07010104   科学的「読み」の授業研究会『研究紀要Y』(2004年8月1日 発行)より      TOPへ戻る

はじめに
   長畑龍介先生の原稿を掲載させていただくことができました。ぜひ多くの方にお読みいただき、教材分析にご活用いただければと思います。長畑先生が記録文の実践的問題として論じているのは、『研究紀要X』に掲載されている次の二本の論考である。柳田良雄氏の「小学校低学年の説明的文章読解指導――「すみれとあり」(教育出版・小ニ・上)を例に――」と丸山義昭氏の「記録文教材をどう読むか――「ツバメがすむ町」(川道美枝子)の読み方指導――」。この二本の論考も、私のホームページで公開させていただきたいと思っていますが、柳田氏の論考については、読み研のホームページで公開されていますので、そちらをお読みいただければと思います。
http://www.adachi.ne.jp/users/hokuroka/page004.html

  私の勉強も兼ねて、長畑先生の原稿について私の疑問点をまとめてみました。長畑先生へ疑問点をお送りして、長畑先生からの回答を投稿していただく予定です。みなさんからも、気軽にご質問等を私のところに投稿いただければ、同じように長畑先生にお尋ねすることも可能です。ぜひ、このホームページをご活用ください。


記録文の構造よみの実践的問題     松戸読み研と新潟サークルの提案に関わって      長畑龍介(岡山みまさか塾)

  一昨年の冬の研究会(2002年12月)に期せずして二つの分科会で記録文が分析された。一つは、松戸読み研が提案した「すみれとあり」(教育出版二年上)の分析と授業、もう一つは、新潟サークルの「つばめがすむ町」(光村図書四年上)の読み方指導である。

「つばめがすむ町」の分析

 まず、「つばめがすむ町」の構造よみから検討する。全文を引用すると長くなるので、初めの[1][2][3]段落と終わりの[11][12]段落以外は要点のみとする。

[1]  ツバメやカラス、スズメは、町なかで見られる、わたしたちになじみ深い野鳥です。なかでもツバメは、家ののき下やかべに巣を作り、人間の近くで子育てをします。
[2]  そのツバメが、わたしの住んでいる京都市内でへってきたという話を聞きました。そう言われてみると、「本当に数がへっているのか、本当だとしたら、なぜなのか。」といったぎもんがわいてきました。
[3]  そこで、京都の市街地で、ツバメがどんな場所に巣を作っているのかを調べてみることにしました。京都に住む人たちによびかけたところ、およそ六百人もの人が協力してくれました。
[4] (調査の時期と方法)
[5] (「ツバメ地図」を作ったこと)
[6] (調査の結果)
[7] (結果の解説)
[8] (「人がにぎやかに出入りする家に巣を作ることが多い」ことの理由)
[9] (次の年からの調査とその結果)
[10] (巣の数がへった区の理由)
[11]    全体として、ツバメはへっていました。そして、へり方のはげしい所は、町の様子が変わったためであることが分かりました。
[12]    京都の多くの家では、なんとかツバメをよびもどそうと、巣台を置くなどのくふうをしています。人々は、ツバメが自分の家に巣を作り、同じ町でくらすことを望んでいるようです。それは、自分たちのくらす場所が、決して人間だけのものではないことを知っているからでしょう。

  新潟サークル(以下新潟)は、この構造を読みとるために、まず全段落の性格(記録文か説明文か)を分析している。時間的順序で記述されている「記録文」と時間以外の論理で説明されている「説明文」は、文章全体の性格〔文種〕を示す用語であると同時に、段落や文の性格も表わしているから、これは、説明的文章の読みには欠かせない分析である。

 この中で重要な読みは、[2]段落と[12]段落の読みであろう。[1]は「ツバメ」の「説明」と読んだ後、[2]のA文についてこう述べている。

   そう言われてみると、「本当に数がへっているのか、本当だとしたら、なぜなのか。」といったぎもんがわいてきました。

は、問題提示の文の形にはなっていない。「・・・・といったぎもんがわいてきました」とあって、事実の記録という形になっている。
 つまり、[2]段落から記録が始まっていると読みとっているのである。

[12]段落の読み

[12]については、「説明」として、さらにこう述べている。

   後文と考えられる第[12]段落は「まとめ」でもなく、「新たな問題提示」でもなく、「特に付け加えたいこと」であると位置づけられる。

  確かに、「ます」「です」の文末形からも、「説明」と読める。しかし、この文章全体が、「記録」の段落も含めて敬体で書かれているのである。時間の流れから言えば、この段落の「京都の多くの家では、なんとかツバメをよびもどそうと、巣台を置くなどのくふうをしています。」は、現在の事実を述べていて、やはり「記録文」と言えるのではなかろうか。

