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010404   思考ユニットによる教材分析…  明日   谷川俊太郎

はじめに
この詩は、非常に難しいというのが、私の感想である。
何が難しいのかというと、各連四行のつながりが理解できない。なんとか各連の内部構造をまとめてみたのが、このページである。

第一連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合
(最初の案)
ひとつの小さな約束があるといい。
明日に向かって。
ノートの片隅に書きとめた時と所。
そこで出会う古い友だちの新しい表情。

(第2案)
ひとつの小さな約束があるといい、
明日に向かって。
ノートの片隅に書きとめた時と所。
そこで出会う古い友だちの新しい表情。

(第3案)
ひとつの小さな約束があるといい、
明日に向かって。
ノートの片隅に書きとめた時と所、
そこで出会う古い友だちの新しい表情。
(最初の案)
ひとつの小さな約束があるといい
   ↑ ドノヨウニ
(明日に向かって)
    [ || ] 言いかえ
(明日に向かって)
    ↓ ドノヨウニ
ノートの片隅に書きとめた時と所       (のひとつの小さな約束があるといい)
    [+] 並び 
そこで出会う古い友だちの新しい表情    (のひとつの小さな約束があるといい)

(第2案)
ひとつの小さな約束があるといい
   ↑ ドノヨウニ
明日に向かって
    [ || ] 言いかえ
ノートの片隅に書きとめた時と所       (のひとつの小さな約束があるといい)
    [+] 並び 
そこで出会う古い友だちの新しい表情    (のひとつの小さな約束があるといい)

(第3案)
ひとつの小さな約束があるといい
   ↑ ドノヨウニ
明日に向かって
    ↑ ナゼナラ
ノートの片隅に書きとめた時と所、
    [くりこみ展開]… そこで へのくりこみ
そこで出会う古い友だちの新しい表情    (があるから。)
アル判断文U
   ↑ ドノヨウニ
(構文素文)
    [ || ] 言いかえ
(構文素文)
    ↓ ドノヨウニ
アル仮陳述
    [+] 並び 
アル仮陳述
(最初の案)
「明日に向かって」は、1行目にもかかるし、3・4行目にもかかるとみた。1行目と2行目は、倒置法。ふつう連用修飾語が、前後の文にかかることはないのだが、詩の表現として両方にかかるように書いたと考えた。
「ひとつの小さな約束」の具体的な例が、2行目から4行目に言いかえられているとみた。「明日に向かって」は、 (のひとつの小さな約束があるといい)にかかっていくと考えた。
(第2案)
「明日に向かって」は、1行目のみにかかるとみた。2行目は、倒置法が用いられている。1・2行目の、具体例としての「いいかえ」が、3・4行目ととらえる。
(第3案)
 (第2案)との違いは、1・2行目の、「理由」が、3・4行目ととらえる。また、3行目の「時と所」が、4行目の「そこで」に くりこんでいくとみた。
      [2012.09.29 第2案・第3案を追加]

第一連     赤刷り教科書をもとにすると

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな約束があるといい。
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所。
そこで出会う古い友だちの新しい表情。
ひとつの小さな約束があるといい
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日に向かって
    ↓ ドノヨウニ
ノートの片隅に書きとめた時と所 
    [くりこみ展開]… そこで へのくりこみ
そこで出会う古い友だちの新しい表情 
アル判断文U
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日に向かって  (修飾語)
    ↓ ドノヨウニ
ナニ判断文T
    [くりこみ展開]… そこで へのくりこみ
ナニ判断文T
「ひとつの小さな 〜 があるといい」で始まり、2〜4行目が答える形になっている。1行目と2〜4行目との関係を「言いかえ」ととらえたが、もしかすると2〜4行目は1行目の理由説明かもしれない。
「明日に向かって」という語句が、「書きとめた」という動詞にかかっていくことは素直に理解できる。しかし、4行目の「出会う」にもかかるとは思えないので、4行目への移りを「くりこみ展開」とした。
4行目については、倒置的要素が加わった体言止めであると解説している。とすると、4行目は、「そこで古い友だちの新しい表情[に]出会う」

第二連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合

(最初の案)
ひとつの小さな予言があるといい。
明日を信じて。
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き。
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調。

(第2案)
ひとつの小さな予言があるといい、
明日を信じて。
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き。
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調。
(最初の案)
ひとつの小さな予言があるといい
   ↑ ドノヨウニ
(明日に向かって)
    [ || ] 言いかえ
(明日を信じて)
    ↓ ドノヨウニ
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き     (のひとつの小さな予言があるといい)
    [+] 並び 
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調   (のひとつの小さな予言があるといい)

