010109 『国語科小学校中学校新教材の徹底研究と授業づくり』(学文社)からの学び    Topへ戻る

01010901 岩崎成寿氏の「言葉の意味を追って」(東京書籍・小学校六年)P45〜52への疑問と意見

はじめに
 岩崎氏の「言葉の意味を追って」(東京書籍・小学校六年)P45〜52への疑問と意見をまとめてみました。岩崎氏には、この原稿についての意見をお寄せいただけるように連絡を取る予定です。さらに岩崎氏の返事を、このホームページ上で紹介させていただくこともあわせてお願いしてみます。
 みなさんからもご意見をお寄せください。このホームページ上でご紹介させていただきます。
 以下岩崎氏の原稿を引用しつつ、私の疑問と意見を述べることにします。


質問1 「記録文的要素をもつ文章の構造を読みとる指導に焦点を当て、教材分析と授業展開の方法について提案したい」と岩崎氏は、「1 教材の概要」のところで述べているが、「説明文の構造よみ」と「記録文的要素をもつ文章の構造よみ」との違いは、あるのか。

岩崎氏は、「2 教材の分析 (2)この教材で教える教科内容」の中で、次の四角囲みのように述べている。

 (2) この教材で教える教科内容

 説明的文章の構造を読む力とは、文章を前文・本文・後文の三部構成で把握し、文章全体の論理の流れを俯瞰できる力であると定義できる。その際、次のスキルを教科内容として教える。

@次の指標で前文・本文・後文を明らかにできる。

 ア 前文には、「〈問い〉の提示」「導入」のいずれかの役割がある。
 イ 本文には、「〈答え〉の提示」と「解説」の役割がある。
 ウ 後文には、「〈答え〉の再確認・まとめ」「発展的な〈答え〉」「付け足し・感想」のいずれかの役割がある。
  なお、〈問い〉が省略されている文章の場合は、前文がない(題名に〈問い〉の役割を負わせていることもある)か、導入の役割だけの前文かのどちらかとする。

A内容のまとまりを目安に本文を分割できる。

 本文を内容によっていくつかに分割し、「本文1・本文2……」とする。

B明らかとなった「前文」「本文1・2……」「後文」 の内容を大まかに把握し、小見出しをつける。

 上の四角く囲った部分は、今までの「説明文の構造よみの手順」と変わりはない。

 記録文としての構造よみの手順と関わる岩崎氏の記述と思われるのは、次の四角囲みの「2 教材の分析 (3) 文章構造を読みとる C 本文はいくつに分割できるか」のところである。

 C 本文はいくつに分割できるか

 [7]段落以降、ほぼ時間の順序で書かれている中で、[6]段落だけが編者の紹介となっており、時間の順序で書かれていない。よって、[6]段落を「本文1」とする。

 [6] 「広辞苑」は、一組の学者親子の二人三脚によって生まれた。父の新村出は国語学者であり言語学者でもある。子猛はフランス文学者である。

 それ以降は、戦前・戦後という時間的な区切り、辞典作りの挫折から再開という運動的な区切りによって、[7]段落から[11]段落までと、[12]段落から[22]段落までとに分割できる。

 [11] 結局、「辞苑」の改訂版は出版されなかった。一九四五年、印刷を待つばかりになっていた二千四百ページ分の活字組み版が、空しゅうによって灰になってしまったのである。
 [12] せめてもの救いは、京都に住む出のもとに、校正刷りが保管されていたことだ。これを原こうとして手を加えていけば、出版ができる。辞典作りが再開されたのは、戦争が終わった三年後、一九四八年になってからのことであった。

 よって、[7]〜[11]段落を「本文2」、[12]〜[22]段落を「本文3」と読み取った。

 とすると、岩崎氏の「記録文的要素をもつ文章の構造よみ」とは、本文をいくつに分割するかの指標として、
@「説明文」と「記録文」との文種の違いによって、本文を分割する
A「記録文」の「時間的な区切り」と「運動的な区切り」によって分割する
という2点を、「記録文的要素をもつ文章の構造よみ」の新提案として岩崎氏は述べているととらえていいのか。

