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070403 ドラゴンスピーチ(音声認識ソフト)のススメ

ドラゴンスピーチにICレコーダーを連携させて文字認識させるために

(1)ICレコーダーのユーザーを作るためのヒント

ICレコーダーのユーザーを作るためには、読み声を認識させるために「トレーニングテキスト」を、ICレコーダーに録音する必要があります。「トレーニングテキスト」は、ドラゴンスピーチの「新規ユーザーウィザード」の手順に従っていくとコンピューター上で表示されるので、その画面を見ながらICレコーダーに録音するのですが、読みにくいです。一番やりやすいのは、テキストを「印刷」したものを読む方法です。
A「表示」をクリックすると「テキストの録音」という画面が表示されますが、右側のスクロールバーを下に引っ張らないと全部のテキストが表示されないので、録音するにしてもやりにくいです。
A「印刷」をクリックすると、印刷できます。
下の「新規ユーザーウィザード」の説明書きには「重要:トレーニングテキストを録音するときは、ICレコーダーの設定を最も音質の良いモードにしてください。」と記載されていますが、ソニーのICレコーダーを使っての音声認識をする場合は、「録音モード:SP(モノラル高音質)」「マイク感度:口述」「指向性:入り」に設定して録音した方がよいでしょう。実際に使う設定と同じにして録音することがポイントです。

そこで、トレーニングテキストの三つを、以下に掲載しますので、どれか一つを選んでICレコーダーに録音してください。
読み方ですが、「、」「。」を「てん」「まる」と読まないでください。普通に文章を読んでいけば結構です。

トレーニングテキスト(その1)OUTDOOR BASIC 赤木々孝夫 
アウトドアベーシック
1.装備のポイントは軽量・コンパクト・機能性・信頼性
アウトドアの装備を選ぶうえで大切なポイントは、軽量、コンパクト、機能性、信頼性の4つだ。アウトドアの楽しさは、この4大原則に左右されるといってもいい。
特に軽さは重要だ。装備品は軽ければ軽いほどいい。野外で生活するためのすべてを自分で背負わなければならないのだから当然だ。荷物が軽ければ行動することも楽になる。行動が楽であれば疲労も少ない。
そして疲労が少なければ、水や食料などの量も違ってくる、という風に、重量はアウトドアのあらゆる面で、大切なキーポイントになってくる。
もちろん軽いことだけが判断基準になってはならない。軽くてもかさばるものは、パッキングする時に困るし、必要な機能が軽量化のために、おろそかになってもいけない。アウトドアで頼れるのは、道具と自分だけなのだから、信頼性も重要視すべきだ。
つまり軽量、コンパクト、機能性、信頼性のチェックポイント全体で、装備を選び出すことが大切なのである。しかしだれもがこう考える。「アウトドアではどんなことが起きるかわからない。だからもしもの時のために、使うかもしれないものを持っていきたい」と。
しかし「もしも」とか「かもしれない」という言葉がつく装備品は、意外に使う機会が無いことが多い。そういう装備品には、ただ安心するために持って行く、というニュアンスが強い。初心者であるとか、初めての場所に出かけるときなどに起こる、多分に心理的なことなのだ。
身の回りのものをあれもこれもと持って行こうとするときりがない。もし足りないものがあれば、現在あるものをうまく使って間に合わせるべきだ。そして使うか使わないかで選ぶのではなく、そのものがどれくらい使うかという、使用頻度で選ぶことが大切だ。
2.これだけは絶対必要!衣類の装備
アウトドアに出かけようという人は、日常につけている衣類も、それなりに機能的なものであるはずだ。フィールドでも、基本的には普段着で大きな問題はない。ジーンズにTシャツ、その上にジャケットという動きやすいスタイルで十分だ。
ただし、汗をかいたり雨や水に触れることも考慮に入れて、基本ウエアは最低でも2セットを用意すること。常に乾いた衣類を身に着けることが、アウトドアでは重要だ。
アンダーウエアは、できれば汗を発散しやすい、科学素材のものを選ぶ。乾きにくいコットンは避けた方がいい。ソックスは吸湿性を考えると、あまり薄手(うすで)のものは向かない。
フィールドでは、朝晩は気温が下がる。また体を動かした後は、たちまち汗が冷える。暖かい季節でも、ウインドブレーカー程度のものは、1枚用意しなければならない。
同様に雨の心配がないと思われる時でも、雨具は用意しておく。天候が急変したときに、用意がなければ危険でさえある。ゴアテックスのパーカーなど、防風と防水双方の機能を備えたものであれば一着ですむ。
帽子は日差しを防ぐことのほかに、不意の落下物などから、頭部を守るための意味もある。つばのついたキャップは、雨が顔にかかることを防ぎ、またレインウエアのフードをかぶったときにも、フードがつばによって視線とともに動くなど便利だ。
グローブは手を守るために、移動中やキャンプサイトでの作業などで必要になる。革製のフィールドグローブもあるが、普通の軍手で十分だ。ただしナイロン製の軍手は厳禁。熱に弱いため焚き火(たきび)などの裸火(はだかび)を扱うときに溶けてやけどすることがある。