(第2案)
ひとつの小さな予言があるといい
   ↑ ドノヨウニ
明日に向かって
    [ || ] 言いかえ
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き     (のひとつの小さな予言があるといい)
    [+] 並び 
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調   (のひとつの小さな予言があるといい)
アル判断文U
   ↑ ドノヨウニ
(構文素文)
    [ || ] 言いかえ
(構文素文)
    ↓ ドノヨウニ
アル仮陳述
    [+] 並び 
アル仮陳述
(最初の案)
「明日を信じて」は、1行目にもかかるし、3・4行目にもかかるとみた。1行目と2行目は、倒置法。ふつう連用修飾語が、前後の文にかかることはないのだが、詩の表現として両方にかかるように書いたと考えた。
「ひとつの小さな予言」の具体的な例が、2行目から4行目に言いかえられているとみた。「明日を信じて」は、 (のひとつの小さな予言があるといい)にかかっていくと考えた。「明日を信じて」が「現れる」にかかっていく修飾語とみるのには違和感がある。また、「〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調」のどこかに「明日を信じて」がかかっていくとみるのも無理がある。
「テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き」を予言としてとらえたのは、何時間後の雲の状態を予測してわたしたちに、映像としてみせてくれるからである。

第二連     赤刷り教科書をもとにすると

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな予言があるといい。
明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き。
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調。
ひとつの小さな予言があるといい
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日を信じて
    ↓ ドノヨウニ
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
    [くりこみ展開]… その時 省略くりこみ
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調
「ひとつの小さな 〜 があるといい」で始まり、2〜4行目が答える形になっている。1行目と2〜4行目との関係を「言いかえ」ととらえたが、もしかすると2〜4行目は1行目の理由説明かもしれない。
「明日を信じて」という語句が、「現れる」という動詞にかかっていくことは理解しにくい。しかし、赤刷り教科書によると、3行目は倒置的要素が加わった体言止めであると解説している。ということは、「明日を信じて」という語句が、「現れる」という動詞にかかっていくと、みていることになる。また、「明日を信じて」という語句が、4行目の「〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調」にもかかるとは思えない。
4行目への移りをその時 省略くりこみの「くりこみ展開」とした。

第三連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな願いがあるといい。
明日を想って。
夜の間に支度する心のときめき。
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ。
ひとつの小さな願いがあるといい
   ↑ ドノヨウニ
(明日を想って)
    [ || ] 言いかえ
(明日を想って)
    ↓ ドノヨウニ
夜の間に支度する心のときめき (があるといい)
    [+] 並び 
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ(があるといい)
アル判断文U
   ↑ ドノヨウニ
(構文素文)
    [ || ] 言いかえ
(構文素文)
    ↓ ドノヨウニ
アル仮陳述
    [+] 並び 
アル仮陳述

第三連    赤刷り教科書をもとにすると

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな願いがあるといい。
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき。
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ。
ひとつの小さな願いがあるといい
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日を想って
    ↓ ドノヨウニ
夜の間に支度する心のときめき
    [くりこみ展開]… そのとき 省略 くりこみ
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ
アル判断文U
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日を想って  (修飾語)
    ↓ ドノヨウニ
ナニ判断文T
    [くりこみ展開]… 省略されたそのとき  へのくりこみ
ナニ判断文T

第四連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな夢があるといい。
明日のために。
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる。
ひとつの小さな夢があるといい
   ↑ ドノヨウニ
(明日のために)
    [ || ] 言いかえ
(明日のために)
    ↓ ドノヨウニ
 くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる。 (ひとつの小さな夢があるといい)
アル判断文U
   ↑ ドノヨウニ
(構文素文)
    [ || ] 言いかえ
(構文素文)
    ↓ ドノヨウニ
アル仮陳述
    [+] 並び 
アル仮陳述

第四連    赤刷り教科書をもとにすると

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつの小さな夢があるといい。
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる。
ひとつの小さな夢があるといい
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日のために
    ↓ ドノヨウニ
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる
 
アル判断文U
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日のために  (修飾語)
    ↓ ドノヨウニ
ナニ判断文T
 

第五連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻。
明日は今日になってこそ
生きることができる。
だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
    [ || ] 裏返し的言いかえ
明日は今日になってこそ
生きることができる
ナニ判断文U
    [ || ] 裏返し的言いかえ
ドウ判断文

第六連      井上案

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつのたしかな今日があるといい。
明日に向かって。
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる。
ひとつのたしかな今日があるといい
   ↑ ドノヨウニ
(明日に向かって)
    [ || ] 言いかえ
(明日に向かって)
    ↓ ドノヨウニ
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる   (ひとつのたしかな今日があるといい)
アル判断文U
   ↑ ドノヨウニ
(構文素文)
    [ || ] 言いかえ
(構文素文)
    ↓ ドノヨウニ
アル仮陳述
    [+] 並び 
アル仮陳述

第六連    赤刷り教科書をもとにすると

文単位で詩を考えてみた場合

ひとつのたしかな今日があるといい。
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる。
ひとつのたしかな今日があるといい
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日に向かって
    ↓ ドノヨウニ
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる
                     (ひとつのたしかな今日があるといい)
アル判断文U
    [ || ] 言いかえ   あるいは  [↑]…なぜなら
明日に向かって  (修飾語)
    ↓ ドノヨウニ
テイル判断文T

詩全体の思考ユニットでのとらえ

明日     谷川俊太郎

ひとつの小さな約束があるといい
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友だちの新しい表情
      [+]
ひとつの小さな予言があるといい
明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調
     [+]
ひとつの小さな願いがあるといい
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ
     [+]
ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる

