020102  記号研掲示板からの学び        TOPへ戻る

はじめに
 私が個人的に開設している「読み研方式勉強会ML」に参加いただいている寺田義弘氏は、高校の英語の先生です。寺田氏は、英語の授業に「読み研方式」を取り入れようということで、参加なさっています。
 読み研方式を英語の授業に取り入れている研究会が「記号研」で、寺田氏もそのメンバーのお一人です。その「記号研」の掲示板に、「読み研方式勉強会ML」での話題が掲載されていましたので、私も個人的な書き込みをしました。
 英語の先生方とのやりとりを通しての学びの記録として、このページを掲載することにしました。
 中学校の国語の教師である私が、英語の教材をめぐって発言するのですから、とんでもない間違いが多く含まれている可能性は高いことをご理解の上お読みいただければと思います。
 しかし、なぜそんなとんでもない間違いが含まれている可能性が高いにもかかわらずこのページを私が公開するのかというと、英語教材での読み研方式の有効性や、教材分析の日本語と英語との違いなどが明らかになるかもしれないと考えているからです。
 みなさんからのご意見などもお寄せいただければ、このページに掲載いたしますので、ぜひ、国語の先生方・英語の先生方からのご投稿をお願いします。ご意見はこちらへお願いします
 記号研の掲示板には、「Utsukushii Is Beautiful」の寺田義弘氏の構造よみも掲載されていますので、あわせてお読みください。また、寺島隆吉氏のホームページは、「寺島研究室へようこそ」です。こちらもご覧ください。


私の掲示板への書き込み記録(1)  投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月 2日(日)00時35分1秒

寺田義弘さんの参加している読み研方式勉強会MLについて
寺島先生、初めまして。この掲示板で寺田義弘先生が触れられている読み研メーリングリストを管理人をしている井上秀喜といいます。

私は、中学校で国語を担当しているのですが、授業の進め方の一つとして「読み研方式」を取り入れています。寺田先生が、読み研方式を英語に取り入れようとなさっていらっしゃることをメーリングリストで知りました。そこで、英語の先生方がどのように読み研方式を取り入れていらっしゃるのか、寺田さんにご紹介していただきたいというお願いをしたところ、実際の英文などをご紹介いただきました。その中で、トットチャンなどの教材について教えていただきました。最初寺田さんは、トットチャンを物語教材として、構造よみをしたあと、どこに線引きをするのか、このメーリングリストに参加している国語を専門としているメンバーにお尋ねになりました。

その中で、私は、記録文としてこの教材は読めないだろうかという私見を述べたわけです。

もともと、私が、読み研方式勉強会メーリングリストを個人的に立ち上げましたのは、読み研方式の公的メーリングリストや掲示板などがなく、それでも読み研方式についての情報交換をしたいと思ったからです。読み研の運営委員の加藤郁夫さんからのメールにありますとおり、井上秀喜が一個人として運営しているメーリングリストであるということをお断りしておきます。
メーリングリストのURLは
http://groups.yahoo.co.jp/group/yomiken-benkyoukai/?yguid=65126897
です。

私が、記録文ではないかと発言した経緯は、以下の通りです。
寺田さんから「Utsukushii Is Beautiful」の英語の原文をご紹介いただきました。
寺田さんからは、上にも書きましたように、物語の構造読みが終わった後、どこに線引きをするのかという質問がなされました。
私は、寺田さんの質問には直接答えず、記録文ではないかということと、記録文だとすると読み研では「事実よみ」を授業の読みの中心課題にするということ、どんな「事実よみ」をするのか、私見を以下のように述べたわけです。

〈読み研メーリングリストでの私の発言記録〉

Subject: Re: [yomiken-benkyoukai][00064] ご依頼の英文です。

寺田義弘さん、みなさん、こんばんは。管理人の井上秀喜です。
私のリクエストに早速、寺田さんから英語の物語をご紹介いただきありがとうございました。
久しぶりに英文を読みましたので、内容のつかみきれていないことを承知で、寺田さんに、この英文が日本語ならどのように読み研の国語教師は授業化するか、私見を述べます。みなさんも、わりこみ発言をお願いします。

まず、寺田さんはこの話を物語として読まれています。
私は、一読した限りでは、黒柳徹子さんが子どもの時通っていた「ともえ学園」に転入生が入園してきたときの話、つまり「記録文」として把握した方がいいのではないかと考えます。読み研では、フィクション(文学作品)であるのか、説明的文章であるのかによって、読み方が変わります。
次に、たぶん寺田さんは、小説の構造よみをこの作品に当てはめて、形象読みへと授業実践を進められたと思います。
もし、記録文なら、構造よみの方向は「時」を中心に構造把握へと進みます。そして、読みの中心課題は「事実よみ」となります。
さて、私の「事実よみ」として考えたい点を、最初の段落の中から上げてみます。

「A new student」が「Tomoe Gakuen」にやって来た。
・「Totto-chan」は、たぶん幼稚園生ではないかとおもうのだが、「student」(学生)が「Tomoe Gakuen」に入学してくるのだろうか。
(「Tomoe Gakuen」は、どんな年齢層の子どもを受け入れる学校なのか)
・いつやって来たのか、時代も、月も書かれていない。
・「Tomoe Gakuen」とは、どんな学園なのか説明もない。
・記録文の初めとしては、情報量が少ない。
・本当は、もっと長い話があって、その中からとりだして教材化した話なのか、原典にあたる必要があるかも。

He was big and tall for a primary school boy.
・ここも上の疑問と関わって、「大きく背の高い彼は、「Totto-chan」と同年代なのか」それとも「アメリカからやって来た彼を、受け入れる学校は「Tomoe Gakuen」しかなかったので、入園したのか」
・「Tomoe Gakuen」とは、私立の幼稚園生から高校生くらいを一緒に受け入れている学校なのか。
・もし、彼が「Totto-chan」と同年代だとすると、栄養をたくさんとれるアメリカから来たので成長が進んだということなのか。(Miyazakiという苗字からすると、日本人の血が流れていると思われるので、そんなに大きく成長するとは思えない)
・「for a primary school boy」(小学生にしては)ということは、「彼は小学生なのか」

「Totto-chan thought he looked more like a junior high school student.」
・「Totto-chan」がいきなり登場している。「Totto-chan」の視点が出てくる。
・「Totto-chan」が、語り手?
・「he looked more like a junior high school student」(more likeとは、中学生以上に見えたということなのか)

では、また。
〈引用終了〉

私は、直感的に記録文として読むと「表面をなぞる読み取りではなく、深層の読みが引き出せるのではないか」と感じて、私の「事実よみ」の教材分析を提示しました。
物語として構造読みをするのと、記録文として構造読みするのとでは、構造の把握の仕方が大きく違います。
物語として読む場合は、読み研では「導入部・展開部・山場の部・終結部」の4部構造で把握します。もちろん山場の部の中の「クライマックス」はどこかということも把握します。
もし物語として読むとして「クライマックス」をどこにするかというと、私は、次の部分だと考えます。

 "Akachan is baby," he began.
 They all repeated after him.  "Akachan is baby."
 "UtsuKUshii is beautiful."  Miyazaki stressed the "ku."
 "UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
 Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right?

このあたりは、宮崎君とともえ学園の子どもたちとの英語と日本語の偏見のない学び合いの様子が描かれていると感じます。

英語の先生方は、この「Utsukushii Is Beautiful」という英文をどのように構造読みなさるのかということをお聞きできれば、大変ありがたいです。
的はずれな書き込みになってしまいましたら、お許しください。


私の掲示板への書き込み記録(1)に対する寺島隆吉氏のコメント 投稿者: 寺島隆吉  投稿日:10月 4日(火)23時55分5秒

論文 英語の読み方:「形象読み」と「線引き」(その3)

以下のような、「読み研方式勉強会ML」の井上氏からお便りをいただいたので、簡単なメモ形式でコメントを書かせていただきます。いずれ時間が取れたら詳しく私見を展開するつもりです。以下、< >で囲まれた部分が引用部分です。

寺田さんから「Utsukushii Is Beautiful」の英語の原文をご紹介いただきました。寺田さんからは、上にも書きましたように、物語の構造読みが終わった後、どこに線引きをするのかという質問がなされました。私は、寺田さんの質問には直接答えず、記録文ではないかということと、記録文だとすると読み研では「事実よみ」を授業の読みの中心課題にするということ、どんな「事実よみ」をするのか、私見を以下のように述べたわけです。>

まず第1に私が驚いたのは「高校の英語教師」が「中学校の国語教師」に「英語の原文」についての「線引き」を頼んだという事実でした。「トットちゃん」の日本語原文について「線引き」を依頼したというのならば、まだ納得いくのですが、日頃から英文を読み慣れていないはずの国語教師に英文の読みを依頼するということに、どれだけの意味があるのか、私には全く理解に苦しむ行為でした。

英語教師が国語教材について分析するのであれば、母語が日本語ですから作業は比較的容易です。なぜなら英語教師も教材の背景を知るために多量の日本語を読んでいるわけですから、日頃から深い読みをしている教師なら、国語教師よりも深い読みができる英語教師は幾らでもいます。しかし逆の場合、かなり困難な作業になります。中学校の英語教師でも高校の英語教材となると、よほど日頃から英文を読んでいる教師でないと、高校の英語教材を読みこなせるとは限らないからです。

したがって、私が国語教師であれば、よほど自信がないかぎり英文の「線引き」はお断りすると思うのです。その代わりに日本語の原書『トットちゃん』の「線引き」ならやってみましょう、とお答えしたでしょう。ところが井上さんは、あの名著『トットちゃん』を読んだことがないように見えるのです。これが第2の驚きでした。しかも氏はこれを「記録文ではないか」と返事をされたというのですから、更に驚きが倍加しました。だからこそ堪りかねて加藤郁夫(科学的「読み」の授業研究会・事務局次長)から、<「読み研」のメーリングリストというのがどのようなものかはわかりませんが、少なくとも私たちの会が正式に運営するものではありませんとのお便りがあったのではないでしょうか。