3.これだけは絶対必要!炊事用装備
アウトドアで食事をするためには、必要な道具類をすべて背負って出かけなければならない。当然それらの道具は、食料も含め軽量でコンパクトなものが要求される。
アウトドアでの食事はフリーズドライ食品がベストだ。軽量でかさばらず、簡単に調理することができる。栄養価も高くメニューも豊富だ。よりおいしい食事をとりたければレトルト食品があるが多少重量が増す。
調理に使う火はストーブを利用する。場所が限られているうえに、手間がかかる焚き火(たきび)より、素早く簡単に調理できるストーブの方が合理的だ。ホワイトガソリンを使うものと、ブタンガスを使うものとがあるから、必要な燃料を十分用意すること。
食器はいわゆるコッヘルになる。なべのふたがフライパンになっていたり、なべがそのまま食器として使えるなど、合理的に作られている。カップや皿などがコンパクトに収まってしまう、メスキットはその代表的なものだ。
シェラカップはコップや食器として使えるほか、そのまま火にかけることもできる。一つあると重宝する道具だ。当然スプーンやナイフ、フォークも必要になる。十徳(じゅっとく)ナイフよりも、それぞれが分かれているものの方が使いやすい。
また、環境保護の意味から、アウトドアでは出来る限り洗剤を使わない。ほとんどの食器の汚れは、拭くだけできれいになる。油汚れもお湯をかけて拭くだけで十分落ちる。そのために食事の後片付け用として、トイレットペーパーを用意しておく。
これらの装備は、一人ひとりが自分のものを持つのが基本だ。数人のパーティーであれば、食料を分担して持ってもいいが、少なくとも食器類は自分用のものが必要になる。システムとして構成されている装備を、貸し借りして使うのは合理的でない。コッヘルがいくつかあると、同時に調理を進めることができる。
4.これだけは絶対必要!睡眠用装備
テントはアウトドアにおける「家」に当たるものだ。雨が少ないアメリカの一部では、キャンプにテントを持って行かないこともあるが、日本ではどんな時期にでも雨は降る。特に山岳部(さんがくぶ)は天候が変わりやすい。アウトドアにテントは必需品だ。
最近のテントは数本のポールで屋根の部分を支える、いわゆるドーム型が主流だ。設営が簡単でしかも軽量、コンパクトに収納できる。
素材にゴアテックスなどの防水素材を使用しているもの以外は、雨を防ぐためのフライシートが必要になる。ドーム型テントは自立式だが、設営を確実にするためにペグを使う。装備をパッキングする際には、テント本体だけでなく、ポールやフライシート、ペグ、ラインがそろっているか確認しなくてはいけない。
そして眠るための寝袋。寝袋の下に敷くマットも必要だ。地面の硬さと冷たさを和らげて、快適に眠ることができる。エンソライトなどの素材を使ったものがいい。大きさは上半身に敷くハーフサイズから、全身をカバーするフルサイズまである。夏はハーフでも構わないが、気温が低い時期は、フルサイズのものが必要になる。
普通は脱いだ衣類を、丸めて枕の代わりにするが、市販のものを利用するとより快適だ。また夜のために懐中電灯などのライトも必要になる。野外向けを考えた明るいものもある。
ヘッドランプも作業をする時に便利だ。いずれも予備のバッテリーは必ず用意しなければいけない。
5.衣食住以外の必須携帯装備はこれだ
衣食住の装備のほかに、アウトドアで過ごすために欠かせないものがいくつかある。まずファーストエイドキット。野外では大小にかかわらず、予期しない事故が起こり得る。
傷ややけどなどの外科的なケガから、発熱や腹痛などの内科的な病気に至(いた)るまで、出来る限り自分で対処しなくてはいけない。旅の長さにかかわらず、ファーストエイドキットは必ず用意する。
地図とコンパスも重要なものだ。トレールを歩くだけであれば道に迷うことはない。しかし、自分が地図上のどこにいるかを確認することは、大切なことであり、単に方角を知ることだけでも、大きな意味がある。
水場、キャンプサイト、危険など、地図とコンパスが教えてくれる情報は多い。万が一迷った場合に役立つのはもちろんだ。
ナイフはアウトドアでは万能の道具だ。ものを切るという機能は、非常時に必要な道具を作ることができる、という可能性を持っている。通常は調理に使う程度でも、もちろん構わないが、装備品として欠かすことはできない。
もしもの時に備えて、3食のほかに非常食を用意しておく。アウトドアでは、およそ遭難しそうにない場所であっても、思わぬ事故が発生する場合がある。市販のハイカロリー固形食品など、コンパクトで栄養価の高いものがいい。
緊急の時の備えとしては、もうひとつサバイバルキットが必要だ。サバイバルというと、大げさに聞こえるが、野外では用意しておくことに越したことはない。ナイフやコンパスの機能を持ったツールがセットされている。
最後に水筒。日本ではまず飲み水に不自由することはないが、常に水場に近いところで、行動しているわけではない。またケガをした場合は、傷口を洗うためにも、水は常に携帯していなければならない。これらの装備は、どんなアウトドアでも必要になるものだ。ふだんからザックの中に入れておくといい。
6.より快適さを求めるならこれが便利
