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020101   読み研方式勉強会メーリングリストでの話題

 ディーノ・ブッッアーティ「急行列車」の教材分析をめぐって
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はじめに

このページに掲載させていただいたのは、私の開設している「読み研方式勉強会メーリングリスト」で一つの文学作品をめぐって教材分析について意見交換をまとめたものです。東稔治義さんと、糸数剛さんには、ホームページで公開することを快諾いただき感謝です。

このページを読まれる方へのお願い

私たちの意見交換をお読みいただき、「この作品のこの部分はこう読んだ方がいいのではないか」というご意見をいただければ、大変ありがたいです。私のメールアドレスまでお気軽にご意見をお寄せください。

【読み方】

メッセージタイトルをクリックすると、そのメッセージを読むことができます。ただし、すべてのメッセージをこのホームページで紹介しているわけではありませんので、ご承知ください。

読み研方式勉強会メーリングリストに参加していらっしゃる方は、メッセージタイトルの右側の○をクリックすると、FREEMLの過去のメッセージ閲覧ページが開きますので、メールアドレスとパスワードを入力すると、すべてのメッセージを閲覧できます。

   発信日時      メッセージタイトル   発信者
0000172
2001/08/01 21:25
小説「急行列車」教材分析その一
井上秀喜
0000173
2001/08/02 08:38
  + 小説「急行列車」教材分析その一《快適ネーミング術語》
糸数剛
0000175
2001/08/02 22:32
  + Re: [yomiken:0172] 小説「急行列車」教材分析その一
Haruyoshi Tone
0000176
2001/08/03 04:10
   + 《東稔さん急行列車評価》《ネーミング術語補足説明》
井上秀喜
0000178
2001/08/03 05:11
   + ネーミング術語メリット
糸数剛
0000174
2001/08/02 20:25
急行列車 分析 その二
井上秀喜
0000177
2001/08/03 05:11
  + 急行列車 分析 その二《○○構成》?
糸数剛
0000179
2001/08/03 10:08
急行列車 分析その三
井上秀喜
0000180
2001/08/04 04:35
  + 急行列車 分析その三《人生象徴小説》
糸数剛
0000181
2001/08/04 08:12
   + 《牧師》は何を象徴しているか
井上秀喜
0000192
2001/08/07 23:37
    + Re: [yomiken:0181] 《牧師》は何を象徴しているか
Haruyoshi Tone
0000194
2001/08/08 04:05
     + 《登場人物の役割》井上案です。
井上秀喜
0000196
2001/08/08 23:08
      + Re: [yomiken:0194] 《登場人物の役割》井上案です。
Haruyoshi Tone
0000199
2001/08/09 04:18
       + 《感激 読みの多様性教材分析》
井上秀喜
0000201
2001/08/09 06:06
        + 《秀逸読み》
糸数剛
0000204
2001/08/09 23:13
        + Re: [yomiken:0199] 《感激読みの多様性教材分析》
Haruyoshi Tone
0000208
2001/08/12 10:05
         + RE: [yomiken:0204] Re: 《感激 読みの多様性教材分析》
井上秀喜
0000198
2001/08/09 01:27
      + 《チャレンジor安穏主題》
糸数剛
0000197
2001/08/09 00:58
     + 《直列接続》と《並列接続》
糸数剛
0000200
2001/08/09 04:19
      + RE: [yomiken:0197] 《直列接続》と《並列接続》
井上秀喜
0000202
2001/08/09 06:39
       + 市民ケーンの《ジグソーパズル構成》
糸数剛
0000205
2001/08/11 05:59
        + ブッツァーティー資料紹介
糸数剛
0000207
2001/08/12 10:05
         + RE: [yomiken:0205] ブッツァーティー資料紹介
井上秀喜
0000210
2001/08/13 09:52
          + 『石の幻影』同時注目
namingt
0000206
2001/08/12 03:23
        + RE: [yomiken:0202] 市民ケーンの《ジグソーパズル構成》
井上秀喜
0000203
2001/08/09 23:13
      + Re: [yomiken:0197] 《直列接続》と《並列接続》
Haruyoshi Tone
0000182
2001/08/04 08:12
列車教材分析 その四
井上秀喜
0000190
2001/08/07 02:35
  + 《悲観解釈》
糸数剛
0000191
2001/08/07 08:04
   + RE: [yomiken:0190] 《悲観解釈》
井上秀喜

件名 : 小説「急行列車」教材分析その一                
差出人 : 井上秀喜      送信日時 : 2001/08/01 21:25


急行列車の読みを《ネーミング術語》で教材分析してみました。《ネーミング術語》とは、自分の気づいたことを、短い言葉で表現したものです。たぶん、ひとつひとつの《ネーミング術語》を見ていただければ、井上が何を読み取ったのかわかっていただけると思います。

もし、わからないところがあれば、ご質問ください。説明します。

読み研方式の形象読みの視点も取り入れつつ分析したつもりですが、まだまだだと思います。

ご意見をお願いいたします。

急行列車     ディーノ=ブッツァーティー     脇 功 訳          教育出版中学2年生教材

「あの列車に乗るのかね?」「あれだ。」機関車は、煙にすすけたプラットフォームの屋根の下で恐ろしげに見えた。いきりたって突進しようと足で地面をかいている獰猛な闘牛のようだった。

《会話書き出し》《突然会話開始書き出し》
《登場人物の声書き出し》
《「あの列車」「あれ」重要乗り物強調書き出し》
《遠くから列車登場指差し会話始まり》

《機関車闘牛比喩》《機関車外見描写》
《機関車凶暴的描写》

《蒸気機関車物珍しい時代設定》
《駅舞台設定》

「この列車で旅をするのかね?」人々はわたしにそう尋ねるのだった。実際はそれは畏怖心を呼び起こした。それほどにすきまから音をたててもれ出る蒸気の圧力はすさまじかった。「この列車で。」とわたしは答えた。

《列車旅行不自然状況暗示会話》
《ホームに列車到着 指差し会話》
《登場人物確定》《旅人たち登場人物設定》
《人々尋ね、わたし返答会話》
《わたし言葉少ない返答》

《機関車蒸気音強烈描写》《機関車異様形容描写》
《機関車描写 今後の事件展開暗示効果》

「で、いったいどこへ?」わたしはその名を言った。わたしは友人たちと話していてさえ、一種の気恥ずかしさから、それまでその名を口にしたことはなかった。それは大いなる名、最も大いなる名、とてつもない目的地であった。それをここに記す勇気はわたしにはない。

《目的地名隠し構成》《行く先読者には隠し構成》
《「名」繰り返しによる「行く先名」興味深々効果》

《目的地普通の人は行かない状況説明》
《目的地特殊状況説明》

《わたしと行く先以前からの関わりあり説明》《事件設定》

その名を言うと、みんなはそれぞれ思い思いの目でわたしを見つめた。ある者はわたしのあつかましさを怒るような目で、ある者はわたしのおろかしさをあざけるような目で、ある者はわたしの幻想を哀れむような目で。ある者たちは笑った。一気にわたしは車両に飛び乗った。窓を開けて、人ごみの中に知った顔を探した。だれもいなかった。

《みんなの異様な反応描写》《みんなの目さまざま描写》
《ますます目的地とはどこかしりたくなる効果》
《ますます目的地普通じないぞ設定》《事件設定》

《ある者はわたしの○○○を○○○ような目 三連発表現》
《わたしへの批判の目強調描写》《わたしへの奇異の目強調描写》
(わたしへの表情での批判)

「ある者たちは笑った。」《わたしへの強烈批判行動》

《わたしの話聞く人たくさん設定》《わたしの特異性強調設定》
《わたしと同じ考えの人 周りにいない設定》

《わたし列車飛び乗り乗車》→《まわりの人から逃げ出し行動》
《駅から機関車の中へ場面転換》

さあ、汽車よ、ぐずぐずせずに、走れ、駆けろ。機関手さん、どうか石炭をけちけちせずに、この怪物に息吹を与えてください。あわただしく蒸気を吐く音が聞こえ、客車がガタンと一つ揺れ、プラットフォームの柱が動き出し、初めはゆっくりと、そして一本一本わたしの目の前をよぎっていった。それから、家 家 工場 ガスタンク また、プラットホームの屋根 家 家 煙突 陸橋 家 家 木々 野菜畑 家 ガタン─ゴトン ガタン─ゴトン 草地 野っ原、そして広い空を流れる雲! さあ、機関手さん、蒸気の馬力をいっぱいに上げて。

《汽車・機関手さんへの語りかけせりふ》
《汽車のスピードアップせきたて(あおり)せりふ》
《汽車の外の風景描写》
《機関車のスピードアップ情景描写》

「それから、家 家 工場 ガスタンク また、プラットホームの屋根 家 家 煙突 陸橋 家 家 木々 野菜畑 家 ガタン─ゴトン ガタン─ゴトン 草地 野っ原、そして広い空を流れる雲!」

《車窓の風景細かく説明描写》《見えてくるもの点在情景描写》
《単語羅列法情景描写》
《汽車の音挿入表現》《臨場感効果満点描写》

件名 : Re: [yomiken:0172] 小説「急行列車」教材分析その一  
差出人 : Haruyoshi Tone  送信日時 : 2001/08/02 22:32


井上さん、みなさん。こんばんは。東稔です。

井上秀喜さんが01.8.1 9:35 PMに書きました:
> 「で、いったいどこへ?」わたしはその名を言った。わたしは友人
>たちと話していてさえ、一種の気恥ずかしさから、それまでその名を
>口にしたことはなかった。それは大いなる名、最も大いなる名、とて
>つもない目的地であった。それをここに記す勇気はわたしにはない。
>
>《目的地名隠し構成》《行く先読者には隠し構成》
>《「名」繰り返しによる「行く先名」興味深々効果》
>
>《目的地普通の人は行かない状況説明》
>《目的地特殊状況説明》
>
>《わたしと行く先以前からの関わりあり説明》《事件設定》

この部分の分析はなるほどと思いました。
私は「目的地」をわざと書かないことに、むしろこの小説の不備を感じていましたから。
でも、それって肯定的に読めば、読み手がますます「目的地」に関心を持つという効果はありますよね。

まあ、それにしても、実は私はこの小説はあまり評価しません。
たいしたできではないと思っています。

ネーミング術語ってなかなか面白そうな方法ではあるんだけど、実際教室でやってみたら、どんなメリットがあるんでしょうか?
やったことがない私としては、もう一つピンときませんが…。

それでは。


件名 : 《東稔さん急行列車評価》《ネーミング術語補足説明》 
差出人 : 井上秀喜    送信日時 : 2001/08/03 04:10


東稔さん、みなさん、おはようございます。

コメントいただき、ありがとうございました。

こうして、議論できるのがうれしいです。

‖井上さん、みなさん。こんばんは。東稔です。

‖井上秀喜さんが01.8.1 9:35 PMに書きました:
‖> 「で、いったいどこへ?」わたしはその名を言った。わたしは友人
‖>たちと話していてさえ、一種の気恥ずかしさから、それまでその名を
‖>口にしたことはなかった。それは大いなる名、最も大いなる名、とて
‖>つもない目的地であった。それをここに記す勇気はわたしにはない。
‖>
‖>《目的地名隠し構成》《行く先読者には隠し構成》
‖>《「名」繰り返しによる「行く先名」興味深々効果》
‖>
‖>《目的地普通の人は行かない状況説明》
‖>《目的地特殊状況説明》
‖>
‖>《わたしと行く先以前からの関わりあり説明》《事件設定》

‖この部分の分析はなるほどと思いました。
‖私は「目的地」をわざと書かないことに、むしろこの小説の不備を感じていま
‖したから。
‖でも、それって肯定的に読めば、読み手がますます「目的地」に関心を持つと
‖いう効果はありますよね。