この続きは寺島研究室HP「本館」の下記小論を御覧ください。
英語の読み方: 「構造読み」「形象読み」「線引き」について(その3) 公開051004

http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/article051004figuration_reading3.htm


私の掲示板への書き込み記録(2)   投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月10日(月)02時41分6秒

 私の掲示板への書き込みに対して、寺島隆吉氏からコメントをたくさんいただきましたので、私のコメントを述べさせていただきます。
 掲示板での寺島隆吉氏の論文の引用を 四角で囲んで その後に私のコメントを書く形にします。

 まず第1に私が驚いたのは「高校の英語教師」が「中学校の国語教師」に「英語の原文」についての「線引き」を頼んだという事実でした。「トットちゃん」の日本語原文について「線引き」を依頼したというのならば、まだ納得いくのですが、日頃から英文を読み慣れていないはずの国語教師に英文の読みを依頼するということに、どれだけの意味があるのか、私には全く理解に苦しむ行為でした。

英語教師が国語教材について分析するのであれば、母語が日本語ですから作業は比較的容易です。なぜなら英語教師も教材の背景を知るために多量の日本語を読んでいるわけですから、日頃から深い読みをしている教師なら、国語教師よりも深い読みができる英語教師は幾らでもいます。しかし逆の場合、かなり困難な作業になります。中学校の英語教師でも高校の英語教材となると、よほど日頃から英文を読んでいる教師でないと、高校の英語教材を読みこなせるとは限らないからです。

したがって、私が国語教師であれば、よほど自信がないかぎり英文の「線引き」はお断りすると思うのです。その代わりに日本語の原書『トットちゃん』の「線引き」ならやってみましょう、とお答えしたでしょう。

 寺田さんが、読み研方式勉強会MLで「英語の原文」についての「線引き」を頼んだことに意義があるのか、ないのかというご指摘ですが、私が寺田さんの立場に立って考えると、「英語の原文」についての「線引き」を頼んだのは、次のような理由が背景にあったのではないかと推測します。それは、寺田さん自身が「線引き」をどのようにしたらよいのかよくわからないことと、その寺田さんがなさった「線引き」の適否についての教材研究が英語の研究会の中であまり深められないことの2点ではないでしょうか。もし、英語の研究会で寺田さんの「英語の教材の読み研方式による教材研究」について十分な情報交換が成立しているようでしたら、寺田さんが国語の読み研方式勉強会MLに参加なさりたいとは思わなかったのではないでしょうか。
 ですから、寺田さんが私の個人的な
読み研方式勉強会MLにご参加されたのは、読み研方式勉強会MLは国語の読み方指導の情報交換のためのメーリングリストであることを十分ご承知の上で、それでも少しでも英語の教材研究に役立てたいとお考えになったからだと私は理解しています。そういうことを背景に寺田さんの依頼があったのだと思います。
 次に、寺島氏が「したがって、私が国語教師であれば、よほど自信がないかぎり英文の「線引き」はお断りすると思うのです。その代わりに日本語の原書『トットちゃん』の「線引き」ならやってみましょう、とお答えしたでしょう。」とおっしゃるとおり、私があえて「記録文としてトットチャンの英語の教材文の事実よみの教材分析」を私見として発言したのは、英文の線引きをお答えできないけれども、私個人の教材分析としてご提示できることをまとめてみたわけです。(それでも、英語について堪能でない国語教師が「記録文としてトットチャンの英語の教材文の事実よみの教材分析」を私見として発言するのも問題ということならば、そのことの是非については述べないことにします。)また、トットチャンの原文はどうなっているのか、図書館からかりてきて、「Utsukushii Is Beautiful」の出典の「英語の子」の部分の文書を、私は参考資料としてメーリングリストでご紹介しました。メーリングリスト上では、私の「記録文としてトットチャンの英語の教材文の事実よみの教材分析」発言だけで、具体的な英語の教材の線引きについては話題になりませんでした。

<もし物語として読むとして「クライマックス」をどこにするかというと、私は、次の部分だと考えます。
 "Akachan is baby," he began.
 They all repeated after him.  "Akachan is baby."
 "UtsuKUshii is beautiful."  Miyazaki stressed the "ku."
 "UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
 Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right?
このあたりは、宮崎君とともえ学園の子どもたちとの英語と日本語の偏見のない学び合いの様子が描かれていると感じます。>

 この部分を「クライマックス」とする読みについても正直言って驚きを禁じ得ませんでした。ということは、井上氏は、この章に込めた黒柳徹子氏の願い(主題)を全く理解できなかったということを示しているように思えるからです。これでは「主題読み」が成立するはずもありません。

つまり、「山場の部がどこか」「クライマックスはどこか」を読み違えると、「主題読み」も成立しないのです。だからこそ私は、「構造読み」は同時に「主題読み」を内包すると何度も主張しているのです。

 私のとらえた「クライマックス」の部分に対して、寺島氏は次のように否定的な見解を述べています。「この部分を「クライマックス」とする読みについても正直言って驚きを禁じ得ませんでした。ということは、井上氏は、この章に込めた黒柳徹子氏の願い(主題)を全く理解できなかったということを示しているように思えるからです。これでは「主題読み」が成立するはずもありません。
 さて、構造よみのクライマックスをどこにするのかという実際の授業の有効性が感じられます。というのは、寺島氏は「私のとらえたクライマックスは、クライマックスではない。違う部分が、クライマックスである」という対立意見をお持ちです。そうなると、実際の授業では、私のクライマックスと寺島氏のクライマックスとの対立が
議論されるわけです。寺島氏は、冒頭で「いずれ時間が取れたら詳しく私見を展開するつもりです。」と述べられていらっしゃいますので、寺島氏のクライマックスはどこで、なぜそこがクライマックスなのか、具体的に論じていただけるのではないかと楽しみです。この部分では、寺島氏はこの章に込めた黒柳徹子氏の願い(主題)」は、私のクライマックスの部分にはないということだけしか、反論の理由を述べられていませんので、私の考えるクライマックスの根拠を先に整理してご提示します。
 この「Utsukushii Is Beautiful」の主要な事件を構成する二つの勢力は、「ともえ学園の子どもたち」と「Miyazaki」くんだと考えます。
 「ともえ学園の子どもたち」…日本の文化・生活を教える勢力。また、アメリカの文化・生活を学ぶ勢力。
 「Miyazaki」…日本の文化・生活を学ぶ勢力。また、アメリカの文化・生活を教える勢力。
 ともえ学園に転校してきたアメリカからやって来た「Miyazaki」くんと「ともえ学園の子どもたち」との偏見のない交流の様子が、生き生きと描写されているのが、「"Akachan is baby," he began. They all repeated after him.  "Akachan is baby." "UtsuKUshii is beautiful."  Miyazaki stressed the "ku." "UtsukuSHII is beautiful," repeated the others. Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right? 」だと考えます。
 クライマックスでの勢力の逆転は、初めは「ともえ学園の子どもたち」が「Miyazaki」くんに日本の文化・生活を教えていたが、英語の絵本を通して「Miyazaki」から英語を学ぶ立場に逆転。反対に、「Miyazaki」くんは、「ともえ学園の子どもたち」から日本の文化・生活を学んでいたが、英語の絵本を通して「ともえ学園の子どもたち」に英語を教える立場に逆転。二つの勢力が、それぞれ立場が逆転するという面白いユニークなクライマックスだと感じます。つまり、「ともえ学園」においては、子どもたちはそれぞれの持ち味を生かして学んでいるという「教育の理想像」が形象化されているのではないでしょうか。
 上の部分で私は、「ともえ学園の子どもたち」と「Miyazaki」くんとの教え合いが描かれていると述べたのですが、「Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right?」という部分からさらに新しい読みに気づきました。それは、「ともえ学園の子どもたち」が「Miyazaki」くんに日本語を教えたというよりも、「Miyazaki」くん自身が自分の日本語の間違いに気づいたという書き方になっています。つまり、ともえ学園での学び合いというのは、主体的な学びになっているのではないかと思うのです。まさに「教育の理想像」だと思います。
 「 Totto-chan and her friends learned lots of things about America.  Japan andAmerica were becoming friends at Tomoe.  But outside Tomoe, America was an enemy.  English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.  "Americans are devils," the Japanese government announced.  But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful."  And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.」
 上の部分にも、対立する勢力があります。
 「outside Tomoe」…アメリカを敵と考える勢力。英語は教えないし、アメリカ人は「devils」とみなす戦時中の日本の社会(政府)。大多数の日本人を代表する勢力。
at Tomoe」…アメリカを敵とは考えないし、英語も自由に学べて、アメリカ人も日本人も同じ仲間(He's one of you now.")と考える勢力。ともえ学園を代表する「the headmaster 」の独自性・先見性・個性尊重思想・人間愛。
 この部分の意義付けは、「戦時中という時代背景にも影響を受けないともえ学園の永遠性」を、後話として述べる役割をしていると考えます。                 (2005.10.10 記)

青字の部分は、新しく追加しました。 2005.10.10 記)


私の掲示板への書き込み記録(2)に対する寺島隆吉氏のコメント  投稿者: 寺島隆吉  投稿日:10月10日(月)10時27分45秒

トットちゃんの構造読み(寺田案&井上案)について

先の記事の続きです。

<主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い,クライマックスから「相互理解」の大切さ,最後の「文体が成立している」 And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.  の文から,「米国と日本は外見・形は異なるが,そんなことを気にしない子ども達の姿は,美しい」「トモエ学園の方針は美しい」などがあがれば良いのではないでしょうか?>

 「主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い」と寺田さんは書いています。しかし、三友社出版の教科書では題名が、"UtsukuSHII is beautiful"となっていますが、英語原書では、”The English-speaking Child” となっています。とすると、"UtsukuSHII is beautiful"という題名から主題読みをすることそのものが、原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)を読み誤っていることになりはしないでしょうか。
 また、ついでに述べておくと、井上秀喜さんは「記号研掲示板からの学び」と題する氏のHP記事の中で、”The English-speaking Child” を「英語の子」と訳し次のように述べておられますが、「英語の子」と訳したのでは、”The English-speaking Child” の意味は伝わってこないのではないでしょうか。

