人目のご訪問、ありがとうございます   カウンタ設置   2004.9.23

010105 『研究紀要』(科学的「読み」の授業研究会編)からの学び                      TOPへ戻る

はじめに

  科学的「読み」の授業研究会では、年に1回のペースで研究紀要を発行している。その原稿をめぐっての議論が研究紀要の中で進められているのではあるが、私のような現場教師にとっては難解な内容である。とはいえ、私自身読んでいて、疑問点が出てくるので、その疑問を私のホームページ上で公開して執筆者への回答をお願いしてみることにした。もしかすると私の小さな疑問の中には、みなさんの教材研究に役立つ内容もあるかもしれないし、こういった形で議論進めていったほうが研究の深まりが期待できるかもしれないと小さな期待をしている。
  このページをお読みになった方へのお願いなのですが、もし私と同じように、『研究紀要』の原稿についてどんな小さな疑問でも結構ですし、ご意見などありましたら、ご投稿いただけないでしょうか。このページを利用して紹介させていただきたいと思っています。
  また、井上の疑問や意見に対するみなさんの回答やご意見などもお寄せいただければ、合わせてこのページに掲載させていただきます。

  『研究紀要』V(2001年8月1日 発行)に、高橋喜代治さんが「詩の初めての構造よみ―頼山陽の俗謡と「つなぎ」教材を使って―」という原稿をお書きになっている。その中で、「ひみつ  中江俊夫」「ミミコの独立  山之口獏」二つの詩の構造よみの授業記録と教材分析が述べられているのであるが、読んでいて何かひっかかるものがあった。(2001年の夏にこの原稿を読んで、高橋さんの構造よみのに違和感を覚えたまま、2004年の現在まできてしまった。「ミミコの独立」の構造よみについては、2001年の時点で私なりの考えもまとまっており、まだホームページができていなかったので、読み研方式勉強会メーリングリストの内輪の議論として発言をしていたのだが)
   そこで、三点について私の問題意識をまとめてみることにした。
   (1)頼山陽の俗謡の構造よみについて
   (2)「ひみつ  中江俊夫」の構造よみについて
   (3)「ミミコの独立  山之口獏」の構造よみについて

  まず、次に高橋さんの原稿をまるごと掲載してから、上の三点についてのべていくことにする。


01010502    詩の初めての構造よみ  ―― 頼山陽の俗謡と「つなぎ」教材を使って ―― 
                          高橋 喜代治
(埼玉・三芳町立三芳中学校)   (『研究紀要』Vより)

一 はじめに

 昨年転勤先の学校で、私は思いがけず障害児学級の担任となったために、通常の一年生の国語は一学級だけ担当することになった。一年生は三学級編成。三人の国語の教師が一学級ずつ担当する多少変則的担当である。教科書は教育出版が使われている。掲載されている詩の教材は「河童と蛙」(草野心平)と「ミミコの独立」(山之口獏)の二つである。
 「河童と蛙」は中学校に上がったばかりの国語の学習ということもあり、四時間扱いで群読に仕上げ学級内で発表しあうということで指導内容が確認された。「ミミコの独立」は扱い時間数だけが確認された。つまり試験範囲の確認である。教科内容を明確に抽出しにくい国語教育ではある意味では妥当なことかもしれない。
 私は詩の指導ではまず「構造よみ」を行う。詩の典型構造である「起・承・転・結」の指標(ものさし)を使い構造をつかむことで、詩の形や内容が言葉のはたらきとともに子どもたちに見えてくるからである。
 中学校での最初の詩の学習で「構造よみ」をどのようにおこなったらよいか。とりわけ「導入」をどのように指導したらいいか、実践を報告しながら提案したい。

二 「ミミコの独立」で何を教えるか

 「ミミコの独立」は「成長」という単元名からもわかるように一年生の最後に掲載されている作品である。因に「少年の日の思い出」もこの単元に掲載されている。

 次に作品 (全文) を示す。

 ミミコの独立        山之口獏

@とうちゃんの下駄なんか
Aはくんじゃないぞ
Bぼくはその場を見て言ったが
Cとうちゃんのなんか
Dはかないよ
Eとうちゃんのかんこかりてって
Fミミコのかんこ
Gはくんだ と言うのだ
Hこんな理屈をこねてみせながら
Iミミコは小さなそのあんよで
Jまな板みたいな下駄をひきずって行った
K土間では片隅の
Qかますの上に
J赤い鼻緒の
G赤いかんこが
Oかぼちゃと並んで待っていた