東稔さんは、この小説の評価として《目的地情報欠落小説》と読まれていらっしゃるわけですね。

読み研でいうと導入部の《場》の読みにもかかわる内容にもかかわりますね。

東稔さんが、教材分析で、四つの駅が何かの象徴であるという読みを提示されましたが、わたしもその読みに賛成です。そのあらわれが、いろんなところに噴出しているわけで、ここの目的地名を隠すのもその一つだと思います。また、この列車の旅行自体も何かの象徴だし、登場する人物も何かの象徴だと思います。そういった読みの構えをもたせないと、《なにこの小説》《ちんぷんかんぷん小説》と評価せざるをえないと思います。

私は、この列車の旅は、《わたしの生き方の象徴》なのかなと読み、「わたし」が途中途中で出会う人物は、《わたしと違う生き方をしているいろんな人の生き方の象徴》なのかなと読んでいるわけです。ただし《断片的な生き方の象徴》です。

とすると、この小説は、よく「人生は旅である」とたとえられるわけで、それをこういう形で書いた《発想の転換小説》ととらえます。

‖まあ、それにしても、実は私はこの小説はあまり評価しません。
‖たいしたできではないと思っています。

ここらへんのところをもう少し、具体的にお聞きしたいですね。

‖ネーミング術語ってなかなか面白そうな方法ではあるんだけど、実際教室でや
‖ってみたら、どんなメリットがあるんでしょうか?
‖やったことがない私としては、もう一つピンときませんが…。

ここは、ネーミング術語と読み研との関わりについて、私の考えを述べることになります。

一見読み研方式の読みとネーミング術語の読みとは違うように思えますが、大いにかかわる部分があると思います。

例えば、五十嵐さんが、説明的文章の読みの中で「なかなか柱の文が見つからない教材がある」ことを「柱が弱い」「柱がねじれている」「柱がない」場合があるとご提言しました。
(「阿部昇著『授業づくりのための「説明的文章教材」の徹底批判』を批判する」にいがた国語の会・にいがた高校国語サークル誌P58)

大西氏のとらえた「柱と柱でない関係」「柱と柱」の論理関係にぴったりとあてはまらない論理関係に無理やりその論理関係を当てはめると無理が生じます。そうでなくて、五十嵐さんのように新たな論理関係を表す《ネーミング》をすることによってその無理を乗り越えることができます。

そもそも「柱」という概念は、大西氏が提唱し始めた《ネーミング術語》です。

少し言葉足らずですが、お許しください。

さて、《ネーミング術語の教室での意義は》というご質問ですが、

例えば、小説の読みの指標に《文体の成立》があります。

急行列車では―――――――――――――――――――――――――

さあ、汽車よ、ぐずぐずせずに、走れ、駆けろ。機関手さん、どうか石炭をけちけちせずに、この怪物に息吹を与えてください。あわただしく蒸気を吐く音が聞こえ、客車がガタンと一つ揺れ、プラットフォームの柱が動き出し、初めはゆっくりと、そして一本一本わたしの目の前をよぎっていった。それから、家 家 工場 ガスタンク また、プラットホームの屋根 家 家 煙突 陸橋 家 家 木々 野菜畑 家 ガタン─ゴトン ガタン─ゴトン 草地 野っ原、そして広い空を流れる雲! さあ、機関手さん、蒸気の馬力をいっぱいに上げて。

《汽車・機関手さんへの語りかけせりふ》
《汽車のスピードアップせきたて(あおり)せりふ》
《汽車の外の風景描写》
《機関車のスピードアップ情景描写》

「それから、家 家 工場 ガスタンク また、プラットホームの屋根 家 家 煙突 陸橋 家 家 木々 野菜畑 家 ガタン─ゴトン ガタン─ゴトン 草地 野っ原、そして広い空を流れる雲!」
《車窓の風景細かく説明描写》《見えてくるもの点在情景描写》
《単語羅列法情景描写》
《汽車の音挿入表現》《臨場感効果満点描写》

――――――――――――――――――――――――――――――――
の部分が、《文体》という観点から取り上げられる部分だと分析します。

井上は、ここの表現を《個性的表現》だと思っています。
しゃれた書き方がされています。後半の「家 家 工場 ガスタンク……」という部分は、字あけもうまく使ってあり(建物と建物の空間的距離を表現)、車窓からみえる建物などを順々に《視覚的表現効果》も利用して表現しています。

この小説には、このような情景描写が列車の進行とともに効果的に表現されてもいます。その違いにも目を向けさせるのもいいですね。

ここは《非常に現実的風景》です。《家は、人の生活する場所》《工場 ガスタンクは、人の仕事場》《プラットホームの屋根は、急行列車なので途中の通過駅》《木々 草地 野っ原 広い空を流れる雲は、豊かな自然》。
《人間の生活感あふれる情景》です。《体温の感じられる情景》です。

ところが、列車の進行とともにその風景は、《無機質的風景》《寒々しい風景》へと変化していきます。

こういった違いを《ネーミング術語》をつかって上で言うと《 》で囲ったように(これは井上の表現なので)生徒自身の表現で表現させるわけです。

すると、生徒自身のいろんな《ネーミング術語》が登場してきます。

そこに、生徒が何を読み取ったか、どう表現するかの《理解と表現の一体化》が行われます。読みの授業でありながら、表現の学習にもなっている。特に《ネーミング術語》は、短い言葉で表現するわけですから、《的確表現力》の育成にもなります。

読み研でいえば、「この部分から何が読めるの?」でださせた読みは、文であり、単語であり、いろいろです。ただ、読みを出させた時点で、授業の目的は、達成されたことになります。この部分で、いろいろだされた読みを《ネーミング術語》させることによって、思考の整理ができたり、時には、その中で新たな発見(統一された高次の読み)が出てきたりするわけです。

走れメロスの冒頭文。「メロスは激怒した。」は、大西忠治氏は《ポット出式》とネーミングされました。ここなら、井上なら《突然登場人物登場書き出し》《いきなり事件発生書き出し》《説明なくストーリー展開書き出し》《感情表現書き出し》《短文書き出し》《なにがどうしたの?書き出し》《読者へのインパクト強力書き出し》《メロスって誰?書き出し》などとネーミングするわけです。

また、導入部では《文体》の読みには力をいれないのですが、大西氏が《冒頭読み》とネーミングさせて実践なさっていたのは、あきらかに《文体の読み》も入っているわけです。

特徴のある文体の文が導入部にあれば、それを取り上げるのが実際的ですね。ですから、とりあげることになるのです。

読み研方式の方法論を駆使して時には、その方法論を乗り越えて実践していくことにも《ネーミング術語》は使えます。

では、また。


件  名 : ネーミング術語メリット
 差出人 : 糸数剛    送信日時 : 2001/08/03 05:11


おはようございます。
糸数です。

> ネーミング術語ってなかなか面白そうな方法ではあるんだけど、実際教室でや
> ってみたら、どんなメリットがあるんでしょうか?
> やったことがない私としては、もう一つピンときませんが…。

この疑問に関して、わたしからもコメントさせてください。

ネーミング術語の大きなメリットのひとつは、「読み」の中身をはっきりさせることができることです。

教材から何を読み取るか?

その「何」というのは、主題の場合もあるし、主題とまでいかなくても部分的な題材にみるべきものがある場合もあるし、表現の場合もあるし、構成にみるべきものがある場合もあります。
とにかく多様です。
どれという決まりはありません。
教材によって多様です。
大きいスパンのものもありますし、小さいスパンのものもあります。
融通無碍です。

その「何」にあたるものを意図的に凝縮してとりたてることによって、「読み」の中身がはっきりと、コンパクトに明らかになるわけです。
その際、既存の術語の枠を超えて自由自在にネーミングすることによって、より的確に「何」の中身を表すのです。

何をどう読み取ればいいのかわからなくて、泥沼的な授業に陥って悩んでいたわたしが、なんとかその状態から抜け出そうと試行錯誤した末に生まれた方法です。

では、また。


件  名 : 急行列車 分析 その二
差出人 : 井上秀喜       送信日時 : 2001/08/02 20:25


急行列車の教材分析の続きです。

おお、なんと駆けることか。この調子だと最初の駅に着くにはあまり時間はかからないだろう、とわたしは考えた。それから二番め、三番め、四番め、そして五番めの駅が終点で、勝利だ。

《不思議な駅暗示表現》
《旅程説明》
《やはり通過地名(駅名)不明設定》《場の設定》
《終点の駅到着 = 勝利 設定》

《実際の列車旅行とは違うぞ暗示設定》

わたしはいい気分で窓越しに電線を眺めていた。それはだんだん下がっていって、かたんとはねると、次の電柱のせいで、またもとの位置まで上がっていく。そして、そのリズムはしだいに速くなっていった。

《列車ますます加速状態暗示電線描写》

だがわたしの前の赤いビロードの座席には二人の紳士が座っており、その顔はいかにも列車のことについては詳しげな様子を表していた。その二人は絶えず時計に目をやってはぶつぶつ言いながら首を横に振っていた。

《同乗客描写》
《時間気にしている客描写》
《新たな人物登場》

そこでわたしは、元来がいささか内気な性分だったが、思いきって尋ねてみた。「失礼ですが、あなたがたはどうしてそんなふうに首を振っていらっしゃるんですか?」
「我々が首を振っているのは……。」と二人のうち年かさのほうが答えた。「このいまいましい列車がその務めどおりに走っていないからです。こんな速度ではとてつもなく遅れてしまうでしょうな。」

《わたしと対照的な同乗客反応》
《列車の速度不満足同乗客せりふ》
《列車への批判同乗客せりふ》
《時間に遅れること極度に嫌悪同乗客》

《新しい列車のスピードに慣れてしまった同乗客》
《はじめて新しい列車に乗り、スピードに満足しているわたし》

この二つの形象は、
《わたしもこの列車のスピードに慣れてしまえば、この同乗客と同じに
なってしまうだろう予測》につながる。

《人間のスピードへの欲望決して満たされない主題暗示》

わたしは何も言葉を返さなかったが、こう考えた。「人間ってやつは決して満足しないんだから。この列車は全くすばらしい勢いで力いっぱい走っている。まるで虎のようだ。この列車はたぶん今までどんな列車も走ったことのないような速さで走っている。それなのに、旅客はいつも不平をこぼすものだ。」そしてその間にも両側の田園風景は飛ぶように走り去り、そして我々があとにする距離はいっそう大きくなっていった。

《わたしの同乗客へのこっそり批判》
《この列車デビューごく最近説明せりふ》

   実際、最初の駅には予期していたよりも早く到着した。時計を見ると、完全に時間どおりだった。その駅で、わたしはある重要な用件でモッフィン氏と会う予定にしていた。わたしは急いで列車から降り、約束しておいた一等待合室のレストランへと駆けつけた。モッフィン氏はいた。ちょっど食事をし終えたところだった。

《重要要素「時計」「時間」頻出設定》

《名前表示初人物モッフィン氏登場》

《最初の駅到着時間どおり》
《場面転換》《列車から一等待合室へ》

《計画行動人物 わたし》

   わたしは彼にあいさつして、椅子に座った。だが彼はいっこうに用件にはふれようとせず、まるでいくらでも時間があるかのように、天気のことやそのほかむだ話ばかりするのだった。ゆうに十分もたってから (そして列車が出発するまでにもう七分しか残っていなかった) 、彼はようやく必要な書類を革のかばんから取り出したが、わたしが時計ばかり見ているのに彼は気づいた。