カメラやスケッチブックは、自然の姿を具体的に記録してくれる。また図鑑やガイドブックがあれば、自分の知識だけではわからない動植物、あるいはフィールドの別な一面を知ることができる。
星に興味があれば星座早見表、釣りをするならロッドやタックルの類、バードウオッチングを楽しむなら双眼鏡がそれぞれ必要になる。雨で外に出られないときにテントの中で読む文庫本もいい。
これらの趣味アイテムを基本装備に加えれば、自分がやりたいアウトドアのスタイルが見えてくる。ただし、決してよくばらないことが大切だ。写真なら写真、釣りなら釣りと遊びを一種類に徹すること。いくつも重複(ちょうふく)して趣味の道具を持って行くとなると、装備全体の重量が増すし、しかもどれもが中途半端になりかねない。
そして、自然の中で絶対に必要になるというわけではないが、持っていれば重宝(ちょうほう)する装備もある。細目のロープやガムテープ、針金は、テントなどの装備が壊れてしまった時の応急処理のために、また針や糸は、衣服やザックを修理する時に役立つ。
特にガムテープの強力な粘着力は、アウトドアの多くの面で重宝するから、必須携帯装備の中に入れてもいい。ラジオや筆記用具は、気象情報を検討する際に必要になってくる。
7.装備選びに「季節感」をとり入れろ
季節による装備品の違いも頭に入れておかなければいけない。冬のキャンプの場合は当然防寒のためのものが必要になる。セーターやダウンベスト、ウールのウォッチキャップや手袋などだ。基本装備のアイテムにこれらが加わる。
装備品の数やかさが増えるから、結果的にザックも大きめのものになる。寝袋も3シーズン用のものではなくダウンが入った冬用に、靴も雪があればそれなりにしっかりとしたものが必要だ。
衣類にしても靴にしても寝袋にしても、一年中使えるオールマイティーなものはない。冬にもアウトドアを楽しもうとするなら、「3シーズン用」と「冬用」の二種類の装備をそれぞれ備えなくてはならない。
問題は季節の変わり目にあたる時期と、高度による条件の違いだ。例えば九月でも始めと終わりでは気温が全くといっていいほど違う。
そして日本は南北に長い国ではあるが、同時に山国でもある。地方による自然環境の違いよりも、むしろ高度差による違いの方が重要だ。平地では残暑でも山間部はすでに晩秋の気象条件であったりするものだ。
このような場合に装備をベストチョイスすることは難しい。平均気温や風、雨などのデータを事前に集めて、自分で判断するしかない。その土地をよく知っている経験者に意見を求めると参考になる。
もう何年も前のことになるが、私は友人とパーティーを組んで冬山にのぼったことがある。その時は出来るだけザックを軽くしたい一心で、ぎりぎりの冬用装備で出かけた。すると連日連夜の寒波(かんぱ)でとても眠れず、テントの中を暖めるためにストーブをたびたび使わなくてはならなかった。気象条件を読み誤ったのだ。
当然のことながら予定していた量のガソリンを使いきってしまい、登頂をあきらめて泣く泣く下山してしまった経験がある。これなど、装備は季節に合わせた備えとバランスが大切であるといういい教訓だろう。
8.テントは大きめのドーム型がベスト
テントには最も簡単なチューブ式のものから、大型のロッジ型までいくつかの種類がある。
それぞれに特徴があり、フィールドに対する向き不向きがあるので、自分のアウトドアにあったタイプのものを選ばなければいけない。
バックパッキングで使うテントであれば、ドーム型とシェルター型の二つに絞っていい。
ドーム型は底辺の形がほぼ円形で、比較的テント内の空間が広く、数人用のものが多い。
大きさにもよるが、二人から三人用のもので約3キロである。シェルター型は底辺が長方形で内部空間はドーム型より狭いが、一人用のものであれば1キロ程度のものもあるほど軽量で、ソロキャンプ向きと言える。
どちらも湾曲する金属製のポールによって、天井部分を持ち上げるシステムになっている。
ドーム型では、二本以上のポールを使うが、シェルター型では一本だけのものもある。
いずれも部品数が少なく、他のタイプのテントに比べて軽量だ。収納時も非常にコンパクトになる。テントの大きさはどう判断すればいいか。カタログなどには二人用、三人用などと表示されているが、実際はそれよりも一回り小さくできていると考えた方がいい。
逆にいえば、三人用のテントを選んで二人で使うとゆったりしている。冬など装備が多い時期は、テント内に多少のゆとりが必要だ。
しかし大きすぎるものを選ぶことはない。空間が広すぎると、寒い時期は暖まりにくくなる。大きさは使う人数と時期で選ぶべきだ。
また雨の多い日本のキャンプでは、フライシートが必需品だ。本体に付属のフライシートなら、グランドシートが壁面に立ち上がっている部分まできちんとカバーするサイズかどうかをチェックする。テント本体にゴアテックスなどの防水素材を使っているものはとくに必要はない。
アウトドアの専門店であれば、実際にテントを張って確かめることができる。重量、広さ、縫製(ほうせい)などじっくりチェックすることが大切だ。

トレーニングテキスト(その2) 本の未来 富田倫生
本の未来
読みたい本が読めない事情
あなたには今、読みたい本がありますか?
本との出合いに、あなたは恵まれているでしょうか?