 事実上入学して初めての詩作品で何をどう指導したらいいか。私は次の二点を教えることにした。

 @詩の四部構造(とりわけ「転」)
 A技法よみ  題名の「独立」を読む

  @の理由だが、「ミミコの独立」は「連」がない、つまり一連構成の作品なので、一見四部構造がつかみにくい作品である。しかし逆に、詩の構造の導入の指導がしっかりできていれば構造がはっきりわかってしまうような作品よりも生徒は追求的、挑戦的になれるのではないかと思ったからである。Aについては、本稿では扱わないので省略する。

三 構造よみのための「導入」と「つなぎ」

 私は、詩の「構造よみ」の導入で頼山陽が漢詩を教えるのに教材にしたという次の俗謡を使ってきた。

起 大阪本町糸屋の娘 
承   姉は十六妹とは十四
転  諸国大名は弓矢で殺す
結  糸屋の娘は目で殺す

 そして「起・承・転・結」のそれぞれの働きを「起」は「うたいおこし」、「承」は「つなぎ」、「転」は「大きな変化」、「結」は「まとめ」と説明してきた。しかし、実践的、経験的にいってこの頼山陽の俗謡(以下、「俗謡」とする)だけの学習では子どもたちは教科書教材の構造はなかなかつかめない。後で触れるが、それはたぶんこの俗謡の「転」のわかりやすさに関係があるのではないかと思う。「ミミコの独立」は、大変化であり比較的簡単にとらえやすいはずの「転」も含めて、四部構造がわかりにくい作品である。どうしても「俗謡」の導入だけでは無理がある。そこで私は次のように「つなぎ」を入れてみた。

(テキスト) (教えること)
導入作品(1)   @ 頼山陽の俗謡 ○「起・承・転・結」のわけ方の指標
つなぎ作品      A ひみつ ○Bの教科書教材に近い「転」の指標
B ミミコの独立 ○作品固有の「転」の指標

 俗謡は典型であるが故に、四行が「起・承・転・結」にそのまま対応し四都構造もきわめて分かりやすい。特に「転」の大変化などは話題(内容)がみごとに変わって分かりやすい。しかし逆にそのことは応用が効きにくいことも意味している。だから、間に「つなぎ」を入れるのである。
故大西忠治氏は「転」の指標と順序性については

 @内容上の転に着目する
 A対応する技法群で読む
 B主題的な性格から読む
 C韻と律(改行・字数を含む)で読む

と述べたといわれているが、私は授業中の用語としては

 @内容上 (意味) の変化
 A形式上 (表現) の変化

としている。中学生、特に初期の段階ではこの方が覚えやすく実際的である。もちろん指標としては大西氏の四つを説明しておく。
 私のは指標というよりは「着眼点」と言った方が妥当かもしれない。子どもたちに「転はどこか」と問う場合、内容的な違い(変化)と形式的な違い(変化)はどこからなのか考えさせると見つけやすいようである。とにかく子どもたちに「変わる」ことが分かることが重要である。

《「つなぎ」 教材を選ぶ》

 前にも述べたが、「ミミコの独立」の構造は「俗謡」を学習しても「転」が生徒たちにはつかめない。それは、この俗謡の「転」が「娘の話」から「諸国大名」という着眼点でいうところの「内容上(意味)の変化」が誰が読んでも分かるほどはっきりしているからである。ところが「ミミコの独立」は「親子の対立」(情景描写)から「心情」への変化が初期の投階の子どもにはわかりにくい。そこで投げ込み教材として、内容の変化が少しわかりにくい「つなぎ」が必要になってくる。しかも、「転」の位置があまりぷれない作品がいい。
 中江俊夫の「ひみつ」は次のような作品である。言葉もむずかしくなく内容も親しみやすいと思う。

   
ひみつ  中江俊夫
    ( となりのこがすき
わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 
    かぜがすき
なつのあさがすき
 だけどそれはひみつじゃない
 