《モッフィン氏 時間たっぷりゆうゆう行動描写》
《わたし 残り時間少なくはらはら心理描写》

《対照的人物設定》

《計画どおりいかない状況変えられない人物 わたし》
《不測の事態対処能力弱人物 わたし》

「ひょっとして、お急ぎなのかな?」別に皮肉ではなく彼は尋ねた。「わたしは、正直に言って、あまりせかせかと仕事の話をするのは性に合わないんだが……。」

《自分のペースで仕事スタイル人間 モッフィン氏》
《マイペースワーク人間 モッフィン氏》
《生物時計リズム人間 モッフィン氏》《人物の読み》

「ごもっともです。」わたしはあえて言った。
「でも列車がまもなく出ますので、それで……。」
「そういうことなら……。」と彼は活発な手の動きで書類をまたかき集めながら言った。「そういうことなら、残念だが、あんたがもう少し時間に余裕のある時に、改めてこの件について話すことにしましょう。」そして彼は立ち上がった。
「どうも申しわけありません。」わたしは口ごもった。「わたしのせいではないのでして、実は列車が……。」
「いいんだよ、いいんだよ。」彼はおうように笑いながら言った。

《時間にしばられ人物 わたし》
《他者(列車)にあわせる人物 わたし》
《主体性欠如人物 決定権なし人物 わたし》
《言い訳人物 わたし》 《人物の読み》

《重大な用件不成立状況》《事件の読み》

   わたしはゆっくりと動きだした列車にやっとのことでまにあった。「しかたがないさ。」わたしは考えた。「また今度にすればいいさ。今大事なのは、この便をのがさないことなんだ。」

《二兎を追うものは一兎も得ず展開予想》《事件の読み》

《この列車に乗ること第一優先人物 わたし》
《この列車は特別列車と思い込み人物 わたし》

《列車特別設定理由不明》

   列車は、野原を飛ぶように走った。電線がときどきぴくんとはねながら上下に踊っていた。はてしない草原が見え、人家はしだいに少なくなっていった。孤独と神秘とに向かって扇形にひらいた北の地方へと、我々は踏み込んでいたからだ。

《最初の駅から次の駅途中の車窓の風景描写》
《人の生活感だんだん薄れていく情景描写》
《北の地方さむざむ描写》

《今後の話の展開暗示情景描写》《事件の読み》
《未知の世界への場面転換描写》

○ここまでの読みで、なぜこんなにもこの列車に乗ることにわたしがこだわっているのか、説明が極端に少ない。
○時間へのこだわりが異常である。

まだまだよくわからない部分が多いです。

アドバイスをお願いいたします。


件  名 : 急行列車 分析 その二《○○構成》?
差出人 : 糸数剛
送信日時 : 2001/08/03 05:11


おそはようございます。
糸数です。

「急行列車」のネーミング術語による分析、冴えていますね。


> 実際、最初の駅には予期していたよりも早く到着した。時計を
> 見ると、完全に時間どおりだった。その駅で、わたしはある重要
> な用件でモッフィン氏と会う予定にしていた。わたしは急いで列
> 車から降り、約束しておいた一等待合室のレストランへと駆けつ
> けた。モッフィン氏はいた。ちょっど食事をし終えたところだっ
> た。
>
> 《重要要素「時計」「時間」頻出設定》

これも、とてもよいディテールの指摘だと思います。


> ○ここまでの読みで、なぜこんなにもこの列車に乗ることにわたし
> がこだわっているのか、説明が極端に少ない。
> ○時間へのこだわりが異常である。

はは〜ん、もしかして《○○構成》かもしれませんね。

じつは、わたしはまだこの作品を読んでないのです。

先が楽しみです。
ここまでの分析で、とても興味をひかれています。

では、また。


件  名 : 急行列車 分析その三
差出人 : 井上秀喜    送信日時 : 2001/08/03 10:08


急行列車、分析その三です。

   さっきの二人の紳士はもういなかった。わたしのいるコンパートメントには穏和な顔つきをしたプロテスタントの牧師が一人座って、せきをしていた。そして草原、森、沼、その間にも我々があとにする距離は悔恨の力とともに増大していく。

《事件の読み》
《二人の紳士下車》→《この列車のスピードへの不満からもっとスピード
のある乗り物へと乗り換え?》《別の乗り物探索?》

《新たな同乗客乗車》
《職業明示人物登場》
《プロテスタントの牧師の意味は?》
○この人物の職業設定の意味は何でしょうか。井上には読めません。

《この列車には他には同乗者いないの?》
・どうもこの列車にはほとんど人が乗っていないようです。

《せきをする人物》→《北の寒い地方へと列車は移動効果的表現》

《文体》
「そして草原、森、沼、その間にも我々があとにする距離は悔恨の力とともに増大していく。」
《自分たちの過去への悔やみ増加表現》
《自分の人生への後悔表現》

   所在なさに、ふと、わたしは時計に目をやった。するとすぐにプロテスタントの牧師も、せきの合間に、わたしと同じことをし、首を横に振った。だが今度はわたしはその訳を尋ねはしなかった。あいにくわたしにはその理由がわかっていたからである。十六時三十分だった。もう十五分前に二番目の駅に到着していなければならないのに、それはまだ地平線にかいま見えすらもしなかった。

《事件の読み》
《同乗者の首振り行動原因理解 わたし》

《列車の時間気にし始める わたしも牧師も》

《列車の到着時間遅れはじまり》

《現実的時間明示表現》《現在時刻表示》

   二番目の駅ではロザンナがわたしを待っているはずだった。列車が到着した時、プラットフォームには大勢の人がいた。だが、ロザンナはいなかった。三十分列車が遅れたのだった。わたしはプラットホームに飛び降り、駅の中を横切って、正面広場に出た。すると道路の向こう、ずっと遠くに、背をかがめて立ち去っていくロザンナの姿が見えた。

《到着駅にて待ち人あり事件展開》
《単純構成小説》

《三十分到着時間遅れ》

《三十分遅れても待つ人 大勢の人》
《三十分遅れ待てない人 ロザンナ》
《ロザンナ わたしにそれほど会いたくない人物》

「わたしはプラットホームに飛び降り、駅の中を横切って、正面広場に出た。」
《ロザンナに会いたい行動》《ロザンナ探し行動》

「ロザンナ、ロザンナ!」わたしは声をかぎりに呼んだ。だがわたしの恋人はもう遠すぎた。彼女は一度も振り向かなかった。わたしは知りたい、人間として、わたしは彼女のあとを追って駆けていくことができたろうか、わたしはその列車を、そしてすべてを捨ててしまうことができたろうか?

《ロザンナとわたしの関係明示表現》

《自分のできなかった行動への疑問の投げかけ》
《自分のできなかった行動への後悔・未練》

《人生は選択の連続であるという題象徴》
《選択しなかった人生の先には今とはちがった人生があったのではないか疑問つきまとうという主題象徴》
《違う人生を選択するには、今もっている何かを捨てなければならない人生の選択ルール》

《自分の選択した人生に疑問をもつ人物 わたし》

   ロザンナは道のかなたに姿を消し、わたしはあきらめきれぬ思いで再びその急行列車に乗り、そして北国の平原をよぎって、人々が運命と呼ぶものに向かって進むのだった。結局のところ恋などなんだというのだ?

《自分の選択を運命と片付ける人物 わたし》
《自分の選択が一番よかったと思い込もうとする人物 わたし》

《自己選択権放棄人物 わたし》
《人生は自ら開拓するものである考えなし人物 わたし》
《主体性なし人物 わたし》

《列車まかせ人生観人物 わたし》

《目的地名 運命設定?》

   なお何日も何日も走った。線路のわきの電線はあい変わらず神経質に躍ってはいたが、なぜ車輪の響きはもう以前のような威勢のいい轟音をたてないのか? なぜ視野にある木々は不意を襲われたうさぎのように跳びはねてはいかずに、まるでいやいや、のろのろと後退していくのだろうか?

《列車旅行日数経過》《おおきな出来事なし列車内経過報告》

《列車の速度低下表現情景描写》
《列車の速度低下表現疑問文》

三番目の駅には二十人ばかりの人がいるだけだった。わたしを祝いに来ているはずの一行など見当たらなかった。

《到着駅に待ち人あり設定》
《現実は待ち人なし現実》

《だんだん駅には人が少なくなる設定》

○もしかすると「わたし」はこの列車に乗るチケットをもつことが成功ととらえているのかもしれない。よくある「小さいころから有名大学に入学することだけ考えて、いざ合格したらなにを自分はやりに大学にきたのかわからないという大学生」と同じか。自己実現のための目標をもっていないのかもしれない。

○ここまでで、わたしは駅でちょっとだけ人と会う予定であることが、読み取れる。
《人との関わり深くするつもりなし人物 わたし》
《自分の計画で人を動かす人物 わたし》
《自分の都合第一人物 わたし》
《人のために何かをしようという気持ち考えなし人物 わたし》
《人生の楽しみ持たない人物 わたし》

○「わたし」を待つ人がだんだん減っていくのは、「わたし」が《急行列車人生》を選択し、そういう生き方をすればするほど、理解者や協力者が減っていくということを象徴しているのではないか。

  プラットフォームでわたしは尋ねてみた。
「もしや、楽隊や小旗を持った大勢の男や女たちの一行が来なかったかね?」
「ああ、来てたよ。ずいぶんと待ってもいたがね。そのうちにあきらめて、帰ってしまったよ。」
「いつ?」
「もう三、四か月も前だろうかね。」そんな返事が返ってきた。そうしているうちにも、列車が再び出発する長い汽笛が鳴った。

《列車の到着三、四ヶ月遅れ 設定》
《急行列車人生長期化設定》

さあ、元気を出して、出発だ。急行列車は全力をふりしぼって駆けた。だがどうみても、もう以前のような猛然たる疾走ぶりではなかった。石炭が悪いせいか? 空気が違うせいか? 寒さのせいか? 機関手が疲れたのか? そして我々があとにしてきた隔たりは、思うだにめくるめくほどの深淵のごときものだった。

《急行列車速度低下原因追究》

四番めの駅では、わたしは知っていた、わたしの母がわたしを待っているはずなのを。だが汽車がとまった時にはプラットホームには人影ひとつなかった。そして雪が降っていた。

《季節の変化表現雪描写》
《終点一つ手前駅到着》

《待ち人いない現実》

《待ち人母設定》

《到着日時省略》
あとでわかるのだが、なんと「四年」も到着が遅れたにもかかわらず「母」はじっと待っていたことがわかる。

○《急行列車人生》を選択しても、「わたし」をいつまでも待ちつづけてくれる存在が「母」という設定にしてある。

○さて、四番目の駅ではどんなドラマが待っているのだろうか。この小説は、一読総合法の手法で、次はどんな展開になるのか予想させつつ読むと、面白いのかもしれない。そして、登場する人物は、どんな役割をしているのかあれこれ想像させるとおもしろいのかもしれません。

続きは、また。

ご意見をお願いいたします。


件  名 : 急行列車 分析その三《人生象徴小説》

差出人 : 糸数剛       送信日時 : 2001/08/04 04:35


おそはようございます。
糸数です。

「急行列車」、意味深な難解な小説のようですね。
こういう作品は好きです。
謎解きのようにいろいろ解釈できる作品が。
それだけネーミング術語も豊富にとりたてることができます。


> 《新たな同乗客乗車》
> 《職業明示人物登場》
> 《プロテスタントの牧師の意味は?》
> ○この人物の職業設定の意味は何でしょうか。井上には読めません。

よく、「西洋の小説にはキリスト教が重要な要素になっていて、日本人が読むときにはそのことを認識する必要がある」というようなことを聞きます。

ここにもその認識が必要なのかもしれませんね。
ちょっとした思いつきですが、要するに西洋の人にとってはキリスト教が不可欠のものである。
わたしの人生に影響を与えるとか、大きく関わるものを何名かの登場人物で典型させようとするのならば、その中にキリスト教に関わる人物がどうしても不可欠なのではないでしょうか。
ただ、どうしてプロテスタントで、カトリックでないかは、今のところわたしには思いつきません。