<また、トットチャンの原文はどうなっているのか、図書館からかりてきて、「Utsukushii Is Beautiful」の出典の「英語の子」の部分の文書を、私は参考資料としてメーリングリストでご紹介しました。>

これは氏が、”The English-speaking Child” の意味を分かっていて和訳を巧くできなかったのか、それとも ”The English-speaking Child” の意味が分からなかったのでこのような和訳が生まれたのかーこのどちらなのか私には分かりません。しかし、いずれにしても、英語の読みには「線引き」以前に、このような問題が常につきまとうのです。
だからこそ、私は寺田さんに「英語授業には、『線引き』以前に、もっとなすべきことがあるはずでしょう」と忠告したつもりでした。そして記号研には追試すべき実践記録が多くあるはずだから、そこから先ず学ぶべきだと繰り返し述べてきたつもりです。また井上さんも、これらの著書から国語教育のヒントをも得ることができるはずだと信じています。


私の掲示板への書き込み記録(3)    投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月10日(月)17時43分47秒

 私の掲示板への書き込み(2)に対して、寺島隆吉氏からコメントをいただきましたので、私の補足コメントを述べさせていただきます。
 掲示板での寺島隆吉氏の論文の引用を 四角で囲んで その後に私のコメントを書く形にします。

 また、ついでに述べておくと、井上秀喜さんは「記号研掲示板からの学び」と題する氏のHP記事の中で、”The English-speaking Child” を「英語の子」と訳し次のように述べておられますが、「英語の子」と訳したのでは、”The English-speaking Child” の意味は伝わってこないのではないでしょうか。

<また、トットチャンの原文はどうなっているのか、図書館からかりてきて、「Utsukushii Is Beautiful」の出典の「英語の子」の部分の文書を、私は参考資料としてメーリングリストでご紹介しました。>

これは氏が、”The English-speaking Child” の意味を分かっていて和訳を巧くできなかったのか、それとも ”The English-speaking Child” の意味が分からなかったのでこのような和訳が生まれたのかーこのどちらなのか私には分かりません。しかし、いずれにしても、英語の読みには「線引き」以前に、このような問題が常につきまとうのです。

 私が「トットチャン」の原文がどうなっているのか、図書館からかりてきたのは、『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)の日本語の原文です。私は、/『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)の日本語の原文/が、英語の教科書の原典だと考えたのです。寺島氏のおっしゃる”The English-speaking Child”という英語版の原書の英語のタイトルを「英語の子」と訳したわけではないのです。

 さて、私の不勉強で申し訳ないのですが、日本語の『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)を、黒柳徹子氏が自ら英語版の本を書かれているのでしょうか。それとも、誰か翻訳家が、英語版を書かれているのでしょうか。わかるようでしたら教えてください。

 『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)の日本語の原文は、次のようになっています。最初の部分だけ、引用します。

英語の子  (『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)P225・226)

 今日は、新しい生徒がトモエに来た。小学校の生徒にしては、誰よりも背が高く、全体的にも凄く大きかった。小学生というよりは、
「中学生のお兄さんみたいだ」
と、トットちゃんは思った。着てるものも、みんなと違って、大人のひと、みたいだったし。
 校長先生は、朝、校庭で、みんなに、この新しい生徒を、こう紹介した。
「宮崎君だ。アメリカで生まれて、育ったから、日本語は、あまり上手じゃない。だから、ふつうの学校より、トモエのほうが、友達も、すぐ出来るだろうし、ゆっくり勉強できるんじゃないか、という事で、今日から、みんなと一緒だよ。何年生がいいかなあ。どうだい、タアーちゃん達と一緒の、五年生じゃ」
 絵の上手な、五年生のタアーちゃんは、いつものようにお兄さんらしく、いった。
「いいよ」
 校長先生は、にっこり笑うと、いった。
「日本語は、うまくない、といったけど、英語は得意だからね、教えてもらうといい。だけど、日本の生活に馴れていないから、いろいろ教えてあげてください。アメリカの生活の話も、聞いてごらん。面白いから。じゃ、いいね」
 宮崎君は、自分より、ずーっと、小さい同級生に、おじぎをした。タアーちゃん達のクラスだけじゃなく、他の子も、みんな、おじぎをしたり、手を振ったりした。

                            (2005.10.10 記)


寺田義弘氏は、次の 四角囲み のように構造よみをなさっています。以下、掲示板より引用します。

トットちゃんの構造読み(寺田案)  投稿者: 寺田 義弘  投稿日:10月 5日(水)13時58分25秒

寺島先生の指摘の通り,構造読み(寺田・私案)を載せます。

ほとんど 三友社の英語T教科書 ニューコスモスT の区分け通りで,

1
 A new student arrived at Tomoe Gakuen.  He was big and tall for a primary school boy.  Totto-chan thought he looked more like a junior high school student.
 That morning in the school ground the headmaster introduced the new student.
 "This is Miyazaki.  He was born and brought up in America.  He doesn't speakJapanese very well, but he's very good at English.  You can learn a little English from him.  He's not used to life in Japan, so you'll help him, won't you?  And ask him about life in America.  He's one of you now."
 Miyazaki bowed to his classmates.  They were much smaller and younger than he was.  And all the children bowed back.
が 導入部

2
 At lunchtime Miyazaki went over to the headmaster's house, and all the others followed him.  When they saw him walking into the house with his shoes on, all the children shouted, "You have to take off your shoes!"
 Miyazaki looked surprised.  "Oh, excuse me," he said, and took them off.
 The children began telling him what to do.
 "You have to take your shoes off for rooms with tatami-mat floors.  You can keep them on in the classrooms and in the library."
 It was fun to learn about the difference between living in Japan and living abroad.
が 展開

3
 The next day Miyazaki brought a big English picture book to school.  All the children gathered around him to look at the book.  They were amazed.  It was such a beautiful picture book.
 In the book there were lots of colors besides the standard twenty-four in a box of crayons.  It was so big and printed on such lovely, thick, shiny paper.
 Miyazaki read the English book to the children.  They were fascinated with his English.  This was certainly something new and different.
 "Akachan is baby," he began.
 They all repeated after him.  "Akachan is baby."
 "UtsuKUshii is beautiful."  Miyazaki stressed the "ku."
 "UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
 Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right?"

4
 Miyazaki and the other children soon became good friends.  Every day he brought various books to Tomoe and read them to the others at lunchtime.  It was pleasant to hear him reading those English books.
 Miyazaki was their English teacher.  At the same time, he became a better speaker of Japanese.  He also stopped making mistakes like sitting in the tokonoma.
が山場で


 Totto-chan and her friends learned lots of things about America.  Japan and America were becoming friends at Tomoe.  But outside Tomoe, America was an enemy.  English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.
 "Americans are devils," the Japanese government announced.  But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful."  And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.

が 終結部でいいと思います。

 クライマックスは私も井上さんと同じ,セクション3の最後  Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  "It's utsukuSHII, isn't it?  Right?"だと思います。

ここから,緊張した宮崎と生徒達の関係が急激に,become freindに変わるわけですから。
主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い,クライマックスから「相互理解」の大切さ,最後の「文体が成立している」 And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.  の文から,「米国と日本は外見・形は異なるが,そんなことを気にしない子ども達の姿は,美しい」「トモエ学園の方針は美しい」などがあがれば良いのではないでしょうか?

トットちゃんの構造よみ(井上案)   投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月11日(火)18時57分57秒

寺田さんの構造よみに対して、井上秀喜案を以下掲載します。解説の都合上、丸数字で文番号を施してあります。
さらに 時 を表わす語句には、黄色のラインマーカーも施しておきます。 時 を 基準に場面を考えることが有効な作品だと思います。

導入部なし。
・この作品の場合、非常に迷うのが、発端の位置です。それは、@・A・B文が非常に説明的な書かれ方になっているからです。とらえ方によっては、導入部の人物説明・場の説明になっているように見えます。さらにC文も「That morning」時「in the school ground」場の説明となっているので、寺田説のように〈@〜G文を導入部〉として考えたい感じがします。
・しかし、「Miyazaki」君と「Tomoe」の子どもたちとの出会いを「事件の始まり」とみるならば、@文「A new student arrived at Tomoe Gakuen.」を発端とみるべきだと考えます。
・本来この作品は『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子 講談社)の一節なのであるから、この話の前にも「ともえ学園」での出来事があるわけで、そこに「@A new student arrived at Tomoe Gakuen. 」と新しい登場人物が出てくるわけですから、導入部なしの見方がよいのではないかと思います。
・@・A・B文が非常に説明的な書かれ方をしているのに対して、C〜Gの部分は、「その朝」「校庭で」「the headmaster 」が「the new student」を紹介する場面が描写的に描かれています。Cからははっきりと「Miyazaki」君と「Tomoe」の子どもたちとの出会いが描かれているのですから、Cからは展開部だと考えます。
・最初、私は「@〜B を 導入部」「C〜 を 展開部の始まり」という見方も捨てがたい気もしましたが、「導入部なし」ということにしました。
・@AB文の位置づけは、C以降の文をわかりやすくするための「導入部的要素をもった説明文」として位置づけたらいいのではないかと考えます。

展開部の始まり  青字のセンテンスが発端。「新しい生徒」の登場が事件の始まり。
1 
 @A new student arrived at Tomoe Gakuen. AHe was big and tall for a primary school boy. BTotto-chan thought he looked more like a junior high school student.
 CThat morning in the school ground the headmaster introduced the new student.
 D" This is Miyazaki. He was born and brought up in America. He doesn't speak Japanese very well, but he's very good at English. You can learn a little English from him. He's not used to life in Japan, so you'll help him, won't you? And ask him about life in America. He's one of you now."
 EMiyazaki bowed to his classmates. FThey were much smaller and younger than he was. GAnd all the children bowed back.
・上の部分は、「Miyazaki」君と「Tomoe」の子どもたちとの最初の出会いの場面です。

2
 At lunchtime Miyazaki went over to the headmaster's house, and all the others followed him. When they saw him walking into the house with his shoes on, all the children shouted, "You have to take off your shoes!"
 Miyazaki looked surprised. "Oh, excuse me ," he said, and took them off.
 The children began telling him what to do.
 " You have to take your shoes off for rooms with tatami-mat floors.  You can keep them on in the classrooms and in the library."
 It was fun to learn about the difference between living in Japan and living abroad.
・上の部分は、時「At lunchtime」に、「Miyazaki」君が「Tomoe」の子どもたちから日本の文化〈行動様式・生活習慣の違い〉を教えてもらっているところです。この場面では、「Tomoe」の子どもたちが「Miyazaki」君に教えるという立場になっています。その立場が、変化し始めるのが、次の「山場の部」です。

山場の部
3
 The next day Miyazaki brought a big English picture book to school. All the children gathered around him to look at the book. They were amazed. It was such a beautiful picture book.
 In the book there were lots of colors besides the standard twenty-four in a box of crayons. It was so big and printed on such lovely, thick, shiny paper.
 Miyazaki read the English book to the children. They were fascinated with his English. This was certainly something new and different.
 "Akachan is baby," he began.
 They all repeated after him."Akachan is baby."
 "UtsuKUshii is beautiful." Miyazaki stressed the "ku".
 " UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
 Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong."It's utsukuSHII, isn't it? Right?"