構造案の検討

 各段落の分析の後に、新潟は次のような構造案を出している。

[1]〜[2]  前文  (調査を始めた理由・動機)

[3]〜[8]  本文T (一回目の調査とその考察) 

[9]〜[11] 本文U  (二回目の調査とその考察)

[12]      後文   (特に付け加えたいこと)

  せっかく[2]段落は問題提示ではなく、記録の始まりと分析しながら、なぜ[1]段落といっしょにして「前文」としてしまったのだろうか。おそらく、説明文の構造(前文・本文・後文)が前提にあって、「問いのあるところは前文」という観念があったからではなかろうか。記録文には、時間の流れや区切りはあっても、本質的には三部構造はないことをまず明確にしておく必要があろう。つまり、この文章は、

[1]          説明文(ツバメと人間のくらし)

[2]〜[12]  記録文(京都におけるツバメの調査)

と大きく分けられる。   

 記録文の構造よみ

   では、記録文の構造はどうか。それを読み取るために、先ずポイントになるのが「時」を表わす表現である。それをセオリーにして子どもに探させる。

[4] 一九九三年の五月の半ばすぎ 

[9] 次の年から、その後の五年間

[12]・・・をしています。

焦点となるのが [11]段落。その文章は、

   全体として、ツバメはへっていました。そして、へり方のはげしい所は、町の様子が変わったためであることが分かりました。

であるが、「全体」が、どの地域の全体を指すのか。新潟は、[9]段落、

 わたしたちは、次の年から下京区と東山区にしぼり、調査を続けてみました。すると、その後の五年間で、使われている巣の数が、東山区では八十九こから少しずつふえていったのに対して、下京区では六十三こから半分にへってしまったのです。

の「東山区」と「下京区」と読んでいる。しかし、私は[3]段落からの調査地である「京都の市街地」([6]段落の「京都市の中心部の上京、中京、下京、東山の四区」)の全体だと思う。その理由は、

@ [2]段落と[11]段落は対応した書き方になっていて、[2]段落の「ぎもん」に対する答が[11]段落と読みとれる。

A 東山区と下京区だけでは、「京都市内」の「全体」とは言えない。(ここでは、新潟の「表層のよみ」の「上京、中京、下京、東山の京都市内での位置は?」が生きてくる。)

B 最初の4区の調査でも、[4]段落を読めば、今年と去年、そして、「何年前から来ていますか」と聞き込みをしているから、増減は把握しているはずである。

からである。
 このように読めば、[2]〜[11]の構造は、

[2]・[3]  調査に入る前(動機、準備)

[4]〜[8]  一九九三年五月半ばすぎ(一回目の調査)

[9]〜[10] 一九九四年から五年間(二回目の調査)

[11]         調査後(調査の結果と分かったこと)

[12]         現在(京都の家のくふう)

となる。

 この構造よみの授業では、[11]・[12]段落のよみについての討論を通して、「全体として」が指す範囲や[12]段落に「今では」などの「時」を表わす言葉がないことなどこの文章の分かりにくいところ、叙述の足りないところが明らかになるだろう。「よみ」とは、本質的に吟味や批判を含むからである。

記録文の構造よみの指標

 新潟は、構造よみの後で、こう述べている。

 ●記録文における「前文」の指標は、まだサークルでは定めていないが、説明文・論説文のように、包括関係で「前文」を把握することはできないだろう。説明文・論説文とは少し違う指標が必要となろう。今後の検討課題である。この文章では、調査とその考察の部分を「本文」とするなら、その調査を始めることになった理由・動機を述べている部分を「前文」とするのが妥当となろう。

 実に新潟らしいこだわりようである。あくまで、記録文(この文章では[2]〜[12]段落)にも前文・本文・後文の構造があると考えているのだろうか。しかし、次のような記録文ではどうか。

   あり(日本書籍一年上)

@ ありが、すからでてきました。

A ひげのさきを、じめんにくっつけたりはなしたりしています。

B なかまのとおったあとのにおいをたしかめているのです。

C ありが、きにのぼっていきます。

D うえのほうに、ちいさなあぶらむしがいるのです。

E ちょんちょんちょん、ひげであぶらむしのせなかをかるくたたきます。

F すると、あぶらむしが、おしりからあまいしるをだします。

G これは、ありのごちそうなのです。

H てんとうむしがやってきて、あぶらむしをたべはじめました。

I すると、ありたちがよってきて、てんとうむしをおいはらっていました。

  この文章を、前文、本文、後文に分けることは不可能ではないだろうか。
 では、何を基準に構造を読みとればよいのか。
  大西忠治は、「説明的文章の指導」の中でこう述べている。

