
1902年、1914年、19歳、1912年、
先立つこと2年、1000年を超える歳月
1960年
のこと
  龍村とミイラの仮面との出会い
三  ミイラの仮面 なし(前節の続き)
四  肖像の秘密 ある日(何年、何月かは不明)
     616年、618年(など年表含めて多くの歴史的な年代を示す)
不明   龍村の「獅狩文錦」の年代推理
五  失われた文様 このころ、もう1年以上の月日、ある日 1961年から65年までのこと    龍村、ミイラの仮面の文様とミイラの仮面の錦を完全復元
六  よみがえる幻 1000年、20世紀、5年の歳月、1965年
七  不思議な一致 なし(前節の続き、歴史的年代はあり)    龍村、2つの由来を解明
八  歴史を織る糸 なし(前節の続き、歴史的年代はあり)

 内容と総合してみると、この文章は、巧みな物語的構成になっていることがわかる。おそらく、「綾なす錦の織物」を意識していたのであろう。また、この作品が、テレビで放映されたドキュメンタリー番組を基にした文章であるという性格からも、そのことが言える。
 書きだしの法隆寺のエピソードは、いかにもプロローグにふさわしい。二節の龍村と橘との出会いは事件の発端だ。そして、クライマックスは六節の「こうして、幻の錦はついによみがえった。」であろう。
 さらにいえば、「幻の錦」の題名よみも出来る。題名は、クライマックスの文から直接的には「ミイラの仮面」の錦をさす。しかし、出自が定かでなかった「獅狩文錦」もまた幻であり、そして、錦をめぐる東西の歴史も「幻の錦」といえよう。また、古代錦の復元という仕事に生涯をかけた龍村平蔵の生き方も暗示しているのかもしれない。

論説文の「ものさし」では

 阿部氏が、この文章の特徴に応じた多彩な構造を読み解けなかったのは、この文章を論説文と見誤って、前文・本文・後文を無理にあてはめようとしたからである。
 「問題提示」の「前文」だから、問題は、「獅狩文錦」か「ミイラの仮面」か、それとも両方か、と課題を設定し、ああでもないこうでもないと迷ったあげく、「獅狩文錦」に軍配を挙げる。
 当然、題名の「幻の錦」からは異議申し立てが出される。これにも氏は果敢に挑戦し、ビデオの時間計算までして、ついに屈服させ、題名が悪いと断じ、「そうなった以上は、それにふさわしい題名に改めるべきであろう。」と審判を下すのである。おみごとというほかはない。
 もちろん、ビデオを見ておくことは、教師にとって必要であるし、表層のよみで子どもに見せれば「事実よみ」に、読みの後で見せれば、読みの検証に役立つ。しかし、どちらが主か量的に量ろうとするなら、まず文章の方で正確に調べるべきである。
 氏は、文章の分量としては「ほぼ同じと言える」と言っているが、実際は、両方に関わるものを除けば、「獅狩文錦」について書いてある段落は14、文は51であり、「ミイラの仮面」の方は、21段落、80文(4節)である。
 文章でも、「ミイラの仮面」の方が多いというのが事実である。
 もう一つ重要な問題を指摘しておかなければならない。それは、この文章は、あくまで「龍村平蔵」の仕事と課題の解明を克明に追って記録した文章であるということである。
 筆者(只野哲)の主張を述べた文章ではない(たとえ、主人公に同化して書かれている部分があったとしても)。その点でも、この文章を「論説文」とするのは、大きな誤りである。
 もちろん、教科書に論説文があまりないという現状から、この文章の一部(「龍村平蔵」の推理を再現している節)を使って、論説文の読み方を教えることはできるし、「龍村平蔵」の推理(事実と仮定したうえで)が正しいかどうかを検討することは必要なことである。その場合、単に阿部氏のような「吟味」に終わるのでなく、龍村氏の説が現実にどう評価されたのか、まで追求してみることが記録文のよみの大切な点なのである。
 記録文から、事実をさらに解明しようとする説明文と筋の展開のおもしろさを生かす物語の2つの枝に発展していくことが、この文章からもわかるであろう。「記録文が、すべての文章の基礎になる」(大西)のである。