○「The next day Miyazaki brought a big English picture book to school. 」が山場の始まり。
◎青字の部分がクライマックス。
◎「"It's utsukuSHII, isn't it? Right?"」が結末。
・「The next day」次の日、「Miyazaki」君は、「a big English picture book 」を学校にもってきます。そして、その本を「Tomoe」の子どもたちに英語で読んであげます。「Miyazaki」君が「Tomoe」の子どもたちに英語を教える立場に変ります。
・展開部、山場の部としては、「Miyazaki」君が初めて学校に来た日のことと次の日のことの二日間の事件が描かれていることになります。

終結部
4
 Miyazaki and the other children soon became good friends. Every day he brought various books to Tomoe and read them to the others at lunchtime. It was pleasant to hear him reading those English books.
 Miyazaki was their English teacher. At the same time, he became a better speaker of Japanese. He also stopped making mistakes like sitting in the tokonoma.
 Totto-chan and her friends learned lots of things about America. Japan and America were becoming friends at Tomoe. But outside Tomoe, America was an enemy. English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.
 "Americans are devils," the Japanese government announced. But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful." And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.

○ 「And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.」が終わり。

・その後の「Miyazaki」君が「Tomoe」の子どもたちとの関わりの様子が、後話として描かれています。

以上です。みなさんからのご意見をお願いします。
                (2005.10.11記)


戸梶邦子氏は、次の 四角囲み のように構造よみをなさっています。以下、掲示板より引用します。
段落番号を、戸梶邦子氏は 丸数字 で表記していますが、文番号と見分けがつかないので、[ ]で井上がふり直してあります。また、セクション番号もつけておきました。

トットちゃんの構造読み  投稿者: 戸梶邦子  投稿日:10月12日(水)12時57分45秒

文学作品の「形象読み」ということがどういうことなのかまだはっきりわかりません。
「英語にとって学力とは何か」に書かれてある「切れ」と「連続」という読み方、「英語授業への挑戦」のCROW BOYの構造読みを参考にしながらトットちゃんの構造読みを考えてみました。 段落で番号をつけました。


[1] A new student arrived at Tomoe Gakuen. He was big and tall for a primary school boy. Totto-chan thought he looked more like a junior high school student.
[2] That morning in the school ground the headmaster introduced the new student.
[3] "This is Miyazaki. He was born and brought up in America. He doesn't speak Japanese very well, but he's very good at English. You can learn a little English from him. He's not used to life in Japan, so you'll help him, won't you?  And ask him about life in America. He's one of you now."
[4] Miyazaki bowed to his classmates. They were much smaller and younger than he was. And all the children bowed back.

[5] At lunchtime Miyazaki went over to the headmaster's house, and all the others followed him. When they saw him walking into the house with his shoes on, all the children shouted, "You have to take off your shoes!"
[6] Miyazaki looked surprised. "Oh, excuse me," he said, and took them off.
[7] The children began telling him what to do.
[8] "You have to take your shoes off for rooms with tatami-mat floors. You can keep them on in the classrooms and in the library."
[9] It was fun to learn about the difference between living in Japan and living abroad.
  ここまでが導入部


[10] The next day Miyazaki brought a big English picture book to school. All the children gathered around him to look at the book. They were amazed. It was such a beautiful picture book.
[11] In the book there were lots of colors besides the standard twenty-four in a box of crayons. It was so big and printed on such lovely, thick, shiny paper.
[12] Miyazaki read the English book to the children. They were fascinated with his English. This was certainly something new and different.
[13] "Akachan is baby," he began.
[14] They all repeated after him. "Akachan is baby."
[15] "UtsuKUshii is beautiful." Miyazaki stressed the "ku."
[16] "UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
[17] Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong. "It's utsukuSHII, isn't it? Right?"
  ここまでが 展開部


[18] Miyazaki and the other children soon became good friends. Every day he brought various books to Tomoe and read them to the others at lunchtime. It was pleasant to hear him reading those English books.
[19] Miyazaki was their English teacher. At the same time, he became a better speaker of Japanese. He also stopped making mistakes like sitting in the tokonoma.
[20] Totto-chan and her friends learned lots of things about America. Japan and America were becoming friends at Tomoe. But outside Tomoe, America was an enemy. English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.
[21] "Americans are devils," the Japanese government announced. But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful."
  ここまでが 山場の部  クライマックスは 21

[22] And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.
  ここまでが 終結部

導入部と展開部の切れについては [4]と[5]の間の切れより、[9]と[10]の切れの方が強いと考えられる。
この話の展開は、文化の違いによる子供達の対立より、学校の外の世界の対立(英語は敵国語であり、アメリカ人は悪魔であるという政府の方針から、ほとんどの学校で、英語が教えられなかった)の方が緊張関係が強いと考えられる。従って、対立の解決も[17]の解決より[21]の解決の方が強い。 だからクライマックスは [21]
[10]から[17]までは宮崎君が始めて絵本を持ってきたときの様子であり、[18]からはそれ以降の様子なので、[17]と[18]の間で、文が切れており、クライマックスにいたる山場の部は[18]から始まると考えられる。

私の掲示板への書き込み記録(4)戸梶邦子氏のトットちゃんの構造読み についての質問  投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月13日(木)21時17分7秒

戸梶邦子氏のトットちゃんの構造読み についての質問・お願いをまとめました。よろしくお願いします。引用部分を 四角で 囲っておきます。

「英語にとって学力とは何か」に書かれてある「切れ」と「連続」という読み方、「英語授業への挑戦」のCROW BOYの構造読みを参考にしながらトットちゃんの構造読みを考えてみました。

質問1 /「英語にとって学力とは何か」に書かれてある「切れ」と「連続」という読み方/というのは具体的にはどのような読み方なのでしょうか。トットちゃんの英文でいうと、どのような読み方になるのでしょうか。
 私が、小説などで場面わけなどをするときに生徒に着目させるのは、時の変化、場の変化、新しい人物の登場などです。それらの変化がみられる前後を場面の切れ目として考えることになります。/「英語にとって学力とは何か」に書かれてある「切れ」と「連続」/とは、小説などの場面わけの目安なのか、それとも説明的文章などの論理の流をとらえるための目安なのか、それとも小説・説明的文章どちらにも適用できる読み方なのか、教えていただければと思います。関連して、/[21] Americans are devils," the Japanese government announced. But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful."
 [22]  And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful./のように[21][22]が切れていると考えるのは、どうしてでしょうか? 英語に堪能でない私がいうのもなんですが、「And」という接続詞は、「そして」「また」という累加・並びを表わす言葉のように感じるのです。つまり、「連続」ではないでしょうか。

お願い /「英語授業への挑戦」のCROW BOYの構造読みを参考にしながらトットちゃんの構造読みを考えてみました/ということですが、「CROW BOY」の原文と構造読みをご紹介いただけないでしょうか。

質問2 「英語授業への挑戦」のCROW BOYの構造読み と トットちゃんの構造読み での 共通点や相違点などがありましたら、教えていただきたいです。

この話の展開は、文化の違いによる子供達の対立より、学校の外の世界の対立(英語は敵国語であり、アメリカ人は悪魔であるという政府の方針から、ほとんどの学校で、英語が教えられなかった)の方が緊張関係が強いと考えられる。従って、対立の解決も[17]の解決より[21]の解決の方が強い。 だからクライマックスは [21]
[10]から[17]までは宮崎君が始めて絵本を持ってきたときの様子であり、[18]からはそれ以降の様子なので、[17]と[18]の間で、文が切れており、クライマックスにいたる山場の部は[18]から始まると考えられる。

質問3 /この話の展開は、文化の違いによる子供達の対立より、学校の外の世界の対立(英語は敵国語であり、アメリカ人は悪魔であるという政府の方針から、ほとんどの学校で、英語が教えられなかった)の方が緊張関係が強いと考えられる。/と書かれていますが、「学校の外の世界の対立」とは何と何との対立なのでしょうか。私の掲示板への書き込み記録(2)に書いたように、 「outside Tomoe」と「at Tomoe 」との対立なのでしょうか。それとも、別な対立があるのでしょうか。

質問4 /従って、対立の解決も[17]の解決より[21]の解決の方が強い。 だからクライマックスは [21]/と書いてあります。ということは、[21]での対立の解決が存在しているという見方をしていますが、本当に対立が解決しているのでしょうか。というのは、/[21] @ Americans are devils," the Japanese government announced. A But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful."/ の @文とA文との関係は、戦時下の日本で同時に起こっている事実だと思うからです。ともえ学園の思想が、日本の政府の思想を変えてはいません。ただ、日本の政府の思想(圧力)が、ともえ学園には影を落していないということは言えますが。