意見1 [6]段落を、本文1として独立させるより、[7]段落〜[22]段落の柱の段落として位置づけた方がよいと考える。

理由1 [6]段落の@文「「広辞苑」は、一組の学者親子の二人三脚によって生まれた。」と、まず問題提示「広辞苑はどのようにして作られたのだろうか」の答えを概括的に述べる。そして、「一組の学者親子」が「二人三脚によって」さらに細かく具体的に「広辞苑」を作り上げるまでの経過を説明しているのが、[7]段落から[22]段落までであると段落関係を私はみる。

理由2 岩崎氏の本文の分け方は、/本文1…[6]段落/本文2…[7]〜[11]段落/本文3…[12]〜[22]段落/の三分割なのだが、たった一段落の本文1を「編者の紹介」として独立した本文としてみるのは、量的に、「本文2」「本文3」のバランスが悪い。また、岩崎氏は、本文1と本文2と本文3との関係を並立関係としてみているように感じられる。(岩崎氏は、本文1・本文2・本文3の相互関係について述べていないので、もし私の推測が違っていたら、岩崎氏にはご説明をお願いしたい。)

もし、岩崎氏の言うように「本文1を「編者の紹介」として独立した本文」と見る立場をとるならば、次の意見2のような見方の方もできる。

意見2 [6]段落を、本文1として独立させるより、/[6]段落の「父の新村出」が、[7]段落の@文の「父出」の説明にあたり、/[6]段落の「子猛」が、[8]段落で登場する「猛」の説明にあたる/とみて、[6]段落を、[7][8]段落の詳しい説明とみてしまったほうがよい。

理由1 岩崎氏の教材分析のとおり、[6]段落は、広辞苑の編者の紹介である。[6]段落の文関係は、次のようにとらえられる。

@「広辞苑」は、一組の学者親子の二人三脚によって生まれた。
A父の新村出は国語学者であり言語学者でもある。
B子猛はフランス文学者である。

@文の「一組の学者親子」についての詳しい説明が、A文とB文である。

そして、この「広辞苑の編者の紹介」は、[7]段落の「「辞苑」の編者 出」の紹介でもあり、[8]段落の「広辞苑の編集から参加した 猛」の紹介になっている。[6]段落が、説明文であり、[7]段落から始まる記録文と違うからという点で、[6]段落を本文1として独立させるだけの根拠にはならないと考える。

理由2 記録文の中にはさみこまれた説明文要素は、[6]段落以外にもある。岩崎氏が、記録文としてとらえている[12]〜[22]段落の中にある。
[13]段落の「大きな問題」を詳しく説明しているのが、[14]段落と[15]段落である。

[13] @ところが、辞典作りを再開した編集スタッフの前に、大きな問題が立ちはだかった。
[14] @一つは、現代かなづかいが定められたことである。A例えば、「をんな」は「おんな」、「てふてふ」は「ちょうちょう」、「ぐわいこく」は「がいこく(外国)」と書き表すようになったのである。Bこれが辞典作りにどれはどのえいきようをおよぼすかは、見出し語の配列がどう変わるかということを考えただけでも明らかだろう。
[15] @もう一つは、終戦後の社会の急激な変化にともなって、「ジャンパー」や「ナイター」など、新しい言葉があふれるように誕生したことである。A戦前にちく積した言葉だけでは、とうてい対応できない状きょうになっていた。Bこの辞典が、言葉の手本を示す国語辞典としての働きと、百科事典としての働きとをあわせ持つことを目指す以上、新しい言葉を入れないわけにはいかない。

もし、[13]段落〜[15]段落までを説明文だから、[6]段落と同じように本文の一つとして独立させなければならないとしたら、記録文としての扱いに無理がでてこないだろうか。