「『記録文』の構造読みは『前文・本文・後文』というふうに把握するのではなく、限定的に提示されている『とき』をあらわすことばをめどにして、内容となっている『記録された事実』の、変化を、把握していくことだと、断言できそうである。」

  つまり、「とき」と「内容」を基準にして構造を把握するというのである。

「あり」の構造

  そこで、まず「とき」を基準にして、この記録文を分析してみよう。「とき」とは、年、月、日、時刻など、「いつ」にあたる「時期」のことと、「とき」が速く進むか遅く進むかの「時間」のことである。

1 @AB―@とAの間は「即」であり、時期の差はほとんどない。BはAの説明である。

2 CD―C文には時間の経過があるが、DはCの説明である。

3 EFG―EとFの間は「直ぐに」であろう。GはFの説明である。

4 HI―HとIの間も「直ぐに」である。

   そして、1234の間には、一定の時間の経過があり、時期の違いがある。

 次に、「内容」で考える。「内容」とは、記録文の場合、主に「場」と「できごと」である。その変化で分けてみる。

1 @AB―すの外、ありのようす

2 CDEFG―木の上、ありとあぶらむしのようす

3 HI―木の上、てんとうむしの出現

となるであろう。

 この文では、三つか四つか、どちらかに決める必要はあるまい。重要なことは、時間の経過とその表現の仕方、「すると」の接続語の意味、BDGの説明の文は、「です」という文末表現になっていることなどの読み取りと書くことに生かすことを教えることである。

  この文章のように、本来「記録文」には前文や後文はない。だから、教科書などでは、子どもに分かりやすくしようと、冒頭や末尾に説明文を置くのであろう。その場合、その説明文の部分が、当然前文や後文になることを、新潟のいう「包括関係」で教えればよいのだと思う。

説明か記録か

 ところで、先に、新潟の各段落の性格分析で、重要な指摘があると言った。それは4段落についてである。こう述べている。

第四段落 

@調査を行ったのは、一九九三年の五月の半ばすぎです。

A(@の説明。)

B・・・二人一組になって調べます。

C・・・のぞきこんでいきます。

D・・・記録します。

E・・・しつもんして、書きこみ用紙になるべくくわしく書きます。

F・・・記録します。

※B〜Fは現在形で書かれていることからも分かるように純粋な記録ではないが、調査のやり方を時間の順序で書いている。

 つまり、この段落は、論理関係で言えば、@A文含めて前の段落の説明であるが、段落内の文関係は時間的順序で書かれていると読みとっているのである。そして、こういう段落の要約よみは、記録文と同じ読みとりになると主張しているのである。

 こういうきめ細かく几帳面な分析と指導が、説明的文章には必要であると思うし、特に、この文章では、説明か実際の記録かを、敬体の現在形と過去形で書き分けて明快に示しているので、そのことを子どもに教えておくことが重要であろう。

「すみれとあり」の分析

 松戸読み研が分析した「すみれとあり」は、次のような文章である。(さし絵は省略) 

 1 春のみちばたにすみれの花がさいています。

 2 よく見ると、コンクリートのわれめや、高い石がきのすきまにもさいています。

 3 どうして、こんなところに、さいているのでしょう。

   (1行空き)

 4 すみれは、花をさかせたあと、みをつけます。みの中には、たくさんのたねができています。

 5 よく晴れた日、みは、三つにさけてひらきます。

 6 そして、たねがピチッピチッと音をたてて、いきおいよくとび出します。とび出したたねは、つぎつぎと近くの地面におちます。

 7 ありがやってきて、たねを見つけました。

 8 ありは、たねをじぶんのすの中へはこんでいきます。

 9 しばらくすると、せっかくはこんだたねをすのそとにすてています。どうやらたねは食べなかったようです。

10  すてられたたねをよく見ると、もともとついていた白いかたまりがなくなっています。ありは、たねについていた白いかたまりだけがほしかったのです。

11 ありのすは、コンクリートのわれめや、高い石がきにもあります。ですから、すみれは、そこでめを出し、花をさかせたのです。

   (1行空き)

12 すみれはなかまをふやすために、いろいろなばしょにめを出そうとします。しかし、すみれは、たねを近くの地面にしかとばすことができません。すみれがとばしたたねは、ありがいろいろなばしょにはこんでいたのです。