    ( となりのこがすき
 わたせさんがすき
 だけどそれはひみつ
 
うたがすき
えほんがすき
だけどそれはひみつじゃない
 
  ( となりのこがすき
わたせさんがすき
 だけどそれはひみつ
 
こわいはなしがすき
えいががすき
だけどそんなものひみつじゃない
 
   ( となりのこがすき
 わたせさんがすき
 だけどそれはひみつ
 
ねこのみよがすき
かあさんがすき
だけどそれだってひみつじゃない
 
   ( となりのこがすき
 わたせさんがすき
 だけどそれはひみつ
 
おかしがすき
うどんがすき
だけどそれもひみつじゃない

四 授業報告
 《「ひみつ」の構造よみ」》 授業記録

  「糸屋の娘」で、詩の構造の基本が「起・承・転・結」であることを学びましたね。
それでは、その四部構造のはたらきは? ハイ。
「うたいおこし」「つないで」「大きく変化させ」「まとめる」(生徒は、「糸屋の娘」の構造分析表を見ながらみな一斉に)
それでは、「転」を見つける着眼点は? ハイ。
「内容上の変化」と「形式上の変化」(「着眼点」の掲示(模造紙)を見ながら)
そうです。「内容上」というのは「意味」ということで、「形式上」というのは「表現」や「ことばづかい」ということでしたね。
「糸屋の娘」はどういう変化だった?
形式上は「体言止め」から「殺す」という「動詞」へ。
内容上の変化は?
「大阪の姉妹」のことが急に「諸国大名」という無関係な話に変わっている。
そうでしたね。それでは今度は「ひみつ」という詩で構造を読んでみましょう。
この詩はよく見ると意味の上で、変わるところがあります。そこが「転」です。それはどこですか。また、どう変わるのですか。
?(この間、約3分)
それでは、周りと話し合ってみなさい。(約2分くらいぼそぼそと話し合う)
発表できるところある?(一カ所で手があがるが、他の生徒たちは自信がなさそうなので、さらに助言を打つ)
この詩でずっと変わらないところがあるね。どこ?
(  ) の中。
その (  ) の中って何なの?
作者の気持ち。(「違う」 という他の生徒の声)
「気持ち」はいいんだけど、作者とは限らないんだよね。この場合、小さい子どものようですね。
「となりのわたせさんをすきな子」の気持ちが段を下げて書かれていますよ。こっそり「すきっ」て言ってるみたいですよ。
まだ、ありますね。
高い連の「すき」、「ひみつじゃない」。(生徒はあちこちから答えてきた)
じゃ−、変わっているのは?
「かぜ」 とか 「うた」。
そうですね。それでは、それを並べてみよう。(といって黒板に次のように書く)
 
   かぜ        なつのあさ
  ↓
 うた
 えほん
   ↓
   こわいはなし
   えいが
   ↓
   ねこのみよ
   かあさん
   ↓
  おかし
  うどん
 
これを見てください。話題がどこからか変わってますよ。「糸屋の娘」で「娘」から「大名」に変わったように。
「ねこのみよ」から!(と、数人から)
「ねこのみよ」でいい?(うなずく生徒が多い)じゃ−、どう変わったか説明して。
「生き物」 に変わった。
「好き」 の中身が変わった。
なかなかいいことをいうねえ。だから、もし「おもちゃがすき、マンガがすき」をどこかに入れるとしたら「ねこのみよ、かあさん」より前?後?
「前」。(かなり多くの答え)
いいぞ。「変わる」ということが分かってきたようだね。「すきの中身が変わる」って言っていたけど、それ、どういうこと?
「ねこ、おかあさん」は愛情みたいな感じで、その前は好みっていうか。
いいね、いいね。同じ「すき」でも「かぜ」や「うた」は、「好み」で「ねこのみよ」特に「おかあさん」は「愛情」っていうことだね。そしてその大好きなおかあさんだって「ひみつ」じゃないのに、わたせさんのことは「ひみつ」なんだから?
わたせさんがめっちゃすき。
「すき」の中身も、異性への恋心、そしてだれにも言えない、たぶんもうおかあさんにも言えない初恋みたいなものですね。(この後の展開は省略)

