010107                                                  Topへ戻る
『この教材で基礎・基本としての言語スキルを身につける―到達度評価を見通した読みの授業―』からの学び (学文社)

01010701
杉山明信氏の「ホタルの里づくり」(大場信義 三省堂2年)P77〜82への疑問と意見

はじめに
 杉山氏の「ホタルの里づくり」の本文Vの要約よみの教材分析に関わる疑問と意見をまとめてみました。杉山氏には、この原稿についての意見をお寄せいただけるように連絡を取る予定です。さらに杉山氏に、返事を、このホームページ上で紹介させていただくこともあわせてお願いしてみます。
 みなさんからもご意見をお寄せください。このホームページ上でご紹介させていただきます。
 まず、以下杉山氏の原稿を引用して、次に私の疑問と意見を述べることにします。


[杉山氏の原稿紹介]

(2)要約読み

 ここでは本文V([22]〜[27])の要約読みに絞っての分析を簡単に述べる。

[22] こうした試みは、わたしが住んでいる神奈川県の横須賀市でも行われています。横須賀には昔、ゲンジボタルやヘイケボタルがたくさんいました。ところが、谷戸田が失われ、どんどん姿を消していったのです。そこで、わたしは、地域の人たちとともに、「ホタルの里」づくりを考えました。
[23] 横須賀市の住宅地を流れる岩戸川は、ドブ川でした。岩戸川の近くで暮らしてきたお年寄りに話を伺ったところ、昔はこの川が谷戸田を流れていたことがわかりました。そこで、ホタルがすめるようにするために、昔の風景を絵にし、少しでもそれに岩戸川を近づけるようにすることにしました。
[24] でも、ゲンジボタルにしてもヘイケボタルにしても、川がきれいになっただけでは、決して増えてはくれません。さまざまな工夫が必要なのです。
[25] 川は片側の岸が森に接するようにし、くねくねと曲げました。川の土手には、中に土が詰まるブロックを使いました。ホタルが卵を産んだり、さなぎになるには、草やこけの生えた土手が必要だからです。川底には、材木で小さな囲いを幾つもつくりました。そこに土を盛り、水辺の植物を植える「寄州(よりす)」にしたのです。そうすることで、川は緩やかに流れ、ホタルの幼虫のえさとなる貝が増えやすい環境になりました。さらに、住宅地に下水道を通し、汚れた水が川に入らないようにしました。
[26] 川の流域やその周辺に住んでいる人たちも、川の手入れや生き物の調査に積極的に参加してくれました。その結果、ドブ川はみごとにきれいな川によみがえるました。
[27] そして十年後、川にはホテルが戻ってきたのです。

本文Vの六つの段落相互の包含関係を次の図のように分析し、[22]段落の第@文を柱の段落・文と考えた。要約文はその左(☆井上☆下)に示した。

説明
────────────────
───────────────────────
説明 説明
┐┌
│↓
[22]   [23]   [24]   [25]   [26]   [27]
↑│
── ┘└
因果
【要約文】
「ホタルの里」づくりは横須賀市でも行われている。        (P79の分析図)

疑問@ 「24」段落は、「23」段落の何を説明しているのか。

  杉山氏は、「24」段落と「23」段落の関係を「説明」としている。その理由については、教材分析の部分で杉山氏は触れていないので、杉山氏に補足説明をお願いしたい。
 私は、[23]段落のA文「そこで、ホタルがすめるようにするために、昔の風景を絵にし、少しでもそれに岩戸川を近づけるようにすることにしました。」の「補足説明」(阿部昇氏の)として[24]段落を位置づけているのではないかと推測している。
 あるいは、杉山氏は[23]段落のA文の詳しい説明が、[24][25]段落で述べられているという大きな見方をしているのかもしれない。あくまでも、私の推測であるので、杉山氏の補足説明を待ちたい。