    [くりこみ] …このように 省略くりこみ[一連〜四連が「だが明日は明日のままでは いつまでもひとつの幻」の文にくりこむ。まとめられる]
           …だが(このように)明日は明日のままではいつまでもひとつの幻

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
     [ || ] 裏返し的言いかえ    あるいは  [⇔対比]
明日は今日になってこそ
生きることができる

      [⇒]…ソコデ展開…最終的な結論

ひとつのたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる

散文としてこの詩をみてみると

私が、散文としてこの詩を読むと、こんな感じです。

明日     谷川俊太郎   [井上補い]

ひとつの小さな約束があるといい。
明日に向かって。
ノートの片隅に書きとめた時と所。
そこで出会う古い友だちの新しい表情。
  [そういうひとつの小さな約束があるといい。]

…「明日に向かって」→「書きとめた」「出会う」とつながっていくようなのですが、しっくりきません。
…そこで、「明日に向かって」は一行目にかかり、さらに私の補った[そういうひとつの小さな約束があるといい。]にもかかるという見方をしています。
…特に第二連の「明日を信じて」がかかる可能性としては「現れる」しかなく、苦肉の策です。
…各連の二行目のフレーズが、どのことばにかかっていくのか、非常に分かりにくいです。

ひとつの小さな予言があるといい。
明日を信じて。
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き。
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調。
  [そういうひとつの小さな予言があるといい。]

ひとつの小さな願いがあるといい。
明日を想って。
夜の間に支度する心のときめき。
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ。
  [そういうひとつの小さな願いがあるといい。]

ひとつの小さな夢があるといい。
明日のために。
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる
  [そういうひとつの小さな夢があるといい。]

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻。
明日は今日になってこそ
生きることができる。

ひとつのたしかな今日があるといい。
明日に向かって。
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる
  [そういうひとつのたしかな今日があるといい。]



明日     谷川俊太郎

ひとつの小さな約束があるといい
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友だちの新しい表情

ひとつの小さな予言があるといい
明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
〈曇のち晴〉天気予報のつつましい口調

ひとつの小さな願いがあるといい
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ

ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へと開いてくれる

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ
生きることができる

ひとつのたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる


福嶋隆史 氏の「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」で、この詩をよむ 試み
次のような質問を、福嶋氏にお送りしました。

福嶋隆史先生

山梨の中学校につとめる井上秀喜です。福嶋先生のシンプルな「国語の力」のとらえ方に、刺激を受けています。

中学二年生の詩の教材に「明日 谷川俊太郎」というものがあります。
この詩をどうよむのか、あれこれと、苦しんでいます。

思考ユニット教材研究…明日 谷川俊太郎 :
http://www.geocities.jp/ino_hideki55/sikouunit-asu-tanikawasyuntarou.htm

上のページに、私のよみを掲載しているのですが、どうもすっきりしません。

福嶋先生なら、どうこの詩をおよみになるのか、アドバイスをいただけないものかと、失礼も顧みず、メールをお送りしました。

ひとつの小さな約束があるといい      …1
明日に向かって                  …2
ノートの片隅に書きとめた時と所        …3
そこで出会う古い友だちの新しい表情    …4

第1連は、上の4行です。

[1 ・ 2 行]…これがひとつのまとまり。 2行目が、倒置法で1行目につながっている。
[3 ・ 4 行]…これがひとつのまとまり。1・2行目の「小さな約束」の具体例。[1 ・ 2 行]の「言いかえ(具体化)」が[3 ・ 4 行]である。

というように、私は、考えたのですが、[1 ・ 2 行]と[3 ・ 4行]とは、形式的には「言いかえ」になっていないのが、難点です。ただし、詩ですので、「があるといい。」という言葉が省略されているとみればよいと考えます。

上のように「言いかえ」ともとらえられるのですが、「たどる力」で、考えると、[1 ・ 2 行]の「理由」が[3 ・ 4行]であるという見方もできるようにも、思えます。

そして、この詩は、次の5連が、大きく形式が違います。

だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ
生きることができる

1〜4連と5連とを「くらべる」ことによってよめることもあると思います。
「1〜4連は、明日に向かって〇〇があるといいというように、明日をプラスイメージでとらえている。しかし、5連は、明日をマイナスイメージでとらえている。
 1〜4連は、同じ形式で構成されている。しかし、5連は、違う。表現技法の使われ方が違う。5連は、体言止めが使われているくらいで、その他の技法は使われていない。つまり、現実を表現しようとしている言い方になっている。」

そして、5連が、「理由となって」、最終的な結論を、6連で表現している。

詩を「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」の力でよむことも可能だと思っていますが、いかがなものでしょうか。

この詩をどうよむのか、福嶋先生のアドバイスなどを私のホームページで紹介させていただければ、ありがたいのですが、無理なようでしたら、福嶋先生のホームページでアドバイスなどを掲載していただけるとありがたく思います。

よろしくお願いいたします。

福嶋隆史氏から、アドバイスが届き、このホームページにそのアドバイスを掲載してよいということになりましたら、ご紹介いたします。
  [2012.09.29 追加]