0101011 国語授業の改革7『教材研究を国語の授業づくりにどう生かすか』からの学び    TOPへ戻る

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「モアイは語る――地球の未来」(安田嘉憲)の教材研究と授業づくり――「構造」と「論理」を読む方法を身につけさせる  岩崎成寿

はじめに
岩崎成寿氏の教材分析を参考に、光村中2教材「モアイは語る――地球の未来」(安田嘉憲)の私の教材研究をまとめてみました。ご意見がありましたら、お願いします。


本文V の教材文  [ ]…段落番号   ○数字…段落内の文番号

[13] 
@では、モアイを作った文明は、いったいどうなったのだろうか。
[14] 
@かつて島が豊かなヤシの森に覆われていた時代には、土地も肥え、バナナやタロイモなどの食料も豊富だった。
Aしかし、森が消滅するとともに、豊かな表層土壌が雨によって浸食され、流失してしまった。
B火山島はただでさえ岩だらけだ。
Cその島において、表層土壌が流失してしまうと、もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。
Dおまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。
[15] 
@こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。
Aその過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。
Bそのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。
Cそのような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
Dモアイも作られることはなくなった。
E文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ。
F千体以上のモアイの巨像を作り続けた文明は、十七世紀後半から十八世紀前半に崩壊したと推定されている。


私の教材分析(その1)

本文V  大きな論理関係  問いと答えの関係で、問いが柱とまず論理関係をつかむ。

柱の段落 問い
[13] 
@では、モアイを作った文明は、いったいどうなったのだろうか。
答え
[14] 
@かつて島が豊かなヤシの森に覆われていた時代には、土地も肥え、バナナやタロイモなどの食料も豊富だった。
Aしかし、森が消滅するとともに、豊かな表層土壌が雨によって浸食され、流失してしまった。
B火山島はただでさえ岩だらけだ。
Cその島において、表層土壌が流失してしまうと、もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。
Dおまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。
[15] 
@こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。
Aその過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。
Bそのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。
Cそのような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
Dモアイも作られることはなくなった。
E文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ。
F千体以上のモアイの巨像を作り続けた文明は、十七世紀後半から十八世紀前半に崩壊したと推定されている。

答えの部分の論理関係

岩崎氏の分析では、答えの部分は、基本的には「帰結」の文関係が次々とつながっていく文関係である。ということは、「柱と柱以外」の文関係が中心になっている論理関係であるということになる。そして、「[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約する形で、(次の)E文「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあった」とまとめられる。F文は文明崩壊の時期を付加している。(P98)」と述べるように、[15]段落E文を、答えの部分の最終的な柱の文ととらえている。
岩崎氏は「この教材においては「帰結」と「換言」の違いを見分けることに重点を置く。」と、この教材で教えるべき内容をとらえている。

私は、答えの部分の論理関係は、「帰結」というよりも、時間の論理で書かれた記録文として把握したほうが、よいと考える。また、問いと答えという大きな論理関係から考えると、答えの柱の文は、絞り込むことはできず、[14][15]段落全体であると把握すべきである。[13]@文「では、モアイを作った文明は、いったいどうなったのだろうか。」という問題提示に対する答えは、どう読んでも「[15]段落E文「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあった」という一文に要約はできない。どのような経過でモアイを作った文明が崩壊していったのかという叙述部分全体こそが、問題提示の答えである。問いと答えとの大きな論理関係の中で、柱の文をとらえようとしないところに、岩崎氏の教材分析の問題点が生まれたと私は考える。
あえて答えの部分の柱の部分を指摘するとすると、私は[14]@文〜[15]D文ととらえる。[15]E文・F文は、[14]@文〜[15]D文 の補足説明ととらえる。岩崎氏のように「[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約する形で、(次の)E文「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあった」とまとめられる。(P98)」と、[15]E文を「[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約」した文であると考え、柱の文とよむことにも疑問がある。たとえば、問題提示が「モアイを作った文明が崩壊した根本的原因はなにか。」というような形であれば、岩崎氏のよみも支持できるのだが、問題提示はそういう形ではない。
以下、私の記録文+説明文としての分析案を掲載する。