以下に抽出した井上さんのネーミング術語から上のようなことを考えました。
やはり《人生象徴小説》として読めそうですね。
「一読総合法的に読む」ということ、賛成です。
特にこの作品には有効な気がします。
この後が楽しみです。

では、また。


件  名 : 《牧師》は何を象徴しているか

差出人 : 井上秀喜    送信日時 : 2001/08/04 08:12


こんにちは。

‖糸数です。

‖「急行列車」、意味深な難解な小説のようですね。
‖こういう作品は好きです。
‖謎解きのようにいろいろ解釈できる作品が。
‖それだけネーミング術語も豊富にとりたてることができます。

そうですね。《謎解き小説》という視点はいいですね。

‖> 《新たな同乗客乗車》
‖> 《職業明示人物登場》
‖> 《プロテスタントの牧師の意味は?》
‖> ○この人物の職業設定の意味は何でしょうか。井上には読めません。

‖よく、「西洋の小説にはキリスト教が重要な要素になっていて、日本人が読む
‖ときにはそのことを認識する必要がある」というようなことを聞きます。

‖ここにもその認識が必要なのかもしれませんね。
‖ちょっとした思いつきですが、要するに西洋の人にとってはキリスト教が不可
‖欠のものである。
‖わたしの人生に影響を与えるとか、大きく関わるものを何名かの登場人物で典
‖型させようとするのならば、その中にキリスト教に関わる人物がどうしても不
‖可欠なのではないでしょうか。
‖ただ、どうしてプロテスタントで、カトリックでないかは、今のところわたし
‖には思いつきません。

糸数さん、コメントありがとうございました。

糸数さんのコメントからひらめきました。

宗教者=《人の生き方を導く人》という読みはどうでしようか。そういう人であっても《急行列車人生》を歩む人もいるというメッセージではと考えました。

この急行列車に乗る人は、いろんな人がいる。どんな人にも《急行列車人生を選んでしまう可能性あり》と読めるのではないでしょうか。

東稔さんは、「国語科新教材の徹底分析」で「三つ目の駅」の「派手てでにぎやかな祝い方から考えると、何かの成功・成就のお祝いだろう。二番目の駅まで乗り合わせていたプロテスタントの牧師が、着いた時にはいなくなっていることと合わせて考えると、「結婚」のお祝いと読むのが妥当であろう。」(P76)と、この牧師は、《結婚の仲介者》としての役割と読んでいらっしゃいます。

井上には、ここらあたりの読みがしっくりきません。それは、もしロザンナと結婚するのなら、ロザンナをこの列車に連れてこなければならないのだが、そんなふうにはロザンナを追いかける場面は読めないからと、「わたし」と「牧師」とは、無関係な存在として描かれているからです。

東稔さんが、三つ目の駅を《結婚》の象徴と読むのもしっくりきません。
「わたしを祝いに来ているはずの一行など見あたらなかった。」と教材文には書いてあります。ここで「わたしの何を祝うのか」というあたりが、よくわからないのです。ただ、《急行列車に乗る権利を得た》ことくらいくか、井上には読めません。

ご意見、お願いします。

‖以下に抽出した井上さんのネーミング術語から上のようなことを考えました。
‖やはり《人生象徴小説》として読めそうですね。
‖「一読総合法的に読む」ということ、賛成です。
‖特にこの作品には有効な気がします。
‖この後が楽しみです。

読み研方式も、構造読みをせずに、その部分での形象読みをしてみるといった実践も十分可能だと思います。

構造読みのメリットに、小説の事件を構成する対立勢力を読み取った上で、形象読みに入っていくので深く読めるということがありますが、「国語科新教材の徹底分析」にも読み研方式でポイントをしぼった授業をしようという提案がなされていますが、上の授業の流し方は、一つの方法ではないかと思います。

では、また。


件  名 : Re: [yomiken:0181] 《牧師》は何を象徴しているか

差出人 : Haruyoshi Tone     送信日時 : 2001/08/07 23:37


井上さん、みなさん、こんばんは。
東稔です。

このところ、何かと忙しくて、長文に長文で応えるパワーは減退しています。短文で舌足らずではあっても、さっぱりとしか書かないだろうけど、許してください。

井上秀喜さんが01.8.4 8:22 AMに書きました:
>宗教者=《人の生き方を導く人》という読みはどうでしようか。そういう人であ
>っても《急行列車人生》を歩む人もいるというメッセージではと考えました。

宗教者=《人の生き方を導く人》という読みはなるほどです。

>この急行列車に乗る人は、いろんな人がいる。どんな人にも《急行列車人生を選
>んでしまう可能性あり》と読めるのではないでしょうか。

うーん、そうだとしても途中で降りてしまうのは?
目的地まで行っていないのですから、結局選んでいないのでは。

>東稔さんは、「国語科新教材の徹底分析」で「三つ目の駅」の「派手てでにぎや
>かな祝い方から考えると、何かの成功・成就のお祝いだろう。二番目の駅まで乗
>り合わせていたプロテスタントの牧師が、着いた時にはいなくなっていることと
>合わせて考えると、「結婚」のお祝いと読むのが妥当であろう。」(P76)と、
>この牧師は、《結婚の仲介者》としての役割と読んでいらっしゃいます。

このあたりの読みは僕自身最後まで揺れました。
最初は仕事の成功かと読んでいたのですが…
最後の最後に牧師をとらえて、結婚と読みました。
前とつなげて読む姿勢は、基本的なものでしょう。

>井上には、ここらあたりの読みがしっくりきません。それは、もしロザンナと
>結婚するのなら、ロザンナをこの列車に連れてこなければならないのだが、そ
>んなふうにはロザンナを追いかける場面は読めないからと、「わたし」と「牧
>師」とは、無関係な存在として描かれているからです。

ロザンナは行ってしまったのですから、仕方ないのでは?
牧師が彼らと無関係だとしたら、何のために登場させたのですか?
そんな人物を出すと言うことは、小説の破綻ではないですか?

>東稔さんが、三つ目の駅を《結婚》の象徴と読むのもしっくりきません。
>「わたしを祝いに来ているはずの一行など見あたらなかった。」と教材文には
>書いてあります。ここで「わたしの何を祝うのか」というあたりが、よくわか
>らないのです。ただ、《急行列車に乗る権利を得た》ことくらいくか、井上に
>は読めません。

僕としてもそんなに納得している訳ではないですが、つなげて読むとそう読むのが、一番筋が通ると考えたからです。
読みの基本は論理的なものでなければならないでしょう。

書かれていることは、基本的につなげて積み重ねて読んでいくものです。
そういう形でつじつまを合わせていくのではないでしょうか?
登場人物を無関係にバラバラに出していては、それは構成の破綻です。

どうとでも読める小説というのは、何にも読めない小説じゃないですか。
僕がこの作品を評価しないのは、そのあたりが一番の理由です。

>読み研方式も、構造読みをせずに、その部分での形象読みをしてみるといった
>実践も十分可能だと思います。
>
>構造読みのメリットに、小説の事件を構成する対立勢力を読み取った上で、形
>象読みに入っていくので深く読めるということがありますが、「国語科新教材
>の徹底分析」にも読み研方式でポイントをしぼった授業をしようという提案が
>なされていますが、上の授業の流し方は、一つの方法ではないかと思います。

僕の提案もその方向で書かれています。

それでは。


件  名 : 《登場人物の役割》井上案です。

差出人 : 井上秀喜     送信日時 : 2001/08/08 04:05


東稔さん、みなさん、おそはようございます《こんばんはとおはようございますの中間時間あいさつ言葉》。
早速のコメント、感謝です。

‖井上さん、みなさん、こんばんは。
‖東稔です。

‖このところ、何かと忙しくて、長文に長文で応えるパワーは
‖減退しています。短文で舌足らずではあっても、さっぱりと
‖しか書かないだろうけど、許してください。

いえいえ、よろしくお願いします。

‖井上秀喜さんが01.8.4 8:22 AMに書きました:
‖>宗教者=《人の生き方を導く人》という読みはどうでしよう
‖>か。そういう人であっても《急行列車人生》を歩む人もいる
‖>というメッセージではと考えました。

‖宗教者=《人の生き方を導く人》という読みはなるほどです。

‖>この急行列車に乗る人は、いろんな人がいる。どんな人にも
‖>《急行列車人生を選んでしまう可能性あり》と読めるのでは
‖>ないでしょうか。

‖うーん、そうだとしても途中で降りてしまうのは?
‖目的地まで行っていないのですから、結局選んでいないのでは。

そのとおりですね。途中で降りる人は、何を表しているかと、
《人生はいろんな選択が用意されている主題》
《急行列車人生から違う生き方を選択した人》
ということになります。
あるいは、《ちこっと急行列車人生乗り合わせ人物 牧師》
《人の生き方を導く人でも、時には、急行列車人生になることもある主題》
《一つの生き方を貫き通すのは、人間には難しい 牧師でも主題》

牧師だけでなく、最初の時間をとても気にしていた「二人の紳士」も同じです。

こちらは、この時点で「かなり時間を気にしていましたので」、
《特急列車人生選択人物 二人の紳士》

最後まで、急行列車に何人かこの作品では残っています。
この人たちは、《急行列車人生を選びつづけている人》です。

‖>東稔さんは、「国語科新教材の徹底分析」で「三つ目の駅」の
‖>「派手でにぎやかな祝い方から考えると、何かの成功・成就の
‖>お祝いだろう。二番目の駅まで乗り合わせていたプロテスタン
‖>トの牧師が、着いた時にはいなくなっていることと合わせて考
‖>えると、「結婚」のお祝いと読むのが妥当であろう。」(P76)
‖>と、この牧師は、《結婚の仲介者》としての役割と読んでいら
‖>っしゃいます。

‖このあたりの読みは僕自身最後まで揺れました。
‖最初は仕事の成功かと読んでいたのですが…
‖最後の最後に牧師をとらえて、結婚と読みました。
‖前とつなげて読む姿勢は、基本的なものでしょう。

‖>井上には、ここらあたりの読みがしっくりきません。それは、
‖>もしロザンナと結婚するのなら、ロザンナをこの列車に連れて
‖>こなければならないのだが、そんなふうにはロザンナを追いか
‖>ける場面は読めないからと、「わたし」と「牧師」とは、無関
‖>係な存在として描かれているからです。

‖ロザンナは行ってしまったのですから、仕方ないのでは?
‖牧師が彼らと無関係だとしたら、何のために登場させたのですか?
‖そんな人物を出すと言うことは、小説の破綻ではないですか?