これまでに私は、いろいろな本を読んできました。そのうちの何冊かには、大きな心の揺れを覚えました。私が身につけた知識のかなりの部分も、本から得ました。忘れられない出来事や、人との出会いと別れに結び付いた本もあります。
読んだことの記憶は時に、生きたことの思い出と重なり合って、色合いの深いつづれ織りを成しています。
本を読む体験の中では、何度か苦労したこともあります。
実はこの本を書き始める前、書物の歴史を勉強しておこうと図書館に出かけました。何冊かあった関連の本の中でも、リュシアン フェーブルとアンリ ジャン マルタンというフランス人の書いた「書物の出現」には、腰をすえて読んでみたいと思わせる手ごたえを感じました。
何かを知りたいというはっきりした目的があって本を読むとき、私はたいてい赤のボールペンを持って、線を引いたり書き込みを入れたりしながら頁(ぺーじ)をめくります。翻訳本を読んでいると、「著者やその国の読者には常識なのだろうけれど、もっと説明してくれないとわからないな」と感じることがあります。
そんな時、私はよく百科事典などを調べて、わからない言葉に自分なりの注を付けていきます。内容が濃いうえに、かなり注のいりそうな「書物の出現」は、書き込みで真っ赤にしながら読んでいきたい類(たぐい)の本でした。
となるとこれは、買うしかない。
そこで巻末(かんまつ)のおくづけを見て、昭和60年9月30日という初版(しょはん)の発行日を確認しました。少し古くなると、本はすぐに手に入らなくなるという頭があったからです。
長く読み継がれる本がある一方で、新しい本が次々と生まれてきますから、限られた書店のスペースで読者との出合いを待てるものは、ほんの一握りに限られます。
およそ十年前に出た「書物の出現」も、書店ではまず見つからないだろうと思い、発行元のちくま書房の電話番号をメモしました。問い合わせてみると案の定(あんのじょう)、在庫はなく、刷り増し(すりまし)する予定もないと言います。
本作りの工程は、ある程度の部数を1度に作ってしまう前提で成り立っています。印刷用の原版(げんぱん)を作るところまでが高くつくため、数をまとめないと割高になるからです。初回の印刷分は、平均して5000部程度。3000部前後の本がないわけではありませんが、
数が少なくなればなるほど、定価はより高く付けざるを得ません。
最初に刷(す)った分が売り切れ、今後もある程度売れ続ける見通しが立つと、増し刷りになります。初回に作っておいた印刷用のフィルムを使い回せるため、再版では一冊あたりの製造コストを抑えられます。とはいえ、まとめて作りたいと言う事情はここでも付いて回り、増刷(ぞうさつ)も1000部程度を最低の単位として行われています。
いったん作ってしまった本は、出版社にとって資産です。見込みがはずれて売れ残れば、保管代がいる上に税金がかかります。涙をのんで断裁(だんさい)すれば、帳簿上は資産が失われて赤字が発生します。
実際に売れる部数を正確に予測して在庫を抑えることは、出版社にとって、商売の成否(せいひ)を分けるポイントです。初版分(しょはんぶん)が一気に売れたのならともかく、長い時間かけてようやく売り切ったものは、なかなか増刷(ぞうさつ)をかけようとはなりません。
きっと「書物の出現」も、そんな本の一冊だったのでしょう。
かつて編集の仕事にたずさわり、何冊か自分でも本を出してきた私は、たくさんの本が増刷(ぞうさつ)の予定のないまま品切れ扱いとされる、こうした背景を承知しています。
ただ出版業界の事情が分かったとしても、「どうしても読みたい」という読者としての気持ちが変わるわけではありません。やむなく図書館の「書物の出現」を読み始めると、やはり線を引きたくなります。「この本は手許(てもと)に置きたい」という気持ちも湧(わ)いてきて、結局はコピーをとることに決めました。
それぞれが400ページ近い上下二巻の複写は、半日仕事でした。本のように一まとまりになっていないコピー用紙の束(たば)は、扱いにくく、すぐにばらばらになってしまいます。保管にも実に不便です。
絶版書(ぜっぱんしょ)のコピーには加えて、原稿を用意してくれた人に対する、申し訳ない気持ちがつきまといます。
書きたい本
考えをまとめて封じ込めるには格好の器(うつわ)ではあるけれど、まとまった部数を作らないと一冊がとても高くつく。そんな本と言う器に、あなたは自分自身の物語を盛りたいと思われたことがあるでしょうか。
あなたには書きたい本がありますか?
私にはありました。
同級生から一年遅れて昭和51年に大学を卒業したころ、考えていたのは、とにかく出版社に潜(もぐ)り込むことでした。
中学の終わり頃から、私は原稿を書く仕事がしたいと考えるようになりました。ただし、漠然(ばくぜん)とそんなことを思っていても、どうすれば物書きになれるかは分かりません。とりあえず出版社に入ればライターになる段取りが見えるだろうと考え、求人広告を見つけては履歴書を送りました。けれど、どこも受け入れてくれません。
やむなくアルバイトで図書整理の仕事を続け、気にかけてくれたバイト先の人の口利きで、編集プロダクションにまぎれ込みました。
編集にまつわるさまざまな作業の中で、もっぱら手間のかかる面倒な仕事を下請け(したうけ)でこなすプロダクションには、思い入れを育てる余地はなかなかありませんでした。本や雑誌作りにたずさわっていられるのはそれでも楽しく、何かあると連日の泊まり込みで仲間たちと仕事の山に立ち向かう日々には、手応え(てごたえ)もありました。
けれどたずさわっていた雑誌に、毎月かなりの分量の記事を書くようになり、他の雑誌からの取材も手伝わないかと声がかかりはじめると、なぜ会社に籍を置いているのか、分からなくなりました。
初心だったはずの 「書く」 体制が整い始めたのなら、一人でやっていこうという考えに傾きました。仲間を置き去りにするような気がして、しばらく後ろ髪を引かれていましたが、とうとう踏ん切りがつきました。