時間の順序…記録文の部分…[14]@文〜[15]D文…横に並んでいる文は、ほぼ同じ時に起きたこと…記録文なのでほぼ「柱と柱」の関係。

1
[14]@
かつて島が豊かなヤシの森に覆われていた時代には、(森の状態)
土地も肥え、(地質)
バナナやタロイモなどの食料も豊富だった。(食料)








説明
B火山島はただでさえ岩だらけだ。
Aしかし、森が消滅するとともに、(森の状態)
豊かな表層土壌が雨によって浸食され、流失してしまった。(地質)
Cその島において、表層土壌が流失してしまうと、
もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。(食料)
Dおまけに木がなくなったため(森の状態)
船を造ることもままならなくなり、
たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。(食料)
[15]
@こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。
Aその過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。
Bそのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。(モアイ像)
Cそのような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
Dモアイも作られることはなくなった。
(モアイ像)

補足説明の部分…説明文の部分…[15]E文・F文…

E文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ。→[14]@文〜[15]D文の説明とも、[15]C文の説明ともよめる
+ …柱と柱の関係
F千体以上のモアイの巨像を作り続けた文明は、十七世紀後半から十八世紀前半に崩壊したと推定されている。→[15]C文の説明

本文Vの論理関係は、時間軸でどのような変化がイースター島の文明に起こったのかということを、整理できることであると、私は考える。
原因・結果という関係をとらえながら上の整理ができればよいと考える。

時間 森林→ 地質 → 食料 部族間の関係→ モアイ
かつて
(五世紀ごろ来た)
ヤシの森に覆われていた時代 土地も肥え バナナやタロイモなど食料も豊富だった。

書かれていない事実
木で船を造り、たんぱく源の魚を捕ることもできた

(十一世紀ごろモアイ製造開始)
千体以上のモアイの巨像を作り続けた
(七世紀ごろからヤシの花粉減少) 森が消滅していく
(家屋の材料・薪、農耕地を作るため、モアイ運搬用のころ・支柱として伐採)
豊かな表層土壌が雨によって侵食され、流出してしまった。
火山島はただでさえ岩だらけだ。
もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。

おまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。

こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。
その過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。 そのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。

モアイも作られることはなくなった。

モアイ文明の発展を支えた要因 …ヤシの森→地質豊か→食料豊富(バナナ・タロイモ・魚)→人口増加→モアイの製造

モアイ文明の崩壊要因…ヤシの森の伐採→地質やせる→食料不足→人口減少・部族間の抗争激化→モアイの製造不可能


岩崎成寿氏の分析

[13] 
@では、モアイを作った文明は、いったいどうなったのだろうか。
[13]段落は〈問い〉であり、論理関係からはずす。(P97)

[14] 
@かつて島が豊かなヤシの森に覆われていた時代には、土地も肥え、バナナやタロイモなどの食料も豊富だった。

│対比

Aしかし、森が消滅するとともに、豊かな表層土壌が雨によって浸食され、流失してしまった。
+付加
B火山島はただでさえ岩だらけだ。
↓帰結
Cその島において、表層土壌が流失してしまうと、もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。
+付加
Dおまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。
↓帰結
[15] @こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。
↓帰結
Aその過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。
↓帰結
Bそのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。
↓帰結
Cそのような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。
↓帰結
Dモアイも作られることはなくなった。

以上、[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約する形で、(次の)E文「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあった」とまとめられる。F文は文明崩壊の時期を付加している。(P98)

E文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ。
F千体以上のモアイの巨像を作り続けた文明は、十七世紀後半から十八世紀前半に崩壊したと推定されている。

「モアイは語る――地球の未来」における教科内容
この教材においては「帰結」と「換言」の違いを見分けることに重点を置く。(P99)

時間的制約を考えて、文章構造を学習した後は、論理よみと吟味よみは思い切って本文3に焦点をあてる。具体的には、[15]段落E文の「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ」という主張に至る推論過程を明らかにし、その妥当性を吟味することに重点を置く。ただし、本稿では吟味よみは割愛する。(P100)