(2005.10.13 記) 


私の掲示板への書き込み記録(5)  投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月14日(金)23時42分33秒

トットちゃんの構造読み(寺田案)と寺田さんからの質問について

寺田案と寺田さんからの質問について私の考えをまとめてみます。まず、寺田さんから私の構造よみ案に対して次のようなご質問をいただきました。四角で 囲って 引用します。

井上先生へ  投稿者: 寺田 義弘  投稿日:10月13日(木)16時14分54秒
山場の部が、クライマックスで終わるということもありうるのでしょうか?
先生と私のクライマックスは同じです。
私は山場がクライマックスで終わるのはないだろうという判断で教科書の4分割を変えてみました。
先生はそのまま、クライマックスで山場が終わり、次の段落は終結部ということになっていますよね。

大西忠治氏の小説の構造よみの「典型構造は、導入部・展開部・山場の部・終結部の四部構造で、クライマックスは山場の部の中にある」ということです。ただし、あくまで典型構造の話で、一つ一つの具体的な作品においては、典型構造からはずれる作品もあります。(記号研ではそのへんのことはよくご存じだと思いますので、蛇足になりますが書いておきます)

さて、寺田さんからの質問/山場の部が、クライマックスで終わるということもありうるのでしょうか?/へのお答えですが、「山場の部が、クライマックスで終わることもある」と私は、とらえています。大西氏の構造よみの典型構造からはずれる作品の紹介の中で、「・発端から始まる作品(導入部の欠けた作品)として…太宰治の「走れメロス」 ・クライマックスで作品が終わる作品として…菊池寛の「形」」というのがあったと思います。

寺田さんへの質問 寺田さんは/私は山場がクライマックスで終わるのはないだろうという判断で教科書の4分割を変えてみました/と書かれていますが、上で述べた私の答えを参考にするなら、終結部のはじまりを「教科書の4分割通りの 4
 Miyazaki and the other children soon became good friends.  」からにしますか。
私は山場がクライマックスで終わるのはないだろうという判断」の他に、終結部が 「 Totto-chan and her friends learned lots of things about America.  〜 」から始まると考える根拠は、あるのでしょうか。

(2005.10.14 記)


私の掲示板への書き込み記録(6) 投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月14日(金)23時44分16秒

トットちゃんの構造読み(寺田案)への寺島先生のコメントについて

記号研掲示板での寺田案に対する寺島先生のコメントを 四角で 囲んで紹介します。

トットちゃんの構造読み(寺田案) について  投稿者: 寺島隆吉  投稿日:10月10日(月)10時26分3秒

いま私は緊急に仕上げなければならない仕事が山積していて、ゆっくり丁寧に寺田&井上案について私見を展開している時間はないので、次の2点のみを取りあげて、コメントするだけに止めます。以下に示す<  >は寺田さんからの引用です。

<クライマックスは私も井上さんと同じ,セクション3の最後 Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong. "It's utsukuSHII, isn't it? Right?"だと思います。ここから,緊張した宮崎と生徒達の関係が急激に,become freindに変わるわけですから。>

クライマックスは「山場の部」のはずですが、寺田さんの読みによれば、「山場の部」がセクション3とセクション4に分裂しているわけですか。だとすれば、三友社出版教科書の編集者が『トットちゃん』の「構造読み」を誤ったということですね。
 もしそれが事実だとすれば、非常に面白い問題が出てきます。というのは、この教科書編集には有能な高校教師だけでなく、優れた大学教師も加わっているはずだからです。逆に言えば、「構造読み」は、このような問題を浮き彫りにするわけで、だからこそ、単なる「形象読み」「主題読み」の準備作業として位置づけるのではなく、それだけを単独に追求する意味があるのです。

(もう一つの寺島氏の私に向けたコメントについては、すでに取り上げましたので、省略してあります。井上秀喜 注)

トットちゃんの構造読み(寺田案&井上案)について  投稿者: 寺島隆吉  投稿日:10月10日(月)10時27分45秒
先の記事の続きです。

<主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い,クライマックスから「相互理解」の大切さ,最後の「文体が成立している」 And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful. の文から,「米国と日本は外見・形は異なるが,そんなことを気にしない子ども達の姿は,美しい」「トモエ学園の方針は美しい」などがあがれば良いのではないでしょうか?>

 「主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い」と寺田さんは書いています。しかし、三友社出版の教科書では題名が、"UtsukuSHII is beautiful"となっていますが、英語原書では、"The English-speaking Child" となっています。とすると、"UtsukuSHII is beautiful"という題名から主題読みをすることそのものが、原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)を読み誤っていることになりはしないでしょうか。

「寺田案が正しいとすると」という前提の上で、寺島氏は/寺田さんの読みによれば、「山場の部」がセクション3とセクション4に分裂しているわけですか。だとすれば、三友社出版教科書の編集者が『トットちゃん』の「構造読み」を誤ったということですね。/と述べています。この部分で、寺島氏の「三友社出版教科書の編集者が誤った『トットちゃん』の「構造読み」」とは、大西忠治氏の規定する構造よみのことを指しているのでしょうか。もし、そういう意味で述べているとしましたら、私は、寺田氏とは考え方が違います。

まず、大西氏の「構造読み」モデルは、国語の教師の間でも知らない人もいます。ですので、三友社出版教科書の編集者が、大西氏の「構造読み」モデルをもとにセクションにわけたわけではないと思います。

次に、大西氏の「構造読み」モデルをもとに、小説のセクションを分けなければならないという前提も成立しないと私は思います。例えば、時や場などを軸に小説のセクションを分けることはあっても決して問題にはならないと思います。

では、問題にすべきは何かというと、教科書会社の人が設定したセクションの分け方が原文の区切りを無視するものであったり、教材として不都合があったりするのか というような点だと思います。

翻訳作品としての教材の言葉の問題について

寺島氏は、次のように述べる。/ 「主題読みは,山場と終結部の形象読みの延長と題名読みで行い」と寺田さんは書いています。しかし、三友社出版の教科書では題名が、"UtsukuSHII is beautiful"となっていますが、英語原書では、"The English-speaking Child" となっています。とすると、"UtsukuSHII is beautiful"という題名から主題読みをすることそのものが、原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)を読み誤っていることになりはしないでしょうか。/

簡単に整理すると、「三友社出版の教科書では題名が、"UtsukuSHII is beautiful" 英語原書では、"The English-speaking Child"  日本語の黒柳徹子の窓ぎわのトットちゃんでは 英語の子」どの題名をもとに主題読みをすべきなのかという問題提起が、寺田氏から投げかけられています。

私は、この問題提起は「翻訳作品としての教材の言葉を取り上げるときによく出てくる問題」だと思います。

私の立場をまず述べると、それぞれの作品の言葉を大事にすればよいという立場に立ちます。ですので主題読みをするときに立脚する題名は、/「三友社出版の教科書」によれば"UtsukuSHII is beautiful"  英語原書(訳者は Dorothy Britton )によれば"The English-speaking Child"   日本語の黒柳徹子の窓ぎわのトットちゃんによれば 「英語の子」/となります。そもそも、完全な翻訳はありえないでしょう。翻訳した時点で、翻訳された作品は翻訳した人の作品になってしまうと、私は考えます。
中学の国語の教科書に魯迅の「故郷」という小説が掲載されています。訳者によって言葉の表現はやはり違います。ですので、一つ一つの言葉の表現を取り上げた場合、共通する表現になっていることもありますし、違いがでてくる表現になっていることもあります。ですので、この訳者の「故郷」では「………」と書かれているので、こういうことが読みとれる、ところが、別の訳者の「故郷」では違う表現になっているから、その読みはおかしいということはいってもしょうがないことだと考えます。あくまで、この訳者の「故郷」ではこう読みとれるということしかないと思います。
ただし、教師の教材研究として、訳者による違いは、どこがどう違うのか比較検討することは必要ないということではありません。また、どちらの訳者による翻訳が、原文らしさを残しているのかということも重要な教材研究になると思います。

もし/原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)/を正確につかみたいということであれば、原文「日本語の黒柳徹子の窓ぎわのトットちゃん」の日本語をもとにするのが、一番いいと考えます。ただし、日本語がわからない人が/原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)/を正確につかみたいということなら、/原作者・黒柳徹子さんの願い(主題)/を正確につかんだ翻訳者の翻訳文をもとにするのが、いいのではないかということはいえると思います。

さて、/英語原書では、"The English-speaking Child"  日本語の黒柳徹子の窓ぎわのトットちゃんでは 英語の子/を一つの根拠として構造よみに関連づけてみます。章名からすると、このお話は、"The English-speaking Child"「英語の子」が中心人物といえるのではないでしょうか。そうすると、"The English-speaking Child"「英語の子」についてが中心的な事件になると考えられます。

(2005.10.14 記)


記号研掲示板への井上の書き込み参照記事   投稿者: 井上秀喜  投稿日:10月16日(日)02時57分32秒
トットちゃんの構造よみ(「三友社出版の教科書」の"UtsukuSHII is beautiful"の構造よみ)で、問題になる、この話の「事件」とはなにか 

私のトットちゃんの構造読み(投稿者: 戸梶邦子)への質問に対して、戸梶邦子氏から回答を次の 四角囲み のようにいただきました。

(無題)  投稿者: 戸梶邦子  投稿日:10月15日(土)18時31分23秒

井上先生へ 「英語にとって学力とは何か」の切れと連続について要約することは私には大変な作業であること、「英語授業への挑戦」CROW BOYの構造読みは30ぺーじにわたっているので、教材ネットワークで注文されると2割引で購入できるので直接本を読んでくださるようお願いします。
「質問1」について and の用法は「ルミナス」(研究社)によるとA時間的順序を示して(そして)(then) B結果を示して(それで)(so) 「ジーニアス」(大修館)によるとその上に、「しかし」(but)とも交換可能 と記載されています。and があるから即「連続」であるとは限らないと思います。
「質問2」 CROW BOYとトットちゃんの構造読み での共通点や相違点について。
構造読みを自分でやってみるのは始めてで、どこからどのように考えていけばいいのか全くわからなかったので、典型的な文学作品のCROW BOY を参考に考えてみたということです。 大西忠治の本を読んで、説明的文章にも文学作品にも読み方があるということはわかりましたが、具体的に英語の文章を参考にしなければわかりませんでした。
「質問3」 [out side Tomoe] と[at Tomoe] との対立です。
「質問4」The English-speaking Child では@文とA文との関係が一番大切なことだと思われます。戦時下の日本でともえ学園の思想が日本でどれほど孤立しており、緊張を強いられるものであったかは[20]のBut outside Tomoe 以下[21] の前半の文章で推察されます。