ここのところは、井上は、こう考えます。

各停留駅で、会う人は、すべてその駅に残ることになります。
その人たちは、何を表しているかというと、大きく共通性を考えると
《急行列車人生を選ばない人たち》
《それぞれの違う生き方をとっている人》
《わたしと同じ生き方を選ばない人》
です。

そして、最初の駅で会った人は、
《じっくりと仕事に取り組む人生の人》
《駆け足の仕事はせぬ人》
《マイペース仕事人》
《仕事の効率のみを追及するのではない余裕のある人》
もし、「わたし」がこの駅にとどまったとしたら
単純に言うと《仕事人間》。
「わたし」は、どうも仕事のために列車に乗ったのではなく、何か別の目的をもっているようです。ですので、小説の流れでは、降りなかったのですから、
《自分のやりたいことを犠牲にしてまで仕事人間ではない人 わたし》

次の、恋人ロザンナは、
《自分の生活を守りながら、人生を歩んでくれる人をパートナーに選ぶ人》
《恋のために現実世界を飛び出さない人(ただし、わたしをパートナーとして考えた場合)》
《列車の遅れをほんのちょっとしか待てない人》
もし、「わたし」がこの駅で降りたのなら「わたし」は《恋人との新生活を選択する人》ですが、降りなかったのですから、
《自分のやりたいことを犠牲にしてまで恋を大切にはしない人 わたし》
です。


次の、祝いの人たちは、井上にはよくわかりません。
ただ、ロザンナに比べれば、列車の遅れを時間的に長く待っていたので
《列車の遅れを少しは待てる人》
また、にぎやかに、集団で出迎えてくれたのですから
それも、「楽隊や小旗を持った大勢の男や女たち」
《みんなで楽しく人生を生きよう集団》
《芸能人的人生選択人間》
これまで駅で待っていたのは、一人でしたが、ここは集団です。
《みんなで共通の目的を持って生活する人たち》。

四つ目の駅の、母は、
《列車がどんなに遅れても待つ人》
《わたしをいつまでも待ちつづけてくれる人》
《家庭を守る人》
《息子の成功を願う人》

糸数さんのコメントにもありましたが、

《糸数さんコメント引用開始》――――――――

母親が登場する場面は、《日常vs非日常》《故郷vs都会(脱故郷)》《家庭vs社会》《家vs外》《母のふところvs社会の荒波》の構造
ではないでしょうか。

そして、「わたし」は母のふところを出て社会の荒波に挑戦する人物ではあるが、決して単純に母を捨てるのではなく、母への愛情もしっかりもっている人物である。
母のふところに居てもよいと考える人物である。
しかし、それでは「わたし」をとどめてしまうという、息子の出世?を願う母の愛情が息子を追い返す。

その辺のことは井上さんがとらえた下記のネーミング術語から思いつきました。

> 《チャンスをのがすな人生観人物 母》
> 《子どもの人生は子どもの人生観人物 母》

《引用終了》――――――――――

つまり、二番目・三番目・四番目の駅で会う人は、「わたし」の選択した《急行列車人生にどれくらいつきあえるか》という違いでは、ないでしょうか。
「わたし」が《急行列車人生》を続ければ続けるほど、《待つ人》《応援する人》は、少なくなるが、母親だけは、最後の最後まで待ってくれる。

そして、四つ目の駅で、「わたし」降りなかったのですから、
《現実世界から飛び出したい人物》
《貧しい町よりさらに裕福な生活を望む人》
《故郷から都会へ飛び出す人物》
《家庭生活ではなく社会生活に飛び出す人》
《母の愛情の世界にとどまらず、社会の荒波に向かう人》
です。

‖>東稔さんが、三つ目の駅を《結婚》の象徴と読むのもしっくりきません。
‖>「わたしを祝いに来ているはずの一行など見あたらなかった。」と教材文には
‖>書いてあります。ここで「わたしの何を祝うのか」というあたりが、よくわか
‖>らないのです。ただ、《急行列車に乗る権利を得た》ことくらいくか、井上に
‖>は読めません。

‖僕としてもそんなに納得している訳ではないですが、つなげて読むとそう読む
‖のが、一番筋が通ると考えたからです。
‖読みの基本は論理的なものでなければならないでしょう。

‖書かれていることは、基本的につなげて積み重ねて読んでいくものです。
‖そういう形でつじつまを合わせていくのではないでしょうか?
‖登場人物を無関係にバラバラに出していては、それは構成の破綻です。

‖どうとでも読める小説というのは、何にも読めない小説じゃないですか。
‖僕がこの作品を評価しないのは、そのあたりが一番の理由です。

まだ、まだ、つじつまのあわないところもあります。上の東稔さんの《登場人物有機的結び付け難しい小説》というのは、あっていますね。

もしかすると、井上・東稔の読み以外で、《登場人物関係合理的解釈》が、あるかもしれません。

いろんな方のご意見をうかがえればと、思います。

もし、あれば、授業としては、もっと面白い展開のできる小説になりますし、いい小説ということにもなります。

私の感想としては、あれこれ意見がでてきそうなので、難解のところがあってもおもしろい小説なのかなと評価します。

この難解な部分は、かつて大西氏が国語の授業開きで《あなたの人生のテーマはなんですか》と生徒にオープンエンドメッセージをなげかけた
のと共通する部分があると思います。《人生はひとつの主題で読みきれるものではないメッセージ》《あなたは何を人生のメインテーマにしま
すかメッセージ》だったと思います。

つまり、《人生というのは、かんたんに割り切れるものではない主題》《人生の不可解さ主題》をこの構成は、具現化しているのではないでし
ょうか。

では、また。


件  名 : Re: [yomiken:0194] 《登場人物の役割》井上案です。

差出人 : Haruyoshi Tone   送信日時 : 2001/08/08 23:08


井上さん、みなさん、こんばんは。
東稔です。
僕としては早い時間にレスを書いています(^^)

井上秀喜さんが01.8.8 4:14 AMに書きました:

>そのとおりですね。途中で降りる人は、何を表しているかと、
>《人生はいろんな選択が用意されている主題》
>《急行列車人生から違う生き方を選択した人》
>ということになります。
>あるいは、《ちこっと急行列車人生乗り合わせ人物 牧師》
>《人の生き方を導く人でも、時には、急行列車人生になることも
>ある主題》
>《一つの生き方を貫き通すのは、人間には難しい 牧師でも主題》
>
>牧師だけでなく、最初の時間をとても気にしていた「二人の紳士」
>も同じです。
>
>こちらは、この時点で「かなり時間を気にしていましたので」、
>《特急列車人生選択人物 二人の紳士》
>
>最後まで、急行列車に何人かこの作品では残っています。
>この人たちは、《急行列車人生を選びつづけている人》です。

なるほどね。
乗り合わせていることを僕はあまり重要視していなかったので、井上さんの読みにははっとするものがありました。
やはり分析は集団的である方がいいですね。
これがサークル活動を重視するゆえんですが。

>次の、祝いの人たちは、井上にはよくわかりません。
>ただ、ロザンナに比べれば、列車の遅れを時間的に長く待っていたので
>《列車の遅れを少しは待てる人》
>また、にぎやかに、集団で出迎えてくれたのですから
>それも、「楽隊や小旗を持った大勢の男や女たち」
>《みんなで楽しく人生を生きよう集団》
>《芸能人的人生選択人間》
>これまで駅で待っていたのは、一人でしたが、ここは集団です。
>《みんなで共通の目的を持って生活する人たち》。

「私を祝う」っていったい何だったんでしょうね。
井上さんの読みもなるほどとは思うけど、一番目と二番目の駅の象徴性とつなげて考えると、やっぱり「仕事の成功」か「結婚」のお祝いと読むのが妥当じゃないですか?
「私」は出発したときにはすべてを手に入れるつもりだったのです。それが結局何も手に入らなかった。
そのあたりを井上さんは読み落としているように思いますが。
どう考えますか?

>つまり、二番目・三番目・四番目の駅で会う人は、「わたし」の選択した
>《急行列車人生にどれくらいつきあえるか》という違いでは、ないでしょ
>うか。
>「わたし」が《急行列車人生》を続ければ続けるほど、《待つ人》《応援
>する人》は、少なくなるが、母親だけは、最後の最後まで待ってくれる。

ここは「なるほど」です。

>そして、四つ目の駅で、「わたし」降りなかったのですから、
>《現実世界から飛び出したい人物》
>《貧しい町よりさらに裕福な生活を望む人》
>《故郷から都会へ飛び出す人物》
>《家庭生活ではなく社会生活に飛び出す人》
>《母の愛情の世界にとどまらず、社会の荒波に向かう人》
>です。

このあたりの読みはかなり恣意的になっているように思います。
肯定的に読み過ぎじゃないですか。
書かれている言葉に即して読んだら、目的地に向かうことはもはや幸せじゃないんですよ。
「裕福な生活」「都会」「社会生活」「社会の荒波」…すべて違うように思います。
でも、それが何か具体性を伴って小説から伝わってこないので、「私」の絶望が切実に読み手に感じられないのです。
だから、作品としては評価できないと僕は思うのです。

>この難解な部分は、かつて大西氏が国語の授業開きで《あなたの人生の
>テーマはなんですか》と生徒にオープンエンドメッセージをなげかけた
>のと共通する部分があると思います。《人生はひとつの主題で読みきれ
>るものではないメッセージ》《あなたは何を人生のメインテーマにしま
>すかメッセージ》だったと思います。

これに近いことは僕もやってますよ。
小説のテーマを読むことは、自分自身の人生のテーマを読むことにもつながるよって。

それでは。


件  名 : 《感激 読みの多様性教材分析》

差出人 : 井上秀喜    送信日時 : 2001/08/09 04:18


東稔さん、糸数さん、みなさん、おはようございます。

今日から三日間、卓球の中学関東大会引率のため埼玉へ旅行となりますので、しばらく顔を出せません。(残念)

このメーリングリストで今回のように一つの教材をめぐってあれこれ意見を交換できて、とてもうれしいです。メーリングリスト開設の趣旨にも書きましたが、一人での教材分析の限界を突破したいということが実現できていますね。

‖井上さん、みなさん、こんばんは。
‖東稔です。
‖僕としては早い時間にレスを書いています(^^)

やはり、《夜型人間》ですね。

‖井上秀喜さんが01.8.8 4:14 AMに書きました:
‖>そのとおりですね。途中で降りる人は、何を表しているかと、
‖>《人生はいろんな選択が用意されている主題》
‖>《急行列車人生から違う生き方を選択した人》
‖>ということになります。
‖>あるいは、《ちこっと急行列車人生乗り合わせ人物 牧師》
‖>《人の生き方を導く人でも、時には、急行列車人生になることも
‖>ある主題》
‖>《一つの生き方を貫き通すのは、人間には難しい 牧師でも主題》
‖>
‖>牧師だけでなく、最初の時間をとても気にしていた「二人の紳士」
‖>も同じです。
‖>
‖>こちらは、この時点で「かなり時間を気にしていましたので」、
‖>《特急列車人生選択人物 二人の紳士》
‖>
‖>最後まで、急行列車に何人かこの作品では残っています。
‖>この人たちは、《急行列車人生を選びつづけている人》です。

‖なるほどね。
‖乗り合わせていることを僕はあまり重要視していなかったので、井上さんの読
‖みにははっとするものがありました。
‖やはり分析は集団的である方がいいですね。
‖これがサークル活動を重視するゆえんですが。


教材分析にも少し書いておきましたが、「わたし」が、出会う人はすべて、何らかの意味で《わたしの人生の途中で出会う人》なのです。《偶然出会う人》もいれば、《約束をして出会う人》もいれば、《自分の生き方に強烈な影響を与える人》もいれば、《ただすれ違っただけの人》もいるわけです。
ですから、そんなに有機的に結びつけられなくてもよいのかもしれません。

‖>次の、祝いの人たちは、井上にはよくわかりません。
‖>ただ、ロザンナに比べれば、列車の遅れを時間的に長く待っていたので
‖>《列車の遅れを少しは待てる人》
‖>また、にぎやかに、集団で出迎えてくれたのですから
‖>それも、「楽隊や小旗を持った大勢の男や女たち」
‖>《みんなで楽しく人生を生きよう集団》
‖>《芸能人的人生選択人間》
‖>これまで駅で待っていたのは、一人でしたが、ここは集団です。
‖>《みんなで共通の目的を持って生活する人たち》。

‖「私を祝う」っていったい何だったんでしょうね。
‖井上さんの読みもなるほどとは思うけど、一番目と二番目の駅の象徴性とつな
‖げて考えると、やっぱり「仕事の成功」か「結婚」のお祝いと読むのが妥当じ
‖ゃないですか?
‖「私」は出発したときにはすべてを手に入れるつもりだったのです。それが結
‖局何も手に入らなかった。
‖そのあたりを井上さんは読み落としているように思いますが。
‖どう考えますか?