前項で述べたように、ここでの指導の重点は論理関係における「帰結」と「換言」の区別である。
柱の文がどこにあるのか考えながら、[14]〜[15]段落の中の論理関係を読み取りなさい。まず、個人で考えた後、班で話し合いなさい。
…班同士で対立した部分、読みとりが困難であると判断した部分を取り上げて、次のような助言を打つ。
段落A文・B文とC文との関係はどのパターンですか?(A)
間に接続語を入れると何が入りますか?「だから」か「つまり」か?(B)
「表層土壌の流失」「岩だらけ」と「バナナやタロイモ栽培は困難」とは、同じレベルの事柄ですか?あるいは違うレベルの事柄ですか?(C)

同じ要領で、[14]段落C文・D文と[15]段落@文との関係や、柱の文である[15]段落E文ととそれ以前の部分の関係を取り上げて、「帰結」と「換言」の違いを理解させていく。(P101)

(2008.05.05…記)


岩崎成寿氏へ下記の質問をメールでお送りしました。岩崎氏から回答をいただき、このページで紹介をしてかまわないというお許しをいただければ、掲載させていだく予定です。
みなさんからも、ご意見をいただければ、同じように掲載させていただきます。

三点、質問があります。

(質問1)この教材では、「帰結」と「換言」の違いを見分けることが大事だと教材分析をされていますが、次の部分は、換言(要約)ととらえていいのでしょうか。

「[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約する形で、E文「文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあった」とまとめられる。(P98)」
[15]E文を「[14]段落@文から[15]段落D文までの全てを要約」した文である。

[14]段落@文から[15]段落D文 と [15]段落E文 との関係は「換言」ととらえていいのでしょうか。つまり、[15]段落E文は「柱の文」ととらえていいのでしょうか。

(質問2)[14]段落@文から[15]段落D文までを論理読みすると、最終的には[15]段落D文が「柱の文」になるという理解でいいのでしょうか。

  帰結
A →  B の論理関係では、Bが柱

  帰結   帰結   帰結
A →  B  → C → D という論理関係では、最終的にはDが柱

以上の論理把握でいいのでしょうか。

(質問3)次の部分は、換言とよんではだめなのでしょうか。

Cその島において、表層土壌が流失してしまうと、もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。
+付加
Dおまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。
↓帰結 …換言ではないのか
[15] @こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。

岩崎さんは、「CとD文」と「[15]@文」との順序を入れ替えて(「逆転チェック」して)「帰結」関係だと説明しています。
ただし、「CとD文」は食べ物の入手が困難になったことを具体的なレベルで述べている。それに対して、「[15]@文」は抽象的なレベルで「食料危機」と述べている。
となると「換言」というよみも成立するのではないかと、思います。
また、岩崎さんは「時間的な前後関係がある場合は「帰結」である」という説明もしていますが、「栽培が困難となる」「魚をとることもできなくなった」イコール「食べ物が手に入らなくなっていく」のであり、「食料危機」の初めのレベルに陥っているのですから、時間的に前後があるというよりも、同時に進行していく現象ではないのでしょうか。

以上 三点質問いたします。

(2008.05.07記)


わたしの教材研究(その2)…この教材で何を教えるべきか

問題提示と答えとの対応をよむ

モアイは語る――地球の未来――

問題提示A
[1]
@君たちはモアイを知っているだろうか。

答えA
Aそれは、人間の顔を彫った巨大な石像であり、大きなものでは高さ二十メートル、重さ八十トンにも達する。
Bモアイは、南太平洋の絶海の孤島イースター島にある。
Cイースター島は、日本の徳之島の約半分ほどの大きさの火山島だ。
Dこの小さな島で、これまでに千体近いモアイが発見されている。

上の問題提示Aは、《題材であるモアイの説明をするための問いかけ》であり、いわゆる三部構造の前文の役割の問題提示ではない。
しかし、[2]段落の@、B、Cは、問いの形をした問題提示である。