導入部と展開部に関しては、事件が2つあってもかまわないということであれば、[4] までが導入部[5]から[17]までが展開部と考えてもいいのかなと、思います。[19]にHe also stopped making mistakes like sitting in the totonoma. という文もあるので。

トットちゃんの構造よみ(「三友社出版の教科書」の"UtsukuSHII is beautiful"の構造よみ)で、問題になってくるのは、この話の「事件」とはなにか、つまり、どういう勢力のぶつかり合いがあるのか、そして、その勢力のぶつかり合いがどのような力関係になったのか、ということだと私は、考えます。

私の読みを簡単に図式化してみると、次のようになります。

[at Tomoe] の内部での対立

「Miyazaki」君と「ともえ学園の子どもたち(Totto-chan ・classmates)との対立

この対立は、アメリカの文化を身につけた勢力と日本の文化を身につけた勢力との対立。

こちらの対立については、この話の中で具体的に描かれている。

[outside Tomoe]=[at Tomoe] の外部での対立

「America」と「Japan(the Japanese government)」との対立

この対立は、「ともえ学園の外でのアメリカ人(英語)勢力と、ともえ学園の外での多くの日本人(日本政府)勢力」との対立。

こちらの対立については、この話の中では概説的にしか描かれていない。ともえ学園勢力と日本政府勢力との直接的な対立関係は描かれていない。例えば、「ととえ学園でミヤザキ君が英語教えているという教育事実に対して、外部(日本政府あるいはともえ学園の保護者あるいは地域の人たち)からともえ学園に圧力が加わる。しかし、ともえ学園では、その圧力を無視する。」というような事件は描かれていない。

さて、戸梶案と「寺田案・井上案」との違いは、上述の事件の勢力の対立関係の重さをどうみるかに関わっているように感じます。

「寺田案・井上案」は、[at Tomoe] の内部での対立を重くみる。戸梶案は[outside Tomoe]=[at Tomoe] の外部での対立を重くみる。

戸梶邦子氏への質問1

[18]から山場の部が始まるとして「America」と「Japan(the Japanese government)」との対立が、具体的に描かれているのでしょうか。あるいは、どのような勢力の対立関係があるのでしょうか。

戸梶邦子氏への質問2

/[10]The next day Miyazaki brought a big English picture book to school./から、展開部が始まるとして、[at Tomoe] と[outside Tomoe]とのどのような対立が始まるのでしょうか。なぜ、ここから「事件」の始まりとみるのでしょうか。

戸梶邦子氏への質問3

/導入部と展開部に関しては、事件が2つあってもかまわないということであれば、[4] までが導入部[5]から[17]までが展開部と考えてもいいのかなと、思います。[19]にHe also stopped making mistakes like sitting in the totonoma. という文もあるので。/と書かれていますが、「事件が2つ」あるとすると、どのような事件が2つあるのでしょうか。

(2005.10.16 記)


読み研方式を授業に取り入れている国語の先生方向けの「寺田義弘先生の和訳付き 教材文」

ここまでのトットちゃんの「構造よみ」の議論は、国語教師の井上秀喜と、記号研の英語教師の「寺田義弘先生・戸梶邦子先生・寺島隆吉先生」とで行われています。
読み研の知り合いの方に、下記のようなメールをお送りして、「寺田義弘先生の和訳」をもとにした構造よみについてのご意見をお寄せいただけるように依頼してみることにします。さらに突っ込んだ議論ができればありがたいと思います。

前略
山梨の井上秀喜です。実は、私が個人的に開設している「読み研方式勉強会メーリングリスト」にご参加いただいている寺田義弘先生とのご縁で、読み研方式を英語の授業に取り入れている研究団体「記号研」の先生方と、「窓ぎわのトットちゃん」の一節「英語の子」を翻訳した(英語の教科書版)の「Utsukushii Is Beautiful」の構造読みについて意見交換をしています。
その議論の様子は、記号研の掲示板「http://6424.teacup.com/kigouken/bbs」でお読みいただけるようになっています。
また、私のホームページにも、掲示板の書き込み記録や私の考えなどを掲載しています。
「記号研掲示板からの学び」「http://www.geocities.jp/ino_hideki55/terasima-ronbun3.htm」

構造よみ案として現在三つの案が出ています。寺田義弘案・井上秀喜案・戸梶邦子案です。

英語の教材で、ご意見をいただきにくいと考えまして、寺田義弘先生に和訳をしてもらいました。できましたら、「寺田義弘先生の和訳付き 教材文」をもとにした構造よみ案を、先生に考えていただくことができるでしょうか。あるいは、寺田義弘案・井上秀喜案・戸梶邦子案についてのご意見でも結構です。お寄せいただいたご意見は、私のホームページでご紹介させていただきたいと考えています。ご検討をお願いいたします。

私宛にメールをいただいても結構ですし、記号研の掲示板にご意見を書き込んでいただいても結構です。

読み研方式を積極的に英語の授業に取り入れていらっしゃる記号研との議論は、読み研方式の「英語の教材での有効性」について考えるきっかけになると、私は考えています。

寺田義弘先生の和訳付き教材文は、下記のページからお読みいただくことができます。
「記号研掲示板からの学び」「http://www.geocities.jp/ino_hideki55/terasima-ronbun3.htm」

お忙しい中、一方的なお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。  

平成17年10月16日  井上秀喜
Utsukushii Is Beautiful



[] @A new student arrived at Tomoe Gakuen.  AHe was big and tall for a primary school boy.  BTotto-chan thought he looked more like a junior high school student. 

[] @That morning in the school ground the headmaster introduced the new student.

[] “ @This is Miyazaki. AHe was born and brought up in America. BHe doesn't speak Japanese very well, but he's very good at English.  CYou can learn a little English from him.DHe's not used to life in Japan, so you'll help him, won't you?  EAnd ask him about life in America.  FHe's one of you now.”

[] @Miyazaki bowed to his classmates. AThey were much smaller and younger than he was. BAnd all the children bowed back. 

[] @At lunchtime Miyazaki went over to the headmaster's house, and all the others followed him.  AWhen they saw him walking into the house with his shoes on, all the children shouted, ”You have to take off your shoes!”

[] @Miyazaki looked surprised. A“Oh, excuse me,” he said, and took them off. 

[] @The children began telling him what to do. 

[] ” @You have to take your shoes off for rooms with tatami-mat floors. AYou can keep them on in the classrooms and in the library.”

[] @It was fun to learn about the difference between living in Japan and living abroad.


[10] @The next day Miyazaki brought a big English picture book to school.  AAll the children gathered around him to look at the book.  BThey were amazed.  CIt was such a beautiful picture book.

[11] @In the book there were lots of colors besides the standard twenty-four in a box of crayons. AIt was so big and printed on such lovely, thick, shiny paper. 

[12] @Miyazaki read the English book to the children.  AThey were fascinated with his English. BThis was certainly something new and different.

[13] @ “Akachan is baby,” he began.

[14] @They all repeated after him. A”Akachan is baby.” 
[15] @“UtsuKUshii is beautiful.” AMiyazaki stressed the “ku.”

[16] @”UtsukuSHII is beautiful,” repeated the others.

[17] @Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong.  A“It's utsukuSHII, isn't it? Right? “


[18] @Miyazaki and the other children soon became good friends. AEvery day he brought various books to Tomoe and read them to the others at lunchtime. BIt was pleasant to hear him reading those English books. 

[19] @Miyazaki was their English teacher. AAt the same time, he became a better speaker of Japanese. BHe also stopped making mistakes like sitting in the tokonoma. 

[20] @Totto-chan and her friends learned lots of things about America.  AJapan and America were becoming friends at Tomoe.BBut outside Tomoe, America was an enemy. CEnglish was considered an enemy language and was no longer taught in most schools. 
[21] @“Americans are devils,” the Japanese government announced. ABut at Tomoe the children kept saying in chorus,“Utsukushii is beautiful.”