意見@ 「24」段落は、「23」段落の「理由」という見方はどうか。…疑問@に関わる井上の別の段落関係の提案

  「24」段落の位置づけは私自身難しく、揺れている。一つの見方として意見@として以下まとめてみた。
  [23]段落のA文の「昔の風景を絵にし、少しでもそれに岩戸川を近づけるようにすることにした」のは、なぜかという理由を、[24]段落が述べているという杉山氏とは違う見方ができるかもしれない。ただ単に「岩戸川をきれいにする」だけではだめだということが最初からわかっていたので、「昔の風景に岩戸川を近づけるようにすることにした」という論理の流れである。

意見A あるいは「24」段落は、「25」段落の「理由」という見方はどうか。…疑問@に関わる井上のもう一つ別の段落関係の提案

 「24」段落のもう一つの位置づけとして、意見Aとして以下にまとめてみた。
 杉山氏の分析では、「24」段落のA文「さまざまな工夫が必要なのです」の「さまざまな工夫」について、詳しく説明しているのが「25」段落ということになっている。私も、杉山氏の分析が正しい気がするのだが、杉山氏の説明文としてこの本文Vを分析することに疑問がある。私は、記録文として論理関係をとらえるべきだと考える。
 杉山氏は、「ホタルの里づくり」の紹介で次のように述べている。

ホタルを研究するとともに、全国各地でホタルの生息できる環境の回復の取り組みに参加してきた著者が、いくつかのホタル保護の成功例などを紹介している。報告型の文章であり、主張型の論説文ではなく、説明文として分類すべき文書であろう。

だが、はたして説明文なのであろうか。本文Vを記録文としてとらえる理由を述べる。
まず、「わたし」の行動に関わる文を整理してみよう。

段落・文番号  教材文
[22]C そこで、わたしは、地域の人たちとともに、「ホタルの里」づくりを考えました。
[23]A 岩戸川の近くで暮らしてきたお年寄りに話を伺ったところ、昔はこの川が谷戸田を流れていたことがわかりました。
[23]B そこで、ホタルがすめるようにするために、昔の風景を絵にし、少しでもそれに岩戸川を近づけるようにすることにしました。
○疑問○ [23]Bと[25]@・A・C・D・Fとの関係
[25]@ 川は片側の岸が森に接するようにし、くねくねと曲げました。
[25]A 川の土手には、中に土が詰まるブロックを使いました。
[25]C 川底には、材木で小さな囲いを幾つもつくりました。
[25]D そこに土を盛り、水辺の植物を植える「寄州(よりす)」にしたのです。
[25]F さらに、住宅地に下水道を通し、汚れた水が川に入らないようにしました。

  上のように「わたし」の行動が時間的な順序で述べられている記録文として読みとることができる。
  ただ、[23]Bと[25]@・A・C・D・Fとの関係を「時間的な順序」として読みとるべきか、それとも[23]Bの具体的な説明が[25]@・A・C・D・Fで述べられていると読みとるべきか、判断に迷う。ただ、[23]Bで「昔の風景を絵にし、少しでもそれに岩戸川を近づけるようにすることにしました」と、「わたし」の決意を述べ、その後の[25]@・A・C・D・Fで、具体的な行動を述べたと考えると、記録文として読んでいいのではないかと私は考える。

次に、[22]C文の「わたし」の行動(「ホタルの里」づくりの動機)を引き起こす記述を整理する。

段落・文番号  教材文
[22]A 横須賀には昔、ゲンジボタルやヘイケボタルがたくさんいました。
[22]B ところが、谷戸田が失われ、どんどん姿を消していったのです。。
○別の見方○ [22]ABが理由で、Cの「わたし」の「ホタルの里づくり」の動機が導かれる論理構造でもある。
[22]C そこで、わたしは、地域の人たちとともに、「ホタルの里」づくりを考えました

この部分も、記録文として読むことができる。[22]A・B文が理由となり、[22]C文の「わたし」の決意が引き出される「原因→結果」という記録文である。

次に、「わたし」の行動と「岩戸川」の変化の記述を整理する。

段落・文番号  教材文
[25]C 川底には、材木で小さな囲いを幾つもつくりました。
[25]D そこに土を盛り、水辺の植物を植える「寄州(よりす)」にしたのです。
○疑問○ [25]CDが理由で、Eの「岩戸川」の変化が導かれる論理構造でもある。
[25]E そうすることで、川は緩やかに流れ、ホタルの幼虫のえさとなる貝が増えやすい環境になりました。

