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010101002  小説の構造よみ

はじめに
私の小説の構造よみ案を少しずつ公開します。ぜひみなさんから、私の案についてのご意見をお寄せいただき、このページに掲載させていただければありがたいと思います。また、ここに取り上げていない小説の構造よみ案を気軽にご提供いただければ、掲載していきます。
構造よみについてのデータベースのようなページが作れればよいなあという願いをもってここに公開します。
(記 2008.03.25)


目次

(1)バースデイ・ガール 村上春樹(教育出版・3年教材)…井上分析
(2)バースデイ・ガールの構造よみ(井上分析)についての丸山義昭氏のコメントと井上のコメント


(1)バースデイ・ガール 村上春樹(教育出版・3年教材)…井上分析

冒頭 二十歳の誕生日、彼女はふだんと同じようにウェイトレスの仕事をした。(P100上段L1)

発端 タクシーに乗る前にマネージャーはしゃがれた声で彼女に言った。「八時になったら、食事を604号室に運んでくれ。ベルを押して、お食事ですと言って置いてくるだけでいいから。」(P104下段L7〜L10)

ここで、二十歳の誕生日の日に、ウエイトレスの彼女が、オーナーに会うことになる。この小説の事件としては、彼女とオーナーとの不思議な出会いと考えてよい。

山場のはじまり 老人はてのひらを前に向けて両手を上げた。(P109下段L5)

ここから、オーナーの老人が、彼女に「君の望むことをかなえてあげたい。」と誕生日のプレゼントを具体的に告げる始まりになる。

クライマックスA 老人は急に空中の一点をじっと見つめた。〜「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた。」(P112上段L12〜P112下段L1)

ここで、オーナーが、彼女の願いをかなえるためのジェスチャーをして「君の願いはかなえられた。」と言う。老人の不思議さの最高潮がこの部分である。

クライマックスB 「こうなればいいという願いだよ。お嬢さん、君の望むことだ。もし願いごとがあれば、一つだけかなえてあげよう。それがわたしのあげられるお誕生日のプレゼントだ。しかしたった一つだから、よくよく考えたほうがいいよ。」老人は空中に指を一本上げた。「一つだけ。あとになって思い直して引っこめることはできないからね。」

ここで、オーナーが、彼女にたった一つだけ願いをかなえてあげるという。彼女が、たった一つの人生の願いを選択するという決定をすることにつながる部分である。

クライマックスとしては、AとBの2案が考えられる。
彼女にとって重要な選択をしたという重い意味を持つ選択をしたという点なら、クライマックスB。
老人が、彼女の願いをかなえたと、彼女の人生の選択を勇気づけるという点なら、クライマックスA。
クライマックスBに当たる部分は、作品の最後にほぼ同じ表現で繰り返される。―「しかしたった一つだから、よくよく考えたほうがいいよ。かわいい妖精のお嬢さん。」どこかの暗闇の中で、枯れ葉色のネクタイを締めた小柄な老人が空中に指を一本上げる。「一つだけ。あとになって思い直して引っこめることはできないからね。」―
人生の選択に関わるルール《人生の選択可能性は一つ》《人生には複数選択はない》《選択した人生を過去に戻ってやり直すことはできない》をアピールするせりふと考えると、クライマックスBのほうが、より重いテーマがこめられている点で、クライマックスであろう。
また、十数年たっても彼女の心に刻みつけられているせりふという点もクライマックスをBとする理由になる。

結末 ………、無表情にうなづいた。(P113上段L5)

ここで、オーナーと彼女との出会いの最後となる。その後オーナーと彼女との関係は一度もなかったと、続く部分で「彼女のせりふ」の形で語られている。

終わり …「一つだけ。あとになって思い直して引っこめることはできないからね。」(P115下段L14)

さて、この「オーナーと彼女の出会い」という事件は、P102上段L16〜P103L5の間に、「ぼく」と「彼女」とが語り合ったという事件設定《枠組み》が「ぼく」によって語られる。

「オーナーはお店のあるビルの六階に、自分の部屋を持っていたの。自宅だか事務所だかを。」と彼女は言う。
 ぼくと彼女はふとしたきっかけで、それぞれの二十歳の誕生日について話を始めた。それがどんな一日であったかというようなことについて。たいていの人は自分の二十歳の誕生日のことをよく覚えている。彼女が二十歳の誕生日を迎えたのはもう十年以上昔のことだ。
「でもオーナーはどういうわけか、絶対にお店に顔を出さなかった。オーナーに会うことができるのはフロア・マネージャーだけで、そこに食事を届けるのも彼の仕事だったわけ。だからわたしたち下働きの従業員は、だれひとりオーナーの顔を見たことがなかったの。」
「つまり、そのオーナーは自分の店から毎日出前をとっていたんだね?」
「そういうこと。」と彼女は言う。