「わたし」は、何かの目的のために《急行列車人生》を選んだ。
だが、その目的は、多くの人からは理解できないような内容である。だから、「わたし」は一人で旅を続けなくてはならない。
また、その目的をどのように達成するか、まだ、他の人もわかっていないし、達成した人もいない。
なかなかその目的が達成できない。
そのへんの《人生の目的がなかなか達成できないときの迷い・寂しさ・不安感》をこの小説ではうまく表現しているのではないでしょうか。
そして、「わたし」が、その目的を達成しやすいと考える《急行列車のこの便》に乗っている権利を得た。今のところ、「わたし」は、この列車でなければ、自分の目的は達成できないと考えている。
つまり、《人生はいろんな生き方で自分の目的を達成できるとは思っていない人 わたし》。

東稔さんは
‖「私」は出発したときにはすべてを手に入れるつもりだったのです。それが結
‖局何も手に入らなかった。
と読んでいますが、まだ旅の途中なんです。「明日にも到着できるかも」というような部分が、《最後の機関手さん、お願いせりふ》にありましたね。
ですので、もしかすれば、目的を達成できるかもしれないし、そうでないかもしれないわけです。この作品の書き方からすると、なかなか達成できそうもないと予想されるわけです。

ですので、「何も手に入らなかった」とは、読めないのです。

‖>つまり、二番目・三番目・四番目の駅で会う人は、「わたし」の選択した
‖>《急行列車人生にどれくらいつきあえるか》という違いでは、ないでしょ
‖>うか。
‖>「わたし」が《急行列車人生》を続ければ続けるほど、《待つ人》《応援
‖>する人》は、少なくなるが、母親だけは、最後の最後まで待ってくれる。

‖ここは「なるほど」です。

‖>そして、四つ目の駅で、「わたし」降りなかったのですから、
‖>《現実世界から飛び出したい人物》
‖>《貧しい町よりさらに裕福な生活を望む人》
‖>《故郷から都会へ飛び出す人物》
‖>《家庭生活ではなく社会生活に飛び出す人》
‖>《母の愛情の世界にとどまらず、社会の荒波に向かう人》
‖>です。

‖このあたりの読みはかなり恣意的になっているように思います。
‖肯定的に読み過ぎじゃないですか。
‖書かれている言葉に即して読んだら、目的地に向かうことはもはや幸せじゃな
‖いんですよ。
‖「裕福な生活」「都会」「社会生活」「社会の荒波」…すべて違うように思い
‖ます。
‖でも、それが何か具体性を伴って小説から伝わってこないので、「私」の絶望
‖が切実に読み手に感じられないのです。
‖だから、作品としては評価できないと僕は思うのです。


この目的地に向かうことは幸せではないという読みは、正しいのでしょうか。
《人生の幸福か不幸かは当事者が決める 人生ルール》もこの小説は、あらわしていませんか。
「わたし」が、各駅や電車の中で出会った人は、「わたし」からみれば、《同じ人生を選びたくない人》つまり《「わたし」には幸せとは思えない人生を選択する人》です。
「わたし」以外の人(ただし「母」は除く)は、《「わたし」の人生を幸せな生き方とは思っていない人》です。
「母」は《「わたし」の人生を幸せな生き方であってほしいと応援してくれる人》です。

つまりこの小説は、《人生の幸・不幸は、本人が判断する 主題》《人の人生は、幸せ・不幸せどちらともいえる 主題》です。

この「わたし」の《人生の目的地読者には隠し構成》は、《読者に「わたし」の人生の目的地想像ゆだね構成》になっています。《自由な読み許容小説》になっています。

では、また。


件  名 : Re: [yomiken:0199] 《感激読みの多様性教材分析》

差出人 : Haruyoshi Tone    送信日時 : 2001/08/09 23:13


井上さん、こんばんは。
東稔です。

井上秀喜さんが01.8.9 4:28 AMに書きました:
>今日から三日間、卓球の中学関東大会引率のため埼玉へ旅行
>となりますので、しばらく顔を出せません。(残念)

大変ですね。
僕も明日は水泳の近畿大会に行かなくてはなりません。
まあ、明日1日で終わるので気は楽ですが(^^)

>東稔さんは
>‖「私」は出発したときにはすべてを手に入れるつもりだったのです。それが結
>‖局何も手に入らなかった。
>と読んでいますが、まだ旅の途中なんです。「明日にも到着できるかも」という
>ような部分が、《最後の機関手さん、お願いせりふ》にありましたね。
>ですので、もしかすれば、目的を達成できるかもしれないし、そうでないかもし
>れないわけです。この作品の書き方からすると、なかなか達成できそうもないと
>予想されるわけです。
>
>ですので、「何も手に入らなかった」とは、読めないのです。

どうも、井上さんは恣意的に読んでいると思うのですが。
最後の部分は達成できるかどうかに力点があるのではなく、今や達成したところでそれはもはや喜びではないのです。それは次の一文からも読めます。

まだ少しは以前の面影を残しているこのがらくたを、猛スピードで驀進させてください。夜の中を逆落としに。

また、機関手だって意味深な存在です。

あんたはどんな顔をし、何という名なんです? わたしはあんたをしれないし、まだあんたの姿を見ていない。

機関手だって何かの象徴です。僕の原稿は最初はこの読みも書いていましたが、枚数に収まらなかったのでカットしてしまったのです。
あとは、機関車そのものをなんの象徴として読むか。このあたりも読んでおかないと、結局この小説はよくわかりません。
僕もここも書いていましたが、結局カットしました。
枚数の制限って大きいのですよ。

>この目的地に向かうことは幸せではないという読みは、正しいのでしょうか。
>《人生の幸福か不幸かは当事者が決める 人生ルール》もこの小説は、あらわ
>していませんか。「わたし」が、各駅や電車の中で出会った人は、「わたし」
>からみれば、《同じ人生を選びたくない人》つまり《「わたし」には幸せとは
>思えない人生を選択する人》です。「わたし」以外の人(ただし「母」は除く)
>は、《「わたし」の人生を幸せな生き方とは思っていない人》です。「母」は
>《「わたし」の人生を幸せな生き方であってほしいと応援してくれる人》です。
>
>つまりこの小説は、《人生の幸・不幸は、本人が判断する 主題》《人の人生
>は、幸せ・不幸せどちらともいえる 主題》です。

そうでしょうか。
「わたし」はクライマックスで「愛する人々や土地からこんなに急いでにげていくのに値するのだろうか?」と考えています。
車内の乗客の描写とあわせても、肯定的に書かれているとは読めないのですが。
もう「わたし」はどうしようもなく目的地を目指さざるを得ないんですよ。達成することに喜びはないのです。引っ返すことができないから行くだけです。

そんなに「わたし」を追いつめた「目的」、そして「機関車」「機関手」って何でしょうね?

それでは。


件  名 : RE: [yomiken:0204] Re: 《感激 読みの多様性教材分析》

差出人 : 井上秀喜   送信日時 : 2001/08/12 10:05


東稔さん、みなさん、おはようございます。

三日間の卓球の関東大会から帰ってきました。

東稔さんのコメントにコメントします。

‖>東稔さんは
‖>‖「私」は出発したときにはすべてを手に入れるつもりだったのです。それが結
‖>‖局何も手に入らなかった。
‖>と読んでいますが、まだ旅の途中なんです。「明日にも到着できるかも」という
‖>ような部分が、《最後の機関手さん、お願いせりふ》にありましたね。
‖>ですので、もしかすれば、目的を達成できるかもしれないし、そうでないかもし
‖>れないわけです。この作品の書き方からすると、なかなか達成できそうもないと
‖>予想されるわけです。
‖>
‖>ですので、「何も手に入らなかった」とは、読めないのです。

‖どうも、井上さんは恣意的に読んでいると思うのですが。

‖最後の部分は達成できるかどうかに力点があるのではなく、今や達成したとこ
‖ろでそれはもはや喜びではないのです。それは次の一文からも読めます。
‖ まだ少しは以前の面影を残しているこのがらくたを、猛スピードで驀進さ
‖せてください。夜の中を逆落としに。

「今や達成したところでそれはもはや喜びではない」ことには、異論はありません。ただ、「わたし」のその感情は、いつになったら目的地につけるかわからない状況からくるもので、もしかすると、ついてみれば、喜びがわいてくる可能性もあると井上は読みます。

それは、最後の一文「もしかすると明日は到着できるかもしれないのだから。」から感じます。いつつけるかわからない不安が、最後の部分にあらわれています。

急行列車の冒頭は以下のとおりです。――――――――――――――

「あの列車に乗るのかね?」「あれだ。」機関車は、煙にすすけたプラットフォームの屋根の下で恐ろしげに見えた。いきりたって突進しようと足で地面をかいている獰猛な闘牛のようだった。
「この列車で旅をするのかね?」人々はわたしにそう尋ねるのだった。実際はそれは畏怖心を呼び起こした。それほどにすきまから音をたててもれ出る蒸気の圧力はすさまじかった。「この列車で。」とわたしは答えた。
「で、いったいどこへ?」わたしはその名を言った。わたしは友人たちと話していてさえ、一種の気恥ずかしさから、それまでその名を口にしたことはなかった。それは大いなる名、最も大いなる名、とてつもない目的地であった。それをここに記す勇気はわたしにはない。
その名を言うと、みんなはそれぞれ思い思いの目でわたしを見つめた。ある者はわたしのあつかましさを怒るような目で、ある者はわたしのおろかしさをあざけるような目で、ある者はわたしの幻想を哀れむような目で。ある者たちは笑った。一気にわたしは車両に飛び乗った。窓を開けて、人ごみの中に知った顔を探した。だれもいなかった。さあ、汽車よ、ぐずぐずせずに、走れ、駆けろ。機関手さん、どうか石炭をけちけちせずに、この怪物に息吹を与えてください。あわただしく蒸気を吐く音が聞こえ、客車がガタンと一つ揺れ、プラットフォームの柱が動き出し、初めはゆっくりと、そして一本一本わたしの目の前をよぎっていった。それから、家 家 工場 ガスタンク また、プラットホームの屋根 家 家 煙突 陸橋 家 家 木々 野菜畑 家 ガタン─ゴトン ガタン─ゴトン 草地 野っ原、そして広い空を流れる雲! さあ、機関手さん、蒸気の馬力をいっぱいに上げて。
おお、なんと駆けることか。この調子だと最初の駅に着くにはあまり時間はかからないだろう、とわたしは考えた。それから二番め、三番め、四番め、そして五番めの駅が終点で、勝利だ。

《冒頭部分終了》―――――――――――――――――――――――

この部分から考えると、五番目の駅が終点で、そこが目的地です。
まだ、この作品の最後の部分では、この終着駅にいつ着けるかわからないわけですから、目的地に到着するという目的は達成していないわけです。

ただ、この冒頭部では、簡単に目的地に到着できると「わたし」が感じていることを表現する《機関車のスピード》を強調しています。
ところが、終わりの部分では、《機関車のスピードも落ち》、《いつ着けるかわからない》ことを強調しています。

東稔さんは、途中の駅で何かを手に入れつつ旅をすると読んでいるようですね。
最初の駅で、《大きな仕事》、二つ目の駅で、《恋愛》、三つ目の駅で、《結婚》、四つ目の駅で、《年老いた母・愛する故郷》。

これらのものを捨ててまでも自分の目的地を目指すことに疑問を感じている(わたし)の姿が、次第にはっきりと描かれるようになっています。

さて、井上は、途中の駅で、それらのものを手に入れつつ旅をするという読みには、違和感を感じます。《大きな仕事》《恋愛》《結婚》《年老いた母・愛する故郷》を、はじめから手に入れながら目的地に到着できない設定ではありませんか。「わたし」の目的地は、これらのものとは違うということが、ストーリー展開する中で、わかっていくわけです。ただ、最終的に「わたし」は、「何をめざしているか」は、結局わからないままこの小説は終わってしまうのですが。