 《「ミミコの独立」 の構造よみへ》

つづいて「ミミコの独立」の構造よみをします。さっき「ひみつ」で学習したように、「転」はどこか、そしてその理由も考えてください。まず、内容上の違いはどこですか。
(個人よみ約3分)
それでは、近くの人に自分の「読み」を話してみてください。(確かめよみ、を約2分。生徒は近くの者と雑談風にして、自分の読み取った答えを相互に確かめ合う)
ハイ。答えられるところ。
(沈黙。互いに顔を見合わせている。こんなときは生徒たちは自信がないものだから、いつも正解を出してくれるK君の挙手を待っていることが多い。)
先生、ヒント、ヒント。(と、いつもヒントをねだるH)
それじゃ、ヒントいうよ。会話の部分に「」をつけてみなさい。なにかが見えてくるよ。
(会話の部分に「 」をつけ、しばらくして)「こんな理屈」のところ。(自信なさそうに)
みんな、そこで いい?
「土間では」。(と、これも小さな声)
お、対立意見がでたね。他にはない?(しばらく待ったがそれ以上出なかったので)
それじゃ、この二つで考えてみるよ。それぞれ理由を言ってみて。「こんな理屈」から。
Gまでは父と子どもの会話。Hはまとめみたいなもの。
「土間では」 は?
そこから場面が違う気がする。
二つの意見について支持・否定の意見はありませんか。
?(しばらく沈黙)
さっき、Hは「まとめ」 みたいだ、って言っていたけど、どうしてかな。説明して。
「こんな理屈」の「こんな」は、前の会話の結果を指していると思います。
Kの方は「場面が違う」って言っていたけど、どんな場面からどんな場面になったのかな。
ミミコが下駄をひきずる前とひきずっていった先。
なるほど。その違いはありますね。カメラのアングルが移動した感じがしますね。
ところで、「ミミコの独立」の「独立」って、その中身は何?この詩の中の言葉で言うと?
「こんな理屈」。(生徒数人から)
で、いいよね。それも、「とうちゃんのかんこはかない」って言っているくせに実際は?
はいている。
そういうちょっと無理な理屈をなんて言うの?
屁理屈。(数人が一斉に)
ミミコはそんな屁理屈を言っているだけれど、現実は大人の下駄は引きずらないと歩けないのです。そして、そんなふうにやっとこさあるいていった先にはなにが待っているの?
赤いかんこ。
そう。「とうちゃん」はまたそんなミミコがいじらしくてかわいいんですね。つまり、「こんな屁理屈をこねながら」には、父親としての何が込められているの?
「生意気になったな−、という気持ち」。
そうですね。親子の「言い合い」から「まとめ」つまり父親としての「つぶやき」「心情」に変わったのです。この変化は内容上の変化として「場面の変化」より重要です。しかも、題名とも関係ありそうですね。だから「転」はどちらがふさわしい?
「こんな理屈」 から。
そうですね。そして、じつは行数も、
「起」 三行
「承」 五行
「転」 三行
「結」 五行
というふうに工夫されていますよ。(黒板に書いて説明)

五 おわりに

 「ミミコの独立」を教えるのは今回で二回目である。数年前に教えたとき、子どもたちはなかなか構造がつかめなかった。仕方なく教師の側で説明してしまい、あと味の悪い思いだけが今でも残っている。
 子どもたちが構造を読み取れなかった原因ははっきりしていたと思う。それは私たち「読み研」の問では詩の構造よみの導入の定番になっている「糸屋の娘」と教科書教材の「ミミコの独立」を短絡的に結びつけてしまったからである、というのが私の失敗の分析だった。
 ならば、そこに「橋渡し」するものがあればいいと思ったのが、今回の報告である。赤ん坊が母乳から子どもの食べ物に移るときには、お粥のようなやわらかいもので訓練するのが普通だ。それと同じことをしようと思ったのである。
 そうすると、重要になってくるのは「お粥」である。なかなかいいものが見つからない。教科書教材の構造(とりわけ「転」の着眼点につながる)を読み取るのに有効性がなければ意味がない。今回は中江俊夫の「ひみつ」を選んでみたがほんとにこれでいいかどうかわからない。やはり「ミミコの独立」の「転」は難しかったというのが本音である。「ひみつ」が「ミミコの独立」と同様に幼い子どもを扱っているということや「起」・「承」から「転」への変化の「違い」を見つけるのにおもしろそうだと思ったこと、さらに私が教えている生徒のレベルに合っていると思って選んだつもりである。最後になったが、「ミミコの独立」と「ひみつ」の構造分析を示す。