[22] @And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.
寺田義弘先生の和訳



[1] @ 新しい生徒がトモエ学園にきた。 A 彼は小学生の割には大きくて背が高かった。 B トットちゃんはどちらかというと中学生みたいだ、と思った。

[2] @ その日の朝校庭で校長先生がその転校生を紹介した。


[3] 「@ こちらは宮崎君だ。 A 彼はアメリカ育ちのアメリカ生まれだ。 B あまり日本語は上手くないが、英語は得意だ。 C 君たちは彼から少し英語を学べる。 D彼は日本の生活に慣れていないから 君達が彼を助けてくれますよね。 E それから彼にアメリカの生活について尋ねてみなさい。 F 彼はもうあなたがたの一員です。」

[4] @ 宮崎はクラスメートにお辞儀をした。 A 彼らは彼よりずっと小さく幼かった。 B すると、子ども達は皆でお辞儀を返した。

[5] @ 昼食の時間宮崎は校長の家に出向き、子ども達は皆彼を追っていった。 A 彼が家の中に土足のまま歩いて入って行くのを見ると、皆で叫んだ。 「靴脱がなくちゃだめ」 


[6] @ 宮崎は驚いたようだった。 A 「すいません。」と彼は言い、そして靴を脱いだ。 

[7] @ 子ども達は彼にやるべきことを言い始めた。

[8]「 @ 畳の部屋では靴を脱がなくてはいけない。 A 教室や図書室では靴を履いたままでよい」

 [9] @ 日本の生活と海外の生活の違いを学ぶことは楽しいものだった。


[10] @次の日宮崎は大きな英語の絵本を学校に持ってきた。 A 子ども達は皆彼の周りにその本を見に集まった。 B 彼らは仰天した。 C それは非常に美しい本だった。

[11] @ その本にはクレヨン箱にある標準の24色以外にもたくさんの色があった。(使われていた)  A それはとても大きくてとても素敵で、厚ぼったくて、光沢のある紙に印刷されていた。

[12] @ 宮崎はその英語の本を子ども達に読んであげた。 A 彼らは彼の英語に魅了された。 B それは確かに新鮮で、異種のものだった。

[13] @「赤ちゃんはベイビー」彼は始めた 。

[14] @ 彼らは皆で彼の後に復唱した。 A 「赤ちゃんはベイビー」
[15] @ 「うつクしいはビューティフル」 A 宮崎は「ク」に強勢をおいて言った。
[16] @ 他の者達が 「美しいはビューティフル」と復唱した。

[17] @ 宮崎は、その時自分の日本語の発音が間違っていたことを理解した。 A 「 「美しい」なんですね 」


[18] @ 宮崎と他の生徒達はすぐに良い友達になった。 A 毎日色々な本をトモエ学園に持ってきて、昼食の時間に他の生徒達に読んであげた。 B 彼がそれらの英語の本を読むのを聞くことは心地良かった。

[19] @ 宮崎は彼らの英語の教師だった。 A 同時に彼の日本語は上達した。 B また彼は床の間に座るような過ちを犯さなくなった。


[20] @ トットちゃんと彼女の友達はアメリカについて多くのことを学んだ。 A 日本とアメリカはトモエ学園では友達になりつつあった。 B しかしトモエ学園の外では アメリカは敵だった。  C 英語は敵の言葉と考えられ、ほとんどの学校ではもはや教えられなかった。
[21] @ 日本政府は「アメリカ人は悪魔だ」と発表した。 A しかしトモエ学園では、子ども達は声を揃えて「美しいはビューティフル」と言い続けた。

[22]  @ そして、トモエ学園を横切るそよ風は優しく暖かかった。子ども達自身が美しかった。

(2005.10.16 記)


野澤裕子氏の「トットちゃんの構造読み試案」への質問と意見  投稿者: 井上秀喜  投稿日:11月19日(土)22時29分7秒

記号付け英語研究会月刊機関紙11月号( 2005.11.19発行)に、野澤裕子氏の「トットちゃんの構造読み試案」が掲載されている。掲示板上では、「トットちゃんの構造読み」についての話題は、一区切りついているのですが、新しい提起がなされていますので、野澤氏の原稿への質問と意見をまとめてみました。最初に、野澤氏の原稿を四角囲みで紹介します。

2.野澤裕子: 論文「トットちゃんの構造読み試案」 2005/11/17

Totto-chanの構造読み試案  野澤裕子 2005年11月11日

はじめに
 今年の夏の大会で、寺田先生(茨城・高)が「形象読みへの挑戦」と題した報告をされた。教材の一例として、三友社の英語I教科書ニューコスモスIのLesson 3 Utsukushii Is Beautiful があげられていた。寺田先生は、「形象読みのための線引きして生徒に考えさせた。構造読みはしなかったし、まだしたことがない」という趣旨のことを述べておられたたと思う。
 討論の中で、寺島先生が「形象読みをする前に構造読みをすべき。この教材をまず教師がどう構造読みするか」とおっしゃった。そこで私たちは手元の英文プリントを読んで意見を出し合ったが、これと同じものが生徒に配られたのだとすると私にはいくつか疑問に思うことがあった。私は「これは構造読みの事始めにふさわしい教材ではないと思う。構造読みにふさわしい教材とそうでない教材がある。教科書教材はリライトされたものが多いので原文を調べてみる必要も出てくる」と発言した。その時の私の発言はプリントを一見しての少々雑で乱暴な発言だった気がしてその後も心にかかっていた。
 10月31日に我が家のパソコンの整備がようやく終わり、「記号研掲示板」でその後の論争の経過と一定の決着を知った。今の時点でタイミング的にも内容的にもかみ合うかどうか疑問だが、私なりにこの際「試案」をまとめてみようと思う。

1.Discourse Markersと固有名詞を目印に段落番号をふる

 私は「構造読み」用のプリントはできるだけ全文が見渡せるように一枚におさまる形に作り、あらかじめ全文を通して段落番号を振っておく。
 物語の展開は、時間と空間の軸に沿って書かれるか論理の軸に沿って書かれる。そうした時間・空間・論理の軸を表す言葉つまりDiscourse Markers がまず段落番号を振るときに目印になる。また、固有名詞で書きだされているかどうかもその目印になる。
 以下に寺田先生からいただいたプリントの形式段落のまま段落番号をつけDiscourse Markers と固有名詞がどのように現れているか書き出してみる。
〈Discourse Markers〉 〈固有名詞〉
1段落 A new student arrived Totto-chan
2段落 That morning
but
so
And
now
3段落 Miyazaki
4段落 At lunchtime,
When they saw him walking
and
Miyazaki
5段落 Miyazaki
6段落 The next day   Miyazaki
7段落 In the book
8段落 Miyazaki
9段落 then   Miyazaki
10段落 soon
Every day
at lunch time
Miyazaki
11段落 At the same time
also
Miyazaki
12段落 But Totto-chan
13段落 But
And
and

全文に段落番号を振ると次のようになる。Discourse Markersには二重下線[井上注…このページでは黄色ラインマーカー下線で代用]を引いた。[井上注…野澤氏は、固有名詞には印を付けてないが、わかりやすくするために、井上が水色ラインマーカーを施す]

Utsukushii Is Beautiful
1.
A new student arrived at Tomoe Gakuen. He was big and tall for a primary school boy. Tooto-chan thought he looked more like a junior high school student.
2.
That morning in the school ground the headmaster introduced the new student.
"This is Miyazaki. He was born and brought up in America. He does't speak Japanese well,
but he's very good at English. You can learn a little English from him. He's not used to life in Japan, so you'll help him,won't you? And ask him about life in America. He's one of you now.
3.
Miyazaki bowed to his classmates. They were much smaller and younger than he was. And all the children bowed back.
4.
At lunchtime Miyazaki went over to the headmaster's house, and all the others followed him. When they saw him walking into the house with his shoes on, all the children shouted, "You have to take off your shoes!"
5.
Miyazaki looked surprised. "Oh, excuse me," he said, and took them off. The children began telling him what to do.
"You have to take your shoes off for rooms with tatami-mat floors. You can keep them on in the classrooms
and in the library."
 It was fun to learn about the difference between living in Japan and living abroad.
6.
The next day Miyazaki brought a big English picture book to school. All the children gathered around him to look at the book. They were amazed. It was such a beautiful picture book.
7.
In the book there were lots of colors besides the standard twenty-four in a box of crayons. It was so big and printed on such lovely, thick, shiny paper.
8.
Miyazaki read the English book to the children. They were fascinated with his English. This was certainly something new and different.
"Akachan is baby," he began.
They all repeated after him. "Akachan is baby."
"UtsuKUshii is beautiful."
Miyazaki stressed the "ku."
"UtsukuSHII is beautiful," repeated the others.
9.
Miyazaki then understood that his Japanese pronunciation was wrong. "It's utsukuSHII, isn't it? Right?"
10.
Miyazaki and the other children soon became good friends. Every day he brought various books to Tomoe and read them to the others at lunchtime. It was pleasant to hear him reading those English books.
11.
Miyazaki was their English teacher. At the same time,he became a better speaker of Japanese. He also stopped making mistakes like sitting in the tokonoma.
12.
Totto-chan and her friends learned lots of things about America. Japan and America were becoming friends at Tomoe. But outside Tomoe, America was an enemy. English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.
13. "Americans are devils," the Japanese goverment announced.
But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukushii is beautiful." And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.

 しかし、この作業で悩んだことがいくつかある。
 まず7段落としたIn the book以降の2文がどうも中途半端に思える。講談社インターナショナルの英語版を確かめてみると、改行されずに長々と20行も続いている。これ自体段落が長すぎるし改行して別段落にできる内容ではある。戦時下の日本の物不足の中で育っていた子供たちが、カラフルで紙質のよいアメリカの絵本に見とれている。とくに好奇心の強いトットちゃんがかぶりつきで見ている様子がリアルに伝えられている。また、その絵本にソフトピンクの肌の赤ちゃんの絵がのっていたという描写が続く。だからこそ8段落の"Akachan is baby"のくだりがあるのだ。教科書ではそれらが大きく省略され書き換えられたから、不自然で中途半端な表現と段落構えになったのだろう。それならいっそのこと7段落とせず6段落の続きとして表記すればいいのではないか。
 次に12段落13段落のDiscourse Markersの入り方が英語的でないような気がする。講談社インターナショナル版を確かめてみたら、教科書と基本的に同じになっていた。これはもしかしたら、日本語の原文に忠実に、つまりその段落を崩さず英訳した結果ではないだろうか。どちらのButも文頭に出し13段落14段落として書いたほうが分かりやすくなりはしないだろうか。

12. Totto-chan and her friends learned lots of things about America. Japan and America were becoming friends at Tomoe.
13.
But outside Tomoe, America was an enemy. English was considered an enemy language and was no longer taught in most schools.
"Americans are devils," the Japanese government announced.
14.
But at Tomoe the children kept saying in chorus, "Utsukusii is beautiful." And the breezes across Tomoe were soft and warm, and the children themselves were beautiful.
しかしこの際、生徒には教科書のままの表記で「構造読み」をさせることにしておく。