‖また、機関手だって意味深な存在です。
‖ あんたはどんな顔をし、何という名なんです? わたしはあんたをしれな
‖いし、まだあんたの姿を見ていない。
‖機関手だって何かの象徴です。僕の原稿は最初はこの読みも書いていましたが、
‖枚数に収まらなかったのでカットしてしまったのです。
‖あとは、機関車そのものをなんの象徴として読むか。このあたりも読んでおか
‖ないと、結局この小説はよくわかりません。
‖僕もここも書いていましたが、結局カットしました。
‖枚数の制限って大きいのですよ。

機関手の象徴については、糸数さんの読みが提出されています。
《神象徴機関手》です。
それとからめて発言していただくと、東稔さんの読みがわかるのですが、具体的にコメントできません。

‖>この目的地に向かうことは幸せではないという読みは、正しいのでしょうか。
‖>《人生の幸福か不幸かは当事者が決める 人生ルール》もこの小説は、あらわ
‖>していませんか。「わたし」が、各駅や電車の中で出会った人は、「わたし」
‖>からみれば、《同じ人生を選びたくない人》つまり《「わたし」には幸せとは
‖>思えない人生を選択する人》です。「わたし」以外の人(ただし「母」は除く)
‖>は、《「わたし」の人生を幸せな生き方とは思っていない人》です。「母」は
‖>《「わたし」の人生を幸せな生き方であってほしいと応援してくれる人》です。
‖>
‖>つまりこの小説は、《人生の幸・不幸は、本人が判断する 主題》《人の人生
‖>は、幸せ・不幸せどちらともいえる 主題》です。

‖そうでしょうか。
‖「わたし」はクライマックスで「愛する人々や土地からこんなに急いでにげて
‖いくのに値するのだろうか?」と考えています。
‖車内の乗客の描写とあわせても、肯定的に書かれているとは読めないのですが。
‖もう「わたし」はどうしようもなく目的地を目指さざるを得ないんですよ。達
‖成することに喜びはないのです。引っ返すことができないから行くだけです。

‖そんなに「わたし」を追いつめた「目的」、そして「機関車」「機関手」って
‖何でしょうね?


「国語科新教材の徹底分析」の東稔さんの授業シュミレーションでは、「わたし」の目指しているものとして「自分の力で人類を救うこと」「世界を征服すること」を例示していらっしゃいますね。

「機関車」ではなく《急行列車》の読みについては、これまでの分析とコメントの中で井上は述べています。

東稔さんが、《駅の表すもの》の読みを提示いただいていますが、井上は、《駅で待ち合わせた人》の読みを出しています。こちらの方が読みを出しやすいと思います。

コメントがコメントになっていないですが、よろしくお願いします。


件  名 : 《直列接続》と《並列接続》

差出人 : 糸数剛   送信日時 : 2001/08/09 00:58


こんばんは。
糸数です。

東稔さんの読みの考え方に対してすこし異論がありますので、述べてみます。

> このあたりの読みは僕自身最後まで揺れました。
> 最初は仕事の成功かと読んでいたのですが…
> 最後の最後に牧師をとらえて、結婚と読みました。
> 前とつなげて読む姿勢は、基本的なものでしょう。

> ロザンナは行ってしまったのですから、仕方ないのでは?
> 牧師が彼らと無関係だとしたら、何のために登場させたのですか?
> そんな人物を出すと言うことは、小説の破綻ではないですか?


「前とつなげて読む姿勢は、基本的なもの」というのは賛成です。
しかし、その「つなげ方」にバリエーションがあると思います。
《直列接続》と《並列接続》の違いとでも言いましょうか。

いわゆる〈オムニバス〉風に続く「つなげ方」もあると思うのです。
つまり、直接に前後とつながるわけではないが、それぞれが全体的にみるとあることについての複数の材料になっているというような「つなげ方」です。

その構造の典型が映画「市民ケーン」だと思います。
あれは《ジグソーパズル構成》とでも呼びたいような秀逸な構成です。

《ジグソーパズル構成》ほどではありませんが、たぶん、この「急行列車」の登場人物たちは《並列接続》としてのつながり方をしていると思うのです。
必ずしも前後で直接につながらなくてもよいものではないでしょうか。

そのような人物の出し方をするのも小説の構成の工夫の一つであり、決して「小説の破綻」ではないと思います。


> 僕としてもそんなに納得している訳ではないですが、つなげて読むとそう読む
> のが、一番筋が通ると考えたからです。
> 読みの基本は論理的なものでなければならないでしょう。

論理とはいっても、いわば《直列論理》と《並列論理》があると思うのです。

> 書かれていることは、基本的につなげて積み重ねて読んでいくものです。
> そういう形でつじつまを合わせていくのではないでしょうか?
> 登場人物を無関係にバラバラに出していては、それは構成の破綻です。

「無関係にバラバラ」ではなく、「バラバラ」ではあるが、《人生でわたしが出会う象徴人物》という点で関連しているのです。

> どうとでも読める小説というのは、何にも読めない小説じゃないですか。
> 僕がこの作品を評価しないのは、そのあたりが一番の理由です。

むしろ、一つの解釈しかできない小説より、多様な解釈ができる小説のほうに、魅力を感じます。
傾向的には、詩、短歌、俳句と、叙述量が少ない分野ほど多様な解釈の余地があると考えます。
さらに言えば、たとえ作品そのものの中では破綻していても、価値ある《読者論》が引き出せる作品ならば大歓迎です。
つまり、「何にも読めない」ではなく、「何かを考えさせてくれる」ならば、価値ある小説だと言いたいのです。

では、また。


件  名 : 市民ケーンの《ジグソーパズル構成》

差出人 : 糸数剛   送信日時 : 2001/08/09 06:39


おはようございます。


> ここの《ジグソーパズル構成》は「市民ケーン」を見ないとわからない
> 訳ですが、別メールで結構ですので、どんな構成なのか教えて下さい。

映画「市民ケーン」の構成には驚きました。
以下紹介します。
記憶で書きますので、正確でない部分もあるかもしれません。


新聞王と言われた、大金持ちで地位もあるケーンという人物がいる。
ところが、このケーン、ときどき人間が変わる時がある。
奇行とまではいかないが、地位に似合わない、人間性が疑われるような行動をすることがときどきある。

そのケーンが死んでから、ある新聞記者が、ケーンがどうして生前にああいう奇行をしたのかを明かすためにいろいろ調査する。
ケーンに関わるいろいろな人に会ったりして調査していく。
しかし、なかなか結論が出ない。

いろいろな人の証言を合わせて、なんとかケーンの人間像の全体を把握しようとするのだが、あちこちジグソーパズルのように、その全体像が埋まらない。

オムニバス的にいろいろな人の証言を並べていくうちに、ある程度まではいく。
しかし、どうしても、パズルの重要な部分が欠けていてうまくいかない。

そして、驚異的なラストシーンで、その部分が埋まるのである。
ラストシーンが秀逸な映画に「猿の惑星」がある。
あれも感動的なラストシーンだが、この「市民ケーン」のラストシーンも、あれに負けず劣らない。
知的にはこの「市民ケーン」のほうが勝っている。
このラストシーンは、新聞記者にはわからない。
映画を観ている観客だけにわかるような仕組みになっている。


> 糸数さんの読みのスタンスは、《作品の面白さ最大ひきだし読者読み姿勢》
> 《あるがまま読み姿勢》だと思います。

ありがとう。
よく理解してくださっています。

《記号学的読み》でもあります。
なにかを読みとってやろうという姿勢ですね。

> つまり、この作品が《どんな人生を生きたらいいのかいろいろ読者が考え
> るきっかけ小説》になる要素をもちあわせていれば、価値ある小説だとい
> うわけですね。

そういうことです。
《読者ゆだね人生論小説》として、むしろよい作品のうちに入ると思います。

では、また。


件  名 : 列車教材分析 その四

差出人 : 井上秀喜   送信日時 : 2001/08/04 08:12


急行列車の教材分析の続きです。

わたしは窓から体を長く乗り出して、辺りを見回し、がっかりして窓を閉めようとした時、母の姿を目にすることができた。待合室の隅のベンチの上で、肩掛けにくるまって眠っていた。かわいそうに、なんと小さくなってしまったんだろう。

《母発見》
《母親年取り描写》
《列車が来たことに気づかないで眠る母》

わたしは列車から飛び降り、駆け寄って、母を抱いた。抱きしめながら、その体にほとんど重みがないのにわたしは気がついた。まるでもろい骨ばかりのようだった。そして母の体が寒さにふるえているのをわたしは感じた。

《母親にすぐにでも会いたい駆け寄り行動》
《年を取った母の体の変化・体温の寒さに気づくわたし》

「ねえ、ずいぶんぼくを待ったのかい?」
「いいえ、おまえ。」そしてうれしそうにほほえみながら「なんの四年ほどだよ。」

《列車四年遅れ到着》
《それでも待つ人物 母》
《息子に会うためなら時間など気にしない人物 母》

そう言いながらも母は、わたしの方は見ずに、何かを探すかのように、辺りの床の上に目をやっていた。
「母さん、何を探しているんだい?」
「何も……でもおまえ荷物は? 外の、プラットフォームに置いてきたのかい?」
「汽車の中だよ。」わたしは言った。
「汽車の中に?」悲しみの影がヴェールのように母の顔を覆った。「荷物をまだ下ろしてないのかい?」
「でもぼくは……。」本当にどう言ってよいのかわからなかった。
「またすぐに出かけるっていうのかい? 一晩も泊まらずに?」
落胆したように、黙って、わたしを見つめていた。

《息子と一緒に家に帰りたい母》
《息子の荷物のないのに驚く母》
《息子の泊まらないという意味の言葉に落胆する母》

《やはり列車の停車時間しか人とかかわらない人物 わたし》
《それほどまでにやはり列車にこだわる人物 わたし》
《この列車でなければならないという思い込み人物 わたし》

《立ち止まりが少しもできないわたし》
《何かにせきたてられている人物 わたし》

わたしはため息をついた。「よし! 汽車に乗るのをやめるよ。今から走って荷物を取ってくるからね。決心したよ。ここに母さんと残るよ。だって、四年もぼくを待っていてくれたんだものね。」
このわたしの言葉に、再び、母の表情が変わった。喜びとほほえみとが戻った。(だがそれにはもう昔のような輝きはみられなかった)

《汽車の旅に別れを決心したぼく》
《母の思いに心を動かされるぼく》

《この列車から降りることは二度とこの列車に乗れない設定》

《現在と違う人生を選択すれば、現在とは違う人生があるという主題》
《人生には一つのことを成し遂げるのにいろんな道があることがわから
ない人物 ぼく》

「いいえ、だめだよ、荷物を取りに行ったりしないでおくれ。わたしの言い方がまずかったんだよ。」母は懇願した。「ねえ、冗談のつもりだったんだよ。わかっているんだよ。おまえはこんな貧しい町にいてはいけないんだよ。わたしのために一時間だってむだにしちゃあいけないよ。すぐにまたたったほうがいいんだよ。本当にそうだよ。それがおまえの務めなんだよ……わたしはたった一つのことだけを望んでいたのさ、おまえにもう一度会うことだけをね。おまえに会えたし、もうこれでわたしは満足さ……。」

《息子には少しでもよい生活を願う母》
《ひとのために使う時間はむだ、自分のために使うのが時間考え母》
《実際は四年も息子を待つ母》
《考えと行動矛盾母》

わたしは呼んだ。「赤帽さん、赤帽さん!(赤帽が一人すぐさま姿を見せた。)荷物を三つおろさなきゃあならないんだ!」
「荷物だなんて。」母はくり返した。「こんな機会は二度とないんだよ。おまえは若いんだし、おまえの道を行かなくっちゃあ。早く汽車にお乗り、さあ。」そしてやっとのことで笑顔を取り繕いながら、列車の方へとわたしを弱々しく押しやった。「お願いだから早くおしよ。汽車のドアをもう閉めてるじゃないか。」