「ミミコの独立」の構造分析

A案

起 @AB
承 CDEFG
転 HIJ
結 KLMNO
 
B案

起  @ABCDEFG
承  HRJ
転結 KLMNO

 私はA案である。まず内容的に。@〜Gはミミコのなまいきさ(つまり屁理屈)。Hからは「わたし」父親としての心情が語られる。また、「ミミコの独立」という主題(この場合、題名にもなっている)にも合致する。B実の場合、確かにKからは場面が切り変わるが、すでにミミコは登場せず、余韻的である。

「ひみつ」の構造分析

A案

起 一、ニ
承 三、四、五、六
転 七、八
結 九、十
 
B案

起 一、ニ
承 三、四、
転 五、六、七、八
結 九、十

 A案を取る。話者(たぶん異性を好きになりだす頃の年齢の子ども)の「すき」の意味は、「かぜ」「なつのあさ」「うた」「えほん」「こわいはなし」「えいが」に対して「ねこのみよ」「かあさん」では大きく違ってくる。「ねこのみよ」は子どもにとって感情を交流できる同等の仲間、まして「おかあさん」は他とは比較もできないほどの存在である。その「おかあさん」への「すき」(愛情)とも違う誰にも言えない「すき」(恋心)が芽生えたのである。「それだって」で強調もされている。
 B案はあえて挙げてみた。リフレインの変化など根拠は多少はあるがきわめて弱い。


(1)頼山陽の俗謡の構造よみについて
 
   高橋さんは、頼山陽の俗謡の構造よみ、形式上の変化、内容上の変化として、下の授業記録のようにそれぞれ1点ずつ「転」の変化を押さえているようである。

「糸屋の娘」はどういう変化だった?
形式上は「体言止め」から「殺す」という「動詞」へ。
内容上の変化は?
「大阪の姉妹」のことが急に「諸国大名」という無関係な話に変わっている。

   私の構造よみの教材分析を次のようにまとめてみた。

大阪本町糸屋の娘 起こす    登場人物                                                  文末:体言止め
姉は十六妹は十四 承ける    登場人物の年齢(補足説明)  女性  力は弱い人物    文末:体言止め    場所:大阪    
日常的な内容
諸国大名は弓矢で殺す 転ずる    別の登場人物                  男性  力の強い人物    文末:動詞         場所:戦場    
ぶっそうな内容                         
糸屋の娘は目で殺す 結ぶ      元の登場人物     転と同じ形式の文(対句)           文末:動詞
 「転」と意外な共通点のある内容   転は弓矢(武器・力づく・命を落とす)、結は目(女の魅力・男の心を落とす・力のある男でさえ女の魅力には太刀打ちできない)

   詩の構造よみで大切なのは、「起・承」から「転」に移るときにどんな大変化があるのか、できるだけたくさん見つけさせることができるかである。私の教材分析でまとめてみると、次のようになる。
@登場人物の変化     「起・承」糸屋の娘・姉と妹(女・力の弱いもの)   「転」諸国大名(男・力の強いもの)
A内容の変化          「起・承」日常生活   「転」戦争(殺人・非日常)    〈まったく「起・承」と関係ない話題に変化〉 
B文型の変化          「起・承」体言止め(文末が体言)     「転」文末が動詞
C場の変化             「起・承」大阪       「転」戦場

   高橋さんは、「頼山陽の俗謡の構造よみ(転の決定)」は生徒にとって簡単であると述べているが、できるだけたくさんの変化(転の理由)をとらえさせるのは、意外にむずかしかったと自分の授業を振りかえって思う。
  「頼山陽の俗謡の構造よみ」から「ミミコの独立の構造よみ」へ授業を展開するときに、高橋さんはそこに難しさを感じ、つなぎ教材「ひみつ」を取り入れた。高橋さんは、「おわりに」の項で「今回は中江俊夫の「ひみつ」を選んでみたがほんとにこれでいいかどうかわからない。やはり「ミミコの独立」の「転」は難しかったというのが本音である。」と述べているが、たぶん「ミミコの独立」の「転」が難しいのは、教材の配列のせいではなく、「転の理由」をたくさん見つけることが難しいからではないかと私は思う。
   その難しさをクリアするには、「転」を見つけるための着眼点〈起承から転へ移るときに、どのような変化があるか〉にこだわること以外にはないような気がする。