昭和58年5月、会社を辞めて、私は肩書きのない名刺を作りました。
新前のライターにとって好都合だったのは、当時パーソナルコンピューターという新しい道具の回りに、新しい世界が開けつつあったことです。
個人が持てるコンピューターをうたって、日本でも五年ほど前に、むき出しの回路基板(かいろきばん)から出発したこの分野には、専門家がいませんでした。興味を持った人間がともかくやってみて、一歩一歩開いていったのがこの世界でした。
昭和45年を前後する我々の高校時代には、世界的な学生運動の熱がみなぎっていました。
時代の熱にあおられた友人の一人は、60年代が終わって騒動がばたばたと片づく中で、向かうべき場所を見つけようとしばらくのあいだもがき続けます。その彼が、パーソナルコンピューターに、心の拠り所(よりどころ)を見つけました。
「コンピューターという強力な武器を、国家や大資本が独占する状況がこれでくずせる」
彼は久しぶりの晴れやかな表情で、そう語りました。
その友人の影響に加え、所属していたプロダクションの好奇心旺盛(こうきしんおうせい)な社長に「いっしょに勉強しよう」と誘われたこともあって、私はコンピューター言語のベーシックで、プログラムを書く作業に熱中し始めました。
自分が普段、何気なくやっている動作をコンピューターに処理させようとすると、意識の下に潜(もぐ)り込んでいる手順を引っぱりだして、はっきり確認していくことが必要になります。
そうした作業を続けていくと、自らのさまざまな振る舞いに強い光が当たり、これまでになかった視点から自分自身をとらえられるような気がしてきました。たんぱく質でできたロボットであるという自分の一面が、くっきり浮かび上がってきたのです。
プログラムで記述した小さな世界が、コンピューターの中で動き始めることにも、胸がおどるような喜びを感じました。
「パーソナルコンピューターは一人ひとりの知性を拡大し、人を自由にする」
1960年代後半に置き忘れてきた精神がよみがえったようなこうした主張にも、きんせんが震えました。
物事その物よりも、意味付けや能書きに過度(かど)に傾いてしまい勝ちな性格が災い(わざわい)して、「プログラミングを体験した」という程度以上には、わたしの技術は進歩しませんでした。
それでも専門家のいない分野で、雑誌や本を次々に出していく要請に助けられて、怪しげな新前のライターは仕事のチャンスを得ます。パーソナルコンピューターに興味があってしり込みさえしなければ、原稿は受け取ってもらえました。
個人営業のライターの看板を掲げた時期は、一般向け科学雑誌のブームにも重なり合いました。ここにも、しり込みさえしなければ、原稿を書かせてくれる市場が生まれていました。
こうしてある種の科学ブームのどさくさにつけ込んでライターへの転身を果(はた)す中で、考えていたのは自分の役割です。
科学雑誌の編集部から求められていたのは、基本的な知識や新しい発見、我々がとらわれている常識とは食い違う科学的な視点などを、わかりやすく、かみ砕(くだ)いて表現することでした。
紹介したい科学者は、例外なく研究に没頭(ぼっとう)している。一般向けの雑誌に、しかも月刊誌の早いサイクルに合わせて原稿を書いてもらうことは、大変難しい。そこで大学や研究所を走り回って、聞いてきた話をまとめるレポーターが求められました。
こうした仕事をこなす中で、自分なりに目指したのは、科学なり技術なりが門外漢(もんがいかん)の普通の人々にとってどのような意味を持つのか、何とかその接点を探りたいという点でした。
知り合いの編集者から、「情報技術に関連した書き下ろし文庫の一冊を任せたい」とチャンスを与えられたときも、技術そのものではなく、技術と人、技術と社会について考えたいと思いました。
我々の時代はなぜパーソナルコンピューターを生み出し、育てようとしているのか。パーソナルコンピューターはどんな文化的な流れをくんで生まれ、自らをはぐくんだ潮流(ちょうりゅう)を、今後どこに導こうとするのか。
納得のいく答えを出す算段が付いていたわけではありません。けれど、ともかくそうした視点をすえて、一冊にまとめてみようと考えました。
ギターとコンピューター
1960年代の半ばから後半、中学から高校にかけてつかまっていたのは「うた」でした。
音楽に目覚めたきっかけは、ビートルズです。しばらくして、フォークソングの人気を押し上げたピーター ポール アンド マリーというグループを案内役にボブ ディランを聞き始め、そこからピート シーガー、ウッディー ガスリーとさかのぼっていきました。
人種差別に向き合った公民権運動の中で、うたが大きな役割を果たしたことを知りました。
アメリカのフォークソングの伝統に学びながら、視野を広くとって自分たちのうたを見つけようとする、いわゆる関西フォークには、どっぷりはまったくちです。ギターを抱えて自分でも歌い始めると、気持ちはいっそうフォークソングに傾きました。
当時の日本では、よほどの金持ちの子でもない限りアンプやドラムを手に入れるのは難しく、大きな音を出せば出すほど、練習場所にも苦労する事情もかかわっていたのかもしれません。ただ当時の気分を思い起こせば、言葉をメロディーにのせて伝えるのなら、大きな音や派手な仕立ては必要ないと感じていたのだと思います。
こうして大きくロックからフォークに揺れていく中で、当時は二つの潮流(ちょうりゅう)を区別して受けとめていました。それが十五年ほどたってあらためて振り返ると、私の意識はむしろ、ロックとフォークの共通点に向きました。
ギターを抱えて、自分の作ったうたを自分のスタイルで表現しようとする点においては、二つは一つではなかったか。
そしてロック、フォークの台頭(たいとう)と学生運動のこうように象徴される1960年代の百花(ひゃっか)せいほう、百家(ひゃっか)そうめいの時代精神が、1970年代半ばになって、パーソナルコンピューターとしてよみがえったのではないかと、少々強引な仮説を立てたのです。