この「オーナーと彼女の出会い」という事件を語り合っている部分から、「彼女」と「ぼく」の人間関係も浮かび上がってくる。「それぞれの二十歳の誕生日について話を始めた」のは、「ふとしたきっかけで」あったと表現されている。「ふとしたきっかけ」はある程度長いつきあいという関係が、「彼女」と「ぼく」にあることを感じさせる。また、「彼女が二十歳の誕生日を迎えたのはもう十年以上昔のことだ。」とあるように、「ぼく」は「彼女」の年齢を知っていることもそれを裏付けている。
この「オーナーと彼女の出会い」という事件は、十年以上昔であるという時の設定、彼女の年齢は三十歳以上という物語の現在の時の設定が大枠としてある。
この現在の時の設定の中で、彼女が老人に願ったことが何であったのか、なんとなく感じ取れる仕掛けにもなっている。
P113下段L19〜P114上段L11の「ぼく」と「彼女」の会話は、次のようになっている。

「ぼくが知りたいのは、まずその願いごとが実際にかなったのかどうかということ。そしてそれがなんであれ、君がそのときに願いごととしてそれを選んだことを、あとになって後悔しなかったかってことだよ。つまり、もっとほかのことを願っていればよかったとか、そんなふうには思わなかった?」
「最初の質問に対する答えはイエスであり、ノオね。まだ人生は先が長そうだし、わたしはものごとのなりゆきを最後まで見届けたわけじゃないから。」
「時間のかかる願いごとなんだ?」
「そうね。」と彼女は言う。「そこでは時間が重要な役割を果たすことになる。」

現時点では、彼女の願いごとはかなっているが、これからそのことが続いていくかは分からない、ということである。彼女の願いごとは、何かを達成すればそれでよいといった性質のものではない。とすると、かなり抽象的な願いごとであったようである。

老人に願いごとを伝えたときの老人の反応は、次のように表現されている。P111上段L14〜P112上段L6

「君のような年ごろの女の子にしては、、いっぷう変った願いのように思える。」と老人は言った。「実を言えばわたしは、もっと違ったタイプの願いごとを予想していたんだけどね。」
「もしまずいようなら、何か別のものにします。」と彼女は言った。それから一つせきばらいをした。「別のものでもかまわないんです。何か考えますから。」
「いやいや。」老人は両手を上に上げ、旗のように空中でひらひらと振った。「まずいわけじゃない、全然。ただね、わたしは驚いたんだよ、お嬢さん。つまり、もっとほかに君が願うことはないんだね? 例えば、そうだな、もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういうことじゃなくてもかまわないんだね? 普通の女の子の願うようなことを。」
 彼女は時間をかけて言葉を探した。老人はその間も何も言わず、ただじっと待っていた。彼の両手は机の上に静にそろえられていた。
「もちろん美人になりたいし、賢くもなりたいし、お金持ちになりたいとも思います。でもそういうことって、もし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんなふうになっていくのか、わたしにはうまく想像できないんです。かえってもてあましちゃうことになるかもしれません。わたしには人生というものがまだうまくつかめていないんです。ほんとに。その仕組みがよくわからないんです。」

彼女の願いごとの性格・質について
・君のような年ごろの女の子にしては、、いっぷう変った願いのよう
・「もしまずいようなら、何か別のものにします。」と彼女は言った。
・例えば、そうだな、もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういうことじゃなくてもかまわないんだね? 普通の女の子の願うようなことを。
・もちろん美人になりたいし、賢くもなりたいし、お金持ちになりたいとも思います。でもそういうことって、もし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんなふうになっていくのか、わたしにはうまく想像できないんです。かえってもてあましちゃうことになるかもしれません。
・わたしには人生というものがまだうまくつかめていないんです。ほんとに。その仕組みがよくわからないんです。

彼女の願いごとの対極にあるもの
「美人になりたい」「賢くなりたい」「お金持ちになりたい」という自分自身に関わる願い
普通の若い女の子が願うこと
かなえられてしまうと、その結果自分自身が変化してしまいそうな願い
人生の仕組みを変えてしまいそうな願い