「魚の感覚」の要約よみ

 「記録文をよむちからがなければ説明文も読めないか、あるいは読みによじれが出てくる」(大西)ことを、次ぎは、要約よみ(阿部氏のいう「論理よみ」)で検証してみよう。
 教材は、「魚の感覚」(末広恭雄・小五・学図)。
 氏の著作より7〜13段落を転載する。

7 それでは、音はどうでしょうか。
8 二十世紀の初め、ドイツのある養魚場でおこったできごとです。その養魚場には、ますがかわれていて、一人の番人がいました。番人は、近くの教会で鳴らす朝八時のかねを聞くと、すぐに、ますにえさをやることにしていました。
9 ところが、ある朝、番人は、朝ねぼうしてしまい、八時のかねが鳴り終わってしばらくたってから、えきを持って、池のふちに行きました。するととうでしょう。いつもなら、番人が池のふちに立ってから、ますが集まってくるのに、その日はもう、水面にたくさんのますが顔を出して、えさをさいそくするようなようすをしているのでした。しかも、このふしぎな現象は、その日ばかりでなく、その後、教会のかねよりもおくれてえさをやるたぴにおこるのでした。
「うん、そうだ。ますには、かねが聞こえるんだな。教会のかねが鳴れば、えさをもらえることがわかっているんだな。」
番人は、このおもしろい事実に、気がつきました。
10 そのころ、ドイツに、ラドクリッフという生物学者がいました。その人は、友だちといっしょに、「魚は、音が聞こえるだろうか。」という研究をしていました。ますのたくさんいる川で、てっぽうをうって、その音で、ますがおどろくかとうかという実験をしたのですが、その結果、「ますは、音が聞こえない。」という説を発表しました。
11そのラドクリッフ博士が、養魚場のできごとを伝え聞いて、たずねてきました。博士は、初めのうちは、「ますが集まってくるのは、かねの音のためではあるまい。水にうつる番人のかげを見て集まるのであろう。」と言っていました。それで、明くる日の八時前、養魚場にやって来て、番小屋の中から、池のようすを見張っていました。
12@やがて、教会のかねが鳴りだしました。Aすると、えさ場付近が、にわかにさわがしくなって、ますが集まってきました。Bロを水面に出して、たがいに他をおしのけるようにして寄り集まったため、まるで、夕立がかわいた木の葉をたたくような、やかましい水音がしています。Cこれで、魚が音を聞き分けるということが、はっきりわかったわけです。Dラドクリッフ博士も、これを見て、自分の考えを変えないわけにはいきませんでした。
13この後、ドイツのフリッシユ博士は、えさを使って魚を訓練しながら、研究しました。そして、博士は、なまずの一種であるアミウルスという魚は、音を聞く能力が非常にすぐれていて、高い音では人間に少しおよばないが、低い音を聞き分けることでは、人間以上にするどい感覚をもっていることを発見しました。

 この部分の段落関係を私は次のようにとらえる。

音は魚にわかるのか。
  ‖
7は、柱の段落で、8〜13段落はくわしい説明
                        (記録文で書かれている)
「ニ十世紀の初め」ドイツの養魚場でのできごと     番人は朝八時のかねでえさをやることに……
 
「ところが、ある朝」番人は、朝ねぼうして…   番人はおもしろい事実に気づいた。
 
10 「そのころ」ドイツに、ラドクリッフという博士がいて「ますは、音が聞こえない」という説発表。
 +
11 「明くる日の八時前」養魚場にやって来て…池のようすを見張っていた。
12 「やがて」教会のかねが鳴りだし…ラドクリッフ博士も、これを見て考えを変えた
13 「この後」ドイツのフリッシュ博士は、研究…アミウルスという魚は、…発見した。