2.どの段落がクライマックスか

 私は、段落番号を振ったプリントと同時にいくつかの設問を盛り込んだ別紙を生徒に配って答えを記入させる。第一問は「どこがクライマックスだと思いますか。段落番号のうち一つを丸で囲みなさい。また、そう思う理由も書きなさい」である。
 クライマックスというのが分かりにくければ「一番感動的な場面」と言い換えてしまう。英文全体をまず心・ハートで感じながら読み返してもらいたいと思っているからだ。「理由」の欄には、生徒の思い思いの表現が書かれるので点検していて読むのも楽しいし、いいと思ったものをコピーしておくと授業の中でどの子にも無理なく発言させる準備ができる。    
〈 段落番号〉 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
〈 理由  〉(                              )

3.全体を四つに分ける
 第二問は「物語りは普通次の四つの部分に分けることができます。この物語の場合どうなりますか。段落番号で答えなさい」である。
 ここで生徒は、自分がクライマックスとした段落の再考も迫られるかもしれない。自分なりの原案が用意できていると、それを持ち寄って班としての意見をまとめるときの材料になる。
 10〜15分ほど話し合いの時間をとり、班としての統一意見を発表するよう求めますが、「時間延長の要求」も認める。班の意見が割れているならそのまま報告すればよいと言っておく。班としての意見を書くメモ用紙を渡しておくと、発表のときにも使え、提出させると記録に残ってよい。段落分けの根拠として二重下線の引かれたDiscourse Markersが ここで生きてくる。
(1)導入部・・・・・・・・・・・・・・・( )〜( )
(2)展開部・・・・・・・・・・・・・・・( )〜( )
(3)山場の部(含むクライマックス)・・・( )〜( )
(4)終結部・・・・・・・・・・・・・・・( )〜( )

4.「反復」「対比」の発見
 第三問は、「反復」「対比」に焦点を当てた設問になる。なぜなら物語の主題の展開・発展は「反復」や「対比」に現れるからである。以下に、「反復」と「対比」を抜き出してみる。これが教師側の下準備となる。慣れてきたら生徒にやらせるのもいい。

〈反復〉
1段落と8段落 new
        new
3段落 bowed
    bowed
4段落と10段落 at lunchtime
        at lunchtime
5段落と8段落 difference
         different
5段落と10段落 It was fun
         It was pleasant
6段落と10段落 a big English picture book
        various books
6段落と8段落 They were amazed
         They were fascinated
10段落と12段落 became good friends
         were becoming friends
1段落と12段落と13段落   at Tomoe Gakuen
              at Tomoe
              at Tomoe
8段落と13段落 UtsuKUshii is beautiful
        UtsukuSHII is beautiful
        Utsukushii is beautiful
        the children themselves were beautiful

〈対比〉
1段落と3段落 big and tall
        much smaller and younger
2段落 He doesn't speak Japanese very well,
    but he's very good at English.
    life in Japan
    life in America
3段落 bowed to
    bowed back
4段落 with his shoes on
    take off your shoes
5段落 took them off(take your shoes off)
    keep them on
    rooms with tatami-mat floor
    classrooms, library (rooms without tatami-mat floors)
    living in Japan
    living abroad
8段落 wrong
    right
12段落 at Tomoe
    outside Tomoe
12,13段落 outside Tomoe
     at Tomoe
12 段落 friends
    an enemy
 以上のことを行うだけで見事に主題の展開・発展が浮んでくるのではないだろうか。
 具体的にどんな設問にするかは、生徒と実際に授業(「記号付けプリント」で訳をする段階の)をする中で決まってくるものもあるので、現時点で考えることは難しいのだが、以下に「設問例」を挙げてみる。

    〈例〉
1.1段落で新しい生徒Miyazakiくんの様子をbig and tallで表しているのに対して、3段落からその他の子供たちの様子を表した語句を書き出しなさい。 
                and            e
2.2段落でMiyazakiくんについて校長先生が説明しています。次の内容をそれぞれ文中の一語で書き表しなさい。
  (1)どこで生まれ育ったのか                  e
  (2)得意な言葉は?                      e
  (3)慣れているのは      life in             e
  (4)慣れていないのは     life in             e
3.3段落でMiyazakiくんは校長先生からの紹介が終わるとお辞儀をしました。その時子供たちがしたことは?
                               back
4.4段落と5段落で子供たちがMiyazakiくんに教えたことは?
  (1)畳のない部屋では           your shoes          e 
  (2)畳のある部屋では           your shoes           e
5.6段落と7段落でMiyazakiくんがしたことに対する子供たちの反応は?
  (1)きれいな絵本を見せたとき   They were              e
  (2)その絵本の英語を読んだとき  They were              e
6.12段落と13段落で at Tomoe, outside Tomoe, at Tomoe と繰り返され、Tomoe学園 の内外の状況の違いが「対比」されています。一方、最も「反復」の多い「文」は何ですか。文中から書き出しなさい。
                                             e
        (ヒント:,and the children themselves were beautiful. も同類の文ですね)

おわりに
  私は、まず「一文一文の読みを支える記号づけリーディング・プリント」に出会い、次に「文章全体の読みを支える構造読み」に出会った。この二つの「英文そのものとの取っ組み合い」術に出会って生徒も私も授業が楽しくなった。教え込むのではなく、生徒が「英文そのもの」と取っ組み合い、自分で発見し納得する授業の手立てに出会ったからだ。
 私は「形象読み」というものをやったことがないと思っていたのだが、「形象読み」の手がかりとなるものは「反復」「対比」だった。それならやっていたことになる。そして1項から4項の作業は、事実として行きつ戻りつして補完しあい「構造読み」が深まり「形象読み」ができていくからだ。
 ところで、大会での私の発言「これは構造読みの事始めにふさわしい教材ではないと思う。構造読みにふさわしい教材とそうでない教材がある。教科書教材はリライトされたものが多いので原文を調べてみる必要も出てくる」は直感的過ぎたのか。
 現時点で考えても結局そう思わせる理由はあったと思う。まず1項で触れたような段落番号を振るときに感じた不自然さ、そこからくる分かりにくさがある。原文が英語のものの方が典型教材としてはいいということだろう。また段落分けすると、1段落から5段落が導入部、6段落から9段落が展開部、10段落から13段落までが山場の部でクライマックスは13段落、終結部がない(記号研の典型教材のひとつThe Big Turnipがその例)。教科書の表記のままだと終結部がないことになるので初心者のための典型教材としてはふさわしくない。戸梶先生のようにAnd the breezesからを改行すると終結部になり、内容もそれにふさわしいものだと思う。
 

質問1 野澤氏は、/物語の展開は、時間と空間の軸に沿って書かれるか論理の軸に沿って書かれる。そうした時間・空間・論理の軸を表す言葉つまりDiscourse Markers がまず段落番号を振るときに目印になる。また、固有名詞で書きだされているかどうかもその目印になる。/と書いているが、野澤氏のここでいう「段落番号」とは、形式段落のことではなく、意味段落のことを意味しているのか。

質問2 野澤氏は、/時間・空間・論理の軸を表す言葉つまりDiscourse Markers がまず段落番号を振るときに目印になる。/と書いているが、野澤氏がDiscourse Markersとして挙げられているのは、時間・論理を表わすものが中心で、空間を表わすものはごくわずかしか注目していないが、それには何か理由があるのか。(空間に関連するものは、「In the book」の一語である)

質問3 野澤氏は、/第二問は「物語りは普通次の四つの部分に分けることができます。この物語の場合どうなりますか。段落番号で答えなさい」である。/と、物語の構造よみの典型構造の4分割を段落単位で行うように発問計画を書かれているが、段落単位で構造よみをさせるのがセオリー(公式みたいなもの)として有効なのか。また、その理由は何か。
 というのは、「おわりに」の部分には、次のように書いてある。/また段落分けすると、1段落から5段落が導入部、6段落から9段落が展開部、10段落から13段落までが山場の部でクライマックスは13段落、終結部がない(記号研の典型教材のひとつThe Big Turnipがその例)。教科書の表記のままだと終結部がないことになるので初心者のための典型教材としてはふさわしくない。戸梶先生のようにAnd the breezesからを改行すると終結部になり、内容もそれにふさわしいものだと思う。/ 「And the breezesからを改行すると終結部になり、内容もそれにふさわしいものだと思う。」と書かれているように、もし「And the breezesからを改行」してあれば、そこからを終結部にしたいと野澤氏は考えているようだからである。しかし、段落分けしていないので、野澤氏は「終結部がない」と構造を読んでいると私は、とらえた。なぜ、それほどまでに形式段落を大切にしなければならないのかが、私にはわからない。

質問4 野澤氏は、/クライマックスというのが分かりにくければ「一番感動的な場面」と言い換えてしまう。英文全体をまず心・ハートで感じながら読み返してもらいたいと思っているからだ。/と書いている。クライマックスの定義として「一番感動的な場面」と言い換えて野澤氏は説明している。この定義からすると、読み手の感動を中心にクライマックスをとらえることが可能で、読み手独自の感動の根拠が正当なものであれば、クライマックスも多様でよいということになるように私は受け取れるのだが、私の理解でよいのだろうか。野澤氏の「クライマックス」の定義とは、何か教えていただけないか。

意見1 質問4とかかわるが、私は、クライマックスの定義としては「事件を構成する勢力の力関係の変化が確定するところ」だととらえている。戸梶先生にも質問したのだが、13段落をクライマックスとしてとらえるということは、私のクライマックスの定義からすると「トモエ学園の教育方針」と「その当時の日本政府の教育への圧力」との対立関係がここで、「トモエ学園の教育方針」が優位になる(力関係が決定的になる)ということを表わしているととらえることである。私は、この「トットちゃん」の話の中で、この対立は、背景として描かれていると思うのだが、なんといっても「ミヤザキくん」と「ともえ学園の子どもたち」との交流関係がやはり主要な事件だと考えるので、13段落をクライマックスとしてとらえることに違和感を感じてしまう。ただし、野澤氏のいうように「一番感動的な場面」をクライマックスの定義として認める立場をとるならば、13段落を「一番感動的な場面」であるという主張に異を唱えるつもりはない。読者論の範疇の問題だということになるからである。もし、野澤氏の考えを聞かせていただければ大変ありがたい。
                    (2005.11.20 記)


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