とはいえ、彼女の願いごとは最後まではっきりわからないという表現になっている。それが、彼女の願いごとの秘密性をより高めるというしかけになっている。

以上「バースデイ・ガール」の構造よみに関わることをまとめた。ご意見をぜひお寄せください。
メールはこちらへ ←クリックするとメーラーが立ち上がります。

(記 2008.03.27)


(2)バースデイ・ガールの構造よみ(井上分析)についての丸山義昭氏のコメントと井上のコメント

私の分析について、丸山義昭氏からコメントをいただいたので、ここに掲載させていただきます。丸山氏のメールを四角囲みで掲載して、私のコメントもあわせて掲載する形になります。丸山さんのコメントに感謝いたします。

丸山さんのコメント(その1) …Sun, 30 Mar 2008のメール

「バースデイガール」については、新潟サークルでは構造よみについて議論していません。
従いまして、以下の意見は、私個人の意見となります。

井上さんは、「彼女」の過去のエピソードの中の最高潮を、作品の最高潮としています。それは、過去のエピソードの最高潮ではあっても、作品の最高潮ではありません。

しかも、老人は、願いはかなえられたと言っていますが、その本当の結果は何も分かりません。

現在の「彼女」と「ぼく」の会話が作品全体の事件になっていますから、最高潮は本当に最後の方になりますね。

具体的にどこを最高潮と考えるかは次のメールでお知らせいたします。

少しお待ち下さい。

丸山さんのコメント(その2)…Sun, 20 Apr 2008のメール

「バースデイガール」の最高潮について、私の読みでは、教科書324ページの、
「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
という「彼女」の会話になります。

女の子の平凡な願いと、美人になりたいとかお金持ちになりたいとかいう願いは、読み手には、最初は異質と見えます。
しかし、この「彼女」の台詞は、「何を望んだところで、どこまでいったところで」とありますから、美人になっても、お金持ちになっても自分以外にはなれないということ(そのことを感じているということ)を意味します。
美人になっても、お金持ちになっても、美人になりたい、お金持ちになりたいと願った自分は変わらない。ある欠落(欠落感)を抱えた自分は変わらない、そのことに「彼女」は気がついています。
美人になってもお金持ちになっても、ある欠落(欠落感)を抱えた自分は変わらない。ここで、読み手は見事に「うっちゃり」を喰らいます。
「願いごと」は「彼女」の場合、かなえられたはずです。それは現在の「彼女」を見れば分かります。しかし、埋めようのない欠落感を「彼女」は抱えています。
「破局→解決」のようでありながら「解決→破局」なのです。それが分かる(確定する)この箇所が最高潮になります。
以上ですが、いかがでしょうか。

4月20日

私の丸山さんへのコメント… Thu, 24 Apr 2008のメール

丸山義昭さま
お忙しいところ、最高潮についての読みをお知らせいただき、ありがとうございました。まったく予想もしていなかったところでした。
老人と彼女とが出会う部分が、事件だと私は考えましたので、最高潮は「過去の事件」の中に見出そうとしたわけです。
丸山さんは、そういう視点ではなく、「過去の事件」について語り合う彼女とぼくとのやり取りが、事件だと読み取ったということでいいのでしょうか。
彼女の願いが、かなったのか、かなわなかったのか、確定できるところを、最高潮とするのが、丸山さんの読みと理解すればいいのでしょうか。
しばらく、最高潮については私自身考えてみたいと思います。

丸山さんのコメント(その2)… Thu, 24 Apr 2008のメール

以下のご指摘は、これで結構です。その通りです。

丸山さんは、そういう視点ではなく、「過去の事件」について語り合う彼女とぼくとのやり取りが、事件だと読み取ったということでいいのでしょうか。


以下のご指摘は、(私の説明不足もあり)誤解が混じっていて、違います。

彼女の願いが、かなったのか、かなわなかったのか、確定できるところを、最高潮とするのが、丸山さんの読みと理解すればいいのでしょうか。

かなった(正確には、かないつつある)のにもかかわらず、彼女が欠落感をかかえていて、あきらめを抱いている、ここで「破局」がひとまず確定するから最高潮ということです。
「かなったのか、かなわなかったのか、確定できるところ」ということになると、もう少し前の会話になってしまいます。

(2008.05.05記)


人目のご訪問、ありがとうございます。 カウンター設置  2008.03.27