[2]問題提示B
@いったいこの膨大な数の巨像をだれが作り、あれほど大きな像をどうやって運んだのか。

Aまた、あるときを境として、この巨像モアイは突然作られなくなる。

問題提示C
Bいったい何があったのか。

問題提示D
Cモアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか。

D実は、
この絶海の孤島で起きた出来事は、
わたしたちの住む地球の未来を考えるうえで、とても大きな問題を投げかけているのである。
予告文
Eこれまでにわかってきたイースター島の歴史について述べながら、モアイの秘密に迫っていきたい。

[2]問題提示B
@いったいこの膨大な数の巨像をだれが作り、あれほど大きな像をどうやって運んだのか。

Aまた、あるときを境として、この巨像モアイは突然作られなくなる。

問題提示C
Bいったい何があったのか。

問題提示D
Cモアイを作った文明はどうなってしまったのだろうか。

D実は、この絶海の孤島で起きた出来事は、わたしたちの住む地球の未来を考えるうえで、とても大きな問題を投げかけているのである。
Eこれまでにわかってきたイースター島の歴史について述べながら、モアイの秘密に迫っていきたい。


問題提示B(前半)
[3] @絶海の孤島の巨像を作ったのはだれか。

なぞがなぞを呼び、宇宙人がやって来て作ったのではないかという説まで飛び出した。しかし、最近になって、それは西方から島伝いにやって来たポリネシア人であることが判明した。墓の中の化石人骨の分析や、彼らが持ってきたヒョウタンなどの栽培作物の分析から明らかになったのだ。さらに、初期の遺跡から出土した炭化物を測定した結果、ポリネシア人が最初にこの島にやって来たのは、五世紀ごろであることも明らかになった。
[4] そのころ、人々はポリネシアから運んできたバナナやタロイモを栽培し、豊かな海の資源を採って生活していた。そして、十一世紀ごろ突然巨大なモアイの製造が始まる。同じ時期に、遺跡の数も急増しており、この島の人口が急激に増加を始めたことがわかる。人口は百年ごとに二倍ずつ増加し、十六世紀には一万五千から二万に達していたと推定されている。
[5] 大半のモアイは、島の東部にあるラノ・ララクとよばれる石切り場で作られた。このラノ・ララクには、モアイを作るのに適した軟らかい凝灰岩が露出していたからである。人々は硬い溶岩や黒曜石でできた石器を使って、モアイを削り出した。
[6] 削り出されたモアイは、海岸に運ばれ、アフとよばれる台座の上に立てられた。このとき初めて、モアイに目の玉が入れられた。アフの上のモアイは、大抵の場合、陸の方に向けて立てられた。それは、モアイがそれぞれの集落の祖先神であり、守り神だったからだと考えられる。人人はいつもモアイの目に見守られながら生活していたのであろう。

問題提示B(後半)
[7] @それにしても、ラノ・ララクの石切り場から、数十トンもあるモアイをどのようにして海岸のアフまで運んだのだろうか。

石ころだらけの火山島を十キロも二十キロも運ぶには、木のころが必要不可欠である。モアイを台座のアフの上に立てるときでも、支柱は必ず必要だ。
[8] @しかし、現在のイースター島には、オーストラリアから持ってきて最近植栽したユーカリの木以外には、森は全くなく、広大な草原が広がっているだけである。

問題提示B(後半 その1)
Aモアイが作られた時代、モアイの運搬に必要な木材は存在したのだろうか。

[9] このなぞを解決したのが、わたしたちの研究だった。わたしはニュージーランドのマセイ大学J・フレンリー教授とともに、イースター島の火口湖にボーリングをして堆積物を採取し、堆積物の中に含まれている花粉の化石を分析してみた。すると、イースター島にポリネシア人が移住した五世紀ごろの土の中から、ヤシの花粉が大量に発見されたのだ。このことは、人間が移住する前のイースター島が、ヤシの森に覆われていたことを示している。
[10] まっすぐに生長するヤシの木は、モアイを運ぶためのころには最適だ。島の人々はヤシの木をころとして使い、完成したモアイを海岸まで運んだのであろう。