「挫折と沈滞を余儀なくされていた一つの時代精神が、パーソナルコンピューターという革命児を産み出したのではないか」
前書きでそう意気込んでから書き始めた、私にとって初めての本は、「パソコン創世紀(そうせいき)」と名付けました。発行は昭和60年2月25日。出来上がってきた小さな本は、そっと包んだてのひらを暖めながら、にこにこほほえんでくれました。
自分の本が、とりわけ初めての著書が書店に並んだときの、気恥ずかしさの混じったうれしさは、どう書き表せば伝わるでしょう。
あけすけな書き手は、自分の処女作を買い占めて回ったり、目につく場所に移し変えたり、毎日欠かさず売れ行きを定点観測したりといった体験を語っています。
そんな原稿を読むたびに、私は「パソコン創世紀(そうせいき)」が出た直後の自分を思い出してしまいます。初めての著書を出した書き手がやりそうな考えうる愚行(ぐこう)の全てを、私は抜かりなく、実に勤勉にやりつくしました。
さんざやってみて、結果的にはやはり、一人の力では動かせない山もあると実感させられます。ただし、ごくわずかではありましたが、読者から寄せられた感想の言葉には、十年分のクリスマスプレゼントをまとめてもらったほど、胸が大きく鳴りました。
ところがこの本が、全国の書店から一斉に、きれいさっぱり消えてなくなったのです。
首都圏を中心に、かなり広範(こうはん)に展開していた私のゲリラ的販売促進活動が、みごと功を奏したというわけではありません。版元(はんもと)の出版社が、文庫シリーズ全体に見切りを付けて、廃刊にしてしまったのです。
断裁(だんさい)された初めての本
受験ものの雑誌や学習参考書のしにせだった版元(はんもと)は、一時期、一般書への進出を狙って、さかんに色々な分野の本を出しました。ところがこの試みがうまく転がらず、「パソコン創世紀(そうせいき)」が出て間もない時期に、一般書からの撤退が決まります。なかなか面白いものもそろえてあった文庫も、丸ごと廃刊の憂き目(うきめ)を見まし
た。
舞い上がりがひどかっただけに、はじめて「廃刊」と聞かされたときは、どっと力が抜けました。せめて在庫分の何十冊かを買い取ろうと思い立ったときには、私の本はすでに断裁(だんさい)されており、どんてん模様の心には雨が降り出しました。
「読むに価値あるものを、でき得るだけ楽しく、消化しやすく、読みやすく提供することは出版社の義務である。出版道義を強く信奉(しんぽう)せんとしているわが社は、この目的にひたむきに献身(けんしん)するものである」
なんちゃって。
廃刊となった文庫の、社長名による「刊行(かんこう)のことば」にそう付け足してみると、一瞬笑えましたが、どうも力はよみがえってきません。
きれいに文字を組み、写真や図を入れてかっちり製本した書物は、書き手の考えを盛り込む素晴らしい器(うつわ)だ。「パソコン創世紀(そうせいき)」を手にして、つくづくそう実感した直後に見舞われた文庫廃刊騒動は、素晴らしい器である本のもう一面を、私に突きつけました。
現在のこの世の中で、本を出す主体となっているのは、企業である出版社です。企業にとって、儲(もう)けることは実に大切な課題です。赤字を続けて会社を傾けないことは、出資者と社員と顧客に対する経営者の義務でしょう。加えて本作りには、ある程度の部数をまとめないと効率が悪くなるという制約がつきまといます。

トレーニングテキスト(その3) 「超」知的生産とパソコン 野口悠紀雄 
「超」知的生産とパソコン
インターネットと電子事典を活用する
インターネットが知的生産活動に与える影響
知的生産活動の特徴
ここで「知的生産活動」というのは、典型的には大学や研究機関で行なわれている研究活動をさす。しかし、それにとどまらず、より広範囲の知的活動を含むものとして考えている。
例えば、企業における企画的業務なども含まれる。
また、一般的な原稿の執筆(しっぴつ)や翻訳、調査活動なども含む。さらには、技術者、金融ディーラー、デザイナーなど専門的職業一般についても、あてはまる側面が多いと思われる。
これらがほかの経済活動と異なるのは、個人作業が中心になっていることである。これは、特に大学での研究活動において、典型的に見られる。事務的な作業で社員がオフィスビルに集まって仕事をしたり、工場での生産活動で工場に集まって仕事を行なうのと比べて、顕著(けんちょ)な差といえる。
もちろん、研究者が大学のキャンパスや研究所などの場所に集まることは事実である。しかし、必ずしもそこにいる人々の間で共同作業が行なわれるわけではない。
これまでも述べてきたように、知的生産活動といえども、完全に個人で完結するわけではない。分析にはデータが必要であるし、同じ分野のほかの研究者との共同作業が必要な場合もある。
しかし、これらは、空間的に分散した場所で個々に行なわれている。つまり、知的生産活動においては、地域的には離れた人々との共同作業が中心になるのである。
このように、機能的には関連する活動が空間的には離れた場所で行なわれているということは、インターネットを始めとする新しい通信技術の発達によって、多大な影響を受ける可能性が強いことを意味する。
ポイント 知的生産活動では、関連する活動が空間的に離れた場所で行なわれる。
ネットワークによる情報収集
影響は、さまざまな面で生じるだろう。まず考えられるのは、情報収集だ。インターネットでデータベースなどの情報源に容易にアクセスできるようになった。現在すでに、情報収集の環境は、従来に比べて飛躍的に改善している。
いかなる研究活動においても、文献の調査は不可欠である。従来は、文献のほとんどは、印刷物という形態で存在した。したがって、大量の蔵書をようする図書館が利用できる環境にいるかどうかが、研究活動にとって非常に重要な意味をもっていた。