(2)「ひみつ  中江俊夫」の構造よみについて

この詩には、転結はあるのか。この詩の構造よみで、何としてもよく分からないのが、この一点である。

高橋さんの授業記録では

@「ねこのみよ」から話題が変化している。
A「生き物」に変わった。「好き」の中身が変わった。
B「ねこ、おかあさん」は愛情みたいな感じで、その前は好みっていうか。
      以上、生徒の発言
C同じ「すき」でも「かぜ」や「うた」は、「好み」で「ねこのみよ」特に「おかあさん」は「愛情」っていうことだね。
      以上、高橋さんの指導言

とあり、最後の構造分析では

話者(たぶん異性を好きになりだす頃の年齢の子ども)の「すき」の意味は、「かぜ」「なつのあさ」「うた」「えほん」「こわいはなし」「えいが」に対して「ねこのみよ」「かあさん」では大きく違ってくる。「ねこのみよ」は子どもにとって感情を交流できる同等の仲間、まして「おかあさん」は他とは比較もできないほどの存在である。その「おかあさん」への「すき」(愛情)とも違う誰にも言えない「すき」(恋心)が芽生えたのである。「それだって」で強調もされている。

とある。

私は、この詩の基本的構造(ニ連対比構造×5組)を次のようにとらえる。

( となりのこがすき
    ‖
わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 )
一連
三連
五連
七連
九連

対比
  A  がすき
        +
  B  がすき
  だけどそれはひみつじゃない
ニ連
四連
六連
八連
十連

   この詩は、最後まで基本的には上のニ連対比構造が5組繰り返される。ただし偶数連の「だけどそれはひみつじゃない」の部分が、「だけどそんなものひみつじゃない」「だけどそれだってひみつじゃない」「だけどそれもひみつじゃない」と微妙に変化するが、「ひみつじゃない」という文意は変化しない。とすると、「転」の要素が、みえにくい詩である。最後の「だけどそれもひみつじゃない」という文も、「となりのこ わたせさん」以外のすきなものをこの後挙げていっても永遠に「ひみつじゃない」と続いていく述べ方である。三好達治の「雪」の終わり方と実に似ていると思う。(ただし、「雪」は2文構成の詩であるが。)
   この詩は、「となりのこ=わたせさん」へのすきな気持ちのひみつ性を、対比構造で繰り返し強調していく述べ方である。
   A・Bのところには、話者のすきなものを次から次へと入れ替えて述べている。

A がすき
B がすき
かぜ
なつのあさ
自然現象        〈体で感じるもの〉
季節と時刻     〈大きなもの〉
うた
えほん
遊び             〈自ら歌って楽しむもの〉〈耳で楽しむもの〉
物語             〈創作されたもの〉〈具体物〉〈小さい頃から親しんできたもの〉
こわいはなし
えいが
 年齢が上がってからの興味              〈聞くもの〉〈楽しむもの〉
                                              〈見るもの〉
ねこのみよ
かあさん
身近な動物       〈女性〉〈いっしょに生活している人物〉
家族               〈「わたせさん」と同性の人物〉〈「わたせさん」と一番似通った性格の「すき」な具体物〉
                     〈たぶん話者のことをすきだとわかっている人物〉
おかし
うどん
食べ物            〈日常的なもの〉
共通性   〈すきだと言っても平気なもの〉〈すきだと言っても受け入れてくれるもの〉
           〈周りの人も話者がすきだとわかっているもの〉

   上に対して、「となりのこがすき   わたせさんがすき」からは、〈話者のすきだという気持ちが「わたせさん」にわかり、「わたせさん」が話者のことを好きか嫌いかはっきりするとこまる人物〉〈話者のことをすきかどうかわからない人物〉〈たぶん教室の隣の席の女の子で、あまりつきあいもない人物〉〈話者の「わたせさん」へのすきな気持ちが、周りの人に知られるとひやかされる可能性がある〉〈どきどきするすきな気持ち〉などが読み取れる。
 
 さて、この詩の構造よみ(井上案)は、次のような変則的なものを考えてみた。

構造A 構造B 構造Bの補足説明
ひみつではないすきなものの例の性格
( となりのこがすき
 わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 )
かぜがすき
なつのあさがすき
 だけどそれはひみつじゃない
ひみつではないすきなもの(1)
自然現象
季節と1日のうちの時間帯