この部分は、大きな記録文としての骨ともいえる文は、次の黄色のマーカーが塗ってある文だと、私はとらえる。

[13] @ところが、辞典作りを再開した編集スタッフの前に、大きな問題が立ちはだかった。
[14] @一つは、現代かなづかいが定められたことである。A例えば、「をんな」は「おんな」、「てふてふ」は「ちょうちょう」、「ぐわいこく」は「がいこく(外国)」と書き表すようになったのである。Bこれが辞典作りにどれはどのえいきようをおよぼすかは、見出し語の配列がどう変わるかということを考えただけでも明らかだろう。
[15] @もう一つは、終戦後の社会の急激な変化にともなって、「ジャンパー」や「ナイター」など、新しい言葉があふれるように誕生したことである。A戦前にちく積した言葉だけでは、とうてい対応できない状きょうになっていた。Bこの辞典が、言葉の手本を示す国語辞典としての働きと、百科事典としての働きとをあわせ持つことを目指す以上、新しい言葉を入れないわけにはいかない。
[16] @スタッフは、さっそく、言葉探しに取りかかった。A新聞や雑誌から、また日々の暮らしの中から新しい言葉を書き留め、検討し合った。Bそして、百科項目に、新たに二万語を加えることを目標として定めた。
[17] @しかし、集められた言葉をすべて辞典にのせるわけにはいかない。A新しい言葉が、一時だけの流行語にすぎないのか、それともこれからも使い続けられるものなのか、しんちょうにぎん味しなくてはならない。B編集を取りまとめる猛がこれらのことを見きわめ、最終的には出が判断していった。

基本的に、記録文が文章の骨組みになっていて、そこに説明文要素が挿入されているとみていいと考える。

質問2 後文の役割は、岩崎氏のいうように「付け足し・感想」なのか。[23]段落〜[26]段落は、本文扱いする見方もできるのではないか。

岩崎氏は、「2 教材の分析 (3)文章構造を読みとる」の中で、次の四角囲みのように述べている。

 b 本文はどこまでか(後文はどこか)

 説明的文章では〈問い〉に対する〈答え〉がどこに書かれているかを見つけることで、本文と後文の区切りが見えてくることが多い。

 この文章では、一つ目としてまず「どのようにして作られたのだろうか」と「広辞苑」制作の経緯を問うている。しかも、本文はほぼ時間の順序で記録文的な書かれ方になっている。したがって、〈答え〉はどこか特定の段落にあるのではなく、ある程度の長さを持った段落のまとまりがあるはずである。そう見てくると、「実に二十五年の歳月をかけて「広辞苑」は完成したのである。」と書かれている[22]段落までの本文全体が、〈答え〉にあたると読めてくる。次の[23]段落は、「時代とともに新しい言葉は次々に生まれ、そして消えていく。」と〈問い〉からはずれた一般的な内容に変わっており、それ以降は「広辞苑」改訂に関する話題が続くので、[23]段落からを「まとめ」ではなく、「付け足し・感想」の役割をもつ後文と読んだ。

 また、二つ目に「見出し語の数がこれほど多いのはどうしてだろうか」と編集の理由を問いかけている。では、この〈問い〉に対する〈答え〉はどこに書かれているのか。 まず、そもそも「広辞苑」の前身である「辞苑」の制作意図にその理由がある。

 [7] 一九三五年、まず、父出が約五年をかけて編集した「辞苑」が出版された。「広辞苑」の前身となる辞典である。「辞苑」には、「サーヴィス」や「アインシュタイン」など、当時の新しい言葉や人名が多数盛りこまれていた。それまでの言葉の研究の成果をふまえた国語項目に加えて、百科項目、つまり科学や歴史など、さまざまな分野の最新の用語が、いっぱんの人たちにも分かりやすく解説されていたので、この辞典は 好評を博した。「辞苑」には、一部の人にだけではなく、最多数のいろいろな目的を持つ人に役立つものをという、出の辞典作りにかける願いが結しょうしていた。