《チャンスをのがすな人生観人物 母》
《子どもの人生は子どもの人生観人物 母》

《わたしの年齢若い設定》
《冒険のできる人生選択可能年頃設定》

どうしたことか、全く自分の身勝手さゆえに、わたしは再びコンパートメントの中にあった。そして開けた窓から身を乗り出して、最後の別れに手を振った。

《いきなり列車の中移動》
《無意識に列車人生を選択した人物 わたし》

列車は動き、まもなく母の姿は実際以上にいっそう小さくなっていった。降りしきる雪のもと、人気のないプラットフォームに悲しげにじっと立ちつくす小さな姿、やがてそれは顔もさだかでない黒い点となり、広大な宇宙の中の微小なありのようになり、そしてたちまちに無の中に消えてしまった。さようなら。

《母の姿をいつまでも見つづけるわたし》
《母との別れ描写》

《母の小さくなる姿細か描写》

《母との人生=「無」の人生暗示表現》

何年もの遅れが積み重なったまま、こうして再び旅についた。だがどこへ? 日が暮れ、車内はいてつくように寒く、乗客はもうほとんどいなかった。まばらに、暗い客室の隅の方に、青ざめて険しい顔をした見知らぬ男たちが座っている。寒いのにだれもそれを口にはしない。

《行き先わからない設定》

《自分の人生の目標をもたない人物 わたし》
《自分の列車人生に疑いを持ち始めた人物 わたし》

《北へ北へと列車移動設定》《場面移動》
《これからの列車人生の行く先暗示表現》

《同乗客紹介》《列車人生を続ける人少なくなる》
《人との交流ができない人物 この列車にのっている人》

どこへ? 終着駅まではどのくらい遠いのか? いったいそこへ着けるものだろうか? 愛する人々や土地からこんなに急いで逃げていくのに値するのだろうか? どこへ、どこへたばこを入れたっけ? ああ、ここだ。上着のポケットの中だ。確かに、もう引き返すことはできはしないのだ。

《人生の目標は自分で決めなければどうにもならないという主題》
《人生の目標をもたない人物のさびしさ主題》
《人生設計のできていない人物 わたし》
《現実逃避人生》《現実無視人生への疑問 わたし》

《「どこへ」反復による 終着駅のつかめていないわたしを表現》

○たばこの小道具の意味は?
《ちいさな楽しみさえ忘れかけつつある人物 わたし》

だから、さあがんばって、機関手さん。あんたはどんな顔をし、なんという名なんです? わたしはあんたを知らないし、まだあんたの姿を見ていない。あんただけが頼みだ。力を出して、機関手さん。最後の石炭を火の中に投げ込み、きしみをたてるこのおんぼろ列車を飛ぶように駆けさせてください。お願いだ。覚えていますか? まだ少しは以前の面影を残しているこのがらくたを、猛スピードで驀進させてください。夜の中を逆落としに。でもどうか速度をゆるめないで、眠りこんだりしないように。もしかすると明日は到着できるかもしれないのだから。

《機関手さん頼み人生観せりふ》《他人任せ人生観如実あらわれせりふ》
《他力本願人生せりふ》

《よく知らない人に自分の人生を案内してもらうおろかな人物 わたし》

《長いこと列車人生を続けてきていることわかる表現》

《機関手さんクローズアップエンディング》
《かすかな望みエンディング わたし》
《はかない望みエンディング わたし》
《たぶん終着駅にはつかないだろう予想エンディング 読者》
《エンドレスエンディング》
《泥沼エンディング》

「おんぼろ列車」「まだ少しは以前の面影を残しているこのがらくた」
《「わたし」の列車人生の象徴物 列車》
《おんぼろ人生》《がらくた人生》

《自分が人生の主役認識もたない人物の悲劇小説》
《自分の人生の意味をみつけられない人物の悲しみ小説》
《人とのかかわりをもたない人物のおちいるわな人生》
《他者依存人生の結末表現エンディング》
《人生の選択権をすべて放棄した人物の人生小説》
《楽したい人生観人物人生の歩みを列車旅行で表現小説》

(おわり)

作者 ディーノ=ブッツァーティー 1906 − 1972
イタリアの作家、画家。作品に『階段の悪夢』『タタール人の砂漠』などがある。

訳者 脇 功 1936 − 愛媛県に生まれた。イタリア文学者。
訳書にダマンツィオ作『罪なき者』、カルヴィーノ作『冬の夜一人の旅人が』『柔らかい月』、ブッツァーティー作『待っていたのは』などがある。

出典 『七人の使者』によった。

この小説は、象徴性の高い作品だと思います。そこらへんの読みをうまくできるとおもしろいと思います。

まだまだわからない部分がありますので、ぜひ、みなさんのお気づきの点をお知らせください。

では、また。

こういった作品研究の場がこのメーリングリスト以外にもあればいいのですが、ご存知の方いらっしゃいますか。

ちなみに、穴見嘉秀さんの《ピグマリオンメーリングリスト》には、第1回分の教材分析を送ってみましたが、今のところ、反応ゼロでした。


件  名 : 《悲観解釈》

差出人 : 糸数剛    送信日時 : 2001/08/07 02:35


おそはようございます。
糸数です。
大分県からメールを打っています。

> 急行列車の教材分析の続きです。

母親が登場する場面は、《日常vs非日常》《故郷vs都会(脱故郷)》《家庭vs社会》《家vs外》《母のふところvs社会の荒波》の構造ではないでしょうか。

そして、「わたし」は母のふところを出て社会の荒波に挑戦する人物ではあるが、決して単純に母を捨てるのではなく、母への愛情もしっかりもっている人物である。
母のふところに居てもよいと考える人物である。
しかし、それでは「わたし」をとどめてしまうという、息子の出世?を願う母の愛情が息子を追い返す。

その辺のことは井上さんがとらえた下記のネーミング術語から思いつきました。

> 《チャンスをのがすな人生観人物 母》
> 《子どもの人生は子どもの人生観人物 母》
>
> 《わたしの年齢若い設定》
> 《冒険のできる人生選択可能年頃設定》
> 《無意識に列車人生を選択した人物 わたし》



> 《母の姿をいつまでも見つづけるわたし》
> 《母との別れ描写》
> 《母の小さくなる姿細か描写》
> 《母との人生=「無」の人生暗示表現》

ここのところの〈描写〉は「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の「孤帆の遠影碧空に尽き」を髣髴とさせますね。(《比較論》)

>
> 何年もの遅れが積み重なったまま、こうして再び旅についた。だがどこ
> へ? 日が暮れ、車内はいてつくように寒く、乗客はもうほとんどいなか
> った。まばらに、暗い客室の隅の方に、青ざめて険しい顔をした見知らぬ
> 男たちが座っている。寒いのにだれもそれを口にはしない。
>
> 《行き先わからない設定》
>
> 《自分の人生の目標をもたない人物 わたし》
こうとらえる場合は、この列車に残っている人達は自らの選択能力をもてない者というとらえかたですね。
つまり、どちらかというと否定的な解釈ですね。


> 《自分の列車人生に疑いを持ち始めた人物 わたし》
>
> 《北へ北へと列車移動設定》《場面移動》
> 《これからの列車人生の行く先暗示表現》
>
> 《同乗客紹介》《列車人生を続ける人少なくなる》
> 《人との交流ができない人物 この列車にのっている人》
ここもそうですね。


> どこへ? 終着駅まではどのくらい遠いのか? いったいそこへ着ける
> ものだろうか? 愛する人々や土地からこんなに急いで逃げていくのに値
> するのだろうか? どこへ、どこへたばこを入れたっけ? ああ、ここだ。
> 上着のポケットの中だ。確かに、もう引き返すことはできはしないのだ。
>
> 《人生の目標は自分で決めなければどうにもならないという主題》
> 《人生の目標をもたない人物のさびしさ主題》
> 《人生設計のできていない人物 わたし》
> 《現実逃避人生》《現実無視人生への疑問 わたし》
>
> 《「どこへ」反復による 終着駅のつかめていないわたしを表現》

なにか、わたしの感覚では否定的、悲観的に解釈しすぎているように思えるのですが。
《人生不可知認識》《先はわからない人生論》ぐらいがふさわしいように思えます。
つまり、必ずしも悲観的でなく、だからといって楽観的でもない、中立ぐらい。


> ○たばこの小道具の意味は?
> 《ちいさな楽しみさえ忘れかけつつある人物 わたし》

たばこ小道具の意味は、わたしならば、
《思考夢中身の回り忘れ行動描写》、《とり乱し思考描写》ととります。


> だから、さあがんばって、機関手さん。あんたはどんな顔をし、なんとい
> う名なんです? わたしはあんたを知らないし、まだあんたの姿を見ていな
> い。あんただけが頼みだ。力を出して、機関手さん。最後の石炭を火の中に
> 投げ込み、きしみをたてるこのおんぼろ列車を飛ぶように駆けさせてくださ
> い。お願いだ。覚えていますか? まだ少しは以前の面影を残しているこの
> がらくたを、猛スピードで驀進させてください。夜の中を逆落としに。でも
> どうか速度をゆるめないで、眠りこんだりしないように。もしかすると明日
> は到着できるかもしれないのだから。

そうですか。
これで終わりですか。
う〜ん、悩ませる作品ですね。
でも、とてもおもしろいです。
こういうのはやりがいがあります。

この「機関手さん」は、人生をつかさどる者、すなわち神ではないでしょうか。
《神象徴機関手》
それぞれの人間にどのような運命を与えるかは神の思し召しひとつであるということにもなる。
できたら、よい運命を与えてくれと。
これは、やはりキリストを絶対とするキリスト教に基づくエンディングだと思います。
キリスト信者にはどこかイエスを頼りにするところがあるのではないでしょうか。
無宗教のわたしなんかにはちょっと違和感を感じるほど、神に頼るというか神のせいにするところがある。

> 《機関手さん頼み人生観せりふ》《他人任せ人生観如実あらわれせりふ》
> 《他力本願人生せりふ》

宗教を信じるところがもうすでに《他力本願人生》だと思うのです。


> 《よく知らない人に自分の人生を案内してもらうおろかな人物 わたし》

べつに「おろかな」という修飾語をつける必要はないと思うのですが。


> 《長いこと列車人生を続けてきていることわかる表現》
>
> 《機関手さんクローズアップエンディング》

《機関手=神》という解釈からするとこの《機関手さんクローズアップエンディング》は不自然ではありません。

> 《かすかな望みエンディング わたし》
> 《はかない望みエンディング わたし》
> 《たぶん終着駅にはつかないだろう予想エンディング 読者》
> 《エンドレスエンディング》

《エンドレスエンディング》はおもしろいです。

内容的には《すべてに言えるエンディング》《すべての人生象徴エンディング》といえないでしょうか。

> 《泥沼エンディング》

「泥沼」は言い過ぎのような気がします。
そこまで悲観的でしょうか。

> 「おんぼろ列車」「まだ少しは以前の面影を残しているこのがらくた」
> 《「わたし」の列車人生の象徴物 列車》
> 《おんぼろ人生》《がらくた人生》

わたしは、「がらくた」と呼んでいるのは《謙遜表現》だと思います。
そのままとらえるのはどうかと思います。


> 《自分が人生の主役認識もたない人物の悲劇小説》
> 《自分の人生の意味をみつけられない人物の悲しみ小説》
> 《人とのかかわりをもたない人物のおちいるわな人生》
> 《他者依存人生の結末表現エンディング》
> 《人生の選択権をすべて放棄した人物の人生小説》
> 《楽したい人生観人物人生の歩みを列車旅行で表現小説》
>
> (おわり)

> この小説は、象徴性の高い作品だと思います。そこらへんの読みをうまく
> できるとおもしろいと思います。

たしかに《象徴小説》だと思います。

では、また。