 松戸読み研(以下松戸)は、この文章の本文[4]〜[11]の構造読みを模擬授業で試みた。この文章は、新潟の分析にもあった「記録文で書かれた説明の文」である。

 「なかま分け順番あてクイズをやろう」と子どもに興味づけをしながら、段落ごとに書いた紙をバラバラにして黒板にはった。それから、8枚の紙を、すみれの(ことが書いてある)なかまとありの(ことが書いてある)なかまとに分けさせたのである。

 直ぐに分けられたのもあったが、やがて、「両方書いてある」という声が出てきて、結局、[7]段落から後は分けられないことになってしまった。それでも、[6]段落までのグループと[7段落から後のなかまの二つに分けられ、それぞれの中で順番を考えさせた。

 松戸が、この本文を時間的順序で書かれている文章であると分析し、その構造を「とき」と「内容」で読みとらせようとした実践をおおいに評価したい。そして、その授業を見ながら、記録文の構造よみは、先ず「とき」で、次に「内容」で読むのが原則ではないかと考えた。その逆をやったために、一時生徒の間に混乱が生じたのではないだろうか。

「とき」と「内容」を基準に

 それでは、この[4]〜[11]段落の構造を、「とき」(時期・時間)と「内容」(場とできごと)でどう読みとるのか、私の試案を提示したい。(切り離さないでそのままの文章で。)

 第一の発問

「八つの段落の中で、時間の流れが途切れて、少し後の時に移っているのは、どの段落とどの段落の間でしょう。」

 答えとして、[4]と[5]、[6]と[7]、[8]と[9]、[10]と[11]が出るだろう。そこで、[8]と[9]については、時間は途切れてなく続いているという意見や、[10]と[11]については、「別のことが書いてある」などの意見が出るかも知れない。

 討論をさせながら、時間の切れ目で次のように分ける。

(1) [4]

(2) [5][6]

(3) [7][8]

(4) [9][10]

(5) [11]  

そして、[11]については、前の文との時間とは関係なく書かれた説明の文であることを教える。

第二の発問は、

「五つに分けたけど、内容からまとめられるものはどれとどれでしょう。」

 討論の中で、次のようにまとめる。

[4][5][6]       ―すみれのたねがおちるまでのこと

[7][8][9][10]―ありがたねをはこぶこと

[11]                  ―すみれが思いがけないところでさいているわけ

   これを本文の構造よみとする。

[11]段落は本文か後文か

 ところで、この文章全体の構造には、もう一つ重要な問題が隠されている。

 教材は、[3]と[4]、[11]と[12]の間が1行空きになっている。そこで、松戸は、[3]までが前文、[12]が後文として、その時のテーマであった本文(記録文)の構造よみに入った。それはそれで了解できることであるが、もし仮に、1行空きになってなかったら(そういう文章も多い)、全体の構造をどうとらえるか。考えてみる価値があると思う。

 [3]までが前文で[4]から記録文による解明が始まっていることはだれしも異存はなかろう。問題は[11]段落である。

 前文が問題提示であれば、後文はその答えや結論の部分という基準に従えば、[11]から本文となる。説明文でもあり、内容も対応している。

 しかし筆者自身(あるいは教科書編集者)も意識しているように、[12]のみが後文である。なぜかというと、前文・本文・後文の第一の基準は、その名称そのものにあるからです。(文学作品では、「クライマックス」=最高潮が第一の基準を示すように)。つまり、「本文」とは、

文書・書物の本体をなす部分。序文・付録などに対していう。(「広辞苑」より)

とあるように、文章の本体であり、主要な部分であり、「前文」は、「本文」を述べるための前置きに過ぎなく、「後文」は、後に付け足したものなのである。
 この基準で読むと、[11]は論理の流れからいって本文に入り、[12]は、改めて全文をまとめ直している後文である。
 したがって、文学作品の「クライマックス」をまず直感的にとらえさせるように、説明的文章でも、子どもたちの読み書きの経験から「文章の流れ」「筆の勢い」「流れの転換」まず直感的に読み取らせることから構造よみをすすめることが大切ではないでしょうか。
  こう問題提起してみると、「つばめがすむ町」の[12]段落の性格を改めて検討しなければならなくなってくる。ここでは、[11]までの調査の結果をふまえて、「現在京都では」というのでなく、京都の人々のつばめへの対応を「説明」してしめくくっていると読むべきかもしれない。そうだとすれば、[11]までが記録文で書かれた本文ということになるだろう。

  松戸や新潟のサークルの提案から、記録文の分析と実践がようやく進展し始めたという思いがした。この流れをさらに確かなものにしたいと願って問題提起をした。ご批判を乞う。


長畑先生への質問