予告文
[11] @わたしたちの花粉分析の結果から、もう一つの事実も浮かび上がってきた。

ヤシの花粉の量は、七世紀ごろから、徐々に減少していき、代わってイネ科やタデ科などの草の花粉と炭片が増えてくる。このことは、ヤシの森が消滅していったことを物語っている。人口が増加する中で家屋の材料や日々の薪、それに農耕地を作るために伐採されたのだろう。さらに、モアイの製造が始まると運搬用のころや支柱としても使われるようになり、森がよりいっそう破壊されていったのだと考えられる。

[12] ラノ・ララクの石切り場からは、未完成のモアイ像が約二百六十体も発見された。なかには作りかけの二百トン近い巨像もあった。運ぶ途中で放棄されたモアイも残されている。おそらく森が消滅した結果、海岸までモアイを運ぶことができなくなったのであろう。

問題提示D
[13] @では、モアイを作った文明は、いったいどうなったのだろうか。

[14] かつて島が豊かなヤシの森に覆われていた時代には、土地も肥え、バナナやタロイモなどの食料も豊富だった。しかし、森が消滅するとともに、豊かな表層土壌が雨によって浸食され、流失してしまった。火山島はただでさえ岩だらけだ。その島において、表層土壌が流失してしまうと、もう主食のバナナやタロイモを栽培することは困難となる。おまけに木がなくなったため船を造ることもままならなくなり、たんぱく源の魚を捕ることもできなくなった。
[15] こうして、イースター島は次第に食料危機に直面していくことになった。その過程で、イースター島の部族間の抗争も頻発した。そのときに倒され破壊されたモアイ像も多くあったと考えられている。そのような経過をたどり、イースター島の文明は崩壊してしまった。モアイも作られることはなくなった。文明を崩壊させた根本的原因は、森の消滅にあったのだ。千体以上のモアイの巨像を作り続けた文明は、十七世紀後半から十八世紀前半に崩壊したと推定されている。

[16] イースター島のこのような運命は、わたしたちにも無縁なことではない。
[17] 日本列島において文明が長く繁栄してきた背景にも、国土の七〇パーセント近くが森で覆われているということが深くかかわっている。日本列島だけではない。地球そのものが、森によって支えられているという面もある。森林は、文明を守る生命線なのである。
[18] 現代のわたしたちは、地球始まって以来の異常な人口爆発の中で生きている。一九五〇年代に二十五億足らずだった地球の人口は、半世紀もたたないうちに、その二倍の五十億を突破してしまった。イースター島の急激な人口の増加は、百年に二倍の割合であったから、いかに現代という時代が異常な時代であるかが理解できよう。
[19] このまま人口の増加が続いていけば、二〇三〇年には八十億を軽く突破し、二〇五〇年には百億を超えるだろうと予測される。しかし、地球の農耕地はどれほど耕しても二十一億ヘクタールが限界である。そして、二十一億ヘクタールの農耕地で生活できる地球の人口は、八十億がぎりぎりである。食料生産に関しての革命的な技術革新がないかぎり、地球の人口が八十億を超えたとき、食料不足や資源の不足が恒常化する危険性は大きい。
[20] 絶海の孤島のイースター島では、森林資源が枯渇し、島の住民が飢餓に直面したとき、どこからも食料を運んでくることができなかった。地球も同じである。広大な宇宙という漆黒の海にぽっかりと浮かぶ青い生命の島、地球。その森を破壊し尽くしたとき、その先に待っているのはイースター島と同じ飢餓地獄である。とするならば、わたしたちは、今あるこの有限の資源をできるだけ効率よく、長期にわたって利用する方策を考えなければならない。それが、人類の生き延びる道なのである。

(2008.05.11 ここまで記 原稿作成途中)


人目のご訪問、ありがとうございます。 カウンタ設置 2008.05.05