こうした図書館を利用できるのは有力な大学であるから、そうした組織に所属することが重要だったのである。
また、社会科学では、統計データも重要な意味をもっている。これも、大きな研究機関にいれば入手しやすい。さらに、一般的な書籍も必要なので、書店を利用しやすい大都市にいることが重要であった。
しかし、これらが、オンラインで入手できるようになると、研究者の環境は大きく変化する。この意味で、インターネットの発達は、研究活動に対して革命的な変化をもたらしうるのである。
情報収集が容易になると、知的活動において「情報を得る」ことそれ自体の相対的な重要性は低くなる。情報をもっているだけでは意味がなく、それをいかに分析し、いかなる結論を引き出すかが重要になってくるのである。
インターネットが研究活動に与える影響は、情報収集にはとどまらない。地域的に離れた研究者との間の共同研究が容易に行なえるようになったこと、ホームページを研究成果の公表の手段としても用いうることなどの点での影響も大きい。
このように、インターネットは研究活動のスタイルにも大きな影響を与える。それだけではない。専門家の教育、訓練や求職、求人活動にも大きな影響がおよびうるのである。
ポイント ネットワークの進歩で情報収集が簡単になると、情報収集の意義が変化する。
研究環境の日米比較
インターネットによる影響を論じる前に、現在までの状況を簡単にまとめておこう。専門的研究者の教育、訓練、求職と採用のシステム、研究活動のスタイルと内容、研究成果の公表方式などは、どのようなものだろうか。まず、日本の場合の実状を述べよう。
1 教育と訓練
教育、訓練の面について見ると、大学院レベルの教育は「徒弟(とてい)教育」的な色彩(しきさい)が強い。指導教官のもとでの個人的な論文作成指導が中心で、組織的なカリキュラムにもとづく教育は十分とはいえない。総じて、学部までの教育に比べて、属人的(ぞくじんてき)な性格が強い。
したがって、教育、訓練の内容は教育機関によって大きな差があり、互換性に乏しい。また、人文、社会科学の分野では、博士課程(はくしかてい)の修了時に学位が与えられることはさほど一般的でない。
2 研究活動
研究活動は、基本的には個人活動である。経済学の場合でいうと、文献を調査し、データを収集、分析し、論文をまとめるという作業は、個人ベースで行なわれる場合が圧倒的に多い。
自然科学、工学の場合は、複数の研究者による共同研究がかなり多い。特に、巨大な実験施設を必要とする場合には、その傾向が強い。ただし、共同研究者は同一研究室のメンバーである場合が圧倒的に多く、地域的に離れた場所にいる研究者との共同研究が行なわれることはまれである。
3 学会
研究成果の公表に関して重要な役割を果たすのは、専門分野ごとの学会である。学会誌に投稿し、そこに掲載(けいさい)されることが最も重要な成果発表とみなされている。学会誌は、ほとんどの場合に印刷物の形態で発行されている。また、定期的な学会における口頭の報告も、研究成果の発表として重要な役割を果たす。
以上のような手段を通じて発表される成果が、研究者の「業績」とみなされる。
ただし、実際の内容は、専門分野によって大きく異なる。査読(さどく)の程度、採用の可能性なども大きく異なる。また、人文科学では、そもそもこうした組織的な公表システムが存在しない場合もある。
4 求人、求職と採用のシステム
大学や研究所の採用において、研究者の業績が評価されることはいうまでもない。求人側では、公募情報を全国の大学や研究機関に印刷物の形態で流している。また、求職側では、学会報告などによって、研究内容のピーアールを行なうことになる。
さらに、多数の大学院生をかかえる大学院では、「若手研究者一覧」といった情報を印刷物の形態で配布している。これらが、求人側と求職側の間の情報伝達手段として機能している。
しかし、日本における実態は、組織的でオープンなジョブマーケットで就職が決まる場合より、クローズドなシステムのなかで決定が行なわれる場合が多い。就職の機会を見つけるのは、指導教官の人的なネットワークに依存している場合が多い。
これは、採用側では当該講座(とうがいこうざ)などの教官が実質的な採用権をもっており、ほかのメンバーが干渉しがたいことによる面が強い。「公募」が行なわれる場合においても、実質的な候補者はすでに決まっており、公募はたんに形式上のものである場合さえある。
数人の候補者のなかからのオープンな評価基準による採用は、最近増えているとはいえ、まだ少ない。
以上の傾向は、新規採用のみならず、大学間、研究所間の転職についても見られる。
そして、以上述べた特徴の多くは、日本的なものである。アメリカの場合と比較すると、同一専門分野であっても、かなりの差が見られる。特に大きな差が見られるのは、教育、訓練と採用のシステムである。
アメリカの大学院での教育、訓練は、日本よりはるかにシステマティックに行なわれており、属人的(ぞくじんてき)な色彩(しきさい)は希薄(きはく)である。論文指導以外に、講義がかなりの比重を占めており、しかもカリキュラムは統一的で標準的な内容となっている。
このため、ある大学院での履修(りしゅう)実績をほかの大学院での単位として認めるという意味での互換性がある。また、所要のカリキュラムを修了し、論文審査に合格すれば、学位が与えられる。
求職と採用のシステムも、アメリカの場合は、はるかにオープンな性格のものとなっている。博士号取得者の最初の就職に対するジョブマーケットが、年に一度の学会総会の会場における大学ごとの面接という明瞭なかたちで存在している。
こうして、採用は、指導教官の個人的なコネクションによるのでなく、業績を中心に判断される。また、それ以降の転職も頻繁に行なわれており、流動性が高い。
以上のような教育、訓練、求職、採用のシステムの日米間の違いは、情報通信技術の差によるというよりは、社会全体としての雇用形態の差によるところが大きい。