 [8]段落には「十六万もの言葉を取り上げ」たと書かれている。また、別の視点から次のように書かれている。

 [15]もう一つは、終戦後の社会の急激な変化にともなって、「ジャンパー」や「ナイター」など、新しい言葉があふれるように誕生したことである。戦前にちく積した言葉だけでは、とうてい対応できない状きょうになっていた。この辞典が、言葉の手本を示す国語辞典としての働きと、百科事典としての働きとをあわせ持つことを目指す以上、新しい言葉を入れないわけにはいかない。
 [16] スタッフは、さっそく、言葉探しに取りかかった。新聞や雑誌から、また日々の暮らしの中から新しい言葉を書き留め、検討し合った。そして、百科項目に、新たに二万語を加えることを目標として定めた。

 以上の記述を要約すれば、「見出し語の数がこれほど多いのはどうしてだろうか」との〈問い〉に対する〈答え〉は、「最多数のいろいろな目的を持つ入に役立つ辞書にしたいと編集者が考えたから」という編集目的によるもの、「終戦後の社会の急激な変化にともなって新しい言葉が誕生したから」という社会情勢によるものとまとめられる。

 岩崎氏の教材分析のとおり、「説明的文章では〈問い〉に対する〈答え〉がどこに書かれているか」という視点で、大きな文章構造を読みとることに、私も賛成である。

 後文を見極めるときに、岩崎氏は、二つある問題提示のうちの一つ「どのようにして作られたのだろうか」をもとに、広辞苑誕生までの部分[6]段落から[22]段落までを本文と教材分析し、「次の[23]段落は、「時代とともに新しい言葉は次々に生まれ、そして消えていく。」と〈問い〉からはずれた一般的な内容に変わっており、それ以降は「広辞苑」改訂に関する話題が続くので、[23]段落からを「まとめ」ではなく、「付け足し・感想」の役割をもつ後文と読んだ。」と、[23]段落から[26]段落までを後文としている。

 では、二つ目の問題提示「「見出し語の数がこれほど多いのはどうしてだろうか」をもとに、[23]段落から[26]段落までを読み直してみるとどうなるだろうか。[23]段落から[26]段落までは、次のように書かれている。

[23] @時代とともに新しい言葉は次々に生まれ、そして消えていく。A言葉の使われ方も変化していく。B出は、晩年に次のような短歌をよんでいる。
  C広辞苑ひもとき見るにスモッグといふ語なかりき入るべきものを
[24] @かれは一九六七年に満九十才でなくなるまで、「広辞苑」をいつも手もとに置いていた。A新たな改訂に備えて、手を加え続けていたのである。B一九六九年に刊行された「広辞苑」第二版には、「スモッグ」という語が収録された。
[25] @その後、新たな見出し語を追加し、説明の仕方を書き改めつつ、「広辞苑」は、現在第五版をむかえた。
[26] @言葉の意味を追う仕事に終わりはない。

 広辞苑完成後も、「時代とともに新しい言葉は次々と生まれ、そして消えていく。言葉の使われ方も変化していく。」「一九六九年に刊行された「広辞苑」第二版には、「スモッグ」という語が収録された。」「その後、新たな見出し語を追加し、説明の仕方を書き改めつつ、「広辞苑」は、現在第五版をむかえた。」とあるように、見出し語を追加し続けている。これは、「見出し語の数が、多い」理由としてとらえることもできる。つまり、[23]段落から[26]段落までは、「広辞苑完成後のこと」として十分本文として扱うことができると私は考える。広辞苑は、新村出・新村猛の志を受け継ぎながら、言葉の意味を追い続ける辞典であるという、本文3という見方もできる。

        (2005.11.13 記)


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