(一)
( となりのこがすき
 わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 )
うたがすき
えほんがすき
だけどそれはひみつじゃない
ひみつではないすきなもの(2)
小さな子どもの遊び(趣味)

(ニ)
( となりのこがすき
 わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
こわいはなしがすき
えいががすき
だけどそんなものひみつじゃない
ひみつではないすきなもの(3)
少し大きくなった子どもの遊び(趣味)

(三)
( となりのこがすき
 わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 )
ねこのみよがすき
かあさんがすき
だけどそれだってひみつじゃない
ひみつではないすきなもの(4)
身近な動物・家族(「わたせさん」と共通性が一番強い女性生物)〈感情をもつ人物〉

(四)
( となりのこがすき
 わたせさんがすき
だけどそれはひみつ
 )
おかしがすき
うどんがすき
だけどそれもひみつじゃない
ひみつではないすきなもの(5)
食べ物
なし
なし

【構造よみA案    井上案】
    一連とニ連の小変化のある繰り返しが、三連と四連、五連と六連、七連と八連、九連と十連である、とみた。転といえるほどの大変化の見られる部分がないので、「転結なし」とした。
   
 【構造読みB案】
     高橋さんのものと同じである。「ひみつではないすきなもの」が、偶数連に挙げられているが、その性格の違いの最も大きいものが、八連ででてくる。ニ・四・六・十連は、生き物ではないもので、そのもの自体が「話者」をすきかきらいかなどの反応を示すものではない。ところが、八連は、身近な動物や家族という生き物で、そのもの自体が「話者」をどのように思っているのか反応を示すものであるし、「話者」の「ひみつのすきな  わたせさん」と女性で同性という同質性をもっている。ただ、「話者」をすきだと「話者」自身が判断できているのに対して、「ひみつの  すきなわたせさん」は「話者」をすきなかのきらいなのか「話者」自身判断できていない。

 (3)「ミミコの独立  山之口獏」の構造よみについて

【構造よみ    井上案】

起      1〜8 《ぼくとミミコの会話》
承      9〜11 《ミミコの行動描写》
転結   12〜16 《ミミコを待つ赤いかんこ描写》

【転の大変化の内容(構造よみ 井上案の理由)】

・起承は、《ミミコとぼくとのやりとりやミミコの行動》が描かれている
   転結では、《ミミコのかんこ》が描かれている。
   つまり、《人物から物》への変化。《描く対象》の変化。

・視点の変化。
起承は、《ぼく=父》の視点。
転結は、《赤いかんこ》が、ミミコを見る視点。
ここは、かんこが擬人化された表現になり、「ミミコを待つている」とかんこの立場に《ぼく》が、なっている。

・「ぼく」のミミコに対する見方の変化。
起承は、おおきな下駄をはくミミコに怪我をしてはいけないと子ども扱い。
転結は、ミミコがちいさいあんよで、危ないけれど一生懸命自分で大きな下駄をはいて自分のかんこをとりに来る姿を、赤いかんこがミミコを待つように《ぼく》も見ている。

起承は、ミミコとぼくとの対立。ミミコの主張の意味が理解できていないぼく。
転結は、ミミコの主張を、《かますの上の赤いかんこ》に気づき、理解したぼく。
つまり、《ぼくの娘への再発見》が、ある。

・描写の変化。
起承は、改行はあるが、ある程度長いフレーズで改行している。
転結は、最後の行以外は、かなり短いフレーズで改行している。
《改行多用》これは、《赤いかんこクローズアップ描写》となっている。

・情調の変化。
起承は、ミミコとぼくの対立がはっきりしており、語調も強く、ミミコの動きもある。
転結は、じっと静かにミミコを待つ《赤いかんこ》が描かれている。
ここに、《父親の冷静に娘の成長を見守る視点や気持ち》が表れている。

高橋さんの起承転結のよみは、次の通り。

A案

起 @AB
承 CDEFG
転 HIJ
結 KLMNO
 
B案

起  @ABCDEFG
承  HIJ
転結 KLMNO

「私(高橋さん)はA案である。まず内容的に。1〜8はミミコのなまいきさ(つまり屁理屈。 ) 9からは「わたし」父親としての心情が語られる。また、「ミミコの独立」という主題(この場合、題名にもなっている)にも合致する。
B案の場合、確かに12からは場面が切り変わるが、すでにミミコは登場せず、余韻的である。」(研究紀要V P90)