この部分も、記録文として読むことができる。

ここまでの[22]〜[25]までの大きな論理関係を整理すると、次のようになる。

[22]@文「こうした試みは、わたしが住んでいる神奈川県の横須賀市でも行われています。」の詳しい説明が、[22]A文〜[25]段落までで述べられている。[22]A文〜[25]段落は、基本的には「わたしのホタルの里づくり」を時間的な順序で説明した記録文になっている。

ここで問題になるのは、[24]段落である。記録文として読むと[22]ABC、[23]AB、[25]@ACDEFが一連の「ホタルの里」づくりに関わる時間的記述になる。では、[24]段落は何か。私は、[23]段落と[25]段落とをつなぐ補足的説明とみたらいいのではないかと考える。「岩戸川」を「昔の風景に近づけることにした」と[23]段落で述べ、どのように具体的に「岩戸川」の環境整備をしたのか[25]段落で述べる。なぜ「岩戸川」の「水質浄化」だけでは「ホタルの里」づくりがだめなのか、なぜ[23][25]段落のように「わたし」が「ホタルの里」づくりを進めたのかの補足説明が、[24]段落がはさみこまれているとみる。

杉山氏の分析のように「24」段落A文の「さまざまな工夫」の詳しい説明が、[25]段落とみてしまうと、この本文Vの記録文としての性格をとらえにくくしてしまうのではないかと私は、考える。本文Vは、基本的には記録文なので、説明文の要素である[24]段落は、補足的な位置づけとして把握することにしたらいかがだろうか。

記録文の中に挿入される説明文要素とは何か【補説】

[24]段落の説明文要素と同質の説明文要素が[25]段落のB文にある。【補説】として、この部分の文関係を整理してみる。

段落・文番号  教材文
[25]@ 川は片側の岸が森に接するようにし、くねくねと曲げました。
[25]A 川の土手には、中に土が詰まるブロックを使いました。
○[25]@A文の、理由説明が[25]B文である。
[25]B ホタルが卵を産んだり、さなぎになるには、草やこけの生えた土手が必要だからです。

上の[25]B文のように、記録文の中に「なぜそのような行動をしたのか」意味づけ・理由を述べる文を、「記録文の中に挿入される説明文要素」として考える。

疑問A  [23]段落と[26]段落の関係、[26]段落と[27]段落の関係は、「因果」関係なのか。

 杉山氏は「説明文」として本文Vを読みとっているためと、一つ一つの段落を段落関係の絶対的な基準としているために、[23]段落([24]・[25]段落を含んだ)と[26]段落を「因果関係」として、本文Vの六つの段落相互の包含関係を読みとっている。P79の分析図参照。
 ただし、「(3)吟味よみ」の部分では、杉山氏は、次のように述べている。(P81参照)

これらの点を考慮すると、[26]段落A文の「その」とは、直前の[26]段落@文だけではなく、[25]段落の内容をもまとめて指し示していると考えられる。

とすると、杉山氏のP79の分析図は、細かく修正すると次のようになるのではないか。

[22]A・B・C文と[23]と[24]と[25]と[26]@文が原因となって、[26]A文の結果が導き出されるという論理関係である。
さらに、[22]A・B・C文と[23]と[24]と[25]と[26]が原因となって、[27]の結果が導き出されるという論理関係である。
最終的な本文Vの論理関係は、[22]@文の詳しい説明が、[22]A文〜[27]で述べられている論理関係である。

上のように分析図を修正すると、単純に[23]段落と[26]段落の関係、[26]段落と[27]段落の関係は、「因果」関係であるというP79の杉山氏の分析図は次のように修正した方がいいのではないかと私は考える。

      詳しい説明       ホタルの里づくりの記録文                        
[22]@   ←      【 { 〔[22]ABC+[23]+ (←[24]→) +[25]+[26]@〕 → [26]A } → [27] 】

人目のご訪問、ありがとうございます。   カウンタ設置 2005.2.12