これを図示する。

             詳しい説明                     + は 時間・空間の関係

7 =  ( 8 +  9  + 10  +  11  +  12  +  13  )
              番人             ラドクリッフ               フリッシュ

 記録文の要素を持った説明文で、研究の経過と結果で、問題に答えている。そこで、読者は、「このようにして」というまとめがなくても、「魚は音がわかる」という筆者の答を察し、同時に「事実」の不十分さも読みとるのである。
 では、阿部氏はどう分析したのか。次ぎの図である。

まとめられ まとめられ 補足
── ↓↓
───────────────
10 11
12
13

  8段落以降が記録文になっていることが読めないために、「まとめられ」とか「補足」とか、何の根拠もない「操作」をして、違った人間の違った事実が、特定の人間の事実にまとめられてしまう。こわい話ではないか。
 説明文だから柱の段落・文があるはずだと、「桂さがし」をし、発見したのが12段落のC文。
 氏は、@ABが前提、Cが結論という。つまり、魚の研究家末広氏は、ドイツの養魚場での一事件を前提に、「魚は音がわかる」という結論を引き出したことになる。8段落以降が記録文になっていることが読めないために、「まとめられ」とか「補足」とか、何の根拠もない「操作」をして、ラドクリッフ博士の見た現象や判断を筆者の経験や主張に移行させてしまったのである。
 ここでは、筆者の描いたラ博士の見た現象や判断が本当に事実だったのか。もし事実だとしたら、これだけのことでなぜラ博士は考えを変えてしまったのか、という吟味(「事実よみ」)の方が必要であろう。
  C文を筆者の結論とした阿部氏が行きつくところは、C文の「書き換え」の実践(著書110ページ)である。
  @ABを前提、Cを結論としてみたものの余りにも飛躍している。そこで、CD文を子どもにこう書き換えさせるのである。
 「ますが音を聞き分けることがはっきりしました。このようにしていろいろな魚にいろいろな音を聞かせてためしてみますと、結局、魚はいろいろな音を聞き分けることがわかりました。」と。
   筆者は、D「ラドクリッフ博士も、これを見て、自分の考えを変えないわけにはいきませんでした。」と、「事実」として書いているのである。これを他人が書き換える権利があるのだろうか。子どもにそんなことを教えていいのだろうか。
   筆者は、この一現象からラ博士が全てを悟ったドラマチックな展開のおもしろさとして描いているのである。それを読み取らせないで、ひょっとして時空を超えて、ラ博士に会って証言でも取って来たのだろうかとさえ疑いたくなるような書き換えを子どもにさせるのは間違いであろう。これも、記録文の時間・空間の論理を否定する誤りと根は一つであるように思う。

非科学的な「説明的文章」2分類

 阿部氏は四つの理由(前提)を挙げた後でこう結論する。

 だから、私は「説明的文章」を「説明文」と「論説文」の二つに分類していきたい。

 論説文(阿部氏のこの文章が論説文であるなら)の結論に「私は……ていきたい」などという個人的な気持ちを表す表現をするのは変なのだが、すでに論述してきたように、氏には、記録文と論説文の区別も定かでないようだから、もうそのことは問うまい。とにかく、この2分類には、何の科学的根拠もないということである。
 阿部氏の「『説明的文章教材』の徹底批判」を批判するのは、これで2度目である。1度目は、2年前この著書が出された直後、6枚のプリントにまとめて、全運営委員に送って学習の資料にしてもらった。しかし、阿部氏からは明確な反論もなく、相変わらず独自の理論と実践をすすめているようであった。そこで、今回は、やや手厳しく批判することにした。反論を待ちたい。「私は私」では、読み研の理論と実践は前進しないのだから。
最後に、科学的な読みの方法を求めて、苦闘されているみなさんに「すべての文章の基礎になる」記録文の学習をおすすめして結びとする。

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