日本の場合に人間的なつながりが重視され、暗黙の終身雇用が前提とされているのに対して、アメリカの場合は能力主義的な色彩(しきさい)が強く、少なくともキャリアの初期段階では、終身雇用の保証は与えられない。
しかし、このことは、インターネットを中心とする情報技術の発達が何の影響も与えないことを意味するものではない。それどころか、日本の場合においても、インターネットの普及によって、社会的制度そのものに大きな変化が生じる可能性は強いのである。
これに対して、研究のスタイルや研究成果の公表に関しては、日米間で本質的な差があるとは思えない。アメリカの場合には複数の著者による共著論文が多く、また専門誌の数が多いなどの差はあるが、程度の差といえよう。
ただし、アメリカでは一般的だが日本ではあまり行なわれていないものとして、「ディスカッション ペーパー」をあげることができる。
これは、印刷される以前の段階の論文を、研究者の属する大学や研究機関が謄写版刷り(とうしゃばんずり)のような形態でまとめ、ほかの機関に郵送、配布するものである。もともとの目的は、同一分野の研究者からのコメントを求めることにある。
有名な研究機関が発行するディスカッション ペーパーの場合には、専門のジャーナル掲載論文と変わらぬ評価を受ける場合もある。進歩が急速な学問分野では、印刷された論文を追うだけでは研究のフロンティアを知ることはできず、ディスカッション ペーパーに目を通していることが必要だといわれることがある。
これらの点に関しては、日米ともに一様に情報通信技術の進歩による影響がおよぶものと考えられる。
ポイント 日本の専門研究者の現状は、オープンとはいいがたい。
教育、訓練でのインターネットの利用
教育機関が、教育、研究内容、カリキュラム、講義要綱(こうぎようこう)などをホームページに公表することによって、教育、訓練システムの属人性(ぞくじんせい)が薄れ、より透明度の高い状況が生じるものと期待される。
従来は、学生がこうした情報を入手することは、必ずしも容易ではなかった。書店などで販売されている一般的な案内書にはごく限定的な情報しか記載されておらず、詳細な情報を得るには、当該(とうがい)教育機関に個別に問いあわせるしかなかった。これは手間と時間がかかる作業である。
しかも、問い合わせても、カリキュラムの詳細や実際の講義内容などを入手できない場合が多い。こうした情報の供給のためには、費用の点から見ても迅速性(じんそくせい)の点から見ても、インターネットのホームページは理想的な手段といえよう。
とりわけ、国境をこえる情報伝達には、最適である。アメリカの大学や大学院の場合にはインターネットで詳細な情報が入手できるので、日本からの留学生希望者も、こうした情報収集のためにすでにインターネットに強く依存していると思われる。外国から日本への留学生についても、同様のことがいえよう。
私の勤務する東大先端研でも、多くの留学生が、受験情報を先端研のホームページで得ている。また、ある研究室のホームページを見たアメリカ人の学生が、研究指導を求めて留学してきたという例もある。こうしたことは、従来はほとんど不可能であった。
教育内容やカリキュラムに関する情報が広く公表されることは、教育内容の標準化にも寄与(きよ)することとなろう。大学や大学院間の単位互換は、現在でも行なわれているが、きわめて限定的である。
将来はこうした互換性が進み、学生は科目ごとに適切な大学を探してそこで講義を受けるといったことも可能になるだろう。こうしたことは、教育機関間の競争を促進させ、内容を充実させるのに寄与(きよ)するだろう。
ところで、インターネットへの情報公開については、日米間でかなりの差がある。ホームページを見ても、米国の大学と日本の大学とでは、雲泥(うんでい)の差がある。
米国の大学は、非常に充実したホームページを運営しているところが多い。大学紹介、年間スケジュール、講義要綱(こうぎようこう)、教授陣の紹介などが公開されているのはもちろん、入学に必要な応募書類もダウンロードできる。
さらには、ホームページから入学の申し込みが可能なところもある。また、大学にとどまらず、ジー アール イーなどは、インターネットを通じて申し込みが可能である。
これに対して、日本では、大学の入学案内、応募用紙などは、依然として書店で販売しているものが中心である。大学院レベルではこうしたものも少ないので、講義内容などを外部の人間が知ることは難しい。
学部、大学院にかかわらず、アメリカのようにインターネットでもダウンロードできるようにするにはまだ難しい問題があるのだろうが、入試要項の請求だけでもインターネットを通じてできるようにすべきだろう。
日本において、これまでも学生が教育機関を評価してきたことは事実であるが、評価基準は、伝統や世間一般での格付け、入試問題の難易度、卒業生の就職状況などといったきわめてあいまいなものであった。
大学や大学院がどのような内容の教育を行なっているかが、正当に評価されてきたとは思えない。インターネットによる情報提供は、本来は、このような不完全情報の状況を大きく改善してゆくものなのである。
ただし、現実に日本の大学でこうしたことを推進するのは、決して容易な課題ではない。それは、インターネットへの情報提供を行なう正式の体制ができていないためである。現在、日本の国立大学のホームページの運営は、専門の職員が担当しているわけではない。現在では、情報の発信はボランティア活動に頼っている。
したがって、ホームページから質問などのメールを送ることは、ほとんど不可能である。予算にホームページ運営費が計上され、専門の職員がいるのでないかぎり、大学から充実した情報を発信することは難しい。

(この記事 2007.09.23 記)


人目のご訪問、ありがとうございます。 カウンタ設置 2007.09.23